第13話:ローリングローリング

 放課後の活動にキャッチボールだけでなくカラオケが加わって数日が経った。


 ちなみに朝のおしゃべりは此花さんの眠気を吹き飛ばさないと成立しないのでなかなかに難しい。

 何度か試してみたけれど、先日の「おはよう」以上のインパクトを与えられずにいる。


 一方で放課後にふたり乗りするのは、やっぱりと言うか常態化していた。

 おかげで体力が少し付いたような気がする。

 

 なんだかんだで僕たちの友だち計画はそれなりに順調と言っていいだろう。

 ただ今はとある問題に直面していた。


「ううっ、調子に乗りすぎました……」

「あはは……」


 軽くなってしまった財布を片手に首を垂れる此花さんの隣で、僕も苦笑を浮かべる。

 一回一回はそれほど大したことはなくても、何度も利用するとなるとカラオケ代も馬鹿にならない。

 おまけにこれまでカラオケで盛り上がる文化がなかった僕たちは、あっという間に手持ちのレパートリーを使い果たした。

 

「私、思うんですけど、サビも歌えなくてただ『おーいえいあはん』だけ歌うのはもはやカラオケとは呼べないんじゃないかなって!」

「だねぇ」


 まぁふたりして大笑いしたんだけどね。

 

「というわけで来月のお小遣いが出るまでカラオケはやめときましょう、高尾君」

「そうだね。それまでになんとかレパートリーを増やすことにしよう」


 というわけでカラオケをしばらく封印した僕たちは、今日は学校から比較的近くにある大きな運動公園へとやって来たのだった。


 理由はもしかしたらこの方法なら友だちをあっという間に理解できてしまうかもと、此花さんが妙手を思いついたこと。


 そしてなによりもこの近くに大きな川が流れていないからだった。




「温かいねぇ、高尾君」

「だねー」


 春の陽気を身体全体に浴び、青々とした芝生に寝っ転がって穏やかな時間を過ごす。

 久しぶりに嗅いだ草の匂い。子供の頃は草むらを見つけては頭を突っ込んで昆虫採集するのが趣味だったことを思い出す。

 カマキリが大好きだった。かっこいいよね。でも滅多にカマキリなんか見つけられなくて、大抵はバッタとかダンゴムシとかそんなのばっかりだった。

 あ、そう言えば一時期毛虫を集めるのにハマったことがある。今では触るのなんて絶対に無理だけど。

 

「たまにはこうやって日向ぼっこするのもいいよねぇ」

「いいねー」


 此花さんがうーんと気持ちよさそうに唸って、両手両足を大の字に伸ばす。

 そのお腹の上には大きなカマキリ。此花さんは気付いてないようだ。ちなみに僕の上には何にも乗ってない。

 乗られない僕が残念なのか、貴重なカマキリに気付かない此花さんの方が残念なのか、微妙なところ。

 

「幸せってこういうことじゃないかなぁとか思ったりするよねっ」

「……そうだね、知らなくても幸せなことはあるもんだよ」

「あれ、なんか難しいこと言ってますか?」

「そうかな? ところで此花さんって虫は好き?」

「どちらかと言えば苦手かも」

「だったらやっぱり知らない方が幸せだよ」


 カマキリのことは教えないで……あ、どこかに飛んでった。

 此花さんの言葉に身の危険を覚えたのかもしれない。昆虫のくせに鋭い奴だ。

 僕なんか他人からそれらしいことを言われてもぼぉっと突っ立ってるだけなのになぁ。

 

「ところで本当にこれでよかったのかな?」


 そしてそんなカマキリに教えられたかの如く、僕はここへ来た本来の目的を思い出して此花さんへ問いかける。


「よかったって何がです?」


 此花さんはまだ思い出せないでいるらしい。カマキリの教えを彼女は受けていないから仕方がないのかもしれない。

 

「手っ取り早く親友マブダチになる為に、ここへ来たんじゃなかったっけ?」


 それでも思い出すやいなや此花さんの動きは素早く、ぴょんとその身体を跳ね上げた。

 昆虫が苦手な彼女には悪いけれど、その動きはバッタやコオロギの跳躍によく似ていた。

 

「そうでしたっ! 親友になるんでしたっ!」

「やっぱり忘れてたんだ……」

「さぁ高尾君、続き! 続きをしましょう!」


 此花さんが立ち上がり、しゅっしゅとシャドーボクシングみたいな動作を見せる。

 拳を前方へ突き出すという形は間違ってない。

 が、打ち出す際にスナップを前傾させるのはどうなんだろうか。それではまるで猫パンチであり、しかも本家本物のお猫様とは違ってスピードがまるでない。


 破壊力とは握力×体重×スピードとどこかの誰かが言っていたように、このようなフォームとスピード、さらには小柄な此花さんでは大した力は生み出せないだろう。


 実際このパンチを先ほど何度か喰らったが、ダメージはまるで受けなかった。

 むしろ癒されてしまった。

 

「今度は高尾君も反撃してきてくださいね?」

「えー?」

「だって反撃してこないと喧嘩にならないじゃないですかっ!」


 至極真面目な表情で此花さんが言う。

 しかも結構大きな声だったりするものだから、周りで寛いでいた子供連れの若奥様たちが驚いた顔でこちらを見てくる。

 安心してください、喧嘩もなにもただ此花さんがいつものように暴走しているだけですから。

 

 そう、すっからかんな僕たちが友だちを通り越して親友になる為に、本日の此花さんが提案した活動は、なんと決闘だった。


 曰く、魂をぶつけ合うことで真の友情が芽生えるとか。

 そんなことを言い出した時点で暴走は明らかなのだから止めておくべきだったんだけど、僕は僕で此花さんってそう言う漫画を読むんだなぁと変な感心をしていて、ふたりが暴れ回っても問題のないこの公園に連れてきたのだった。


「本当は河川敷が理想的なんだけど、この辺りにはないんだよね」とは僕の弁だ。アホか。

 

 しかも此花さんが一方的に僕を癒した挙句、「ちょっと休ませてください。疲れちゃいました」と芝生に寝っ転がる始末。

 つまりどこからどう見てもグダグダなのだった。

 

「さぁ高尾君、立って立って!」


 此花さんが手を差し伸べてくる。この手を取って立ち上がり、ダンスにでも誘った方が本来の目的に近づくような気がする。

 でも此花さん相手ならばともかくまだまだ他人との距離感すらも上手く取れない僕たちには、こんな喧嘩モドキの方が似合っているのかもしれない。

 距離感がバグっていても怪我をしないという意味で。

 

 そう考えるとこの活動にもそれなりに価値はあるような気がしてきた……ということは残念ながらないんだけれど、友だちを前提に付き合おうと言っておきながらその施策を全て此花さん任せな僕が彼女を非難できるわけもない。


 それに手を差し伸べられたらとにかく受け取ってみるのが僕の主義でもある。

 此花さんの手を握り返し、彼女に引っ張られるのに任せて立ち上がろうと試みて――

 

「……ごめん、もうちょっと僕も立ち上がる努力をするべきだった」

「あ、ううんっ! その、私こそ力不足で……」


 ごめんなさいと、此花さんが僕の胸元で呟く。

 むぅ、しまった。立ち上がるどころか逆に此花さんを自分の方へ引き倒してしまった。

 距離感がバグってるどころか、いきなりゼロ距離密着。僕の胸から上げた、桜色に染まっている此花さんの顔が近い近い。

 

 しかし改めて此花さんの顔をこう間近で見ると、目も鼻も口もどれも一級品のパーツばかりだ。

 しかもそれらが黄金比で配置されていて、自分の非力さを恥ずかしがる顔さえも可愛い。これで人間関係さえ上手くこなせれば、何不自由ない人生を送れただろうになぁ。

 神様は時として残酷な引き算をするからどうも好きになれない。

 

「ご、ごめんなさいっ! 今すぐ退きますから!」

「うん」


 此花さんが上半身を起こす。神の御業が起こした奇跡、そして腹部で密かに感じていた仄かな弾力が遠ざかっていくのを、僕は少しだけ勿体なく感じた。

 

「……どうかした?」


 が、上半身を起こしたまま、此花さんが僕の上からなかなか下りてくれない。どうしたのだろうと見上げると、彼女は何かを思い出すかのように僕を見下ろしていた。

 と、不意にお尻を僕のお腹の方へずらして馬乗りになると、某ドタバタスパイ家族の女の子のようにニタァと目を細めた。

 

「これってマウントポジションって奴ですよねっ!?」

「ああ、しまった」


 まさかの展開に思わず棒読みになってしまった。

 ええー? この態勢で続けるつもり!?

 

「えい! えいっ!」


 ぽかぽかと僕の胸辺りに猫パンチを繰り出す此花さん。

 相変わらず癒されてしまう僕。

 いっそのことこのまま彼女が満足するまで殴られて癒されてやろうかと思ったけれど、どうにも若奥様方の視線が痛い。先ほどの喧嘩宣言といい、どうにも勘違いされているような気がする。

 

「とうっ!」


 なのでここは気合一発、マウントポジションから逃れる為に此花さんごと身体を横にローリングさせた。

 

「ふへ!?」


 ところが勢いがありすぎて180度回転し、今度は僕が此花さんの上へ。

 可愛らしい声とともに目を見開く此花さんの顔を見下ろした僕は「ごめん!」と慌てて謝るとさらに回転。

 

「え?」


 かくして不良漫画のお約束、次々と入れ替わるマウントポジションを見事に再現してしまった。

 ただし、ポジションが入れ替わっても殴ることはない。

 

「ええっ!?」

 

 代わりにひたすらタンブルウィードのごとく回転するばかりローリングローリング

 

「きゃー!」

「うわー!」


 そんな僕たちに若奥様たちが自分の子供を抱え、悲鳴をあげて逃げ回る。

 申し訳ないと思うと同時に、頼むから誰か止めてくれと心から願う。なんか止まらなくなったんだけど!

 

 結局十数回転した挙句、最後にはお互いに振り飛ばされるような形で回転が止まった。

 冒頭と同じようにふたりして芝生の上に寝転ぶ。ただし今度は目が回って、しばらく立ち上がれそうにもなかった。

 本来ならここで「やるな」「お前もな」って言葉を交わして親交の契りを結ぶのだろうけれど。

 

「きゅー」

「うげー」


 目を回した僕たちの口からそんな言葉が漏れ出るばかりで、ふたりのお腹の上に乗ったカマキリたちがお互いに鎌を振り上げるだけ。

 やっぱりそう簡単に親友なんてなれないんだとつくづく痛感した春の一日だった。

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