第19話:死なばもろともこぞりて
ゴールデンウィークが終わると、学校が再び始まった。
ごく当たり前のことなんだけど、不思議とこれを嫌がる人がいたりするらしい。
なんでも春からの新生活に慣れることが出来ず、それでもゴールデンウィークという長期休暇があるから頑張ろうとなんとか四月を乗り越えるものの、休暇が明けたら心が折れて軽い鬱病みたいになってしまうそうだ。
人はこれを五月病と呼ぶ。
五月からしてみたら「私が直接の原因じゃないのに酷くありません?」と言いたくなる案件だろう。新生活適応障害とかなんとか、それらしい名前に変えてやった方がいいのではないかなんて思いたくもなる。
それでも連休明けの五月に罹患するから五月病という分かりやすさが勝るわけで、申し訳ないけど五月には諦めてと言う他ない。
ただ、名称変更よりもっと手っ取り早い方法がある。
五月病そのものを撲滅するのだ。さすれば五月さんもこの不名誉な名前の呪縛から解放されるだろう。
ではどうやって撲滅するのか?
そもそも五月病はウィルスとか遺伝子の破損とか血管に溜まったコレステロールがどうのこうのという病気じゃない。昨今の現代社会が生み出した精神的な疾患だ。
ならばそのなんとなく怠ーい、なんとなくやる気が出なーい、なんとなく面倒くさーい症状を吹っ飛ばすような楽しい催しを開催すればいいのではないだろうか?
「でも、だからって運動会をしなくてもいいと思うんですよ……」
此花さんが机に突っ伏しながら隣の席の僕に同意を求めた。
顔をこちらに向けず、突っ伏したまま話しかけてくるのは珍しい。
朝一番は低血圧気味ながらもいつもとさほど変わらない様子だったのに、今はどうやら顔をあげるのもなんか怠くて、どうにもやる気が出なくて、如何ともしがたいほどになにもかもが面倒くさいようだ。
つまるところ、此花さんは突如として五月病に罹患したのだった。
「あ、ごめん。体育祭を五月病対策でやるんじゃないかって僕から言っておいてアレなんだけど、今スマホで調べてみたら五月に開催するのは天気がよくて、新しいクラスの団結力を高めるのに都合がいいかららしいよ」
「……そう」
「でもまだ新しいクラスになったばかりなのに早すぎるって意見もあるらしい」
「ですよねっ! 五月は絶対早すぎますよっ!」
此花さんがガバっと頭をあげて、僕は思わず「あ、生き返った」と不躾なことを言ってしまった。
その動きがゾンビに似ていたのだから仕方がない。言ってしまった以上、襲いかかって噛みついてこないよう祈るばかりだ。
「運動会なんて十月にやればいいのに、なんで五月にやるんですかっ!?」
「落ち着いて、此花さん。あと、運動会じゃなくて体育祭だから」
「そんなのどっちだっていいんですよっ、高尾君っ! とにかく私はずっと十月だとばかり思ってたんです! それがいきなり朝から『あー、6限目のホームルームは二週間後に迫った体育祭の出場競技を決めるからねー。みんな、昼休みまでに出場希望用紙を提出するようにー』って。こんな酷い不意打ちは1582年以来だよっ!」
「単なる朝の連絡事項と日本の歴史的大事件を同じレベルで語るのはどうかと思うよ、此花さん?」
信長が聞いたら「炎上舐めんな!」と激怒するだろう、間違いなく。
「とにかくいきなり体育祭なんて、何の準備もしてないんですっ! おかげで私は一気に憂鬱になりましたっ!」
「そんなに嫌いなんだ、体育祭?」
「いえ、むしろ楽しみにしてましたっ!」
「なんで? 運動は苦手じゃなかったの?」
「苦手ですけど……その、実はこれまであんまり運動会とか体育祭にいい思い出がなくて……」
それは身体が弱くてこれまで運動会に出れなかったことを言いたいのだろうか。
「でも、今年は違うんですっ。きっと楽しい体育祭に出来るって思ってたんですよっ! なのにこんな急に言われたらまともに練習も出来ないじゃないですか……」
拗ねたように、いや100パーセント拗ねた様子で此花さんが言った。
本人からしたら単なる愚痴だろう。
でも僕からしたら今の発言はかなり重要なものだった。
まず、これまで体育祭へ満足に出ることすら難しかった此花さんが、今年は完全に参加出来ると確信していること。
これは大きい。
つまり彼女は自身の健康状態にかなりの自信を持っているということだ。
そもそも笹本さんの話によると中学時代の此花さんは毎日のように病院へ行っていたと言う。
だけど高校生になった彼女にそんな素振りは見られない。だってほぼ毎日、僕たちは一緒に放課後を過ごしているのだから。
勿論、僕と別れてから病院に行っている可能性もあるだろうけれど、そんな遅くまで病院ってやってるものだろうか。
加えてほとんど休むことなく学校に来ていることからも、おそらく此花さんは自身に抱えていた問題を解決したのじゃないかと僕は仮説を立てていた。
それは僕の希望が大いに影響した仮説ではあったけれど、どうやら正しかったのではないかと今回の発言で自信が持てた。
そしてもうひとつは、
「え? まともに練習出来ないって……練習するつもりだったの?」
「はいっ! 夏休みに入ったらランニングとかして体力を強化するつもりでしたっ!」
「なんでそこまで?」
「だってやるからには勝利を目指さないと!」
やっぱりそうなのかと僕は自分でもよく分からない表情を浮かべた。
体育の授業を休みがちな此花さんだ。加えてキャッチボールを始めた時の大暴投、運動公園での猫パンチを見ても運動神経がいいとは思えない。
きっと彼女だって自分の運動音痴ぶりは自覚している。だから「やるからには勝たなきゃいけない」なんて言わなかった。
それでもやるからには勝敗にこだわりたいらしい。
おそらくだけど此花さんにとって体育祭とは、勝利を目指して準備する日々も合わせてのイベントなのだろう。
長期的なトレーニングを積み、勝利の確率を少しでも上げて当日に挑む。
それが彼女のしたかった体育祭なのだ。
苦手な分野で頑張っても意味がないと最初から勝負を諦めている僕とはまるで違う。
もはや子供じゃない、高校生という半分大人に差し掛かったこの時期。体育祭にここまで本気になれるのは馬鹿馬鹿しいことかもしれない。
でも同時にその純粋さがキラキラと輝いて見えた。
「ねぇ、高尾君、今から体育祭は十月開催にすべきだってみんなで抗議したら何とかならないですかね?」
「ならないんじゃないかな。先生たちも五月開催にむけて色々準備してきただろうし」
あと、『ぼっち』な僕たちには一緒に抗議してくれる『みんな』なんていない。
そもそも主張する内容も多くの人から賛同を得られるとは思えないので、勝ち目はなさそうだ。
「でも肝心の生徒が準備出来てないんじゃ」
「あー、これは言うべきか迷ったんだけど……入学初日にもらった年間行事のプリントに書いてあったよ、五月の体育祭」
「……そんなの記憶にないです」
「ちゃんと読まないと」
まぁ入学当日、登校してみたら各机に配られていたプリントの山にしっかり目を通したのはきっと僕ぐらいなものだろう。
他のクラスメイトたちの多くは中学からの友達とのおしゃべりに興じたり、あるいは新たな友だち作りに奔走していた。
此花さんがどうだったかは覚えていない。でもきっと彼女のことだ、来る自己紹介にむけて何度も頭の中でリハーサルを繰り返していたに違いない。
その結果は、まぁ、その、アレだったけれども。
「ぬあーーーーーーっ!」
此花さんがゾンビみたいな悲鳴をあげて再び机に突っ伏した。
それがプリントを読まなかった後悔によるものか、あるいは自己紹介の惨劇を思い出したことに起因するのかは定かではない。
ただ五月体育祭への抗議を諦めたみたいで、もぞもぞと机の中から今朝配られたプリントを取り出した。
一年二組体育祭出場希望用紙と銘打たれたそれは、各種目名と男女それぞれの参加規定数が記されていて、最低でもひとつは丸をつけて提出することになっている。
説明はなかったけれど、希望者が規定数以上の場合はジャンケンかなにかで決定するのだろう。勝てばいいけど、負ければ不人気な競技に回されるのは自明の理だ。
ここは僕みたいな運動音痴が殺到する
どうにも判断が悩ましい。
と、そこへ。
「あっ! こ、これですっっっっっ!!」
此花さんが大声をあげていきなり立ち上がった。
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