第5話 三つ子×お仕事(参)
光井満巳。
20歳。
表向きはウェブデザイナー。
▷
A4の紙が入った封筒を置き、その上にさらに石で重石をする。
フロアと同じ、コンクリートでできた立ち上がり壁。
その上に登り、眼下の暗闇を見る。
私は立ち上がり壁の向こう側へ、一歩踏み出し、そのまま重力に身を任せt
「なぁにやってんの? お嬢さん」
「ぐぁあっ」
落ちたところで誰かの声――ちょっと低めの、落ち着いた声だ――がして、重力とは別の力が私に働いた。
セーラー服で首が絞まって、うっかりお嬢さんらしくもない声が出てしまった…。
いや私お嬢さんじゃねえわ!
っていうかそろそろ真面目に首が絞まる。
と思ってると、セーラーカラーを引っ掴んでいた某氏が自分に私を引き寄せ、そのままパッと手を離した。
「ぎゃんっ」
「おっと痛かった? ごめんごめん」
まぁ自然の摂理でコンクリートに尾てい骨を打ち付けた。
私さっきから悲鳴しか喋ってないな…。
「イマドキ自殺? んで律儀に制服着て投身自殺ってかぁ?」
「あなたに関係ないですよね」
人に見られた羞恥心と自殺未遂になってしまった無気力感で俯きながら言った。
「んー? 止めた私は聞いてもいいと思うんだけど?」
そこで初めて顔を上げると、そこには女性が一人いた。
細めの黒髪を高い位置にひっつめて、袖が長くて装飾のほとんどない服を着ていた。手には指ぬきグローブ。サイズの正しい、きっちりと紐が結ばれたスニーカー。
端の上がった口元と、それと裏腹にこちらを射貫くような冷たい視線。
何より、落下途中のうん十キロの女子高生を持ち上げるだけの腕力。
「…というか、誰ですか、あなた」
「私ィ? そうだねぇ、通りすがりのただの人、かな」
「どこに学校の屋上を通りすがる人がいるんです?」
「ここにいるよ」
「や、でも…」
私は、さっきから抱いている疑問を口にした。
「屋上の鍵はかけたのに、なんであなたはいるんですか?」
女性は、にこっ、と笑って、
「なんででしょう? それよりも、失敗しちゃったんだし、もう帰っちゃったら?」
誤魔化された…。
しかし、決心も鈍ってしまったことだし、帰ったほうがいいというのは間違いない。
それもそうだ、と呟き、私は立ち上がってスカートをはたいた。
「ところで、なんで自殺しようと思ったんだ?」
この人…、なんでそんなデリケートなこと訊きながらへらへらしてるんだ…?
「まあ、あなたのせいですし、話しますけど…」
ちょっとやばい人かもしれない。いや、まあ高校の屋上にいる時点でかなりやばいが…。私は腕を組んだ。
「端的に言うと、いじめですよ。告げ口しても反撃しても止めないんで、自殺のふりして病院に逃げてみようかなと」
「なるほどねぇ。この高さじゃ、大怪我したとしても死ぬ確率は低い。さらに、生徒が自殺未遂なんてことになったら、学校側も早急に対応しなければならない。遺書でいじめた人を指名することで、その人は生徒から白い目で見られ、あわよくばネットに晒されればいい、と」
「……まあ、そういうことです」
「命は大切にしなさい」
え、正論言われた。高校の屋上に不法侵入してる人に。
「この高さ、死ななくても落ちたら痛いよ? 打ち所が悪ければ後遺症も残るし」
「……でもッ」
私はまた、俯いた。
「これくらいしか、あいつらに報いる方法がわからなかったんです」
すると彼女は、ふむふむ、と頷き、
「君は奴らがどうなってほしいのか?」
変な問いだ。
そんなこと、わかりきってる。
「当たり前じゃないですか。どうなってほしいっていうか、いっそ死んでもらいたいです」
彼女は深く頷いている。
話を聞いてくれる大人——、それだけで、私の口は緩んでいく。
「だってそうじゃないですか! こっちは死にそうなほど辛いのに、それが相手に快楽を与えている。——憎んでも憎んでも憎み切れません」
彼女は、もう聴いてないかもしれない。でも、言葉は止まらない。
「私は力がないから、社会的な死をあいつに報わせてやろうと思った。でも、それはどうあがいても成功率100%にはなり得ない。それが悔しくて、生物的な死があいつらに降りかかればいい!」
「ふうん、なるほどねぇ」
彼女は、目を瞬かせた。
私の豹変ぶりに驚いている、といったふうではない。
「君、いくらなら出せる?」
「はい?」
「うちの正式な依頼料は300万円だけど、今回は特別に学割をしてあげよう。ターゲットは、首謀者だけでいいんだよね?」
「何の話ですか?」
「お代は屋上に石で重石をすればいい。成功報酬だから、後払いね」
彼女はしゃがんで、下から私の目を覗き込んだ。
俯いていても、下から見られれば、目線はかち合う。
「殺人の、依頼の話だよ」
彼女の視線を間近で浴びて、背中がぞくりとした。
ああ、そっか、と今更ながら気づく。
この人は、人を殺せるか殺せないかで見てるんだ。
脳裏上を、テレビか何かで見た知識がかすめる。
人は危険を感じると、無意識のうちに防衛反応をとる。
例えば手を隠すこと。
そのためにポケットに手を入れたり、腕組みをする。
——腕組みをする。
「君は私の正体を知ったから、……ほかの人に喋ったら、わかってるよね?」
そういいながら、彼女は私の首の前で手刀を作り、すっと横に薙いでみせた。
「……はい。誰にも喋りません。ハイリスクノーリターンですから。首謀者は、杉原あみり。クラスメイトです」
「いい子だ。じゃあ、ここに長居は不要だね」
彼女はすっと私に近寄り、うなじを撫でたようだった。
▷
「朝…?」
ベッドの上で身を起こした。
いつも通りの朝だ。
寝間着も私のだし、制服もいつものところにかかっている。
「夢…?」
だとしたら、私はまた、あいつに——。
学校に行くのは面倒だけど、母に強制的に行かされる。
重い気持ちで制服に腕を通し、でも時間がないので、素早く着替える。
朝ごはんは体が受け付けなかった。
学校に着くと、朝っぱらからあいつらが絡んできた。
「おはよーう」
「ねえ、屋上の鍵が盗まれたんだってェ」
「ユズチャンがやったんでしょォ?」
「ほかのみんながするわけないもんねェ」
「あ、ひょっとして、ワタシのシャーペンも、ユズチャンがやったのォ?」
「それは気付いてないふりしないとォ。わかってないっておもってんだからァ」
「あぁ、そっかそっかァ、ごめんねェ、ユズチャン」
ああ、面倒だ。
「だったらなにかある?」
途端、あいつらはびく、とした。
しまった。
乗ってしまった。
あ、やばい。
そう思った。
どこか冷めた目で景色を見ていた。
その時だった。
「放送委員の
「……はい、津々良です」
周囲が一瞬動きを止めた、その隙に私は人の輪から抜け出し、教室の戸まで急ぐ。
「
戸のそばにいたのは、女子生徒だった。
しかし、どうも放送委員ではないと思う。顔に見覚えがない。
女子生徒はポシェットを肩にかけていて、リボンの色から見るに、どうも上級生らしい。
「大丈夫ですよ、覚えてます」
「そうですか」
なんか、初対面なのに冷たいような……。
「あと、もう一人の放送委員が必ずいる状態にしてください。また、なるべく長く放送室に居座るだけの理由を作っておいてください。では」
裏羽さんはそれだけ言って踵を返した。
一体なんだったのだろうか。
▷
裏羽さんの襲来で調子が戻ってきた節があるので、無事、あいつらの追撃を受け流し、お昼の放送の時間になった。
うちの学校の放送委員は、昼休みがつぶれるが、昼食時間の後に放送があるので、食べるのが遅い人でも入れるのが特徴だ。
今日の放送の担当は、私ともう一人、同輩の
相良は他人に深く干渉はしないが、困っているとそれなりに助けてくれる。
私とはかなり仲がいい。
日差しがリノリウムの床を光らせている。
放送室は、午後の陽気で暑いくらいで、全開にした窓からの風にカーテンがはためく。
今日の放送をつつがなく終えたところで、裏羽さんの言葉が頭をよぎる。
——放送室に居座る理由。
ちらりと教室に戻ろうとする紬を横目で見る。
そして、私はポケットから用意していた財布を取り出し、小銭を床にばらまいた。
小銭はチャリンと乾いた音を立てて転がり、中には部屋の隅にまで行くものもあった。
それに被せるように、私は声をあげた。
「わあっ、小銭がぁ…」
予想通り、相良は振り向き、
「なんで今ここで財布を取り出すの……」
と嫌そうにしながらも拾うのを手伝ってくれた。
しかし、転がった範囲が思ったよりも広く、なんだか申し訳ない……。
それでも、全部回収したいので、迷わず利用させていただく。
「はい、これ。…全部集まった?」
紬に言われ、集まった金額を確認した。
「ひのふの……まだあと1円足りない」
「なんで1の位まで覚えてんの。金の亡者か何かなの?」
知らないよ。
貧乏症患者だとは思うけど。
試しに放送室の移動式ラックの下を覗いてみると、銀色に光る推定約1グラムのアルミニウムの円盤があった。
つまり1円玉が落ちていた。
床との隙間に手を突っ込んでみるも、微妙に届かない。
ぐぐぐ、と手を押し込むと、指先にかろうじて触れた。
そのまま、指先を、くっ、と勢いよく曲げると、ラッキーなことに1円玉がラックの外に飛び出てくれた。
ラックの下から腕を抜いた。体を起こして、ラックの外に出た1円玉を拾って、財布に入れた。
「相良さ…」
背後には誰もいなかった。
視線をさまよわせると、部屋の隅に体育座りをして俯いているのが見えた。
——いや、違う。
意識が無い!
次の瞬間、セーラー服の襟首を掴まれ、開いている窓の外に投げ出された。
開いた窓から、私を放り投げた人が見えた。
ポニーテールが風に揺れ、そして——
ぐしゃりと音がした。
▷
【JC自殺か他殺か】
×月〇日昼頃、切川中学校で校舎の四階からの落下事故があった。落下したのは同校1年生の津々良柚木(14)、目撃者はなし。同時刻に同じ部屋にいた友人は、気付いたらいなかったと証言している。警察からは、現場の状況から事件性はないと発表があった。
▷
昨夜
「いい子だ。じゃあ、ここに長居は不要だね」
彼女はすっと津々良柚木に近寄り、うなじを撫でたようだった。
途端、彼女の体が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
彼女の意識を奪った張本人は、私のほうを振り返った。
「…と、出てきていいよ、あみりちゃん」
私——杉原あみりは、屋上のドアが設置された、小さな小屋のようなものの陰から出た。
「それで、あの、今のって……?」
「ああ、心配ないよ」
ポニーテールを夜空になびかせ、その人は私に歩み寄る。
だって、と言い、その人——殺し屋の、ニシキさんはいたずらっぽく笑った。
「私は一度も、津々良柚木に話しかけてない。ずっと、津々良柚木のほうを見て、杉原あみりに話しかけていたんだから」
「ああ、なるほど」
「それに、正規の依頼方法じゃないと受けないことにしてるし」
それにしても、驚いた。
私は、津々良柚木の殺害をニシキさんに頼んだのだ。
津々良柚木は、それこそ端的に言うと、いじめの加害者だ。
ターゲットは決まっていないが、私はよく虐められた。
そして、彼女の厄介なところは、クラス外には自分が被害者であることを装っているところだ。
彼女の言葉は、8割がた嘘だと思えば間違いない。
実際、ターゲットにされた者どうしが組んで彼女を虐め返そうとする動きもあるため、完全な嘘でないことが、また嫌らしい。
そして、嘘を貫くことを躊躇しない。
多分、今夜ニシキさんが止めなかったら、躊躇なく飛び降りていたと思う。
ニシキさんに、屋上で詳しい事情説明をしていたら、屋上のドアが開いて焦ったら、彼の人だったのだ。
噂をすればなんとやら、というやつだ。
「というかさ」
ニシキさんの声に、思考を一旦止める。
「なんで、あみりちゃんも、津々良柚木も、二人とも屋上の鍵を持ってんの?」
「鍵番号を見て、合いかぎを作ったに決まってるじゃないですか」
何を隠そう、私の生家は鍵屋さんなのである。
「まっ、あみりちゃんも、他の人に言わないでよ。あんまり殺っちゃうと、露見しやすくなるんだよねえ」
……喋ったら口封じに殺す前提で話してるな、この人。
「じゃあ、君もそろそろ帰りなよ。報酬はさっき言った通りでいいから、さ」
「そうですね。では、二度と会わないと思いますが、さようなら」
「言ってくれるね。じゃあね」
そう言って、ニシキさんは津々良柚木を背負って屋上から姿を消した。
▷
光井満巳。
20歳。
表向きはウェブデザイナー。
裏向きは殺し屋。
別名、ニシキ。
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