第21話:頑張ろう。一緒に。

 よくよく振り返ってみれば、僕は誰かに抱かれることはあっても、誰かを抱いたことのない人生を送ってきた。

 言うまでもないが、えっちな意味ではない。

 ちなみにそっち方面ではどちらの経験もないし、特に前者とは一生経験がないよう祈っている。


 とにかくだ、僕は色んな人に抱かれてきた。

 母さんに、爺ちゃんに、婆ちゃんに、親戚の人に。

 赤ちゃんの頃は勿論、それなりに大きくなっても母さんは僕を時折抱きしめてくるし、爺ちゃん婆ちゃんも久しぶりに会った時はハグしてくる。


 父さんは……まぁ僕に『ぼっち』な遺伝子を色濃く継承した本人だから、きっと赤ちゃんの頃の僕ですらあまり抱くことはなかっただろう。

 別にそれでいいと思う。抱かないからと言って愛情がないわけでもない。どんなことだって決まった形なんてなくて、人それぞれであるべきだ。


 ただ、今はそんなことを言っている場合じゃなかった。

 僕は此花さんを抱きしめなくちゃいけない。力強く引き寄せなくてはいけない。

 だって、そうしないと……


「うわんっ!」

「わわわっ!」


 ただでさえ二人三脚なんて初めてで足取りを上手く合わせることが出来ない僕らがつんのめって、お互いの身体が離れて、でも足は縛り付けられていて、結果支え合うことも踏ん張ることも出来ず、ふたり揃って地面へダイビングしてしまうのは自明の理だった。




「ふん、頑張れ。以上!」


 そんな僕たちをゴリ先生は見下ろして、ただひとことそう言った。

 体育の授業でのことだ。来る体育祭に向けて出場する競技の練習をしている生徒へ熱心に指導して回っていたゴリ先生だったけれど、僕たち男女混合二人三脚障害物競走に出る二組に対してはやけに素っ気ない。


 いや、素っ気ないどころか、まるで親の仇のように睨みつけてくるのはなんとかならないだろうか。


「こら、太田先生! いくら自分がモテないからって子供たちに当たらない!」

「そういうことじゃないんですよ。自分は他の連中の指導で忙しい。なのでこいつらには由比先生の方で頼みますわ。それでは!」


 ゴリ先生がそう言って足早に立ち去っていく。

 いつもは女の子の体育の授業を担当している女の先生が、そんなゴリ先生の背中を見て呆れたように溜息をつく。かすかに「男らしくないゴリラはなんかヤだなぁ」なんて愚痴が聞こえてきた。

 どうやら同僚にもゴリラだと思われているらしい。さすがに誰か人間扱いしてあげてとゴリ先生に同情した。


「あ、ごめんね。あなたたちは私が見てあげるから……と言っても日比野さんたちは何も問題ないか」


 女の先生――ゴリ先生によると由比先生って名前らしい――が振り返り、僕たちとは別の一組が息を合わせて爆走する様子へ目を細める。

 僕たちが幼稚園児レベルだとしたら、彼らはオリンピックの優勝候補だった。ただ足が速いだけでなく、障害物に見立てたハードルを見事に潜り抜け、また飛び越していく。あそこまで行くともはや一心同体だ。


「問題は此花さんたちだねぇ」


 先生の視線がゆっくりと下がっていき、地面に伏せている僕たちへ向けられた。


「うー。先生、何がいけないんでしょうか、私たち?」

「んー、まだあなたたちのを見てないから何とも言えないけど、まぁひとつだけ心当たりはあるよ」

「本当ですかっ、先生!?」

「此花さんが私の授業をサボりがちなこと」


 勢い込んで質問した分、此花さんのバツの悪そうな様子ときたら傍で見る限りはちょっと笑えるものがあった。

 でも、笑っている場合なんかじゃないのは僕自身が一番よく分かっている。


「じゃあ立ち上がってみて」


 先生に言われたまま、僕たちは立ち上がる。


「うん、じゃあ走ってみよっか」


 先生の要望に応じて此花さんが僕の右肩へ伸ばした手にギュッと力を込めた。

 僕も頑張って彼女の左肩を抱き寄せる。

 身体が日常生活ではあり得ないぐらいに密着する。バクバクと脈打つ心臓が、今から急発進する車のエンジンを思い浮かばせた。


 此花さんの掛け声に合わせて僕たちは足を動かす。

 いくら二人三脚幼稚園児レベルの僕らと言えども、いきなり転ぶことはない。

 それは数日前、あの運動公園で初めて肩を組みあった僕たちが、此花さんの「じゃあ行きますよ」との提案を実行した際に学習した結果だった。

 いやはや、アホでも学べば成長するのだということを実感する。


 ただし、成長しないものもこれまた確かに存在していた。


「あー、なるほどねぇ」


 再び無様に地面へ這いつくばる僕たちを見下ろして、女の先生が妙にニヤニヤした視線を僕に向けてくる。


「先生、何か分かりましたかっ!?」

「んー? いや、なんにも分かんないなー」

「ウソですっ! その顔は何か分かってる顔じゃないですかっ!」

「まぁ敢えて言うなら若いなぁって事ぐらい? ま、頑張っていればなんとかなるよ」


 結局ゴリ先生と同じことを言って、女の先生も別の生徒の指導に行ってしまった。

 もっともゴリ先生と違って、僕たちの何が問題なのかに気付いてのアドバイスを残していった。

 頑張ればなんとかなる……つまりは僕に慣れろって言いたいんだろうな。


 僕としてはその慣れる方法を教えて欲しいところなんだけど。


「若い? 若さゆえの過ち? 私たちは二人三脚をするには若すぎる……ってコト?」


 僕に折り重なるように倒れている此花さんが呟く。

 ……此花さんがこの手のことに鈍感で良かったとつくづく感じた。




 とりあえずふたりの体育教師から貰ったアドバイスが「頑張れ」だった以上、僕たちは練習を頑張る以外他に手がない。

 まぁ、お互い部活動にも入ってない、早く帰って自宅で予習復習をする優等生でもない、放課後は体育館裏でキャッチボールしてるかカラオケ屋で適当に歌ってますな僕らだ、頑張る時間はたっぷりある。


 もっともいくら頑張ったところで、僕の心臓はいっこうに落ち着いてくれる様子が見られなかった。


「ふぅ、疲れましたー」 


 そうこうしているうちに迎えた体育祭前日。

 今日も今日とて近くの運動公園で練習していた僕たちは、お互いの足を結ぶ紐を外して、さっきまで障害物に見立てていた椅子に座って休憩していた。


「最初の頃と比べたら随分と上手くなりましたねっ!」

「……そうだね」

「障害物を乗り越える練習もばっちりですし、転ぶこともあまりなくなりましたっ!」

「……うん」

「明日は頑張りましょうねっ、高尾君!」


 ……答えられなかった。

 頑張ろう、頑張りたいという意志はある。これまでもそうだったように。

 だけどどうしても克服できずにここまで来てしまった。

 

 此花さんが言うように、僕たちはお互いのペースを理解出来て、上手く合わせるようになった。

 おかげで転ぶ回数はかなり減ってはいる。

 それでも態勢が崩れた時は確実に転ぶ。その原因に此花さんもうすうす気が付いているだろう。


 僕たちはいまだ一心同体とは言い難い。

 すべては僕の不甲斐なさのせいだ。


「二週間後に体育祭だって聞いた時はどうなることかと思いましたけど、高尾君のおかげでなんとかなりそうです」


 そんな僕を此花さんは責めない。

 それどころか僕のおかげだなんて言ってくれる。

 此花さんは優しい。

 そして僕は勇気のない臆病者だ。


「此花さん、僕は」

「実はですね、明日、お母さんたちが見に来てくれるんですよっ!」

「……え?」

「高校生にもなって両親が見に来るなんてやっぱりおかしいですよね?」

「えっと……」

「いいんです、私だってそう思いますもん。でも、今まで見てもらえなかったから……見てもらえるようになったから、私、どうしても頑張っているところを見てもらいたくて」


 それってどういうこと? とは聞けなかった。

 だって此花さんがとても満ち足りた表情を浮かべて、僕を見つめていたから。

 きっと人は何かをやり切ったと感じた時に、こんな顔をするのだろう。

 そこに不躾な質問を挟む余地なんてこれっぽっちもなくて、ましてやこれ以上情けない顔を晒してはいけないと僕に感じさせた。


「だから明日も一緒に頑張ってくれるだけで、私は十分に満足なんですよっ、高尾君!」

「……分かった。頑張ろう」


 課題を克服できるかどうかは分からない。

 はっきり言って自信もない。

 でも、頑張ろうと思った。

 此花さんと一緒に頑張ろうと心から思った。

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