僕は此花さんと友だちになりたい

タカテン

第1話:友だちキャッチボール

「あ、あの、高尾たかお君! キャ、キャッチボールしようよっ!」


 唐突だった。

 そう、いつだって此花このはなさんは唐突だ。

 唐突に「一緒にご飯を食べてくれませんか?」と誘ってきたり、唐突に「部活見学に付いてきてくださいっ!」と言ってきたり。

 あまりに唐突すぎて、他人には流されよを処世術とする僕も一瞬躊躇ってしまう。

 

「うん、分かった」


 それでも差し出されたグローブを受け取るのは、そんな僕の性格だけが理由じゃない。

 これが僕たちの目指すもの――つまりは友だちという関係を形成するのに必要な通過儀礼のひとつだと認識しているからだった。

 

 そう、僕たちはまだ友だちじゃない。

 お互いに友だちになろうと頑張っている最中の、ふたりの『ぼっち』だった。


「それにしてもどうしてキャッチボール?」 

「あの、その……まだやったことなくて。だから一度やってみたいなぁとか思って!」

「そうなんだ」


 かく言う僕もキャッチボールなんてやったことがない。なんせ『ぼっち』だからな。

 果たしてちゃんとボールを投げられるか、受け止められるか。

 うん、全くもって自信がない。

 

「このグローブとかどうしたの?」

「お、弟に借りました!」

「弟さんいるんだ?」

「はいっ!」

「だったら弟さんとしたらいいんじゃないの?」

「弟は小2の時に野球を卒業しちゃったんですよ」


 ということはこの野球用品は小学生低学年向けってことで、なるほどだからグローブに手が入らないわけだ。

 ボールも硬球どころか軟球ですらない、小さな子供用のゴムボールだった。

 

「それに弟じゃダメなんですっ!」


 だけど此花さんにとってそんなことはどうでもよかったみたいで、グローブをなんとか装着しようとふたつ結びにした髪を揺らして悪戦苦闘しながらも、はにかんだような笑顔を浮かべる。

 

「だ、だって私は高尾君と友だちになりたいから、キャッチボールしたいんですもんっ!」 

 

 あ、そうだった。

 さっきまでこのキャッチボールの意義を認識していたくせに、どうして弟さんとのキャッチボールなんかを提案しているのだ、僕は?

 この辺りの思考回路がまさに『ぼっち』が『ぼっち』たる所以だよなぁと思う。

 

「うー、やっぱりグローブ入りません……」

「まぁ、無くていいんじゃないかな。ゴムボールだし、突き指もしないと思う」

「あ、そうか。そうですね! さすが高尾君っ!」

 

 僕たちはグローブをそっと地面において、十メートルほどの距離を取った。

 体育館裏はいつだって日陰のイメージで、今日も今日とて体育館の陰に隠れていて四月の陽気な日差しもここまでは届いてこない。

 でも、これがいい。陰キャな僕にはむしろ心地よいぐらいだ。

 

「そ、それじゃあ行きますよっ!」


 普段は小動物みたいな動きをする此花さんが、緊張しながらも随分とダイナミックなフォームで振りかぶる。

 スカートの下の体操着がちらりと見える。パンチラならぬ体操着チラだ。それでも一瞬ドキッとしてしまったのは、男に生まれた者の宿命というやつなんだろう。

 僕とて健全な年頃の男の子なのであった。

 

「とりゃあああ!」


 さて、勇壮な掛け声と共に僕めがけて投げられたボールは、あらぬ方向へ飛んで行った。

 ありゃと予想外な結果に整った顔を顰める此花さん。僕は転がっていくボールを小走りで追いかけて回収した。


 今度は僕が投げる番だ。頭の中で上手くボールを投げる姿をイメージする。イメージ大事。

 頭の中でグラサンをかけたリーゼントのピッチングコーチが「それだよ、高尾君」と感嘆するぐらい完璧な姿を想像し終えると、僕はさっきより遠く離れてしまった此花さんに向けてボールを投げ返した。

 

「あれ?」


 が、これまた全く見当違いのところへボールが飛んでいく。

 むぅ、なかなかままならない。上手くやれる自信はなかったけれど、それにしてもここまで酷いとは予想外だった。

 でも逆に言えばさすがは『ぼっち』だとも言える。心のキャッチボールどころか普通のキャッチボールですらこのザマだとは。

 勿論褒めてなんかいない。

 

「うーん、力いっぱい投げるのがダメなのでしょうか?」


 延々とキャッチボールと言うよりかはお互いを犬に見立てて「ほら、ボールを取って来い」と遊んでるみたいな僕たちだったけれど、此花さんが人間とは失敗から学び成長していくものだということを思い出したようだった。

 それまでの大きく振りかぶるフォームをやめて、髪がふわりと宙を舞う程度の動きでボールを軽く投げてくる。

 

 なんかキャッチボールっぽいなと思った。

 うん、さっきまではなんかピッチャーの暴投練習(そんなものがあるのかは知らない)みたいだったから。

 

 結果、ボールは僕の遥か手前、と言うか此花さんの方にずっと近い方に落ちて、ぽてぽてと転がった。

 

「や、やった! 方向ばっちりですっ!」


 もっとも当の本人は手ごたえを感じたらしい。

 

「あとは距離感だけですよっ!」


 距離感……どうやらそれは此花さんにとって永遠のテーマのようだ。

 

「高尾君、こうですよ、こう。力を抜いてゆっくり投げるんです。あ、あと投げる前に左手を相手に向けると上手くいく感じがします、なんとなく!」


 とっくに匙を投げた頭の中のピッチングコーチに代わり、熱心にも手ぶり身ぶりでレクチャーしてくれる此花さんに僕は頷いて振りかぶる。

 力を抜くと言っても、あまりに抜きすぎるとさっきの此花さんみたいにボールはまるで届かない。多分これぐらいのパワーは必要だというのを見極めて、ゆっくりとボールを投げ返した。

 

「うーん」


 投げてみてすぐに失敗だと分かった。

 方向はまぁ合っていた。力加減も悪くはなかったと思う。

 問題は角度だ。どういうわけかは分からないけれど、僕はボールを高々と放り投げていた。

 

 落下地点は恐らく僕の目の前だろう。

 これではキャッチボールじゃなくてボールを使ったひとり遊びだと自嘲したくなる。さすがは(以下略)。

 

「オーライ! オーライですっ!!」


 ところがだ。

 キャッチボールとしては完全な失投なのに、ボールを取ろうと此花さんが必死にこっちへダッシュしてきた。

 彼女の目線は落ちてくるボールに釘付けだった。

 ボールしか見ていなかった。

 その先に佇む僕の姿はひとかけらも映り込んでいなければ、存在すらもきっとこの瞬間は忘れているに違いなかった。

 

 ああ、此花さんらしいなぁ。

 

 そんな姿に僕は此花咲良このはな・さくらという同年代の女の子を感じる。


 此花さんは目鼻が整った、可愛らしい女の子だった。少しおどおどしたところはあるけれど、笑うと出来るえくぼに親しみを感じさせる美少女だった。

 だけど何事にも必死すぎて、それ故に力加減や距離感が分からなくて周りが見えなくなってしまう女の子だった。

 

「うわんっ!」


 そして僕たちの年代というものは必死なのはカッコ悪く感じるもので、力加減や距離感を上手く取るのは必修科目で、なにより周りの空気を読むことを尊ぶものだ。

 その辺りを認識せずに友だちを作りたいと此花さんがいくら必死になっても、逆に周りから浮いた存在になって誰からも敬遠されてしまうのは、至極当たり前のことだった。

 

「わっ? わっ! わわっ!?」


 対して僕はと言うと、必死さは生まれてきた時に母さんの体内へ置き忘れたのかと思うぐらい覇気がなく、力加減や距離感は常に一定を心がけており、空気を読んでは簡潔な答えを返すのを日課としていた。

 此花さんとは正反対に、この世代のルールをしっかり踏まえていると言える。

 

「うわん! ボール、逃げないでぇぇぇぇぇ!」


 でも困ったことに、彼らはあからさまな必死さは嫌うくせして陰では誰もが周りから浮かないように必死で。

 力加減や距離感は時に強引なインファイトに持ち込む必要があって。

 空気を読むということは、決して考えを放棄するということではなかった。

 

 つまりは僕も彼らのルールに順応出来ないはみ出し者だった。


 こんな僕たちの状態から不良になることもなく、此花さんのように糸が切れて所在なく空を漂う風船のような者もいれば、僕のように教室の底に沈みこんだ沈没船みたいになった者を世間一般的に『ぼっち』と呼ぶのだろう。

 

「と、とりゃああああああっっっ!」


 だから本来なら僕と此花さんがこうしてキャッチボールをしているのもおかしな話だと思う。

 だって僕たちは『ぼっち』。糸が切れて漂う風船と沈没船。たまたま同じクラスであったとしても、引かれ合うこともなかったふたり。

 だけど――

 

「や、やったー!」


 風船が沈没船を引っ張り上げようと勇気を出して。

 沈没船が風船の勇気に応えようとしたら。


「やりましたっ! 取りましたよ、高尾君っ!」


 なんとかしてふたりで現状を変えようと思ったら、きっとこんなこともあるのだろう。


 目の前で何度もお手玉し、前方へ零れ落ちて逃げるボールに飛び込んで、なんとか地上へ落下する前に掬い取った此花さんが自慢げに僕の鼻もとへ戦利品を突き付けてきた。

 彼女のジャンプに巻き込まれた僕は、押し倒されるように地面へ腰をつきながらも「ナイスガッツ、此花さん」とそのプレイを褒めたたえる。

 

 これはそんな積極性ぼっちな此花さんと、消極性ぼっちな僕が、不器用ながらも友だちを目指して付き合っていく物語。

 こんな僕らでも友だちになれるんだっていう、希望の話だ。

 



 作者より


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