第17話:小さな放浪者

 笹本さんの話によると、中学生の頃の此花さんは居るのか居ないのか分からないぐらい影の薄い子だったらしい。

 誰かと話すことは滅多になく、いつも自分の席に座っては俯いてスマホばっかり見ていて、放課後になるといつの間にか消えている。

 お昼休みは登校する時に買っておいたのであろう菓子パンを、教室の片隅でもぞもぞと齧っていたのだそうだ。


 聞けば聞くほど僕の知っている此花さんと違っていて、正直別の誰かと間違ってないかと疑ってしまう。

 でも、笹本さんが知る限り秋吉二中出身の新一年生で此花咲良という名前の人物は彼女しかいなくて、実際に入学式でばったり顔を合わせたという。


 その時は確かに随分と印象が違うなと笹本さんも思ったそうだ。

 でも、きっと自分と同じように華々しく高校生デビューを決めようとイメチェンしたのだろうとあまり気にしなかったらしい。


「それに此花あいつが中学のあーしのことを言いふらすんじゃないかって、そっちの方がずっと気になったし」

「それなら安心していいよ。此花さんは笹本さんのことを尊敬しているみたいだし」

「は? 尊敬ってなんで!?」

「『ぼっち』なのに他人に積極的に絡もうとする強者だって」

「強者って……ただやる気が空回りしていただけの痛い奴だってーの!」

「でも、彼女は君のことを尊敬している」


 そう、尊敬するあまり、高校では笹本さんみたいに振舞おうと決意するぐらいに。

 そのせいで高校初日に大けがをしてしまった此花さん。笹本さんには悪いけれど、もうちょっとマシな手本は無かったのかと言いたい。


「とにかくだ、此花の身体は気を付けてやれよ。だってあんたは此花の……なんだろ?」

「うん、分かった。気を付けるよ」


 頷く僕に笹本さんは「それからくれぐれもあーしの中学時代は他の奴らに言わないように」と釘を刺して屋上の階段を降りて行った。

 僕はと言うと、友だちのことをアレと表現するあたり、ギャル化した笹本さんも可愛いところがあるじゃないかなんて思いつつ、やはり此花さんの健康状態の話がショックでしばらく屋上に留まることにした。


 此花さんの身体が悪いなんていまだに信じられない。

 少なくとも笹本さんから聞くまで、僕はまるで疑いもしなかった。

 ただ、言われてみれば思い当たる節もなくはない。なにより昨日まではあんなに元気だったのに、今日になっていきなり学校を休んだ事実が不安を煽る。

 

 まさかこのまま体調不良でしばらく会えなくなるなんてことはないよな。

 ただの杞憂であってほしいと願いながら、僕はしばらく屋上からの景色をぼんやり眺めていた。



 

 果たして僕の不安は杞憂で終わった。

 翌日から此花さんがまた元気に登校してきたからだ。

 聞けば休んだ日はちょっとした風邪だったらしい。

 本当かどうかは分からない。僕には真実を問い質すような勇気は無くて、ただ本当のことであってほしいと願うばかりだった。

 

 そんな数日を過ごしているうちに、ゴールデンウィークが始まった。

 此花さんは遠方からお婆ちゃんが遊びに来るそうで、最終日の午前中までスケジュールが詰まっているらしい。

 僕は例によって何の予定も入っておらず、実際ひたすら家で英気を養うだけの数日だった。


 ただ、イーロン・マスクが「おめでとう、カズマ。君とサクラ・コノハナを僕のスペースXへ招待するよ。さぁ行こう、無限の大宇宙へ!」とメッセージを送ってくる夢を見た。

 夢の中で僕は珍しく興奮していたけれど、目が覚めるとすごく虚しくなった。

 そもそもメッセージなのに何故か最後の方はバズ・ライトイヤーの声で再現されていたのだから、何かおかしいと気づけよ、僕。

 しかも所ジョージの声だっただろ。

 

 というわけで気が付けばゴールデンウィークも最終日となっていた。

 このまま明日を迎えても此花さんと会うことが出来るだろう。でもせっかくの長期休暇、友だちを目指す僕たちが何もしないまま終わるのは如何なものかと此花さんが言うので、僕たちはとある作戦を立案した。


 ……まぁ、例によってカラオケなんだけど。

 僕たちもすっかり陽キャの仲間入りだ。

 

「え? ゴールデンウィーク価格?」


 でも、所詮は陽キャモドキ、彼らの常識なんて知るわけがない。

 いつものカラオケ屋の、いつもの受け付けの、いつもの女店員さんなのに、いつもとは全く違う価格提示に戸惑う僕たち。

 ゴールデンウィークなんて基本的に家の中に閉じこもっているから、そんな高く値段設定されているなんて全然知らなかった。

 

「ああっ、しまったっ! すっかり忘れてました!」

「此花さんは知ってたの、ゴールデンウィークは値段が違うって?」

「そりゃあ、まぁ。え、高尾君は知らなかったんです?」

「うん。ゴールデンウィークとか休みの日はもっぱら家で過ごすから」

「そうなんですか。ほら、みんながお休みだとカラオケ屋さんとか観光地とかは人がいっぱい来て大変じゃないですか。だから特別料金が発生するんですよ」

「でも僕がよく行く古本屋はセールをやってたよ?」

「ああいう所はもっとお客さんが来て欲しくてセールをやるんじゃないですかね?」


 ただでさえ忙しいのに、さらに自分から忙しくするのか?

 時給もその分あげてもらわないと店員もやってられないんじゃないだろうか?

 

「で、どうしましょうか、高尾君?」

「うーん、さすがに高すぎるような……」

「そうですね。じゃあ……あの、すみません、やっぱりやめときます」


 此花さんが告げると、受付の女店員さんが「ごめんねー、また来てねー」と申し訳なさそうに頭を下げた。

 むしろ僕たちの方こそ手を煩わせただけで終わってしまい、逆に謝りたくなる。

 せめての罪滅ぼしとして近いうちにまた来ようと思った。

 

 カラオケ屋を出て、途方に暮れるぼっちふたり。

 これからどうしようか。考えながら此花さんをちらりと見やる。

 桜色の大きめなパーカーに、黒のキュロット。そして白いスニーカー。私服は初めて見たけど、動きやすそうな服装だった。

 顔色も悪くない……よし、だったら。

 

「此花さん、キャッチボールと喧嘩、どっちがいい?」

「ちょっと何して遊ぶか考えながら散歩でもしましょうか、高尾君」


 ふたりして同時に発言。まるでジャンケンのようだった。


「あ、そうですね。それがいいと思います」


 そして勝負は言うまでもなく此花さんの勝ち。まるで進歩のない僕は猛省するように。

 

「なんで敬語なんです? まぁ、とにかく適当に歩いていたらきっと面白そうなものが見つか……あ、あれ!?」


 歩き出そうとした此花さんが、何かに後ろから引っ張られるかのように上半身を反らした。

 引っ張られるかのように、じゃない。実際にパーカーの裾を引っ張られていた。


 小さな見知らぬ女の子に。

 

「あれ、お嬢ちゃん、どうかしたのかな?」

「ぐすっ……あのね、ちーちゃん、お母さんに……お遣いを頼まれたの」

「もしかしてお財布落としちゃっいました?」

「ううん。ちゃんと持ってる。でも場所が……よく分からない……ぐすっ」


 しゃがみ込んで視線を合わせてくれる此花さんに一瞬ほっとした表情を覗かせた女の子は、だけど自分の置かれた状況を思い出してまたすぐにぐずりはじめた。


「あー、泣かないでください。大丈夫、お姉ちゃんたちも探してあげるから」

「……ホント?」

「うんっ! 地図は持ってますか?」

「持ってない……一度お母さんと来たことがあるから分かると思った」

「あー、なるほど……」

「大丈夫、お姉ちゃん?」

「ま、任せて! お姉ちゃん、こう見えてこの街には詳しいんですから。美味しいコロッケ屋さんとか、楽しいカラオケ屋さんとかも知ってますよっ!」


 子供のお遣いにコロッケ屋はともかく、カラオケ屋は関係ないと思う。

 それでも挙げざるをえなかったあたり、此花さんの行動範囲の狭さが浮き彫りになっていた。あとコロッケ屋違う、肉屋さんだ。

 

「それにこっちのお兄ちゃんはもっと物知りなんですよ。ですよねっ、高尾君?」

「あー、まぁ此花さんよりかは、ね」


 古本屋一店舗分のアドバンテージなのは言わない方がいいんだろうな、やっぱり。

 

「それでお嬢ちゃん……ちーちゃんが探してるのは何屋さんなのかな?」

「ケーキ屋さん!」

「おおっ、ケーキ屋さんっ! 美味しいケーキ屋さんですか?」

「うん! すっごく美味しい!」

「それは絶対探し当てなきゃいけませんねっ!」


 もちろんケーキ屋さんじゃなくても此花さんは、この子のお遣いをなんとしてでも成功させようと頑張るだろう。

 まだ友だちじゃないけど、そういう人だってことはこれまでの付き合いで分かる。


 ただ美味しいケーキ屋と聞いて、やる気にバフがかかったのも同じように分かった。女の子なんだから甘いものが好きなんだろうなとはぼんやり思っていたけれど、それが証明されたわけだ。

 僕の中で此花さんトロフィーをひとつゲット。トロコンにはまだまだ遠い。


「……ということで、いいですか、高尾君?」

「もちろん」


 異存などあるわけがない。


「よーし。じゃあ美味しいケーキ屋さん目指してレッツゴー!」

「ごー!」


 ハイテンションになった此花さんにつられて、女の子もそれまでの不安げな様子から楽しそうな表情へと変わる。

 手を繋いで歩き始めるふたりの後につきながら、僕たちの関係も周りからはこんなふうに見えているのかもなと思った。


 まぁ、街中で手なんて繋いだことはまだないのだけれど。

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