二章 魔法が起こす奇跡

 妖精たちに見送られてフェアリーサークルを通り、ナディアはフリートメルンの森にやってきた。


「まさかティターニアが私のリトルティターニアを勝手に嫁に出すなんて、まだ私は納得していない!」


「スア、いつまで言ってるの? もう決定事項なんだから受け入れなって」


 そう、ナディアはひとりではない。スアとフレちゃん、そしてライシュは魔法を使いたいとき、近くに妖精がいなかったら困るだろうと一緒についてきてくれたのだ。


「私のリトルティターニアがあああっ、どこの馬の骨とも知れない男に~っ」


 騒がしいスアは無視して、ずんずん進み森を抜けると、豪華な馬車が待機していた。城からわざわざ迎えを出してくれたらしいのだが、御者はナディアの鱗のある顔を見て表情を強張らせた。


「失礼なやつだ」


 スアは不服そうに目を細める。


「まあまあ、ありがたく送ってもらおうよ」


 気にせず馬車に乗るナディアのあとを、スアは苛立たしげについてくる。

 馬車が走り出すと、小窓についている深紅のベルベットカーテンを少しだけめくって外を見た。


「わあっ、本当に復興してる!」


 王都の様子をこっそり覗けば、あの半壊状態だった町が嘘みたいに石畳の道も整備され、家も店も活気があった。


「人間の王もそれなりに頑張ったようだね」


 同じように窓の外を見ていたスアが不本意そうに言う。

 ナディアやティターニアを危険に晒したことへの不満はあるものの、国王のことは認めてるらしい。


 そうして外を眺めながらスアたちと他愛ない話をしつつ、一時間ほどが経った。

 長い坂道を上がって、丘の上に立つ白亜の城までやってくると、ナディアは大広間に通される。


 するとそこにいた大勢の騎士や大臣らしき男たちが「顔に鱗があるぞ」「あの瞳、妖精と同じだな」「髪も真っ白だ」「見ろ、妖精も連れてるぞ」「そばにいる男も、もしかして……?」とざわめきだす。


(見た目や種族が気になるのは、どこの世界も同じなんだな)


 偏見のない楽しい異世界ライフを夢見ていたので、若干のがっかり感は否めないが、まあ想定の範囲内だ。


(私はただ、心の望むままに生きるだけ。そうマザーティターニアと約束したし)


 それに、と隣を見ればスアがむくれている。自分の代わりに怒ってくれる人がいるだけで十分だ。


「――静まれ!」


 そのとき、威厳ある一声が響いた。水を打ったように静まり返り、場を一瞬で制した声の主は王座にいた。


「王子の花嫁であり、私の義娘むすめとなる方に失礼な発言は慎め」


 二年前にも見た国王だ。その隣には王妃もおり、ナディアは継承の儀でも着た純白のドレスの裾を摘まんでお辞儀をした。


「お久しぶりでございます。国王陛下、王妃殿下」


 ティターニアに教わった礼をしたのだが、途端に不安になってきた。一歩後ろで頭を下げているスアに小声で確認する。


「これで合ってたっけ?」


「リ、リトルティターニア、聞こえるよ」


 こんなに静まり返っているのだから、それもそうか。そもそも、もともとド庶民だった自分に王族らしい振る舞いなんて初めからできるわけがない。きっと大目に見てくれるだろうと開き直ることにした。


「ふふっ」


 そのとき、鈴の音のような笑い声がして顔を上げると、王妃が口元に手を添えながら肩を震わせていた。


「ごめんなさいね。私はフェリシテ・フリートメルン。この国の王妃です。素直そうなお嬢さんでよかったわ。ねえ、あなた?」


 フェリシテ王妃は隣にいる国王に笑いかける。

 そうだな、と相槌を打った国王も優しい表情で妻を見つめ返しており、仲の良さが伝わってくる。


「ティターニアから聞いている。そなたがもうひとりの妖精女王、ナディアだな」


「は、はひ!」


 国王はただ話しているだけでも、どこか威厳があり、背筋が伸びる。その緊張感は、ティターニアが女王として振る舞うときに感じるものと似ていた。


「先ほどは失礼した。私はジーク・フリートメルン、この国の王だ。そして、そなたに会ったら伝えたいと思っていたことがある」


 改まってなんだろう、と身構えていると、ジーク国王は急に深々と頭を下げた。それに合わせ、控えていた騎士や王妃も続く。


「え、ええ!?」


「私が不甲斐ないばかりに、あなたを半ドラゴンにしてしまった。その身体になったばかりに制約も多いと聞く。本当に申し訳ない」


「そんな! 初めは驚きましたけど、今はなんの能力もないただの人間だった私が魔法を使えるようになって、お陰でワクワクしてるんです!」


「そう……なのか?」


 顔を上げたジーク国王は社交辞令だと思っているのか、半信半疑のようだ。


「神に誓って! かれこれ二年はマザーティターニアにしごかれて大変でしたけど、私は今の状況をそれなりに楽しんでるので、ご安心ください!」


 ジーク国王を筆頭に、全員が呆気にとられている様子だった。

 やがてジーク国王は顎に手を当て、感心したように呟く。


「私の義娘になる方は……本当に純粋なお嬢さんのようだ」


「あの子は良くも悪くも優等生だから、本心を見せるのがきっと苦手だと思うの。あなたの明るさで、たくさん笑わせてあげてね」


 フェリシテ王妃が小首を傾げて微笑むと、それだけで場が和む。


(ティターニアがお嫁に行く私を心配してくれたように、国王陛下も王妃殿下も王子の幸せを願ってるんだ。それなら――)


 ピンと背筋を伸ばし、胸を力強く叩く。


「ご安心ください、国王陛下、王妃殿下!」


 後ろで扉が開く音がした気がするが、勢いのまま声高らかに宣言した。


「名前もお顔もうっすらとしか知りませんが、このナディア、旦那様を全身全霊で溺愛する所存です!」


 所存です、とエコーがかかる。さすが、城の広間は広い。

 だが、なぜか皆が絶句しており、国王と王妃の視線が心なしかナディアの後ろに向いている気がして振り返ると――。


「…………」


 見覚えのあるインディゴの髪とアイアンブルーの瞳の青年がいる。目を丸くして立ち尽くしていた彼は、時間差ではっと我に返った。


「……遅れまして申し訳ありません」


「あなたの花嫁が来る日くらい、学院を休んだっていいのではない?」


 ナディアの隣まで歩いてくる青年に、フェリシテ王妃が困り果てた様子で小言を言う。

 青年はナディアの頭ふたつ分ほど背が高かった。知的な雰囲気に精悍さが加わり、凛々しく育った彼は、あのときに見た軍服がいっそう似合っている。


「へー、妖精も整った顔立ちの人が多いけど、負けず劣らずであなたもとってもカッコイイわね!」


 素直な感想が漏れた。すると青年は耳元を微かに赤らめ、ぎょっと身を引く。


「は……は?」


「あれ、聞こえなかった? カッコイイって褒めたんだけど……」


 減るものでもないし、特別な意味はなく思ったままを告げたのだが――。


「聞こえている! 二度も言わなくていい!」


 青年は声を荒げる。だが、珍しいことなのか周囲の人間たちは驚いたように彼を見ていた。その視線に青年も気づいたのだろう。咳払いをして、ナディアに向き直る。


「……ご挨拶、申し上げます。私はフリートメルン国第一王子、ルード・フリートメルンです」


 無表情のまま腰を屈め、ナディアの手を掬うように取ると、甲に口づけられる。


「ひえっ」


 慌てて手を引っ込めるナディアを見上げ、ルードは「ひえって……」と呆れた顔をした。彼を睨んでいるスアが視界の端に映る。

 ルードは身体を起こすと、ジーク国王たちのほうを向いた。そしてちらりと視線をこちらに寄越してくる。


(ん? なんかの合図?)


 きょとんとしていると、ルードはため息をついて「しゃ・が・め」と口を動かした。

「ああ!」と閃いたナディアはこくこくと頷き、彼に合わせて片膝をつく。


「改めまして、妻ともどもよろしくお願い申し上げます」


「も、申し上げます!」


 彼に続けて言えば、なんとも言えない顔をルードに向けられる。

 何か間違っていただろうかと慌てていると、ジーク国王が「ようやく揃ったな」と嬉しそうにナディアたちを見つめていた。


「ルードは今、勉学に励みたい時期だろう。式に関しては学院を卒業してからでもいいと思っているのだが、ナディア。それでも構わないだろうか」


「え! あ、はいっ、私はいつでも!」


 お気になさらずと両手を顔の前で振れば、「いつでもって……」と声がした。隣を見るとルードは前を向いたまま微かに俯いていて、目元を赤らめ怒った顔をしている。


(え、これもダメなの⁉ 地雷多い系王子なのかなあ)


「お前たちの結婚は、妖精と人間の亀裂を修復するための大事な足掛かりでもある。それを忘れず、互いを想い合って添い遂げるように」


 ジーク国王の言葉に、ルードは「はっ」と答えて頭を垂れた。


「あとはルードに任せましょう、あなた。ルード、花嫁さんの面倒をしっかり見るのよ」


 優しく諭され、ルードは頷く。


「承知しています。それでは、私たちはこれで」


 またも視線を寄越してきたルードに合わせてお辞儀をすると、ナディアたちは広間をあとにした。




 広間を出て、深紅のベルベット絨毯が敷かれた長い廊下を歩いていた。


「ねえ、ルード王子」


 ナディアは少し前を歩くルードの背に声をかける。


「ルードでいい」


「じゃあルード、私、あなたと結婚したら学校に入れるって聞いたんだけど、いつから行けるの?」


「……ちょっと待て」


 足を止めたルードは信じられないといった顔で、こちらを振り返る。


「まさか、結婚を承諾したのはそれが理由なのか?」


「え? あー、まあ、他にももろもろ事情はあるんだけど、いちばんはそれかな。私、楽しみで楽しみで……」


 ルードの顔が鬼の形相になる。


「ルードさん? 顔がソイルオーガみたいになってるんですが……」


 明らかに怒っている。気に障ることを言っただろうかと焦っていたら、ルードが眉間にしわを寄せた。


「ソイル……オーガ?」


「土鬼のことよ。顔だけ身体なしの妖精で、地面に埋まってるの。しかも鬼の形相をしてるから、うっかり踏みそうになったときは心臓が止まるかと……」


 ますます、ルードの顔が厳めしくなった。


「俺がそのソイルオーガのような顔になっていることに、心当たりは?」


 ないとは言わせないとルードは睨んでくるが、ナディアは驚いていた。


(妖精の話をしても、鬱陶しがられなかったな……)


 そういう人間もいるんだ、と少し感動しながらルードを見つめていると、彼は「な、なんだ」と落ち着かなそうに視線を彷徨わせた。さすがのナディアも気づく。


「ルードは……妖精が好きなのね!」


 がしっとその両手を掴めば、「は?」とルードは困惑の表情を浮かべた。


「ふふっ、だって私が妖精の話をしても嫌な顔しないでしょ。それに、私が学院に行きたいから結婚したって言ったらむっとしてた。それは半分だけだけど妖精の私に、好きだから結婚したって言って欲しかったってことだよね?」


「いや、違うようで惜しい――」


「なあんだ! 安心して、ルード。私は一度愛するって決めたら、とことん愛する一途な女なの!」


 バシバシとルードの腕を叩くと、「痛っ、おいやめろって――」と抗議してくる。

 ナディアは気にせずスキップしながら彼を追い越し、くるりと振り返りざまに告げた。


「ルード、私が幸せにするからね!」


 笑って伝えれば、ルードはみるみる顔を赤くし、俯く。そのままずんずんとナディアを追い越して歩いて行ってしまう。


「リトルティターニアのまっすぐな愛情は、青臭い青年には刺激が強すぎると思うよ」


 他の妖精たちと少し後ろを歩いていたスアが隣にやってきた。


「え、そうなの?」


 ティターニアもスアも挨拶のように「愛してる」だの「好き」だのと言っていたので、これが普通だと思っていた。


「ひとまず、あとを追いかけよう。無駄に広い城で迷子になってしまうよ」


 スアに促され、ナディアは「そうだね!」と慌てて駆け出し、彼の軍服の右肩を覆うようについている赤いマントを引っ張る。


「おい!」


「捕まえた! もー、先に行かないでよ」


「そんなことよりも手を離せ。マントが伸びる」


「それでルード、これからどうするの?」


「お前は本当に話を聞かないな……」


 疲れた様子でため息をついたルードだが、質問にはきちんと答えてくれる。


「お前が楽しみにしている王立学院へ行く」


「やった!」


 ルードのマントを握り締めながらその場で跳ねると、彼は微妙な面持ちで続けた。


「こちらで必要になりそうなものは用意した。不足しているものがあれば、言ってくれ」


 ぶっきらぼうではあるが、気遣ってくれているのがわかり、思わずその腕にしがみついた。


「ありがとう、ルード!」


「……っ、こんなところでくっつくな」


「旦那様でしょ、我慢我慢」


 ルードはいよいよ無言になり、ある部屋の前で足を止めると――。


「ここで制服に着替えてこい」


 扉を開けて、室内に突っ込むようにナディアの背中を押した。


「えっ、ちょっと――」


 ルードを振り返るも、目の前でバタンッと扉が閉まる。一瞬、きょとんとするスアたちの顔が見えた気がする。


(なんというか……夫というよりも、同い歳の友達ができたみたいで楽しいかも)


 ふふっと笑っていたら、後ろから「ナディア様」と声をかけられた。振り返ると、そばかすのあるミントグリーンの瞳とベリーショートの髪のメイドがいる。


「お初にお目にかかります。メイドのミア・ハリソンと申します。本日より、王子妃様付きのメイドに任命されました。どうぞよろしくお願いいたします」


「えっ、私付きってどういうこと? というかミアって何歳? 私と同い歳くらいに見えるんだけど、もう働いてるの?」


 ずいっと顔を近づけながら尋ねると、ミアはオロオロしだした。


「え、えと……あのっ、私はナディア様の身の回りのお世話をさせていただくメイドで、歳は十三でっ、うちは平民出身なので働かないといけなくて……でふ!」


 噛んでしまったミアは、かああっと顔を赤らめて、その場にしゃがみ込む。


「ミアってすごいね」


 彼女の前にしゃがむと、ミアは涙目で「え?」と首を傾げた。


「私より若いのにお金を稼いで、それもこんなに綺麗なお城のメイドをやってるんでしょう? それにその服! とっても可愛い!」


 女の子なら、一度は着てみたいと思う制服だ。


(まさかリアルメイドに出会えるなんて! アニメの中だけだと思ってた!)


 ひとりで興奮していると、呆然としているミアに気づき、はっとする。


「あ、ごめんね! 私、ずっと妖精と暮らしてたから、歳の近い女の子と話すのが久しぶりで、楽しくって。なんだか妹ができたみたい!」


 ミアは不思議そうに、ナディアを見上げる。


「ナディア様は変わっておられますね」


「そう?」


「その、高貴な方はメイドとこんなふうに仕事以外の話をすることは、ほとんどありませんから……」


「でも私、庶民どころか森育ちの野生児だよ? あ、さすがに屋根付きの家には住んでたけどね」


 それを聞いたミアは目を点にしたあと、「ふっ」と吹き出した。


「あははっ、ナディア様は面白いです。ふふっ」


 楽しそうに肩を震わせているミアに、なんだかよくわからないがつられて笑ってしまった。


「ミアが楽しそうでよかった!」


「私も、お仕えできる方がナディア様のような方でよかった。それでは、お着替えをお手伝いいたしますね」


 ナディアの手を取り、ミアは立つように促す。そして、ナディアの服をずぼっと脱がせた。


「へ?」


 呆気に取られているナディアに、ミアはせっせと制服を着せる。ものの三分で完璧に着付けてしまうなんて、もやは神業。


ミアに連れてこられて大きな金縁の姿見の前に立つと、思わず叫んでしまう。


「どんな魔法をつかったの⁉ ミア!」


 鏡に手をついて、まじまじと自分の姿を眺める。


ワイシャツと校章が入ったグレージュのセーターベストを重ね着し、ネクタイを締め、プリーツスカートを穿き、フードがついた黒の丈の長いブレザーを羽織っている自分が鏡に映っていた。

 制服は靴下まで指定で、校章が刺繡されている。ローファーもピカピカで、ティターニアが事前に教えておいてくれたのか、サイズもぴったりだった。


「魔法だなんて……こんなことで、そこまで褒めてくださるのはナディア様くらいです」


 照れ臭そうに肩を窄めるミアは、謙虚でとてもいい子だということがわかった。

 そのとき、扉がノックされる。


「準備できたか」


 聞こえてきたのは、ルードの声だ。ナディアは扉まで走り、勢いよく開く。


「ルード! 見てみて! 制服! 私、人生で初めて制服を着たわ! どうしようっ」


 ナディアの勢いに押されてか、ルードは停止していたが、やがてため息をついた。


「どうもしなくていい。学院に通えるくらいで、はしゃぎすぎだ」


「くらい⁉ むしろ毎日わくわくしないほうがおかしい!」


力説すると声がでかかったせいか、ルードは片耳を手で塞いでいた。その後ろで、「リトルティターニア、似合っているよ!」とスアたちが騒いでいる。


(ん……?)


 そういえば、ルードも軍服から制服に着替えている。


「ルードも似合ってるね。さすが私の旦那様!」


それにルードがまたも固まり、大きく瞬きをした。次の瞬間――。


「が、学院で口が裂けても俺を『旦那様』と呼ぶな……。一応、正式に式を挙げるのは卒業後だ。それまでは隠すわけではないが、混乱を招かないようにしたい」


 頭から湯気が出そうなほど顔が真っ赤だ。


(知恵熱? はっ、まさか、私がうるさすぎてストレスに⁉)


 自嘲しなければとは思うのだが、妖精国に来たときのようなわくわくが一気に押し寄せてきて、今すぐにでも全力疾走したいくらいなのだ。今日くらいは大目に見てほしい。


「早く鞄を持て。いつまでも出発できない」


「鞄?」


 ナディアが振り返るまでもなく、「ナディア様」とそばまでやってきたミアが長方形の革製の鞄を渡してくる。教科書が入るくらいのサイズだ。


「着替えと本日使わない教科書等は寮に送ってありますので」


「寮……寮!」


 ルードが「いちいち叫ぶな……」と眉間を押さえているのが見えたが、そんなことは些細な問題だ。早くも訪れた別れに、ナディアはとてもショックを受けていた。


「せっかく生き別れの妹に会えたのに、もうお別れなんて~っ」


 泣きながらミアに抱き着いた。

 ミアはとっさにナディアを受け止め、「お、落ち着いてくださいっ」と慌てている。

 見かねたルードが、ナディアの首根っこを掴んで後ろに引いた。


「うわっ」


 スアが「リトルティターニアになにをするんですか!」と怒るが、それを無視してルードがミアからナディアを引き離す。


「休日は城に戻ってこれる。というより、いつの間に生き別れの妹になった……」


「ついさっき! でも、会えるならよかった!」


 ミアに向かって笑いかければ、彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「ナディア様、向こうには私の兄もおりますので、仲良くしてくださると嬉しいです」


「兄?」


 ルードは知っているのか、「アミル・ハリソンだ」と教えてくれる。


「植物魔術が得意で、平民出身で初めて特待生に選ばれた。特待生になると入学金や学費が免除になるんだ」


「そうなんだ、じゃあミアのお兄さんは努力家なんだね。会うのが楽しみになってきた!」


「ふふ、そこで優秀だとか、天才だとか、簡単に言わないナディア様なら、すぐにでも打ち解けられるかと」


 久しぶりの学校に緊張もあったけれど、素敵な出会いがあるとミアが教えてくれた。もう怖くはない。

 ミアに見送られて馬車に乗り込むと、ナディアは学院へと旅立った。




 王都の外れ、岸壁沿いに立っているのは森を含む広大な敷地を有している古城。


「ここが上流階級を初め、優秀な魔術師たちが集まって四年通うことになる、名門中の名門――ブリックベル王立学院だ」


 首が痛くなりそうなほど高い学院の門を見上げ、ぽけーっとしてしまう。

 もう授業が始まっている時間だからか、辺りに生徒の気配はない。

 ルードは、ここまでついてきたスアたちを振り返る。


「お前たちは、そのままだと目立つ。どうにか姿を隠せないのか?」


「はいはい」


 そう言って、スアはフレちゃんやライシュたちと同じ手のひらサイズになり、ナディアのそばにやってくる。


「リトルティターニア、いつになく生き生きしてるきみを見ていると私も嬉しい。思う存分、楽しむんだよ」


「うん! ありがとう」


 肩に乗った彼らに頬を擦り寄せたあと、ナディアは門に向き直る。


「行くぞ」


 先に歩き出したルードのあとをついていく。門と建物の間はレンガ造りの中庭になっていて、ベンチも置かれている。


「うわーっ、ここで食べるご飯はおいしいだろうなー。ねえ、ルード、お昼に一緒にここで食べようよ!」


「食べない」


 ばっさりとナディアの誘いを断り、ルードは歩いていってしまう。


(つれないなー)


 苦笑いしながらあとを追い、森を背にした建物の前までやってきた。両開きの大扉から中に入ると、円形の玄関ホールがあった。


「すごい! 高い!」


 中心が吹き抜けになっていて、何層もフロアがあるのだとわかる。


「観光しに来たんじゃないんだぞ。教室に辿り着くまでに日が暮れる」


「はーい」


 彼に続いて中央の階段を上がっていけば、壁に絵画が飾られていた。


「うわーっ、ルード、ルード! これは⁉」


 自画像を指さしながら、彼を呼び止める。


「それは歴代校長の自画像……って、頼むから歩いてくれ……」


 ルードは手すりに掴まって項垂れた。やがて自棄になったのか、こちらに歩いてきた彼はナディアの腕を掴む。


「うろちょろするな。前だけ見てろ。でないと首輪をつけるぞ」


 手を引いて歩き出すルードに、ナディアは「ぶはっ」と笑った。すると怪訝そうにルードが振り向く。


「……なんで笑う」


「だって首輪って! いくら王子でも、女の子にしたら捕まるからね!」


「……っ、物の例えだ!」


 みるみる顔を真っ赤にして怒るルード。一見堅物そうだが、ルードはからかうと面白い。一緒にいて、まったく飽きなかった。




「今日からこのクラスに入るナディアです! よろしくお願いします!」


 教室にやってきて、皆の前で自己紹介すると、城でもそうだったようにざわめきが起こった。


「妖精を連れてるぞ!」


「見て、あの鱗」


「俺、父様から聞いたんだけど、ホワイトドラゴンを身体に封印した女の子が学院に入学するって」


「えっ、じゃあ、あの子が妖精女王に育てられたっていう……?」


 話すまでもなく知られている。きっと、一部始終を見ていた城の人間から漏れたのだろう。


「ごめんなさいね。あなたはいろいろと注目を浴びやすいと思うけど、初めだけだから」


 申し訳なさそうに小声で話しかけてきたのは、眼鏡をかけた三十代くらいの女性だ。ブラウンの髪を団子にまとめ、教師の制服なのか魔女がつけていそうなとんがり帽子をかぶっている。ロングワンピースの上に長いローブを校章のブローチで留めて羽織り、足元のブーツに至るまで、すべて黒に統一されていた。


「私はスフレ・ハンリッチ。これからする妖精学の教師よ。ナディア、あなたはルードの隣に座って」


「はい、先生!」


 両手を挙げて返事をすると、スフレは目をぱちくりとしたあと、「元気でいいわね」とにっこりと笑う。


(優しそうな先生でよかった)


 クラスメイトのほうは珍獣を観察するかのような視線を向けてくるが、ルードもいるし、そんなに心配ないだろう。

 ふたりでひと席になっている机の合間を進んでいると、ついさっき見たようなミントグリーンの瞳と緩く結んだ長髪の青年がいる。歳は十八かそこらだろう。

 そのとき、どこからかひときわ粘着質な視線を感じて振り返る。

 襟足の辺りで切り揃えられたゆるふわなヴァイオレットの髪と瞳の青年が、恍惚の表情でこちらを見ていた。


(???)


 頭にクエスチョンマークがいくつも浮かぶ。心なしか、スアと同じ匂いがして、ひとまずなかったことにしてルードの隣に腰掛けた。


「それでは授業を始めます」


 教壇に立つスフレの一声に、ナディアはうずうずして「はーい!」と返事をした。

 すると、クラスメイトに「子供かよ」とくすくす笑われる。


「なんですの? 品のない」


 悪態をついたのは、一番後ろの席の女生徒だ。ナディアよりひとつかふたつ、年上に見える。瞳と同じ薔薇色の髪をポニーテールにしていて、気が強そうだ。

 教室は教壇のほうへ向かって下り坂になっているので、目尻がつり上がった猫目で見降ろされると迫力満点だ。

 けれど笑われようと呆れられようと、心のままに楽しむと決めているので気にしない。それに、容姿だけでいえばここにいる生徒たちのほうがよほど色鮮やかな色をお持ちだ。赤毛に悩んでいた自分が可笑しく思える。


「おい、じっとしていろ」


 小声でルードに叱られたが、それすらも学生っぽいことしてるなあと感動してしまう。

 ナディアは隣を見てにっと笑い、声を潜めて「はーい」と返す。すると、ルードの頬の血色が急によくなった。


「皆さん、妖精は今や私たちの生活に必要不可欠な存在となっています。具体的にはどのように私たちの力になってくれているか、答えられる人はいますか?」


「ネイレーン。航海のコンパスとして迷える船乗りや漁師を助けています」


 静かに答えたのは、ルードだった。


「それから、ノッカーは鉱山に棲む妖精で、金を掘っています。コンコンとノックするみたいに岩肌を叩く音を立てるので、その方角へ行けば金をとれる」


 ナディアがもともといた世界と妖精国、そしてこのフリートメルンがある人間の世界。妖精は世界によって、様々な呼ばれ方をしている。ノッカーはどうやら、世界共通でそう呼ばれているらしい。

 その姿は人間の鉱夫の服装をした小さな妖精で、ノッカーを含め妖精国で大半の妖精に会ったが、この世界にしかいない妖精もきっといるのだろう。会うのが楽しみだ。


「補足をすると」


 先ほどの薔薇色の髪の女生徒が自信たっぷりに口を挟む。


「ノッカーは私生活を覗かれるのを嫌っているので、見られると逃げますわ。その隙に金を奪うことができる」


 一瞬、彼女がなにを言っているのかわからなかった。


「近づいたら逃げてしまうので、契約精霊にするのは難しいですが、鉱夫たちの大事な働き手ですわ」


 ノッカーは基本、自分たちのために錫や金などを掘っている。それを奪うだなんて、ただの窃盗だ。彼らは稀にだが、気前の良い者は人間の鉱夫にも在処を伝えてくれる。

 ティターニアが心配していた通りだった。


(妖精は人間にとって、ただの道具なんだ……)


 妖精が隣人で友人だってこと、もう人間はすっかり忘れてしまっている。

 いや、違う。そう思ってくれていた人間は、寿命が尽きてもういないのだ。子や孫に語り聞かせても、いつかは褪せる。けれど妖精たちは、マナさえ尽きなければ永遠の命を持つから、ずっとそのときの気持ちを忘れない。


(マザーティターニア、私はどうすればいいのかな。どうすれば、妖精たちが隣人で友達なんだってことを、この世界の人間たちに伝えられるんだろう)


 楽しみにしていた学院で、初めて妖精たちの置かれている現状を知り、少しだけ気持ちが沈む。

 すると、すうっと目の前に開いた帳面が差し出された。ルードが指でとんとんと叩いた場所には【なにに撃沈している】と書かれている。

 意味がわからなくて彼を見ると、帳面を使って【顔が死んでいる】と言われた。


(顔が死んでるって……言い方!)


 ナディアは小さく吹き出し、口パクで『ひどーい』と抗議したが、頬はもう緩みまくっているだろう。


「笑ったり落ち込んだり、忙しいやつだな」


 ルードはぶっきらぼうに呟いたが、気にかけてくれたことには変わりない。沈んでいた心が少しだけ浮き上がった。


「アミル、皆の机に妖精たちを運んでくれる?」


 スフレに頼まれた男子生徒が「あ、はい」と答えて席を立つ。


(アミル?)


 そう呼ばれたのは、先ほど見覚えがあるなと思っていたミントグリーンの髪と瞳の男子生徒だ。彼は生徒たちの机に檻を置いていくと、ついにナディアとルードのところへ来た。その瞬間、答えの尾を掴む。


「ズバリ! アミル・ハリソン!」


 彼を指さして、どうだどうだと答えを待つ。彼はぎょっとしたあと――。


「えっ、えと、あの、え? なんで俺の名前知ってるの?」


 妹によく似た反応が返ってきた。


「初めまして! 今日、ミアと生き別れの姉妹になったナディアです!」


「ええ⁉ 俺、なにも聞いてないよ、父さん、母さん!」


 浮気? 余所でこしらえた子なのか⁉ とひとりで混乱しているアミルに、クラスメイトたちの『なんでそうなる……』という視線が一気に注がれる。


「ミアは彼女のメイドだ」


 それで事態を呑み込めたのか、「ああ!」と謎が解けたというう顔になる。だがすぐに、その目が驚きに見開かれた。


「え、じゃああなたが……」


 彼の言いたいことがわからず、首を傾げていると、代わりにルードが答える。


「このことは内密に。いずれバレるだろうが、公式発表前だ」


「あ、わ、わかりました」


 ふたりはミアがメイドをしているからか、それなりに交流があるようだ。


「ええと、じゃあ、ふたりの妖精をここに置きますね」


 彼は檻を机に置くと、自分の席へ戻っていく。

 檻の中にいたのは、ピンク色の髪と瞳、そしてユリのような形をしたドレスを着た小妖精だ。


「スプリング・エフェメラルだ!」


 すやすやと眠っている彼女を起こさないように小声で叫ぶ。

 春の妖精である彼女は、今の時期しか見られない。それ以外の季節では蕾となって木々に宿り、眠って春を待つ。

 妖精国には四季がなく、代わりに北は寒い、南は熱い、西は涼しい、東は温かいという様々な気候が同時に存在していた。ナディアはその中心部に住んでいたので、年中過ごしやすかった。

 けれど人間の世界では夏が近い。スプリング・エフェメラルの眠気は強くなっているはずだ。


「温室のスプリング・エフェメラルが眠る大樹の世話は、アミルがしている」


「そうなんだ。じゃあ、温室に行けば、あなたの仲間にたくさん会えるのね」


 頬杖をついて、檻越しに指を入れると、その小さな頭を撫でる。すると気持ちよさそうに「むにゃ」と寝言をこぼしながら微笑んでいた。


「スプリング・エフェメラルは春の終わりに、こうして眠っていることが多いです。この時期なら警戒心も薄れていて、眠っている間に使役できるでしょう」


 スフレは黒板にチョークを走らせる。


「反対に完全に目が覚めているときは、彼らの花粉で身体がしびれてしまうので注意が必要です」


 そうなのだ。スプリング・エフェメラルはスカンクのように、ユリのドレスの中から花粉を放出し、敵を痺れさせている間に逃げる。温厚な性格なので、よほどのことがない限り襲ってはこない。


「また、完全に眠りに入ってしまうと、彼らは身を守るために蕾になってしまいます。その強度はダイヤモンドのように固く、あらゆる魔術を跳ね除けてしまうので、使役ができません」


 そう言ってチョークを置くと、スフレは水晶のような石を生徒たちに見せる。


「妖精を使役するには、この魔封石まふうせきを使います」


「魔封石?」


 首を傾げるナディアに、皆が「知らないのか?」「子供でも知ってる常識だぞ」と驚いている。つい数時間前まで妖精国で暮らしていたのだから、ナディアにこの国の常識がわかるわけがない。


「ナディア、魔封石は妖精の力を制御する魔石なんです。この魔石に魔力をこめて妖精の身体につけると、真名が浮かび上がります」


 スフレは眠っているスプリング・エフェメラルに魔封石を触れさせる。魔封石はピンク色に光り、宙に【سفيراスフェラ】と文字が浮かび上がった。


 異世界の文字はティターニアやスアが教えてくれたから読める。


(まさかこんな方法で、妖精の真名を……。妖精にとって、真名を明かす行為は神聖なものなのに……)


 教えてくれたスフレには悪いが、やっぱり腹立たしい。


「トゥ・スフェラ……リエ・コントラ!」


 真名を呼ばれたスプリング・エフェメラルは、かっと目を開く。

 スフレが翳した杖の先から放たれたオレンジ色の光が四つのダイヤの結晶のような形になり、その鋭利な先端を一斉にスフェラへと向けて飛んでいく。

 そして、その首を囲うと光る輪へと変わった。スフレは手を上に挙げ、薬指にはまっているオレンジ色の光る指輪を生徒たちに見せる。


「首輪とこのリングは契約者の判別がしやすいように、魔術師の魔力の色を反映していて――って、駄目よ! 触っちゃ!」


 スフレは、はめられた首輪を外そうとするスフェラを止める。だが、少し遅かった。バチンッと電流が走ったような音がして、スフェラは痛みに顔を歪め、すぐに首輪から手を離す。


(なにあれ……)


 首輪を外そうとすると、発動する仕組みなのだろうか。


「この首輪は契約者の許可なしには外せない仕組みになっています。ごめんなさいね、痛かったでしょう」


 スフレは「リベレイション!」と言って杖を横に薙ぐと、首輪がパリンッと砕けた。それと同時にスフレの指輪も消え、契約が解除されたのだとわかる。


「どうして、首輪に繋ぐ必要があるのんですか? 痛いし可哀そう。力を貸してって、そう頼めばいいのに」


 スフレに問うナディアに、クラスメイトたちは「子供じゃあるまいし、お願いするって……」と呆れ混じりに笑われる。


「そうしないと、妖精の力を使えないからです。協力的な妖精ばかりではないから……」


 子供に言い聞かせるように、スフレは言うが、ナディアは知っているのだ。そんなことをしなくても、困ったときには手を貸して、お礼をして、そういう当たり前のことを忘れなければ、妖精たちとはよき隣人、生涯の友や家族にもなれることを。


「まるで道具みたい」


 そう呟いて座ると、隣から物言いたげなルードの視線を感じた。

 微妙な空気が流れ、気を取り直すようにスフレが言う。


「じゃ、じゃあ、実際に妖精を使役してみましょうか。そうですね、お手本を誰かに見せてもらいたいのだけれど……」


「それなら、ルード殿下がよろしいかと思いますわ」


 スフレの言葉を遮ったのは、先ほどの薔薇色の髪と瞳の女生徒だ。


「アンジュ・ポシュレ―……」


 恨めしそうに呟いたルードは、後ろの席の彼女を鋭く見上げる。アンジュというのは、彼女の名前らしい。


「ルード、知り合い? なんだか妬けちゃうなー」


「真顔でよく言う。腐れ縁だ。従兄弟の公爵令嬢で、お前との縁談が上がるまで婚約者だった」


「え!」


「やたら俺に突っかかってくる」


「そうなんだ……」


 思い当たる節があるとすると、これだ。ナディアと結婚したということは、彼女は婚約を破棄されたということになるから、恥をかいた……とか。

 こそこそとルードと話していると、「で、やるんですの?」と威圧的な笑みを浮かべながらアンジュが急かしてくる。


「ルード、どうでしょう。代表してやってみますか?」


 渋い面持ちで「はい……」と返事をするルード。今日出会ったばかりだが、自信なさげな彼をらしくないと思ってしまう。

 そのとき、ひそひそ話が聞こえてきた。


「確かにルード殿下は優等生だけど、魔術のほうは……な」


「優等生だけど劣等生、だもんな」


「ちょっとやめなよ、聞こえるよ!」


 止めた女生徒も笑いを堪えている。詳しくはわからないが、ルードは魔術が苦手なのだろうか。


 ルードは隣で俯いている。その悔しそうな横顔を見ていたら、嫌な過去が蘇った。


『ナディアちゃん、また嘘ついた』


『妖精なんているわけないのに』


 馬鹿にされたり、冷たい目で見られる虚しさを知っている。


(優しい妖精たちに守られていたから、忘れてた。人間ってこういう生き物だった)


 異世界ならなにか変わるかな、とも期待していたのだが、魔術が使えるくらいの違いしかないのかもしれない。むしろ暴力の手段が増えただけ、こっちの世界のほうが残酷なのかもしれない。

 そんなことを考えていると、隣でルードが呟く。


「お前も、魔術がからっきしな俺を情けないと思うか」


「え?」


「俺、あのホワイトドラゴンの一件のあとから、なんでかマナを身体に溜め込めなくなったんだ。だから、マナを集めることはできても――」


 杖の代わりなのか、彼は左手で剣柄に触れて右手にマナを集める。そうして形になった魔力は、彼らしい青色だった。

 だが、すぐにふわっと空気に溶けるように消えてしまう。


「王族は誰よりも強い魔力を持って生まれる。だが俺はもう、こんなふうにずっとは魔力を留めておけない。使える魔術も初級のものだけだ」


 寂しげな目で自分の手を見つめている彼に、自分の過去が重なる。


「思わないよ、情けないなんて」


 ルードの手を握れば、「いっ」と変な悲鳴をあげて身体を固くした。


「な、慰めはいらな……」


「違うよ。妖精を無理やり従えるような力を誇られるより、ずっといい」


 真面目に答えると、ルードは気圧されたように目を見張る。


「あとね、魔術が駄目でも魔法がある。妖精は無理に首輪に繋がなくても、力を貸してくれるんだよ」


「は……? 魔法使いなんて、とっくの昔にいなくなっただろ」


「それは妖精と対話しようって人がいなくなっちゃったからでしょ。でも私、思うんだ。術式とか、決まりきったもので発動する力より、誰かと心を通わせて生まれる奇跡が見たいって」


 ルードが息を呑んだ。そのとき、「うーん」と声がした。檻の中を見れば、スプリング・エフェメラルが目をこすりながらあくびをしている。


「おはよう。ええと……シルフィでいいかな」


 ナディアにはすべての妖精の真名がわかる。彼女の真名はシルフィエールだが、それを他の人間に知られれば、先ほどのスフェラのように使役されてしまうので、短縮した名で呼んだ。


「なんと! お初にお目にかかります、リトルティターニア」


 ユリのドレスの裾を摘み、シルフィは可愛らしくお辞儀をする。

 妖精はナディアが妖精女王であることを本能で理解するのだと、ティターニアから教わった。


「おい、なんでそいつの名前を知ってるんだ?」


 驚いているルードを、シルフィが不思議そうに見上げた。


「それは、リトルティターニアだからですよ」


「そうそう」


 意気投合するナディアたちに、ルードは「全然わからん」と白けた目をしている。


「ねえ、シルフィ。ちょっと力を貸してほしいんだ」


「なんでしょう、リトルティターニア」


 にこにこと待っているシルフィに、どうにも癒されてしまう。

 ナディアは檻の扉を開け、彼女に顔を近づけた。


「ここだけの話なんだけど、この人、私の旦那様なのね」


「なんと! リトルティターニアのプリンスであらせられましたか!」


 ふたりで、ひそひそと話していると――。


「おいっ、聞こえるだろ!」


 ルードも生徒たちを気にしながら小声で言い、檻に顔を寄せた。


「交渉を円滑に進めるためだよ!」


 それでね、とナディアはシルフィに向き直る。


「彼のお願いをひとつ叶えてほしいの。報酬は彼のマナ。あなたは春の妖精だから、そうだなあ……春の花を見せてほしいな」


「お安いごようです、リトルティターニア。いえ……リトルプリンス」


 依頼主がルードであると思い出したのか、シルフィは彼に向き直った。


「あ……」


 困惑の表情を向けてくるルードに頷いてみせる。


「ええと、じゃあ……花を見せてほしい。俺の味気ないマナでよければ、だが……」


「ふふ、私に命令しない人間は初めて見ました。はい、喜んで」


 すっと手を伸ばす妖精に、またも助けを求めるように見てくるルード。ナディアはふたりの手を掴んで引き合わせる。


「森のゆりかごで生まれし同胞よ――、続けて?」


「あ、ああ。森のゆりかごで生まれし……同胞よ」


 触れ合ったところから青色のマナがシルフィへと流れていく。そして、シルフィの身体がピンク色に輝きだした。


「汝らの……そうだな、リトルプリンスが命ず」


「汝らのリトルプリンスが命ず」


 シルフィがドレスを広げながら、宙へと浮く。


「春の花を咲かせよ!」


 すぐに勝手を理解したルードと声が重なった。その瞬間――。


「リトルティターニアと、プリンスの仰せのままに」


 彼女のドレスの裾から剥がれた光が花びらとなり、ぱあっと教室中に花を舞わせた。「わあっ」とクラスメイトたちは、その幻想的な光景に目を奪われていた。


「俺……本当に魔法を?」


 ルードは感極まった様子で、自分の手のひらを見つめている。先ほどの寂しげな表情は、もうそこにはない。


「ふたりの魔法がみんなを笑顔にしたんだよ」


「これが奇跡……か」


 感慨深そうにクラスメイトたちを眺めていたルードは、そばにやってきたシルフィを手のひらに乗せた。


「感謝する、シルフィ」


「どういたしまして!」


 可愛らしい笑顔につられてか、ルードの目元も和らぐ。


「魔法か……」


「私、初めて見た……」


「これを、あのルード殿下が……」


 クラスメイトたちの視線を集めたルードは、ごくりと唾を飲み込む。


「すごいです! さすがはルード殿下!」


 アミルの一声を皮切りに、皆が歓声と拍手をルードに贈った。

  スフレも「まさか、生きているうちに魔法を見られるなんて」と目尻の涙を拭っている。後ろの席のアンジュだけは、つまらなそうにしていたが。

 ルードは信じられないという顔で、しばらくぽかんとしていた。だが、徐々に自分を取り巻く環境が変わったことを実感し始めたのだろう。


「……いや、俺は……」


 照れ臭そうにそっぽを向く。褒められるのには慣れていないらしい。

 ナディアはスアやシルフィたちと顔を見合わせ、くすっと笑うのだった。




 昼休み、ナディアは学院の中庭のベンチで食堂で買った生ハムサンドを食べていた。


「おいひい! 人間の世界って、本当においひいほほははひはへ!」


「……食べてから喋らないか」


 ごくっと口に入っていた生ハムサンドを飲み込むと、前のめりで言い直す。


「人間の世界って、美味しいものばっかりだね!」


「お前も人間だろ……」


「今は半分妖精になったけどね」


「あ……悪かった」


 ルードはナディアが半ドラゴンになった経緯を知っているので、申し訳なさそうに視線を逸らした。


「お前は王族の失態の尻拭いをさせられた被害者みたいなものなのに、失言だった」


 まさか謝られるとは。ナディアが驚いていると、スアが小さなカモシカの姿のまま、ふよふよとルードの前まで飛んでいく。


「悪いと思ってるなら、私のリトルティターニアをもっと敬うことだ」


 腕を組んで偉そうにしているスアを、ルードは半目で見る。


「そういえば、お前の名前を聞いていなかったな」


「あなたに名乗る名などありません。妖精にとって名を教えるというのは、とても神聖な行為で――」


 顎をつんと上げて、頑なに名乗ろうとしないスア。ナディアは彼の言葉を遮るように「スアだよ!」と教えてあげる。


「リトルティターニア!」


「いいじゃない、ニックネームなら。そうやってお高く留まってると、いつまで経っても仲良くなれないでしょ」


 変わっていく人間とは違い、変わらない妖精はいい意味でも悪い意味でもしきたりを大事にしすぎているのかもしれない。真名は仕方ないにしても、愛称くらいなら教えても支障はないのに。


「……まあ、一度はぞんざいに断ったリトルティターニアの誘いを受けたことだけは、褒めてやってもいいか」


 そうなのだ。学院に来てすぐに中庭でのランチを提案したときは却下したのに、ルードは授業が終わったあと、急に『行くぞ』と言ってナディアをここへ連れてきたのだ。


「魔法の礼だ。あの感覚……二年ぶりに興奮した」


 瞳を輝かせながら、自分の手を見つめていた彼は、ふいに真剣な表情でこちらを向く。


「魔法を俺に教えてくれないか」


「はむっ、いいよー」


 生ハムサンドを頬張りながら即答すると、全員が「軽っ」と突っ込んできた。


「もっと出し惜しみしなくていいのか?」


 若干呆れ気味に問いかけてくる彼に返事をするため、生ハムサンドを飲み込む。


「出し惜しみ? なんで?」


「なんでって……皆、人より優れた人間になりたいものだろ? けど、お前の他に魔法使いが増えたら、魔法使い自体が特別な存在じゃなくなるんだぞ」


「数が増えたら、特別じゃなくなる……つまり、Win-Win?」


 皆が顔を揃えて「は?」と首を傾げた。


「それって、魔法が浸透したら、妖精たちはあんな首輪に縛られなくて済むってことだよね?」


「ま、まあ……そうなるだろうが、理想も理想だぞ」


「え……」


「そもそも妖精の反乱を抑えるために、国王が魔封石を庶民でも頑張れば買える値段まで下げたんだ。この二年で、民にまで妖精は人間たちの労働力として認知されている」


 それを聞いたスアは、地を這うような声で言う。


「……なるほど。その腐りきった考えを改めるのは確かに途方もない時間がかかるな。こんな世界、あのとき滅んでいればよかったんだ」


 今回ばかりはスアを諫められない。人間と妖精のハーフであるナディアとは違い、彼らは生粋の妖精だ。自分と違う種族というだけでも受け入れられないのに、なおかつ同胞が虐げられているともなれば怒りもわく。

 ナディアは生ハムサンドをバクバクと一気に平らげると、「よいしょっ」というかけ声とともに立ち上がる。


「ルード」


「……? なんだ」


 目の前に立ったナディアを、ルードは訝しむように見上げる。


「あのね、私は学院に入りたくて、あなたと結婚した。でも、それだけじゃないよ」


 真剣な話をしていると伝わったからか、彼は学院で結婚の話を持ち出したことを怒りはしなかった。


「私は妖精国にいる妖精女王の対なの。そして、この世界にいる妖精たちのために私は存在してる。だから夢物語でも、一方的な命令じゃなくて、妖精たちも納得した上で人間に力を貸す。ご近所さん同士、助け合える世界にしたいって思う」


 学院に来て数時間で、ナディアは妖精が人間にどう見られているのか、魔封石が妖精の自由を一方的に奪っている現実、そして魔封石がホワイトドラゴンを無理やり使役した一件で妖精が反乱を起こすかもしれないと案じたのが理由で作られたことを知った。この真実から目を逸らしてはいけないと思う。


「ルードは? ルードは、なんのために魔法使いになりたいの?」


「俺は……」


 ルードは考えるように下を向く。


「国王のしたことを否定はできない。あのときは、敵国と対等に渡り合うための力が必要だったからな」


 敵国が先に妖精を戦争の道具にしたのは知っている。同じように妖精を使おうと考えた人間を理解はできないけれど、安全な妖精国にいた自分には戦争真っ只中にいた人間の気持ちを本当の意味でわかるわけではないから、簡単に責めることもできない。


「ただ、ティターニアとお前が命がけでホワイトドラゴンを封印してくれたあの日のことを忘れたことはない」


 両親に抱きしめられていた、まだ少年だったルードの姿が蘇る。


「俺たち王族が犯した罪の尻拭いを無関係のお前たちにさせたこと、助け合ってきた妖精との関係を変えてしまったこと、その責任を果たさなくてはと思っていた」


 そこでルードは「だが……」と拳を握り締めた。


「俺はろくな魔術が使えず、次期国王としての資質についても疑問視されている。どんなに座学や剣術、その他のことでいい成績を収めようと、魔術が使えない欠点を補うことはできない」


 ルードは欠点を補うためにたくさん努力してきたのだろう。それでも、魔術が使えるかどうかで王族の未来すら左右してしまうのがこの世界――。


「自分にできることを、ずっと探していた」


「それがリトルティターニアとの結婚か?」


 ルードは苦笑しながらスアを見上げ、首を横に振った。


「いや、そっちは他にも個人的な理由が……」


 言い淀んだルードはこほんっと咳払いをして、ナディアに視線を移す。


「ともかく、国王が魔封石を普及させたことで変わってしまった妖精との関係を変えなければと思っているのは俺も同じだ。だから、その手段が魔封石に変わる魔法の普及だというのなら、まずは俺を魔法使いにしてくれ」


「ルード……」


「俺たちの結婚は、妖精と人間の平和の象徴でもあるからな。俺が魔法使いになれれば、妖精と良好な関係を築けるという証明になるだろ」


「……っ、ルード!」


 嬉しさのあまり目の前の彼に抱き着くと、ルードは「お、おいっ」と声を裏返させる。


「ありがとう! ルードが魔法を使ったとき、妖精と人間の未来にはまだ希望があるって思えたんだ! だから、ありがとう!」


「わ、わかったから離れろ! 周りの生徒とお前の妖精たちの視線が痛い!」


 ルードの肩に掴まれて、べりっと引き剝がされたとき――。

 ドオォォォンッと大きな音がして、遠くで砂埃が舞い上がっているのが見える。


「なんだ⁉」


「温室のほうでなにかあったみたいだぞ!」


 生徒たちの声が聞こえて、ルードが立ち上がった。


「確かスプリング・エフェメラルを帰しに、アミルが温室に行ったはずだ」


「そういえば!」


 授業終わりに、スフレに頼まれていた気がする。


「い、行こう!」


 ルードの手を掴んで駆け出す。


「わかったから、手を掴むな!」


 後ろで情けない叫び声が響き渡った。




「生き別れの兄! いる⁉」


 ガラスと鉄骨で造られた宮殿のような温室に飛び込む。


「その呼びかけは、どうかと……思う……ぞ……」


 ルードが温室内を見渡して言葉を切った。

 天井や壁は半壊し、吐き出す息が白くなるほど寒い。しかも、氷柱でできた衣装を着ている巨大な雪だるまがケタケタと笑っている。


「なっ……」


 ルードが絶句している。温室のガラスを見ると霜柱が付いており、雪だるまは笑い声をあげながら冷気を振りまく。


「さ、さぶっ」


 自分の身体を抱きしめると、温室の中央にある大樹の葉が枯れ始めた。ぱらぱらと、茶色に変わった葉が落ちていく。


「駄目、だ……」


 呻くような声が聞こえて、大樹の根の近くへ視線を移すと、アミルがうつ伏せに倒れていた。


「アミル!」


「大樹の蕾には、すでに完全な眠りに入った……スプリング・エフェメラルがいます。こんなふうに大樹が凍ってしまっては、スプリング・エフェメラルたちが死んでしまう」


 確かに蕾が凍ったり、彼らにとって食事のようなものであるマナを宿した大樹が枯れてしまえば彼女たちは眠ったまま餓死してしまう。


「助けに行かないと!」


 駈け出そうとすると、ルードの腕がそれを遮った。


「俺が行く。お前は動くな」


 抜いた剣に、ルードが魔力を宿らせる。


「エペ・ジュレ・ドゥヴネ!」


 魔術を使ったのか、ルードの剣が氷の剣へと変わる。


「ルード、それ……」


「氷属性の魔法付与だ」


 スアの授業で魔術には属性があると聞いていたが、ルードは氷属性らしい。


「身体がかじかんで動かなくなる前に、方をつける!」


 勢いよく地面を蹴り、アミルのもとへと向かうルード。だが、簡単に行かせる気はないのか、楽しげに笑いながら無数の氷柱を飛ばす雪だるま。

 ルードは一息のうちに、それらすべて剣で弾いた。氷柱は地面にぶつかると、氷の蜘蛛の巣のようなものを張る。

 けれど、ルードの剣は凍らない。もともと氷属性の彼には、むしろ相性がいいのだ。剣の煌めきが増し、強度が上がっているように見える。


「平気か、アミル」


 なんとかアミルのそばへ辿り着いたルードは、片膝をついた。


「は、はい……俺は寒さにやられて眠りそうになってただけなので……」


「いや、眠ったらまずいだろ。とにかく立て。あの妖精から距離をとる」


「ありがとう……ございます」


 ルードは、アミルの腕を支えて立たせた。

 けれど、いくらなんでも、アミルを庇いながら逃げるのは無理だ。


(私がなんとかしないと……)


 雪だるまを見たまま、ナディアは肩に乗っている妖精たちに話しかける。


「あれ、ジャックフロストだよね」


 ジャックフロストは悪戯好きで、一度怒らせると笑いながら人間を凍らせる恐ろしい妖精だ。


 スアはガラス窓のほうを向く。


「至る所に霜柱が付いてるから、間違いないだろうね」


 ジャックフロストが触れたところには霜柱がつくのだ。


「でも、変だよ、リトルティターニア」


 ライシュがぺちぺちと音を立てながら、ジャックフロストを見る。


「冬の間にしか現れない霜の妖精が、こんなところにいるなんて……」


「っ、それは……あそこに隠れてる、盗人のせいです!」


 アミルが指さした先には、荷車の陰に隠れている中年男性がいた。


「彼は肥料を届けに来ている行商人です。あの契約妖精を使って、眠ってるスプリング・エフェメラルを盗もうとしているところに、俺が遭遇してしまって……」


 スアが「だからか」と納得したふうに相槌を打つ。


「契約妖精は無理やり季節関係なく覚醒させられてる。それで気が立ってるんだろうね」


「ええっ、すごい笑ってたけど、あれで怒ってるの?」


「笑いながら怒っているんじゃないかな。とくにかくあいつは、サイコパスなんだよ」


 スアは、げんなりとしている。とんでもない妖精を行商人は契約妖精にしてしまったらしい。


「学院に出入りしている行商人なら、盗みに入っても怪しまれない。それにスプリング・エフェメラルは見目もいい。愛玩用として売るつもりだったんだろ」


 ルードに問い詰められ、「そ、それは……」と言い淀む行商人だが、その態度は肯定しているも同然だ。


(愛玩用……妖精の用途は武器や働き手としてだけではないんだ)


 嫌悪感を覚えながら、ナディアは怒りを堪えつつ腰に手を当てる。


「おい、行商人!」


 スアやフレちゃん、ライシュも一緒に怒りの表情を浮かべている。行商人は肩をびくっとさせ、「はひっ」と返事をした。


「自分の契約精霊から、どうして隠れてるの?」


「そ、それが魔力で縛ってもまったく止まらなくて……き、きっと露店で買った魔封石が壊れてたんだ!」


「いや、単純にお前の魔力があの妖精を使役できるだけなかったんだろ。中途半端に縛れば、妖精は凶暴化する」


 ルードは二年前の惨劇を思い出しているのか、その面持ちには深刻な色が現れていた。


「よりにもよって、ジャックフロストか……リトルティターニア、もしものときは真名を使ってでもを従わせるんだ」


「でも、私は……」


「妖精を縛りたくない気持ちはわかる。ただ、あれは無邪気なくせになかなかに残酷だ。あれが人間を襲えば、ますます妖精と人間の溝は深まるんじゃないのかな」


 スアに諭され、ナディアは一理あると思った。人間と同じで、話が通じる妖精ばかりじゃないのだ。笑いながら、ナディアたちを氷漬けにしようとしているジャックフロストを見て思い知る。


「きみの女王たる証と妖精たちを惹きつける豊富なマナで、誰が上なのか、それをわからせるのも女王の大事な役目だ」


 その言葉で目が覚めた。

 ティターニアは決して、優しいだけではなかった。いつだったか、昔過ぎて忘れていたけれど、確か妖精国に来たばかりの頃だ。ティターニアは森を燃やそうとしたフレちゃんと同じ、フレイムリザードを妖精国から追放したことがある。

 妖精たちが秩序を乱せば、容赦なく群れから追い出すし、その力を持って制御する。ただ、それは他の妖精に被害が出ると判断されたときの最終手段だった。


(今が、そのときなのかも……)


 このままでは、アミルが世話しているスプリング・エフェメラルも危ない。

 話をするためにも、まずは聞いてもらえる体勢を整えないとだ。


「よし! フレちゃん!」


 呼びかければ、すっとフレちゃんがそばに来る。

 フレちゃんは基本無口なのだが、今日は珍しく渋い声で応えた。


「リトルティターニアの仰せのままに」


「行くよ! 森のゆりかごで生まれし同胞よ!」


 魔力の高まりを感じたのか、ジャックフロストがどんっと地響きを起こしながらこちらに近づいてくる。

 そしてくわっと口を開くと、冷気を吐き出した。


「サルマン・ブークリエ!」


 そのとき、緑色の光が瞬いた。冷気を遮るように地面から生えてきた蔓の楯が目の前に現れる。

 植物属性の魔術を発動したのは、アミルのようだ。ナディアの杖のように魔術を操作しやすくする魔道具なのか、指輪をはめた手を前に突き出しながら、こちらを振り向いて叫ぶ。


「あまり持ちません! どうか、スプリング・エフェメラルたちを!」


 助けてくれと、強く訴えるように見据えてくるアミル。妖精のために必死になってくれる人間がまだいるのだとわかって、ほっとした。


「もちろん! 私は妖精たちのためにいるからね!」


 目の前でパリンッと、役目を終えた蔓の楯が砕ける。続けざまに襲ってくる氷柱を「はあっ!」と剣で薙ぎ払ったのはルードだ。


「アミル! ジャックフロストを拘束しろ!」


「わかりました! あまり持ちませんんので、手を打つならお早めに! ――サルマン・チェーン!」


 アミルが手に蔓を絡めさせ、ジャックフロストの身体をがんじがらめに縛る。だが、ジャックフロストの冷気に少しずつ凍りついていくのが見えた。


「俺がお前の楯になる! だからお前は、自分のやるべきことに集中しろ!」


 振り返りざまに声を張るルードは、お世辞抜きに――。


「……どうしよう。私の旦那様、めっちゃカッコイイ」


 本音を漏らすと、アミルやスアたちは少し呆れているように見えたが、勝手に口から出てしまったのだから仕方ない。

 ルードはというと、面白いくらいに赤面していた。


「……っ、ふざけてないで、早くやれ!」


「はい!  森のゆりかごで生まれし同胞よ!」


 詠唱中も容赦なく襲ってくる氷柱を縦に両断し、身体を回転させた遠心力を加えて今度は強烈な横切りをお見舞いするルード。落ちこぼれだとクラスメイトに笑われていたが、彼は決して弱くはない。むしろ魔術などおまけであるかのように、鍛え抜かれた剣術と肉体を武器に妖精と渡り合っている。


(生まれたときから魔術チートの王子より、ずっとカッコイイよ)


 欠点を補う努力を惜しまないルードを尊敬する。自分も負けてはいられないと、力が湧いてくるようだった。


「汝らのリトルティターニアが命ず!」


 炎の渦となったフレちゃんが杖にからみつく。それを大きく上に掲げ、ジャックフロストに向かって振り下ろした。


「かの者を熱せよ!」


 杖から放たれた炎がジャックフロストの腹部に直撃した。その冷気は熱気に掻き消え、ジャックフロストが溶けていくと、小さな雪だるま姿で地面に転がった。


「火加減、ナイスだったよ、フレちゃん! さすが、我が家の火起こし隊長!」


 炎からトカゲの姿に戻ったフレちゃんと頬を合わせる。それから、地面に転がったジャックフロストに近づき、その小さな身体を拾い上げた。


「わ、冷たい。ごめんね、きみに話を聞いてもらうためにはこうするしかなくて」


 ジャックフロストは苦しそうにうめいている。だが、もうナディアたちを傷つける気力が残っていないのか、ぐったりしていた。


「そ、そいつは俺のだ!」


 行商人が起き上がり、こちらにズカズカと近づいてこようとするが、すかさずルードとアミルが立ちはだかる。


「なっ、大金叩いて妖精市場で買ったんだ! 絶対に渡さないぞ!」


(妖精市場なんてものもあるんだ)


 こっちの世界に来てから、妖精の置かれている状況に関しては失望してばかりだ。


「こっちには契約が残ってるんだからな!」


 手の指輪を見せびらかしてくる行商人に、ルードもアミルも「くっ」と悔しそうにしている。


「さて、ジャックフロスト。あの人はああ言ってるけど、あなたはどうしたいの?」


 手のひらのジャックフロストに視線を落とす。


「……正直、そろそろ寝たいんだよね。冬以外の季節で動き回るのは、かなりマナを消費するんだ。もうヘトヘトだよ」


「不眠で働き続けてたようなものだもんね」


「そうそう。なのにあいつ、妖精使いが荒いんだ。だからイライラして、自分でもなにするかわからないよ」


 あんなふうに暴れていたのは、本人の悪戯好きの性格だけが原因ではなかったようだ。凶暴化の手前だったのかもしれない。


「妖精国に帰る?」


「……っ、帰れるの?」


 信じられないと言った顔でジャックフロストがナディアを見上げる。


「どこへ連れていく気だ! 契約がある以上、俺から離れることはできないぞ!」


 唾をまき散らしながら叫ぶ行商人に、ナディアはさすがにキレた。


「いい加減にしてくれるかな」


「なに?」


「妖精は所有物じゃないんだよね。そして、妖精が自由を望むのなら――私はリトルティターニアとして、この子たちを守る責任があるの」


 奮い立つ心に合わせて、身体が熱を持つ。マナが身体から溢れ出て、「っ、すごいマナの量だ……」とルードが目を見張った。


「――ジャクフロット、エンゲージ」


 なにをすべきか、女王の証が教えてくれる。契約を上書きするために彼の真名を呼ぶと、背にふわりと白い羽が生えた。


「妖精の……羽……?」


 呆けた様子でアミルが呟く。

 ナディアが左手を差し出せば、ジャクフロットはてこてこと近づき、その薬指に冷たいキスをする。


「リトルティターニアに敬愛を捧げます」


 その瞬間、パリンッとジャックフロストの首輪と行商人の指輪が砕けた。代わりにナディアの薬指には一瞬、氷柱を模したような指輪の文様が浮かび上がり、すっと消える。


「これであなたは自由だよ」


 そう言って笑い、マナを放散すると、羽も消えた。ジャックフロストは嬉しそうにケタケタケタと笑い、ナディアの手のひらの上で飛び跳ねる。


「くそっ、こっちはそいつの真名を知ってるんだ! また契約すれば――」


「なにを言ってるのかな」


 呆れたようにスアが口を挟む。


「我らが妖精女王とこのジャックフロストは、偽りの契約ではなく心からの契約――エンゲージしたんだ。その絆を上回る繋がりを、お前ごときが築けるとでも?」


「そう、私たちにとってリトルティターニアは特別」


 可愛らしい声が聞こえたかと思えば、大樹の蕾が次々と芽吹き、ピンク色の花を咲かせると、そこからスプリング・エフェメラルたちが出てくる。


「エンゲージしなくても、私たちの可愛いリトルティターニア」


「いつも心に在る気高いホワイトティターニア」


 スプリング・エフェメラルたちがナディアの周りに集まってくる。


「氷が解けて、起きてきたんだ!」


 アミルはスプリング・エフェラメルたちの無事がわかり、喜びの表情を浮かべる。


「お前に勝ち目はない。妖精を諦め、覚悟して縄にかかれ。自分から罪を告白すれば、罰もそこまで重くは……」


 ルードが説得するも、行商人は「冗談じゃない!」とその場から逃げようとした。しかし、ケケケケッと笑ったジャックフロストが口から冷気を吐き出す。


「うわあああっ」


 その冷気は見事に行商人を氷漬けにしてしまう。


「え、ちょっとジャックフロスト! 殺しちゃったの⁉」


「ケケケッ、ちょっと眠らせただけさ」


 ルードが氷像に近づく。顎に手を当てながら、腰を屈めて行商人の生死を確認しているようだ。


「見事な氷像だが、薄っすらマナを感じる。一応、生きているようだな」


 それを聞いたアミルも安堵したように肩の力を抜き、ナディアに向き直る。


「騒ぎを聞きつけて、そろそろ先生も来る頃だと思いますし、妖精たちを逃がすなら早いほうがいいのでは?」


「見逃してくれるの? 人間にとって妖精は道具みたいなものでしょ?」


「少なくとも俺にとっては違います。植物と同じように大事に育てて、守ってきた家族です。だからきみたちも……」


 アミルはそばに来たスプリング・エフェラメルたちを見上げる。


「故郷に帰りたいなら、行っていいんだよ」


 彼と見つめ合っていたスプリング・エフェラメルは、優しく目を細める。


「いいえ、アミル。あなたは私たちを守ろうとしてくれた」


「蕾の中で、ずっとあなたの声が聞こえてた」


「氷漬けにされそうになっても、蕾の上に覆いかぶさってくれた」


「その温もりが私たちの心を溶かしてくれた」


 スプリング・エフェラメルたちの声を聞きながら、アミルは瞳を涙で潤ませた。


「みんな……」


「あなたがいるなら、もう少しだけここにいるわ。だからまた、春に会いましょう」


 そう言って大樹のほうへ飛んでいき、蕾へと戻っていくスプリング・エフェラメルたちに、アミルは小さな声で言う。


「うん、おやすみ。また春に会おう」




 スアにジャックフロストを妖精国まで遅らせている間、ナディアたちは夕暮れの中庭にいた。


「あの行商人も無事に先生たちに捕まったし、一件落着だね! これはもう、飲むしかないでしょ!」


 就寝の二時間前までやっている食堂で頼んだぶどうジュースを、それっぽく木樽ジョッキに入れてもらい、三人で乾杯する。

 ごくごく飲んで、「ぷはーっ」とそれっぽく言ってみれば爽快感が増した。


「お前はおやじか」


 そういうルードは上品にぶどうジュースを呑んでいる。なんでかジョッキがワイングラスに見えてきた。


「今日は濃い一日だった……」


 疲れた様子でルードが言うと、アミルは「そうですね」と笑う。


「ふたりは息ぴったりでしたけど、いつから面識が?」


「今日会ったばかり」


 ルードと返事が重なった。


「え?」


 アミルはパチパチと瞬きをする。


「正確に言えば、二年前に一瞬だけ会っている」


「ああ! 殿下の初こ――」


 なにかを言いかけたアミルの顎をがしっと掴んだルードは、目を据わらせた。


「もっと飲め、アミル」


 じゃーっと、アミルの口にぶどうジュースが注ぎ込まれる。


「ごぼごぼごぼっ」


 口から紫色の液体を吐いているアミルを眺めながら、ナディアはフレちゃんとライシュにぶどうジュースをおすそ分けする。


「あれ、人間の世界で流行ってる遊びなのかな?」


 ふたりはなんとも言えない顔をしていた。


「げほっ、がはっ……死ぬかと思いました」


 口元を拭いながら、アミルはふと改まった様子でナディアの前に立つ。


「えと、妃殿下」


「ナディアでいいよー」


「いや、そういうわけには……」


 オロオロと狼狽えるところ、本当にミアにそっくりだ。


「だって、生き別れの兄だし」


 アミルは、ずさーっと後ずさる。


「やっぱり隠し子!」


「さっき違うと言っただろ」


 青ざめているアミルに、ルードは「このくだり、いつまで続くんだ」と呆れていた。


「心の兄よ、同級生なのに妃殿下はちょっと寂しいし、せめて名前で呼んでほしいんだけど。あと、敬語も綺麗さっぱり消し去ってほしい!」


「で、では……いや、うん、わかったよ。あ……ナディア」


 呼んでくれた喜びに、ばっと手を挙げる。


「はい! ナディアです!」


「はは、ナディア、いろいろありがとう」


「……?」


 なにが? と首を傾げる。


「妹と仲良くしてくれたことと、妖精たちを助けてくれたこと」


「それを言うなら……こちらこそありがとう」


「え?」


「人間と妖精はいい関係も築ける。それをアミルとスプリング・エフェラメルたちが見せてくれたでしょ。嬉しかった!」


 アミルは頬を微かに上気させて、ぼんやりとしていた。


「おーい、アミル? 聞いてる?」


 彼の顔の前で手を振ると、アミルは「はっ、ごめん!」と我に返る。


「でも、俺だけじゃないと思う。友達や家族だと思って妖精と一緒にいる人間もいるはずだよ」


「そうだよね……」


(妖精も同じなのかも)


 スプリング・エフェラメルは、望んでアミルのいる温室に残った。

 もっと、この世界の妖精や人に会って、たくさん話をして、その思いに触れなければならないのかもしれない。妖精や人の数だけ、いろんな価値観があるはずだから。


「うん、私、学院に来てよかった!」


「なんだ、いきなり」


 ルードは目を眇める。


「生き別れの兄弟姉妹にも会えたし、妖精たちのためにできることもどんどん見つかりそうだし、これも全部――」


 彼に向き直り、ナディアは満面の笑みを浮かべてジョッキを掲げた。


「あなたのおかげだよ、旦那様!」


「ああ……」


 ルードは懐かしむようにナディアを見つめ、なにかを呟く。


「……変わらないな」


 ナディアには聞き取れなかったが、ルードはぶどうジュースを一気飲みすると、手の甲で王子とは思えないほど荒っぽく口元を拭う。


「スタートラインに立ったくらいで浮かれるな。やることは山積みだぞ、ナディア」


 不敵に笑うルードは夕日に照らされていて、眩しい。とくりと高鳴る胸を押さえて、ナディアは首を傾げた。


(あれ……なんだろう、今の。むずむずするし、初めて呼ばれた名前が特別な響きをしていたような……)


 初めに抱いた彼の印象は、無愛想でなんでもそつなくこなす完璧な氷。

 でも今は自分にできることを成すために、欠点を補うために、人には決して見せないけれれど努力を惜しまない熱い氷炎のような人だと思う。

 ふと、ティターニアの「変化していくナディアが愛しい」という言葉を思い出した。その気持ちが少しだけわかる気がする。

 これから先、彼はどんなふうに変わっていくのだろう。それを見てみたいと思うくらいには、彼に興味がわいていた。


――――――――――――――――――

※コンテストの文字数の関係で、ここで一旦(完)となります。

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リトル・ティターニアの結婚 @toukouyou

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