第3話:彷徨えるふたりのぼっち

 僕、高尾一真たかお・かずまは『ぼっち』である。

 いつからそうなのかは覚えていない。

 中学生の時は勿論のこと、小学生の時にも友だちはいなかった。

 幼稚園も保育園も群れから離れてひとりで遊んでいたような気がする。


 なるほど、どうやら生まれてきてからこの方、ずっと独りぼっちだったらしい。

 どうりでこの年になっても友だちの作り方が分からないわけだ

 

 もっとも『ぼっち』だからと言って何かに困るということも特別なかった。

 班分けでは一人足りないところに入ればいいだけだったし、二人一組で余ってもその時は先生が相手をしてくれる。

 対人恐怖症というわけでもないから、最低限のコミュニケーションにも困らない。

 まぁ、本当に最低限なので上手く感情を伝えられなくて、つまらない奴という印象を相手に与えてしまうのだけれど。

 

 そんなわけで高校に進学しても友だち百人どころか一人すら作る意欲もなく、授業が終われば学校に僕の居場所なんてないわけでそそくさと帰り支度をしていると、此花さんが「た、高尾君、あの、お願いがあるんですけど……」とお昼ご飯の時同様にもじもじして話しかけてきて、唐突に「お願いだから部活見学に付いてきてくださいっ!」と懇願してきた。

 

 この展開に一緒のお昼ご飯はさぞかし盛り上がったのでしょうねぇと思われるかもしれないが、別にそうでもない。

 僕としては頑張ったつもりだけれど、基本的には一方的に此花さんが話題を振りまくことに終始していた。いつも通りの、一回限りの会食パターンだった。

 

 ただ、いつもと違うことがふたつ。

 誰も僕たちの会話に割り込んでくることがなかった。

 だから五時間目の授業が始まるまで此花さんが僕の元から去ることはなかった。

 

 とは言え、それだけでまさか一緒に部活巡りをすることになるとは僕も驚いている。

 主に此花さんの圧倒的な積極性と、一応「部活に入るつもりはないんだけど」と断ったのに「付き合ってくれるだけでいいんですっ! 私、高尾君が一緒だと何だか勇気が出るような気がしてっ!」と言われて、なんだかんだで承諾してしまった僕の主体性のなさに。

 

「それで此花さんはどの部活の見学に行くつもりなの?」


 ふと教室から眼下の校門を見下ろす。

 本日から部活の勧誘が解禁されると担任の先生がホームルームで言っていたように、校門前には我が部の存亡この一戦にありと先輩たちが目を光らせ、帰ろうとする新入生を手ぐすね引いて待ち構えていた。


 あの中を誰にも呼び止められずに帰るのは難しそうだ。

 だったら此花さんの付き添いをしてしばらく時間を潰した方が良さそうな気もする。

 

「えっと、希望は特にないんですよ」

「そうなんだ」

「ただ、入部条件は決まってるというか……」

「ほうほう」

「あのですね、その……さ、最初に声を掛けてきてくれたところに入ろうかなっ、なんて……」

「…………」


 えっと、つまりそれはあの勧誘地獄の中に飛び込む、と!?


「エエエエェェェェ!?!?」

「だ、だって私に声を掛けてきてくれたってことは、私の中に眠る才能を見抜いてくれたってことじゃないですかっ!? だ、だからその活眼に賭けてみようかなぁ、なんて思うわけですよっ!」

 

 お昼の「ぼへぇ!?」と違ってこの場合の「エエエエェェェェ!?」は実に適切だぞと自画自賛する僕の横で、此花さんが自説を論ずる。

 うん、賭けてみようじゃないんですよ、此花さん。

 そもそも先輩たちはとにかく自分の部に入ってくれたら誰でもいいわけで、才能があるかないかなんて見極めて声をかけているわけじゃないと思うんですよね、僕は。

 せいぜいうちは女子バスケ部だから女子に声を掛ける、男子には声を掛けないぐらいで。そこにひよこの雄雌鑑定士ほどの眼力は必要ないわけで……。


「と、いうわけで、い、いざ行きましょう、高尾君っ!」


 だけど悲しいかな、何事にも他人に流されるのが唯一の特技である僕に此花さんの行動を押しとどめるなんてことが出来るはずもなく。

 手を引かれているわけではないけれども、なんだか精神的にずるずると引きずられるものを感じながら彼女の後についていくのだった。

 

 お昼ご飯の時と違って、さすがにこれは面倒なことになったなぁなんて思いながら。



 

 これが10日ほど前の話だ。

 現在は校門前だけでなく、校内のあちらこちらで繰り広げられた先輩たちによる苛烈な新入生争奪戦も、今となっては兵どもが夢の跡と言わんばかりに日常を取り戻している。


 その中にあって此花さんの夢だけがまだ枯野を駈け廻っていた。

 

「な、なんで……」


 何故か僕たちを見るなりぎょっとした表情を浮かべて部室に閉じ籠る先輩たちを尻目にして、文化部棟に割り当てられた旧校舎の古いリノリウム張りの廊下に、此花さんの呟きが埃っぽい空気を虚しく震わせる。

 

「なんでこうなっちゃったんでしょうか……?」


 涙声で問いかけられても分からないものは分からないので素直に「どうしてだろうか?」と同調するに留まった。

 

「今日も誰にも声を掛けてもらえませんでした……」

「うん」

「……私ってそんなにもダメ人間に見られているのでしょうか?」 

「そんなことはない……と思うけれど」

「ううっ、否定するならもっと強く否定してくださいよぉぉぉ」


 いや、そんなこと言われても。


 しかし、なんでなんだろう? 本当に分からない。

 初日の、新入生をセール品か何かと勘違いしているとしか思えないぐらい先輩たちが引っ張り合う状況の中、僕たちは何故か誰からの接触もなく校門を抜けることが出来た。出来てしまった。


 あれ、おかしいなと思い、再び昇降口へと向かう。先輩方の視線とは逆方向からの侵入なので、ここで声を掛けられないのは問題ない。

 が、昇降口へ辿り着き、ご丁寧にも靴を履き替え、さらにまたもう一度履き返して校門へ向かうも誰も何も言ってこないのは一体何故なんだ?

 

 初日はこの往復を少なくとも10回はしたと思う。

 翌日は20回。

 3日目は50回やった。

 が、0が1になることは最後までなかった。


 4日目になって勧誘する先輩たちが随分と減り、この様子なら今日はお百度参りが出来るな出来てしまうなとさすがにうんざりしていると、此花さんが小さな体ながらも鼻息を荒くして宣言した。

 

「あ、あのですね、受けに回ったのが失敗だったかなって! だから今日からはこちらから攻めにいこうかなって!」


 ふんすっ。

 

「攻め……つまりは体験入部をしてみると?」


 それはいいかもしれない。体験入部となればどこも断ったりはしないだろう。

 

「う、ううんっ! だって私はその、自分でも気が付かない才能を見つけてもらいたいわけじゃないですかっ? だから体験入部はちょっと違うかなって!」


 ふんすふんすっ。

 

「だったら攻めってどういう意味?」

「はいっ! だったら今度は校門前じゃなくて、部室の集まる部活棟を練り歩いてみたらどうかなって!」


 ふんすふんすふんすー!


 うん、鼻息を荒くしている此花さんには悪いけれど、どうにも成果が期待できそうにないなと僕は思った。

 事実、数日かけて練りに練り歩いたものの、声をかけられるどころか何故か胡乱な目を向けられるばかりで、本日の文化部棟の旧校舎では明らかに避けられている始末。泣きそう。

 でも僕以上に泣きそうなのは、言うまでもなく隣に立つ彼女の方だった。

 

「あ、えーと……」


 さすがの僕でも此花さんの落ち込みぶりに、なにか気の利いた言葉で慰めてあげればなと思った。

 でも、これまで浅いところで人と会話する癖が仇となって、なかなか言葉が出てこない。なんだか神様に罰を与えられているみたいだった。


「……あはは」


 僕が陸に上がった魚みたいに口をパクパクさせていると、此花さんが小さく笑い出した。

 どうしたのだろうと視線を向ける僕に、彼女は照れ笑いを浮かべて寂しげに微笑む。

 

「……高尾君、今日まで付き合ってくれてありがとうございましたっ!」


 続けて深々と僕に頭を下げる。

 そして戸惑ったままの僕をよそに此花さんがくるりと踵を返すと、歴史が埃のように蓄積して染みついたような文化部棟の階段を降り始めた。

 

「……私、部活とか習い事とか、それどころか放課後に誰かと遊ぶことすら、実はやったことがなくてですね」


 黙ってその背中に付き従う僕に、此花さんが振り返ることもなく彼女の半生を語ってくる。

 

「い、色々あって子供の頃からそういうことが出来なかったんですよ……」

「…………」

「だけどこれまでの私はそれもまぁ別にいいかなって。……私、運動音痴だし、芸術のセンスもないし、手先だって女の子なのにホント不器用だし、おまけに人付き合いも下手なんで……」

「…………」

「……ただ、これからは自分の好きなことをやっていいことになったんです。だから何をしたらいいのかなぁって考えたら……私、一緒に何かをやってくれる人が欲しいなぁって」

「…………」

「……でも、今までそんなこと考えたことなかったのに、高校生になったからって急にそんな人を作れるわけ……ないですよね。あはっ、ははは……」

「…………」

「……こ、これでも頑張ったつもり、なんですけど。で、でも、もうやっぱり諦めようかな……」


 僕は黙って此花さんの話を聞いていた。

 これまでの此花さんに何があったのかは分からない。ただ自由な時間が持てるようになったので、その時間を共有する人が欲しいと思ったのは分かった。

 幸いにも時期は四月、しかも高校一年生。誰もが友だちとして、部活の後輩として求め、求められる、人生の中でも数少ない稀有な時期のひとつ。

 この好機チャンスをものにしたい。彼女は出来る限りの努力をしたのだろう。


 でも、悉く失敗に終わった。


 自己紹介ではクラスメイト達と距離を縮めるどころか逆に広げてしまう始末で、部活探しでは誰からも声を掛けてもらえないという現実の厳しさを味わった。

 だったら此花さんの方から無理矢理入部しちゃえばいいんじゃないかとも思うんだけど、多分彼女の言う通り、スポーツも芸術も手先の器用さも上手く人間関係を作るのも苦手なのだろう。


 勧誘されたのならまだその人が何かと世話を焼いてくれるかもしれない。

 でも無理して集団の中に入った場合は、得てしてつまはじきにされがちなのは僕らの年齢なら誰もが知っていることだった。

 

 かくして此花さんの高校生デビューは虚しく失敗に終わろうとしていた。

 挽回するのはとても難しく感じる。

 クラスでの評判を回復させるのにはかなりの時間が必要だろうし、部活への勧誘に至っては彼女が人体実験でもされてオリンピック選手並みの身体能力を得ない限りもはやノーチャンスだ。


 ただ、それでもひとつだけ成功……と呼べるかどうかは分からないけれど、うっすらとした儚い希望というか、せめてもの慰めというか、とにかくそんな「失敗よりかはちょっとだけマシかな」って程度の結果の可能性がなくもない。


 さて、どうしたものか。

 考える時間はさほどない。でも答えを導き出すのに必要な要素は、十分すぎるほど与えられていたことに僕は薄々気が付いていた。

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