第11話:僕たちの歌

 それはまるで牢獄のように僕には見えた。


 囚人が逃げようとしてもすぐに気づけるようにだろうか、廊下はやたらと明るい。

 無数のライトが天井や壁、さらには床下にも埋め込まれている。きっと脱走時にはサーチライトも照らされるに違いない(こんなに明るいのに意味があるのかは不明だが)。


 廊下の両脇にはこれまた無数の部屋があって、どれにも小窓が付いていた。

 中をこっそり覗き込むと、ちょうど僕たちと同じぐらいかもうちょっと上ぐらいの年齢の人が集まって、大騒ぎしている。

 右手を何度も高く突き上げる者、両手を打ち鳴らす者、中には古代インドで使われていたチャクラムのようなものや、さらにはこん棒のようなものを振り回す者までいた。

 あれは戦っているのか?

 

 ああ、どうしてこんなところに来てしまったのだろう。

 後悔と不安が募るばかりで泣きたくなる。

 

 と、不意に僕の前を行く女性刑務官が「ここだ」と呟き、扉を開く。

 意外なことに音はほとんどしなかった。

 誘われるがまま中に入り、ソファに腰掛ける。囚人には勿体ないぐらい弾力がほどよく利いたソファだった。

 

 僕がソファに座るのを見届けると女性刑務官……ではなく、此花さんが後ろ手に扉を閉める。

 そしてすっかり怯える僕を見て嗜虐的にすら感じる笑みを浮かべると「さぁ、時間がないからどんどん歌いましょう!」って宣言しながら、受付で借りてきたチャクラム……もといタンバリンと、二本のマイクをテーブルの上に置いたのだった。


 カラオケだった。

 放課後の町遊びで此花さんが企んだ本命は、自転車のふたり乗りでもコロッケの食べ歩きでもなく、よりにもよって陽キャご用達のカラオケだったのだ。


 カラオケなんて初めて来た。

 そりゃあこれまでにも誰かが「カラオケ行こうぜー」なんて言ってたのを聞いたことがある。でも僕は一度も誘われなかったし、誘われない以上は自分から行くこともない。 

 歌なんて別にお金を払わなくてもどこだって自由に歌えるじゃないか。それが僕の持論だった。


 ただし、どこでも僕は歌えるんだという意味ではない。

 そんな大胆さを消極的ぼっちな僕が持っているわけないだろう?

 

「あ。お腹が空いたらこれ食べてくださいねっ!」


 此花さんがさっき買ったコロッケをリュックから取り出し、袋を広げる。

 どうやらお土産ではなくカラオケしながら食べる為の分だったらしい。

 

「こういうところって持ち込み禁止なんじゃないの?」

「大丈夫ですよ、ここは持ち込みオッケーですから。それより高尾君、デンモク取ってくださいっ」

「デンモク?」

「それです、それ、そのタブレット! カラオケではこれをデンモクって言うんですよ」

「へぇ、知らなかった」

「そうでしたか。じゃあこの機会に覚えましょう。はい、リピートアフターミー、デ・ン・モ・ク」


 言われるがまま僕もアホみたいに繰り返した。

 アホ言うな。


 ちなみにデンモクとは電子目次本の略で、正式にはDAMのカラオケ機で使われる言葉らしい。この時はJOYSOUNDだったので本当はキョクナビなんだよと後日此花さんに教えてあげると「へぇええ、そうなんですねっ!」とえらく感心された。


 ついでに「お年寄りがゲーム機だったらなんでもファミコンって言うのと同じでしょうか?」と分かりやすい例をあげてきたので「確かに僕のおばあちゃんもNintendoSwitchのことをファミコンと、あるいはピコピコと呼ぶね」と答えて、ふたりして「なんだピコピコって?」と頭を捻ったりもした。


 それはそうと此花さんは僕を誘うだけあってカラオケには慣れているらしい。

 さささっとタブレットを操作すると、しばらくして部屋の壁に掛けられた液晶テレビにタイトルが映し出され、四方に配置されたスピーカーから曲が流れ始めた。


 僕でも知っている、少し前に話題になったアニメの曲だった。

 独特な歌声が特徴的で難しそうな曲だけど、此花さんは緊張気味なものの歌詞を間違えたり、音程を外したりすることなく、それどころか歌手の声までちゃんと再現して歌ってみせた。

 僕は素直に感嘆して、歌い終わった此花さんに拍手を送る。

 そこでようやく此花さんは「えへへ」と照れ隠しの微笑を浮かべると、調子が出てきたみたいですぐに次の曲も歌い出し始めた。

 今度は有名なアイドルグループのヒット曲で、そちらも上手に歌いこなしていた。




「ふぅ、喉がカラカラですっ!」

 

 三十分後。

 此花さんは歌いだしてから初めてマイクをテーブルに置くと、予め買っておいたペットボトルのお茶をリュックから取り出してごくごく飲み始めた。

 ずっと歌いっぱなしで乾いた喉に、お茶はさぞかし美味しいことだろう。

 でもそんな感情は一切見せず、ペットボトルを傾ける傍ら片手でせわしなくタブレットを操作する此花さんの様子に、僕はさっきまで抱いていた疑問を確信に変えた。


 此花さんは暴走している……。


 その姿に僕は高校生活初日の自己紹介で見た此花さんを思い出していた。

 あの時もまた、彼女はは上手くやれているように最初は見えた。

 でもクラスの誰かが飛ばした質問を一切無視し、長すぎるから適当なところで打ち切ろうとした先生の制止もお構いなく、ただひたすら自分に課したタスクを実行し続けるその姿は、明らかに異様だった。


 夢中になると周りが見えなくなるのはよくあることだけど、此花さんのそれはもはや自分だけの世界への没入と言っていいだろう。

 彼女自身は他人とコミュニケーションを取ろうとしているのに皮肉なものだ。


 それでもカラオケが始まった頃は、僕の拍手や感嘆に反応を見せていた。

 それが気付くのに遅れた原因であり、此花さんが暴走した理由でもあった。

 きっと褒めたたえる僕を見て、此花さんは全てが自分の思い描いた通りになっていると自信を深めたことだろう。


 そしてそのままの勢いでいけば、カラオケでの外遊びは大成功間違いなしと踏んだに違いない。


 ここまで自分ひとりで歌いまくって、しかもそのどれもが確かに上手く歌えているものの、まるで正確に歌うことしか許されないロボットのように無表情で口を動かす此花さんに対して、僕が少し引いていることに彼女はきっと気付いていない……。


 どうしたらいいのだろう?

 彼女にさりげなく注意するべきだろうか。

 でも、勧誘されるのを狙って旧校舎を彷徨ったのが失敗した時のようにいい言葉が思いつかないし、そもそも今の此花さんに僕の言葉が届くか分からない。


 ならば彼女が自分で気づいてくれるのを待つべきだろうか。

 僕的にはこっちの方が楽だ。此花さんが自分ばっかり歌っていることに気が付いて「高尾君も歌いますか?」と言ってくれたら「ううん、僕は聞くだけでいいよ。それにもっと此花さんが楽しそうに歌うところが見たいから」なんて上手く誘導することだって出来るだろうから。


 それにだ、此花さんが満足しているのならそれでいいんじゃないかとも思う。

 彼女が楽しければそれだけで……。


 いいや、違うな。


 僕は頭を小さく振った。

 彼女が楽しければいいなんて、それはきっと僕の自己満足だ。自分のやるべきことをやらないで済む自己詭弁以外の何物でもない。

 それに此花さんは馬鹿じゃなかった。今は暴走しているけれど、元に戻ればきっと自分のしでかしたことに気付く。


 ふと僕の脳裏に自己紹介を終えて机に突っ伏す此花さんの姿が浮かんだ。

 あんな姿を見たくないし、させたくない。


 ここまで考えて、僕は現金なものだと自嘲したくなった。

 これまで誰かと気まずい雰囲気になったことは何度でもある。

 僕が愛想笑いのひとつでも浮かべてあげれば、その雰囲気が多少は緩和されるかもなと思ったこともある。

 だけど僕はそうしなかった。だって目の前の人は所詮あかの他人で、僕が何かしてあげる義理はないと感じたから。


 それがどうだろう、此花さんとは友だちになれるかもしれないと思ったら僕はもう居ても立ってもいられなくなっている。

 毎度のことながら僕はなんて器のちっぽけな人間なんだろうか。




 此花さんが半分まで一気に飲み干したペットボトルをテーブルに置いた。

 マイクを握る。

 曲が流れ始める。

 これまた僕も知っている、とあるアニメの最終回で流れた曲だ。

 ああ、此花さんもあのアニメを見てたんだ。あれ、世間では評判がよかったけれど、僕たちみたいなのには身につまされる思いがして結構くるものがあったよね。


 もうすぐ前奏が終わる。

 彼女が小さく息を吸い込む。

 その斜め前で僕も同じように肺へ空気を送った。


 次の瞬間、スピーカーから此花さんのやっぱり完璧な歌声と、そして僕の何もかもが覚束ない歌声が飛び出して、僕たちのいる小さな部屋を満たした。


 此花さんの視線を感じる。

 僕はそんな此花さんの視線を感じながらも、申し訳ないけれど画面に映る歌詞を追いかけるのに必死だった。

 なんせカラオケなんて初めてなんだ。

 マイク越しに聞く僕の声の違和感が凄い。

 マイクを持っている右手の小指がピンと立っている。

 15年生きてきて知らなかったことが大量に僕へ流れ込んでくる。


 おそろしく音痴なのは……まぁ薄々気が付いてはいたけれど。


 それにしても僕はあまりに酷い乱入者だった。

 音程とかリズムとか全くデタラメだった。

 もう少しは上手く歌えるかなと思ったのに、散々だ。聞いたことがあるのと、歌うことが出来るはまるで別物だと思い知る。


 此花さんは怒っているだろうか?

 僕と違って音程もリズムも完璧に歌いこなせるのに、いきなり邪魔をされて不愉快に思っているだろうか?

 最初こそ歌詞を間違えずに歌うことに必死だったけれど、こうも色々と酷ければ今さらどうでもよくなってきて、此花さんの様子が気になってきた。


 ちらりと画面から此花さんへと視線を移す。

 睨んでいたらどうしようとハラハラする。顔が引き攣っているのが自分でも分かる。


 目があった。

 途端に僕の身体から無駄な力がすぅと消えていった。

 

 だって、そこにはさっきまで仮面を被っていた彼女はいなかったんだ。

 僕の知っている此花さんが、僕の知っている笑顔を浮かべて、楽しそうに僕を見つめながら歌っていたんだ。


 僕たちは歌った。

 此花さんがとても綺麗な声で。正確な音程とリズムを保って。

 僕が今まで聞いたこともない自分の声で。音程とリズムなんて完全に無視して。

 僕たちは僕たちの歌を歌った。


「高尾君、すごいですっ!」


 歌い終わって此花さんがとても楽しそうに宣言する。


「すっごく下手でびっくりしましたっ!!」


 とても可笑しそうに笑って、とても嬉しそうにえくぼを浮かべて、とても力強くそう言った。

 そんな彼女を見て僕は「ふふん、此花さん、確かに歌は下手だけど、代わりに友だち作りがちょっと上手くなったんだよ」と少し強がりを言いたくなった。

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