第20話:困ったことになった

「これですっっっっっ!!」


 いきなり大声をあげて立ち上がった此花さん。

 その様子に隣に座っている僕だけでなく、クラスのみんなも驚いた様子で僕たちへ視線を送ってくる。

 注目されることに慣れてないからなんとも居心地の悪いむず痒さが足元からじわじわと湧き上がってきた。

 

「これですよっ、高尾君!」


 でも此花さんはそんな僕の様子にも、いや、きっとクラスメイトたちの奇異な目にも気が付いていないのだろう。

 大はしゃぎで僕へ顔を近づけるとプリントを突き出してくる。

 暴走モードの此花さんはまさしく無敵なのだった。

 

「これって一体何が……?」

「これですよ、これ! この男女混合二人三脚障害物競走!」


 二人三脚なのに障害物競争? そんなどう考えても怪我しそうな競技があったっけとプリントを凝視すると、確かにあった。

 プリントの一番最後に『今年もやります! 春高名物、仲良し男女猛レース!』と銘打たれた怪しげな競技が。


 って、ちょっと待って! まさか……。

 

「これに一緒に出ましょう、高尾君!」


 何事にも流れに身を任せるのが僕の生き方である。

 これまでも激流だろうが濁流だろうが巻き込まれるなら仕方がないと身を投じてきたし、星座占いでも天秤座は獅子座に全部乗っかっていけと書かれていた。


 それでも此花さんと出会ってからは彼女の暴走を止めるという行動を覚えた。

 それは巻き込まれる僕の為であると同時に、彼女の為でもあると自負している。


 だから今回も止めるべきなのに、その自負が邪魔をした。


 此花さんは明らかに暴走している。しかも僕も巻き込もうとしている。ここまでは止めるべき条件を満たしている。

 でも、地獄で仏を見つけたような、真っ暗闇の中で一筋の光を見つけたような表情を浮かべる此花さんを再び地獄へ叩き落すのが、果たして彼女の為になるだろうか?

 

 結局、僕は不承不承ながら頷くしかなかった。

 此花さんからしたら僕が地獄へ蜘蛛の糸を垂らす仏様に見えたかもしれない。

 でも僕からしたら此花さんに無理矢理足を引きずり込まれたような心地だったのは、彼女には内緒にしておこうと思う。




 さて、どうでもいいので今まで別に明記してなかったけれど、僕の通う高校は正式には春霞はるかすみ高校と言う。

 通称、春高だ。バレー部は別に強くない。あ、でも凄い新人が入ったとか。

 まぁ今はその話は関係ないので割愛しておく。


 重要なのはその三十年以上も前の春高で、従来の競技を二人三脚でやってみようというアイデアを誰かが発案したことだ。


 単なる話のネタで終わるのならばよかった。

 が、発案者は行動力と人脈に溢れた人物だったのだろう。有志を集って体育祭のお昼休みを利用してやってみせたところ、そのうちのひとつであった障害物競走が生徒たちに大ウケして、なんと翌年から正式なプログラムとして採用された。

 

 それでも十五年ほど前、障害物が年々過激になり、ケガ人が続出したことで先生方から開催を疑問視する声が上がる。

 本来ならここで立ち消えるはずだった。


 しかし当時の生徒たちは先輩たちが興した競技を消してなるものかと発奮。

 ならば障害物を緩くしつつも、代わりに男女ペアによる混合レースに変更すればもっと盛り上がるんじゃないかと改善策を教師側に提出し、無事受理された。

  

 かくして現在の男女混合二人三脚障害物競走の形になったわけだ。


 つまり何を言いたいかというと、この競技が意外と歴史が長く、しかも一度は存続が危ぶまれながらも生徒たちによるルール改正でその危機を乗り越えた名物競技であるということだ。

 だから当然のことながら注目度は高い。

 小耳に挟んだ情報によると、下手したら最後の男女混合リレーよりも人気がある花形競技だと言う。

 

 それに僕が出るとかありえない。

 生まれてこの方、社会の端っこでひっそりと生きてきた僕だ。

 教室の海底に沈みこんでいる僕だ。

 体育祭なんて目立たない競技に出て、誰の目にも止まらないまま競技を終えて、あとはぼんやり体育座りを決め込みたい僕だ。

 どう考えても場違いが過ぎる。まるでボルディビルの大会に何の筋トレもしていない凡人が出るようなものじゃないか。

 筋肉じゃなくて観客がキレる様子が目に浮かぶ。

 

 だからやる気満々な此花さんには申し訳ないけれど、正直言ってこれには出たくないと思いながら参加希望に丸を付けた。

 まぁ、でもそれほどの人気競技ならば希望者が殺到することだろう。だとすれば最終的な参加者はジャンケンかクジで決まるはず。

 幸いなことに僕がクジに弱いのは先の席替えでも明らかだ。

 自慢じゃないけど、ジャンケンも弱い。

 此花さんはどうかは分からないけれど、そもそも運が強ければ友だちのひとりやふたりぐらい出来るもんじゃないだろうか。


 よし、僕たちが選ばれる可能性はかなり低い。

 それでももしそこでも勝ち残ってしまえば、それはもう天の定め、運命だと思って諦めよう。

 

「えー、男女混合二人三脚障害物競走は有馬と日比野、それから高尾と此花の二組に決定ー」


 と思っていたのに、競合することなくすんなりと決まってしまった。

 どうやら参加を希望したのは僕たちを含めた二組だけだったらしい。


 ちょっと! 人気の花形競技って情報はどこに行った!?

 

「いやー、一年はすんなり決まってラクチンラクチン」


 答えは、先生の言葉が全てだった。

 そうだ、いくら人気競技であっても自分ひとりが出たいからと言って出れるものじゃない。

 この競技には出場にはパートナーが、しかも異性が必要だ。

 それを入学してまだひと月あまりの一年生に求めるのはあまりにも酷だろう。

 

「……やっぱり五月開催は早すぎたんだ」


 にっこにこの笑顔を浮かべて「頑張りましょう、高尾君ッ!」と気合を入れる此花さんの隣で、僕は数時間前の彼女の意見に激しく同意していた。

 



 男女混合二人三脚障害物競走の概要は次のとおり。

 まず、通常の二人三脚の状態でスタート。20メートル先の梯子をふたりで潜り、50メートル先の跳び箱を乗り越え、70メートル地点で男の子を軸にぐるぐると女の子が10回転し、麻袋にふたりして入って残り50メートル先のゴールを目指す。

 

 春高名物という割には意外と普通だった。

 もっと奇想天外なことをさせられるのかと思っていたので少し胸を撫で下ろす。

 

「くっくっく。勝ちましたよっ、これはっ!」


 もっとも横で此花さんが悪者みたいな笑顔を浮かべているので、全く安心は出来ない。

 

「どうしてそんなに自信があるの、此花さん?」

「そんなの決まってるじゃないですか。だってほら」


 此花さんが見てごらんと目の前に広がる景色を指差す。

 いつぞやの人間パンジャンドラムを披露した運動公園だった。

 此花さんが早速練習しようと言ってきたのでここを選んだ。理由は芝生広場なら転んでも剥き出しの地面よりかはダメージも小さいし、何より学校のみんなの視線を気にしないで済むからに他ならない。

 

 まぁ、代わりに居合わせた子連れの若いお母さんグループからの視線を妙に感じるんだけど。

 もしかしたら先日の時と同じグループで警戒されているのかもしれない。

 そういえばカマキリ先生はご健在だろうか。

 

「ここなら思い切り二人三脚の特訓が出来る上に、まさか障害物まで用意されていたとはっ!」


 呑気に足元にカマキリがいないかどうか探そうとしていた僕は視線をあげた。

 ああ、なるほど。

 此花さんが言う障害物とは、おそらく芝生広場のあちこちに点在する木製のテーブルのことだろう。

 広場に遊びに来た人が休めるようにと設置されたそれは、潜り抜ければ梯子潜りの練習に、乗り越えれば跳び箱の代わりになる。

 

 本来の使い方とは違うし、何よりマナー違反だとは思うけれど、休日で混み合っている場合ならばともかく今日みたいな平日の放課後なら空いているテーブルは数多く存在している。

 あとで乗り越えた時についた泥とかを綺麗にしてやれば、許してもらえるだろう。

 

「そして麻袋の代わりはこれですっ!」


 パララッパラーとお馴染みの効果音を口ずさみながら、此花さんがここに来る途中で買ったゴミ袋をリュックから取り出した。

 一番大きな奴を買ったから多分ふたりでも入ることが出来るだろう。耐久性が心配だけど、10枚入りなのでそこは数でカバーする。

 

「ここなら完璧な特訓が出来ること間違いなしですっ!」

「まぁ、そういうことになるかな?」

「くっくっく。そしてこれから行う地獄の特訓で私たちの勝利を呼び寄せますよ、高尾君!」

「こんな長閑な所で地獄とか言われても」

「お遊戯の時間はおしまいなのですっ!」


 それは無邪気に芝生の上を走り回る幼児たちへの宣戦布告だろうか。

 ごめんね、このおねえさん、ちょっと今は暴走気味だから近づかないでねー。


 心の中で子供たちへ注意を促しながら、僕は此花さんに誘われるがまま横に立った。

 しゃがみ込んだ此花さんが僕たちの足首をぎゅっと紐で縛る。

 少し痛かったけれど、これぐらいしないと途中で解けてしまうかもしれない。本番では解けたらその場で結びなおさなきゃいけないわけだから、結構なタイムロスだ。今のうちにこの痛みに慣れておく必要があるだろう。

 

「じゃあ肩を組みましょう!」


 でも本当に馴れておかなきゃいけないのは別にあった。


『ぼっち』な僕は人との触れ合いに慣れていない。それは精神的にも、肉体的にもそうだ。

 ただ、此花さんとの友だちを目指す中で、僕は彼女となら結構慣れてきたなと、この短期間の中で感じていた。

 此花さん相手なら会話を交わすことも、身体を接触させることもあまり気にならない。そりゃあふたり乗りしていきなり背後から抱きつかれた時は驚いたし、街中で手を繋いで歩くのはもう勘弁してほしいけれど、なんだかんだでまぁ大丈夫だ。


 事実、此花さんの右手が僕の左肩を抱き寄せてきても。

 わき腹に当たる柔らかい弾力や、ゴリ先生とはまるで違う腰回りの丸みや、体操着越しにぴたりと吸い付いてくるようなふとももの感触も、ほら、な、なんともない……だろ?


「ん? どうかしたの、高尾君?」

「え? いや、別に……」

「そうですか? じゃあほら、高尾君も私の肩に手を回してください」

「……え?」


 言われて気が付いた。そうだ、二人三脚はお互いが肩を組み合わないといけない。

 お互いが身体を寄せ合い、まさに一心同体になることで成立する競技だった。

 なんてことだ、そんな基本的なことを忘れていたとは。これまでの人生であまりに縁がなかったから、すっかり失念していた。


 それでもまぁ、此花さんと身体を密着させることにはそれなりに慣れている。

 自慢ではあるが、彼女に馬乗りにされたマウントポジションを取られたことだってあるのだ。


 いまさら肩を抱いて引き寄せることなんて大したことではないだろう。


 と、思うのだけど此花さんの左肩へ回す手が震えていた。

 それを隠すように僕は彼女の肩へ手を置くと、心臓の鼓動がバレない程度にその柔らかい身体を引き寄せた。


 そして思った。

 どうしよう、これは本気で困ったことになったぞ、と。

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