第15話:お昼休みの過ごし方

 世の中にはノーチャイム運動というものがある。

 学校にはつきものの「キーンコーンカーンコーン」という例のチャイムを使わずに、各々が時間を意識して行動しましょうというものだ。

 生徒の自主性を養うことが出来る上、周囲の住民にも配慮した素晴らしい活動……と表面上はそういうことになっている。

 

 が、実際はというと、先生たちが時間をオーバーして授業を行う口実にしかなっていないのが現状だ。

 そのくせ遅刻すると酷く怒られ、日頃からやたらと五分前行動を強いてくる。

 こうなるともはや遅刻には厳しく残業にはとことん甘い日本社会を、未成年のうちから身体の髄まで叩き込んでやろうという思惑があるとしか思えない。

 

 表には美辞麗句を並べて、汚い真の思惑は裏に隠す。嫌な世の中だなぁ。住みにくいったらありゃしない。

 

「ん? 高尾君どうかましたかっ?」


 そんな現代日本に巣くう病魔に憂いていると、此花さんがお弁当に伸ばした箸を止めて僕を心持ち見上げてきた。

 お昼休みだった。

 かつては僕の机ひとつをふたりで使っていたけれど、隣同士となった今はお互いの机を向き合わせている。

 おかげでそれぞれの領地が増えて、僕は机にスマホを、此花さんはノートをお弁当や飲み物とは別に置いては、かと言ってそれらに目を向けることもなく束の間の休憩を過ごしていた。

 

「なんか難しい顔をしてましたよ?」

「うん。ちょっと難しい社会問題を考えていた」

「えっ、高尾君、すごいっ!?」

「でも僕にはどうすることも出来なくて」

「分かるっ、分かるよっ! 物価の上昇はどうすることも出来ないですよねっ!」


 ……どうやら此花さんにとって今一番興味のある社会問題は物価の上昇らしい。

 そう言えばこの前も牛乳の値段が上がったって嘆いていたっけ。

 牛乳、好きなのかな?

 

「ありとあらゆる物価が際限なく上がっていくこの異常事態! 果たして一介の高校生である私たちに一体何が出来るのでしょうかっ!?」

「まぁ、無駄使いをしない、とか?」

「ううん、ここはもっといい手がありますよっ、高尾君!」

「へぇ。伺いましょう、此花さん」

「お小遣いの値上げ交渉、これです! これしかありませんっ!」

「あー………」

「あーって、なんで最初から諦めモードなの?」

「僕の家って母さんが全権を握ってるんだけど……」

「ふんふん」

「ちょっとあの人には勝てる気がしない」

「高尾君のお母さんって何やってる人なんですか?」

「小説の編集さん」

「あ、強そうっ!」


 実際、高校に進学したからといってお小遣いをすんなり値上げしてくれなかった人だ、かなりの強敵である。

 あの人からお小遣いの値上げを勝ち取れるストーリーなんか書ける自信がない。

 

「だったらお父さんから攻めてみたらどうですか? お父さんを味方につけたらきっとお母さんだって」

「無理。だって小説家の父さんの担当編集さん、母さんだし」

「それは何の役にも立ちませんねっ!」


 それはさすがに言い過ぎかと思いきや、実はそうでもないぐらい父さんは母さんに頭が上がらない。

 そもそも僕のようにずっと『ぼっち』だった父さんが結婚して、僕という子孫を残せたのは、デビューの時からずっと担当をしてくれている母さんのおかげだった。


 なんでも社会不適合者な父さんが学生時代に「会社勤めなんかしたくないッ」という一心で書き上げた小説を母さんが拾い上げ、「やった! これで就職しなくて済んだ!」って喜んでいるところに母さんが説教を食らわせ、それでも「やだやだ! 働きたくない!」と駄々をこねる父さんに「だったらどんどん小説を書きやがれ!」と尻を叩き、おかげでなんとか作家業一本で食っていけるようになったけれど母さんに依存しなくては生きていけない体になった父さん。


 その父さんを不憫に思い、仕方なく母さんは結婚してくれたのだった。

 どこをどう切り取ったところで、父さんが母さんに頭の上がる要素が見当たらないのは至極当然だ。

 

「へぇ、高尾君のお父さんって作家さんなんですね。有名なんですか?」

「それが僕にも何て名前で書いてるか教えてくれないんだよね」

「へぇ、どうしてです?」

「なんか恥ずかしいらしいよ」


 まぁ、それでも定期的に新作を出せているみたいだから、結構な売れっ子なんだろう。

 家ではとことん存在感がない人なんだけどなぁ。

 

「ふむふむ。なるほどですー」


 此花さんは小さな口の中にプチトマトを運ぶと、咀嚼しながら箸からシャーペンに握り替えて机の端に置いていたノートへ何かを書き始めた。

 

「そう言えばそのノート、授業中も何か書いてるよね?」

 

 最近の此花さんはあまり授業中に居眠りしなくなった。

 真面目な優等生になったわけじゃない。ただ家での睡眠時間を十分取るようになっただけだ。

 勿論、予習なんかしていない。なので先生に当てられても無事答えられる確率はおよそ3割と言ったところだろう。野球選手なら好打者だけど、学生としてはもう少し頑張ってほしい成績だ。


 そんな此花さんが居眠りの代わりに始めたのが、授業とは別にノートを取り出し、先生の目をかいくぐって時々何かを書きこむという作業だった。


 気にするなと言われたら気にしないけれど、奇妙な行動には違いない。

 訊いてみるには丁度いい機会だった。

 

「これはですね、希望のノートって言いますっ!」

「希望のノート?」


 思わずオウム返ししてしまう。

 

「はいっ! 春休み頃から書いているんですけど……ほら、高校生になったらあれをやりたいなぁとか高尾君も考えたでしょ?」

「えっと、まぁ、そうだね」


 咄嗟に嘘をついてしまった。

 そんなことなんにも考えずに進学しちゃったのが妙に恥ずかしくなってしまったからだ。

 

「そういうのをね、思いつくたびにこのノートに書いてるんですっ。ほら、授業中って先生の言うことはなかなか頭の中に入ってこないのに、何故かこういうことは思いつくじゃないですかっ。だから忘れないようにと思って」

「なるほど。でも、いちいちそのノートを取り出さなくても、授業のノートに書いておけばいいんじゃない?」


 それなら今よりずっと安全にメモれるはずだ。

 現状では結構ギリギリなタイミングでノートを机に出したりしまったりしているので、横から見ていてハラハラする。


「うーん、でも、それだと後で見返した時に授業内容と間違えちゃいそうな気がして」

「そんな混同するような内容なの!?」


 さっきの数学の授業中もせっせと希望のノートやらに何かを書いていた。

 数学の授業と間違えるやりたいことってなんだろう。まさか未解決問題を解いてみたい、とか。

 ちょっと何を書いているのか見たくなってきた。


「あ、中身はさすがに見せられませんよっ!」


 僕が興味を持ったのが分かったのか、此花さんがノートを抱きかかえる。

 むぅ。ちょっと残念。

 だけど「高尾君でも」って言葉はちょっと心をくすぐられた。

 そういう前向きな特別視をされたのは生まれて初めてかもしれない。「高尾には」って後ろ向きなのは結構……いや、それもほとんどないか。特別視されることそのものがあまり経験ない。


「と言うか、見せられないと言うべきかも」 

「えっと、それはどういう意味だろう?」

「さて、どういう意味でしょうか?」


 此花さんがいたずらっ子ぽい笑みを浮かべると、ノートを机に置いて再び箸でお弁当のおかずを摘まみ始める。

 僕は「むぅ」と今度は口に出して呟くと、彼女に負けじとだし巻き卵を口にしながら考える。

 ほんのり甘くて美味しい。

 続けて牛肉のしぐれ煮。油が白く固まってしまっているけれど、それがむしろウェルカムなお年頃。脂分万歳。

 なおこれだけエネルギーを集めても答えは出ない模様。

 

「高尾君、そのだし巻き卵、美味しそうですねっ!」

「うん。美味しいよ」

「ひとつくれたらヒントをあげてもいいよ、なんて」

「答えを教えてくれるのなら考えてあげなくもない」

「むぅ。強欲です」

「そういう此花さんは食欲だねぇ」

「育ち盛りですからねっ!」

「僕もね」


 このやりとりで此花さんのノートを巡る謎かけ問答は、僕のお弁当のだし巻き卵争奪戦へと移行した。

 箸を伸ばす此花さん。お弁当ごと攻撃範囲から退避する僕。

 僕の机ひとつでお昼ご飯を共にしていた状況なら到底躱し切れない攻撃も、机ふたつ分となった今ならば余裕でセーフティーゾーンへ逃げることが出来るのだ! くっくっく、愚かなり、此花さん!!


 って、身を乗り出してさらに箸を伸ばしてきた!?

 どれだけ食欲魔神なんだ、この人!?

 

「あ!」

 

 それは此花さんがついに僕のだし巻き卵を奪取し、身体を元の席へと戻しながら頬張るのと同時だった。

 此花さんが大きく身を乗り出した際に身体へ触れていたノートが、静電気と共にページが一瞬ぺらりとめくり上がる。


 ちらりと中身が見えてしまった此花さんの『希望のノート』。

 そこにはこう書かれていた。


『友だちと宇宙へ行きたい』


 見間違えじゃない。だってイラストで此花さんがロケットに乗ってたし。

 思わず絶句する僕。

 その目の前でノートの中身が一瞬見えてしまったことに気が付かない此花さんが、母さんの作っただし巻き卵に舌鼓を打つ。

 

「んー、相変わらず高尾君のお母さんが作るお料理はおいしいですねっ!」

「…………」

「私は最近お母さんからお料理を習い始めたばかりなので、とても参考になりますっ!」

「…………」

「このお弁当もお母さんに教えてもらったのを早速試してみたんですっ!」

「…………」

「まだまだへたっぴですけど……って、あれ? もしかしてだし巻き卵を取られて怒ってたりします? ごめんなさいごめんなさいっ。お詫びに私の自信作・ハムとチーズのくるくる巻きをあげるから許してくださいっ!」


 薄切りチーズとハムをくるくる巻いて輪切りにしたものを、此花さんが僕の口に押し付けてきた。

 それをまるで餌が目の前に落ちてきた魚のようにぱくりといただく。

 うん、普通に美味しい。実に素材の味が生きている。

 

 ただし問題は、だし巻き卵とハムとチーズのくるくる巻きがフェアトレードであるかどうかじゃなかった。


『友だちと宇宙に行きたい』

 ちらりと見えてしまった要望こそが大問題である。

 

 うーん、宇宙かぁ。

 思ってもいない単語、そして場所だった。

 例えばファミレスとかゲームセンターとか映画館とか遊園地とかならまだ分かる。

 

 それが宇宙!

 果てしなく広がる大宇宙!!

 その宇宙に此花さんは友だちと行きたいと仰っている。

 ってことはつまり。

 

 此花さんと友だちになるにはなんとかして宇宙に行かなくてはいけない、ということだ。

 

 まいったなぁ、どうやったら行けるんだ、宇宙?

 イーロン・マスクとお友達になって彼のスペースXのロケットに乗せてもらうか?

 

 うーん、うーんと心の中で唸る僕を尻目に、此花さんがさらにハムとチーズのくるくる巻きを献上してくる。

 僕は有難くぱくりといただきながら、何故か可笑しそうに微笑んでいる此花さんをどうやって宇宙に連れていくかと妄想のロケットに更なる火を入れた。

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