第6話 三つ子×(柒)
今日は、事務所に出勤する日だ。
私、眞那の勤めている光井探偵事務所は、基本的に仮想空間で活動しているものの、一応事務所はある。
オンラインでもオフラインでも保存できない代物を保管するには、事務所がないといけないからだ。
普通にインターネットとも繋がっている端末では(流出防止のため)アクセスできない劇物みたいなものもある。
そんなものを取り扱うことなどほぼないが。
管理しないとどんどん劣化していくので、数週間に一度、掃除をしにいくのだ。
光井さんも来るが、完全なる戦力外だ。
幸い、ものが多い事務所じゃないし、掃除道具もあっちにある。
さっと床を掃いて換気をすればいいだろう。
場合によっては窓掃除も追加かな。
と、徒歩で事務所に向かいながらそんなことを考えていると、道の向かいにある店が目に入った。
その名も「パン屋びいどろ」。
看板が新しくなっている。
確か、この前見たときは、木々が鬱蒼と生い茂り、店の中が見えづらく、看板の文字は完全に剥がれ落ちていた。
それがなんということでしょう、水色や柔い赤、茶を基調とするお洒落な雰囲気のパン屋さんになっている。
というかそもそも、あれパン屋だったんだ……。
古本屋の廃墟かと思ってた。
店のガラス窓から覗く限り、営業中のようだ。
光井さん、甘いもの好きだから、菓子パンとかあったら喜ぶかな。
幸い、集合時間(出勤時間?)には十分な余裕がある。
車が来ていないことを確認して、道の反対側に渡る。
一台分のスペースがある駐車場を通り過ぎ、水色に塗装された木製ドアを開ける。
店内はそう広くもないが、明るい色を落とす照明で窮屈な印象は受けない。
木製の棚に、金属製のトレイとバットを置いた、その上にパンをのせている。
定番のコッペパンや塩パン、クロワッサンに加えて、カラフルな菓子パンやお総菜パン、なぜか鶏卵焼きもある。
それ、パン屋で売る奴だっけ?
店番のバイトらしきおにーさんがいるだけで、客は他にいない。
ちなみに、モスグリーンのエプロンには「山本」のネームプレートがあった。
超よくある名字だった。
とりあえず、パッと目に付いた、ジャムパイとねじり揚げパンを購入した。
「とりあえずこんなもんでしょう! 掃除終わり!」
いや、光井さんは掃除してなかったでしょう。
自分のデスクをごそごそしてた印象しかない。
「あ、わたしが作業してないって思ったでしょ、今」
「……いえ、そんなことは」
「わたしだって仕事したんだから。例えば」
光井さんは不敵に笑うと、ばっ!と手に持ったなにかを突き出した。
「このUSBメモリを発掘した!」
「それ埋めたのも光井さんでしょうに……」
「中身はわからない! あ、中身といえば今日持ってきてた袋、なに?」
すっかり忘れていた。
パンを買った時のマイバッグを探ると、まだちょっとだけ温もりが残っていた。
ジャムパイを取り出して、光井さんに手渡す。
「折角ですし、買ってきました」
「眞那ちゃんのは?」
「勿論あります」
私も、ねじり揚げパンを包装紙から取り出し、かぶりつく。
お味の感想はというと。
大当たりだった。
表面はさくりと軽く、まぶしてあるきなこがほろりと崩れ、主張しすぎない甘さが広がる。
内部はもっちりとしており、かといってしつこくない。
美味しい。
ふと横の光井さんを見ると、もうジャムパイは跡形もなかった。
パイって崩れやすいのに、綺麗に食べきってる……。
「お口に会いました?」
「あとでお店教えて」
この日から、光井探偵への差し入れは、「びいどろ」のパンが定番となった。
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