第6話:笑顔の居場所
今日はなんとなく朝から嫌な予感がしていた。
起きた時から頭が重いような気がしたし、朝食の納豆のたれを開けるのに失敗したし、通学中には鳥の糞が自転車の前かごに乗せていた鞄に落ちた。
なんだいつもと同じじゃないかと言われたら全くその通りなんだけど、だけど他人から見たら同じでも本人だけが気付く違和感みたいなものってある。
朝のバラエティー情報番組でも天秤座は本日最下位だったし。
ってことで「はいはーい、あんたらがやれやれってうるさいから今日は席替えするよ! ほら、くじを引け―」なんて朝のホームルームに担任が言ってきた時には「あ、終わったわ」って思った。
別に後ろの方の席になりたいとは思わない。席なんてどこでもそう変わりはない。
ただ一番前だけは嫌だった。
何故なら入学して約二週間、先生たちの間で一番前の人を指名するのがどうやら流行っているらしいのだ。
そのことをみんなも知っているので、さっきから最前列の席のくじを引いてしまった人たちが断末魔のような絶叫をあげている。
ああ、一番前だけは嫌だ、一番前だけは嫌だ。
そう願ったにもかかわらず、終わっている僕は一番前どころか、よりにもよって教卓前の砂かぶり席ならぬ先生の唾かぶり席に決まった。
どうやら魔法使いでもなんでもないただの『ぼっち』には、運命を変える力なんてないらしい。
まぁ、知ってたけど。朝から嫌な予感もしてたし。
さてしばらく授業中は気が抜けない地獄へと落ちるのが決定した僕だけど、此花さんはどうなのか?
くじは好きな人から勝手に引いていいことになっていた。どうやら此花さんは残り物に福があると考えるタイプらしくて、まだ引いていない。
結果、窓側の一番後ろの席か、僕の隣の唾かぶり席かという天国と地獄が残った。
動くべきか、動かざるべきか。判断が難しい状況に思わず僕も息を止めて見守る。
もっともクラスの大半はすでに席の移動を終えていて、残りの二席がどうなるかなんて全く関心がないようだった。
まぁその気持ちは分かる。僕だって此花さんじゃなかったらどうだっていい……あ、此花さんがくじの入った箱に手を突っ込んだ!
最後の最後、運命は自分の力で掴み取る。その心意気や良し。果たして結果は?
緊張した面持ちでくじを開いた此花さんの顔が綻ぶ。
おおっ、やったなぁ、此花さん。
まだ友だちにはなれていないけれど、共に友だちを理解しようとしている同志の快挙に心から祝福を送る。
と、不意に目があった。とても無邪気な満面の笑顔だった。
よかった。勝ち誇ったような目で見下されたら、さすがの僕でも傷付くところだった。そんなことになったら放課後の活動にも支障をきたしかねない。
此花さんがウキウキと自分の机を取りに行く。
その様子を恨めしそうに見ながら、最後の女の子がくじを引いた。
最後のくじ、すなわちラストワンだ。
コンビニとかでよく見かけるアニメや漫画のくじは、最後のひとつにとびきり豪華な景品を用意していたりするものだけど残念、席替えくじにそんな特典はない。
というか、そんなのがあったら誰もなかなか引かない。我が学び舎は商業主義に染まったりはしないのだ。
さぁ、名前も知らない、顔も正直覚えていないクラスメイトよ、運命を受け入れて僕の隣に来るといい。
そして僕と一緒に先生の聖なる唾液から身を守ろうじゃないか。
開いたくじから目を離した彼女の視線が、僕と重なった……ように見えた。
でも実際は僕じゃなくて、その横。
にっこにこな笑顔で僕の隣へ机を運んできた此花さんを、信じられないものでも見るかのように目を見開いて凝視していた。
「おめでとう~。ラストワン賞~」
担任のやる気のない賞賛が席替えしたばかりで騒がしい教室に虚しく響く。
まさかのラストワン賞があったとは……次回は僕も狙ってみるか。
って、そんなことより。
「今日からお隣さんですねっ! よろしくお願いします、高尾君っ!」
「う、うん」
こんな最悪な席にもかかわらず大満足とばかりに微笑む此花さんから声を掛けられて、思わず返事が上擦った。
戸惑っていた。
此花さんの奇妙な行動に……ではなくて、僕自身に芽生えた新鮮な感情に。
此花さんが喜んでいる理由は僕にだって分かる。
僕の隣になったからだ。
此花さんは僕が知る限り決して勉強熱心じゃない。実際授業中に寝てたのか、あるいはぼんやりしていたかで板書を写し損ない、僕のノートを見せてあげたことが既に何度かある。
そんな此花さんが、一番前の、しかも教壇前の唾かぶり席になって喜ぶのはそれぐらいしか思いつかない。
ああ、この人は本当に僕と友だちになりたいんだなぁ。
それが嬉しくて僕もまたさっきまで地獄に落ちたような気分が、いつの間にか消え失せていた。
なんとも不思議で、新鮮な体験だった。
席替えによる思いもよらぬ感情に戸惑って当然だった。
「高尾君、席替えって凄いですねっ!」
朝のホームルームが終わって一限目の先生を待つ間、此花さんがいまだ興奮しながら嬉しそうな表情を浮かべてこちらへ向けて話しかけてくる。
「私、今まで席替えって、みんなどうしてそんなにやりたがるのかなぁって思ってたんですよ」
僕はそんな此花さんの視線が妙に気恥ずかしくて、微妙に目線を外しながら頷いた。
「でも高尾君と友だちになろうと決めたおかげで、どうしてみんなが席替えをやりたがるのか分かっちゃった気がしますっ!」
妙な熱を帯びて微笑む彼女。
その瞳の奥に僕が映りこんでいるのがちらりと見えて、一瞬呆気に取られる。
「きっとみんな、こんな気持ちになりたくて席替えをやりたがるんですねっ!」
嬉しそうに言葉を噛みしめる此花さん。
そんな彼女の瞳の奥。
そこに目線を合わさず、なんだか居心地悪そうにしている僕がいた。
これが僕か、と驚いた。嬉しそうに喜んでいる此花さんの前で、僕はこんな態度をしているのかと自分で自分が信じられなかった。
確かに戸惑っている。
けれど、それは僕の心の中に芽生えた感情の整理が上手く出来ていないだけで、此花さんから向けられる笑顔が眩しすぎてまともに見られないと言うか、ぶっちゃければ何かむず痒いような気恥しさがあって、本当は嬉しいと僕だって思っているのに上手く表に出せないだけだった。
決して居心地を悪く感じたり、不満を覚えているわけじゃない。
それでも相手からしてみれば僕はこう見えているのか……。
思えば相手の瞳に映り込んだ自分の姿を見たのは初めてのような気がする。
知らなかった、僕はこれまでもずっとこんな姿を誰かに見られていたのか。
そりゃあ友だちが出来なくて当たり前だなと思った。
どうやら僕は友だちが分からないだけでなく、相手に僕のこと――どう思っているとか、何を考えているとか、そんな僕自身のことを知ってもらおうということすらやっていなかったようだ。
僕は僕という人間を知っている。当たり前だ。
でも、他人は僕を知らない。話をしたり、観察した印象しか知ることが出来ない。
だから僕は伝えなくちゃいけないのだろう。言葉だけじゃなく、表情や態度でも僕が今何を感じてどう思っているのかを、出来るだけ相手にも分かってもらえるように分かりやすく。
そのことに気が付いていれば、もしかしたら過去に一緒にお昼ご飯を食べてくれた人たちも友だちになってくれたのかもしれなかった。
「……そうだね」
過去は変えられない。
でも未来は変えることが出来るだろう。僕が少しでも変わることで。
「僕もようやく分かったよ」
僕は意を決して此花さんと視線を合わせた。
彼女の瞳の奥に微笑む僕が映りこむ。ぎこちないなとは自分でも思うけれど、何事も最初から上手くいくわけがない。
少しずつでもいいから慣れていけば、きっといつか彼女の瞳が僕の笑顔の居場所になるだろう。
そうなるように頑張ろうと思った、席替えをした春の一日だった。
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