第2話:第一次接近遭遇

「なぁ、一緒に昼飯食べねぇ?」


 僕の人生において何度かそう誘われたことがある。

 主に四月、まだ進級したばかりで教室に確固たる人間関係が形成されていない頃に多い。つまりはこれと言って知り合いもいないし、まだこのクラスに友だちもいないから、とりあえずそこでひとり飯を食べているお前、ちょっと一緒に食べないかというわけだ。

 

 正直あまり気は進まない。

 けれど長いものには巻かれてみろの精神で長年やらせてもらっているので「分かった」と真顔で頷いて肯定の意を返す。

 その返事に相手はえてして些か戸惑ったような、あからさまに「しまった、声をかける奴を間違った」みたいな表情を浮かべるのは何故だろう。こちらは申し出にちゃんと応えたというのに。

 もしかして「誘ってくれてありがとう、心の友よ!」と僕が感激するのを期待していたとか。まさか。

 

 さて、こんなちぐはぐなやりとりで始まった会食が盛り上がるはずもなく、多くの場合はほとんど無言のままお互いの弁当を咀嚼することに終始する。

 勿論、二度目はない。

 中にはあれやこれやと話題を提供して、僕との会話を楽しもうとしてくれる人もいた。

 が、それも例えば「この動画見たことあるか? 笑えるぜ」とスマホを向けてきたあたりで、近くで食べていた連中が「あ、それ知ってる。面白いよなー」と割り込んできて、僕そっちのけで盛り上がった挙句、最後には椅子とお弁当を持って去っていくのだった。

 

 まぁ、四月とは出会いと別れの季節だからこんなものだろう。

 ちょっと順序が逆でサイクルが早すぎるが気にしない気にしない。

 

 そんなわけで高校生活二日目の昼休み、誰に話しかけられてもいつも通りに対処するだけだった。話しかけられなくても何の問題もなかった。

 なのに突然此花さんが「あ、あ、あの! た、た、た、高尾君……よかったらでいいんだけど……その、お、お昼ご飯を一緒に食べてくれないかなぁ?」なんてモジモジしながら誘ってきた時に、僕は不覚にも「ぼへぇ!?」なんて酷く驚いた声をあげてしまったのだった。

 

 

 

 此花咲良このはな・さくらさん。

 四月名物の自己紹介で、黒板の前に立った彼女を見た時の第一印象は「可愛らしい人だなぁ」だった。

 

 女子の平均よりちょっと小さめの背丈、ぱっちりした目、「こ、こ、此花咲良です」と上擦った声で頭を下げると肩の上のふたつ結びの髪の毛が軽やかに揺れる。

 ちょっとあがり症ではあるものの、頭を上げて恥ずかしそうにはにかむ姿は、むしろ好印象だったのだろう。男子の誰かが「咲良ちゃん、可愛い!」って囃し立てた。


 もっとも僕はこの時点で彼女に興味を覚えることはなかった。

 此花さんに何か問題があるわけではない。僕があまり他人に関心を持たないだけだ。

 

 それが此花さんの自己紹介が終わる頃には、彼女の名前と顔をしっかりと覚えてしまうことになった。

 僕だけじゃない。間違いなくクラスメイトの誰もが此花さんを覚えたことだろう。


 おそらく、いやきっと「こいつ、ヤバい奴だ」という認識でもって。


 それぐらい彼女の自己紹介は大失敗だった。

 彼女の名誉のために詳細は省くけれど、あれほど「友だちが欲しいんです。友だちになってください。お願いします」と強烈にアピールする自己紹介を僕は知らない。

 新約聖書に「求めよさらば与えられん」って有名な一節があるけれど、あれはただ求めるのではなく、手に入れるための努力をしなさいって意味だったと思う。

 此花さんも努力をしたのだとは思うけれど、その方向がまるっきり逆を向いていた。

 

 ただ、みんなにとってはまるっきり逆方向だけれど、僕にとっては違うのかもしれない。

 その証拠に僕は此花さんに少し関心を持っていた。




「あ、あのっ! 『ぼへぇ!?』ってどういう意味ですかっ!?」


 此花さんがお弁当の入った巾着袋を持った手をぷるぷる震わせながら、僕に問いかける。

 昨日の自己紹介が大失敗だったのは彼女も自覚していた。それは終わった後に自分の机に突っ伏していた姿からも分かる。

 だから僕の反応がさらに彼女を傷つけてしまったに違いない。

 それでも彼女は僕との接触を諦めなかった。


 それが怒りであれ、悲しみであれ、初手を誤った僕にはとてもありがたかった。

  

「いや、そこはあまりお気になさらず」


 なのにこの対応。人間関係へたくそすぎる、僕。


「き、き、気になるんですけどっ!」

 

 顔を強張らせて必死に食い下がってくれる此花さん。

 かと思えば今度は急に顔面蒼白になった。

 ああ、きっと彼女の頭の中では昨日の惨劇がリバイバル上映されていることだろう。

 なんて思っていたら今度は眉がへの字に曲がり、口がわなわなと震え始めた。

 観察している場合じゃなかった。慌てて弁明を始める。


「えっと、女の子に声を掛けられるなんて思ってなくて、びっくりしてつい」

「……ホントにそれだけ?」

「あー、あと正直に言うと」

「う、うん! ずばっと正直に言っちゃってください!」

「……高尾君って名前で呼ばれるとは思ってなかったので」


 言った瞬間、火あぶりの刑に処されたのかと思うぐらい、体中がかぁと熱くなった。

 身から出た錆びとは言え、少し正直に言いすぎてしまったかもしれない。

 事実、女子に名前で呼ばれるのはかなり久しぶりだった。少なくとも中学生の時は「おい」とか「ちょっと」と声を掛けられるのが精々で、名前でなんか一回も呼ばれたことがなかった。

 あ、泣きそう。今度は僕が。

  

「名前で呼ばれない……? え、な、なんで?」

「だって僕の名前なんて誰も憶えないし」

「……でも私、フルネームで憶えてますよ。確か、高尾一真たかお・かずま君、ですよね?」

「凄い。よく憶えてたね」


 素直に感心した。

 だって僕の自己紹介なんて「高尾一真です。よろしくお願いします」ってボソボソ声で挨拶しただけなのに。

 おまけに此花さんときたら僕の自己紹介中も自爆したショックで机に突っ伏していたというのに。


 ……いや、ホント、どうやって僕の名前と顔を一致させたんだ、此花さん? ちょっと怖い。


「えへへ。私、名前を覚えるのは得意なんですっ!」

「へぇ」

「あ、でも暗記ものの勉強は苦手だったり」

「ご謙遜を」


 あの状況でどうやって僕の名前を覚えたのか訊いてみたかったけれど、此花さんが名前を覚えるコツをレクチャーし始めてくれたので黙って拝聴する。

 先の失言から離れてくれたのはありがたかった。ただその熱心さは後でレポート提出を言い渡されそうでちょっと困る。


「と、いうわけで、名前を覚えるのは得意なんですよね、私」


 講義が終わった。最後にして締めくくったのは何かの伏線だろうか。

 

「あ、あの! それでどうでしょうか、お昼ご飯?」


 が、いまだ諦めずにお昼ご飯のお誘いをしないあたり、単なる僕の深読みで済んだようだ。

 お弁当箱が入っている巾着袋をぎゅっと握りしめる此花さん。

 そう言えば此花さんから話しかける前に、この巾着袋が教室のあちらこちらをあてもなく彷徨っていたのを見た記憶がある。

 

「……分かった」

「ホントですかっ!? やったぁぁぁぁ!」


 一瞬その場で飛び跳ねて小さくガッツポーズする此花さん。

 満開の桜を想像させる表情を浮かべ、巾着袋を僕の机に置くと自分の椅子を取りに一度戻った。

 その後姿を眺めながら、僕ははふぅと一息つく。

 いつもと勝手の違う展開に、ちょっと緊張していた。

 それは勿論、僕が「ぶほぇ!?」なんてリアクションをしてしまったからなんだけど、元を辿れば此花さんの接触に起因する。

 

 嬉しかったんだ。

 女の子から名前を呼んで誘われたことも「よかったら一緒にご飯を食べてくれませんか?」なんてお願いされたことも。

 いつもは「一緒に食べねぇか?」って誘いながらも、どこか上から目線な物言いだったから。


 そして何より関心を持っていた此花さんから声を掛けてもらえたことが。


 だから驚いてしまって「ぼへぇ!?」なんてリアクションをしてしまった。

 いいかい僕、「ぼへぇ!?」はこういう時に相応しい反応じゃない。それはヤンキー漫画の腹パンシーンか、ジャイアンリサイタルぐらいにしか使われない擬音なんだよ。


 とは言え、初手を間違えることなんてよくあることだ。

 そもそも今までも間違いまくっていたから友だちも出来なかったのだろう。

 そんなことを繰り返して修正も反省もしてこなかった十五年間だった。


 なのに今、僕は修正をした。

 修正の為ならば恥ずかしい本音を曝け出すのもやむなしと判断した。

 あまつさえ「ぼへぇ!?」はダメだったと反省すらしている。

 僕の無礼極まりない反応にもかかわらず此花さんがめげることなく意思の疎通をし続けてくれたことに、普段は他人との接触に無関心な僕が何故か心から感謝した。


 他人に誘われて嬉しいなんて気持ちを持ったことがこれまでなかったので、どうにも感情を持て余している。

 

 此花さんがリズミカルに椅子を左右に揺らしながら僕の方へ歩いてくるのが見える。

 彼女とやり取りを続けていけば、こんな気持ちにも慣れていくのだろうか。

 そんなことを考えながら、僕は此花さんの為に少しだけ机を引いた。

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