一章 ティターニアの継承

「リトルティターニア!」


 枝を編み込んでできたゆりかごで眠っていたナディアは、窓から差し込む白い光と騒がしい声で覚醒した。

 目をこすりながら身体を起こし、ゆりかごから下りる。

 ウエストを絞らない肌着兼夜着であるシフトドレスの上から袖がないモスグリーンのワンピースを羽織ってリビングへ行き、窓の外を確認した。

 色とりどりの花を咲かせる大きな木からできたこのツリーハウスは泉の上に立っているのだが、鎌の尻尾を持つあのカモシカもどきが黒い霧を纏わせた四本の足で水の上を駆けてきた。

 やがてバンッと勢いよく扉を開け放ったカモシカもどきは、黒くて袖の長いドレスのような衣を着た灰色の長髪の男性へと変わっていた。

 見た目こそ二十二、三くらいの綺麗な顔立ちをした人間だが、『カーストアンティロープ』という呪いや疫病をもたらす妖精だ。


「十四歳の誕生日、おめでとう!」


 ナディアより頭ふたつぶんも大きい大人の男が、がばっと抱き着いてくる。


「ありがとう、スア」


 真名しんめいはスピアネル。妖精は真名を知られると人間に縛られてしまうため、愛称で呼び合うのが暗黙の了解だった。

 この世界に来たばかりの頃、ティターニアはナディアを連れて森を案内しながら妖精の世の決まり事を教えてくれた。

 人間の小さな隣人である妖精は生涯の主を見つけたとき、自身を支配し制御させることを許す契約をすることがある。妖精にとっては婚姻するのと同じくらい覚悟と信頼を要するものであることから、妖精の間ではエンゲージと呼ばれるのだそうだ。

 そのエンゲージに必要なのが真名だ。妖精にとって命に等しく大事なもので、皆、妖精女王の愛娘であるナディアには平然と名乗っているが、本来であれば特別なことなのだとティターニアは言っていた。


「ああ、私のリトルティターニアに名前を呼んでもらえるなんて、幸福に溺れてしまいそうだ」


(いつも呼んでるのに、大げさな)


 若干呆れつつも、その背をぽんぽんっと叩く。

 スアはこの妖精国へと繋がるフェアリーサークルへと、ナディアを誘った案内人でもある。だからか、この通りどの妖精よりもナディアにべったりだった。


「歳を取らない妖精とは違って、リトルティターニアは年々大きくなるからね。時の流れを感じさせてくれる季節のようだ」


 手すりに手を滑らせながら階段を下りてきたのは、妖精女王ティターニアだ。


「マザーティターニア、おはよう」


 妖精国に迷い込んで早くも四年、ナディアは今日まで彼女に育てられた。

 ナディアにとっては母のような存在で、ティターニアにとっても唯一の娘だと思われているからか、マザーと呼ぶことを許されているのは自分だけだ。


「おはよう、愛しい子。スアに先を越されてしまったが、誕生日おめでとう」


 ティターニアは、するりとナディアの頬に触れる。


「うんっ」


 思わずティターニアの腰に抱き着いた。


「おっと」


 ティターニアは驚きながらナディアを受け止め、嬉しそうに「ふふっ」と笑う。


「いつまでも子供なのは変わらないね?」


 頭を撫でられ、心地よさに瞼を閉じる。

 妖精国はどこにでもあって、どこにもない国。永遠に枯れない色とりどりの花や七色の蝶、濁らない泉や小川の流れる幻想的な森が際限なく広がっている。動物なのに人になれたり、空を飛べたり、不思議な力を持つ妖精たちが住んでいる。

 ナディアが憧れてやまなかったおとぎの世界。祖母が言っていた、ずっといたいと思える場所だった。


「朝ごはんにしよう」


 片腕でナディアを引き寄せたまま、ティターニアが杖を掲げる。

 ナディアたちが「えっ」と青ざめる中、彼女の杖が虹色の輝きと花の芳香を放った。天井や壁が四方に裂け、木の幹の中にあるリビングが外に露わになる。

 魔法だ。始めて見たときから、ナディアの胸をわくわくさせるもの。それをティターニアも知っているので、娘の目を楽しませるように使ってくれるのだ。


「さあ、シチューだよ。お食べ」


 いつのまにかミトンを手にはめ、鍋を抱えているティターニア。その顔は愛娘に手料理を振る舞える喜びに緩み切っている。


「あ、いや、ちょっと私は用事が……」


 踵を返そうとするスアの手をがしっと掴む。


「スア? 旅は道連れ世は情けってことわざ知ってる?」


 彼を見上げ、口から血を流す思いで笑顔を向ける。

 ティターニアたち妖精は食事を必要としない。人間を真似たり、味を楽しむ趣味として口にすることはあるらしいが、彼らを生かすのは自然や妖精女王から生み出されるマナと呼ばれる魔力の源なのだそうだ。


「ね、ねえ、マザーティターニア。なんでいつもみたいに私に任せてくれなかったの?」


 ティターニアの料理は、一口食べただけで全妖精に天国を見せる殺人料理なのだ。

 ナディアが妖精国に来た翌日に開かれた歓迎会で、ティターニアは見た目がおどろおどろしい馳走(?)を振舞った。

 妖精たちは見事にバタバタと倒れていった。もちろん、ただの人間であるナディアが食せば即死する未来しかないので、口に入れたふりをして地面に捨てた。

 あの惨状を昨日のことのように思い出し、今冷や汗と震えが止まらない。


「なぜって、リトルティターニアは生命維持のために食事をしなければならないだろう? それに、誕生日くらい手料理を食べさせてやりたいというのが親心というものだ」


 純度百パーセントの愛情。悪気はないので、どうにも心苦しいが、まだ死にたくないナディアはティターニアから鍋を奪い取った。


「ありがとう、マザーティターニア。親子共同作業ってことで、私にも殺人シチューこれにちょっと手を加えさせてもらってもいい?」


「親子共同作業か! いい響きだね」


 嬉しくて仕方ないという様子でニコニコしている彼女にほっと胸を撫で下ろし、キッチンへ向かう。


「マザーティターニア、人間の町はどうでした?」


 スアがティターニアの気を引いている間に、ナディアは殺人シチューを「ふんっ」と泉へと投げ捨てた。

 妖精国の泉や川には足が魚の尾になっている白馬――ホースフィッシュがおり、水を常に浄化してくれているので殺人シチュー不純物もすぐに分解してくれるだろう。

 かまどに鍋を置くと、ドラゴンの羽のようなものが生えた真っ赤な燃えない皮膚を持つトカゲがそばにやってくる。『フレイムリザード』という火の妖精で、ナディアはフレちゃんと呼んでいる。火が必要となる場所を嗅ぎつけ、寄ってくる我が家の火の元だ。

 フレちゃんはくわっと口を開けて火を吹き、かまどに火をつける。


「ありがとう」


 フレちゃんの頭を指で撫で、こっそりシチューを作り直していると、少し離れたところで向き合いながらダイニングテーブルの席についたティターニアとスアの話が聞こえてくる。


「物価が上がっていたよ。非常食として買い込む客が多くて品薄なのだろうね」


 生命維持のために食事が必要なナディアのために、ティターニアたちはフリートメルン王国という人間の国に行って食べ物を調達する。

 もともとナディアがいた世界では聞かない国名なので、異世界には変わりないのだろう。

 一度、ついて行きたいと頼んだことがあるのだが、今は戦争中らしく危険だからと断られてしまった。


「フリートメルンの王から、音沙汰はあったんですか?」


 テーブルに頬杖をつきながらスアが問うと、ティターニアの顔に苦笑が滲んだ。


「いいや、あやつも父になったとはいえ、まだ若い。過ぎた力を振るい続けたがゆえの末路が想像しきれていないのだ」


 まるで友を憂うような目で、ティターニアは風になびく泉の水面を流し見る。


「マザーティターニアは人間の王様と知り合いなの?」


 鍋をかき混ぜながら尋ねれば、ティターニアが柔らかな眼差しをこちらに向けた。


「そうだよ。妖精と人間は良き隣人。そうあるために妖精女王は定期的に人の世に関わり、その営みを学び、ときには干渉し、互いに理解を深める。人間の王は私に人の世を教える師であり、逆に私は妖精の世を教えるあやつの師なのだ」


 もしかしたら、ナディアを引き取り育てたのも人間を知るいい機会だと思ったからなのかもしれない。

 とはいえ、注がれる愛情は本物だ。自分で言うのもなんだが、ティターニアはナディアを喜ばせようと下手なのに料理を作ってみたり、ナディアが綺麗だと言った場所にすぐ家を造形しようとするし、派手な魔法を使ってマナの無駄遣いをしたりと甘やかしすぎるくらいだ。


「はい、できましたよー」


 やがて料理ができ、ダイニングテーブルへと運ぶ。フレちゃんが咥えて運んでくれた鍋敷きの上に鍋を置けば、中身を覗き込んだスアが涙を浮かべた。


「まだ死なずに済みそうだ……」


 ナディアが命の恩人になっていることなど微塵も気づいていないティターニアは「これは母と娘の愛の結晶だ」と違う意味で泣いている。


 ナディアもダイニングテーブルに着くと、手を合わせた。


「いただきます」


 声を揃えてティターニアもスアもシチューを口に運び、大袈裟なくらい感動している。

 手伝ってくれたフレちゃんにもスプーンでおすそ分けした。

 みんなは食べなくても平気なのに、ナディアに合わせてご飯を食べてくれる。この日常こそがナディアの宝物だ。


「リトルティターニア」


「おめでとう、リトルティターニア」


 どこからか妖精たちが集まってきて、ナディアの前のテーブルに珍しい花や木の実を置いていく。

 最後に花の妖精たちが編んだ花冠が頭に乗せられた。それを両手で押さえながら、「ありがとう」とはにかむ。

 妖精たちはそんなナディアを幸せそうに見守っており、ティターニアはやれやれと笑った。


「皆、お前の成長を見守ってきた。先程も言ったが、永遠を生き変化のないこの妖精国において、変化そのものであるお前が愛しくて仕方ない。娘であり孫であり友として、ずっと私たちのリトルティターニアでいてくれ」


 ──リトルティターニア。

 初めはティターニアのあとをついて回っていたから、やがてティターニアが娘だと可愛がり始めたから、そして今では全ての妖精が見守り育てた子として愛を込めてそう呼ばれていることを知っている。

 ナディアにとって妖精たちは、幼い頃に焦がれた夢ではなく、とっくに家族であり同胞になっていた。


 ***


「リトルティターニア」


 夜明け前、ゆりかごで微睡んでいたナディアの鼓膜に優しいティターニアの声が落ちてきた。


「んん……?」


 小さく呻きながら瞼を開くと、ティターニアは長い髪を高く結い上げ、外套を羽織っている。


「出かけるの? マザーティターニア……」


 寝起きの掠れた声で尋ねれば、優しく温かい手に頭を撫でられ、また眠りの世界へと誘われる。


「ああ、フリートメルン王国にね。帰りは遅くなりそうだから、しばらくスアと待っておいで」


「じゃあ、お土産よろしく……人間の世界には、甘いスイーツとか、たくさんあるんでしょう?」


 それを聞いたティターニアがきょとんとして、すぐに小さく吹き出した。


「まったく、本当に愛しい子。では約束、お土産を持って必ず、リトルティターニアのところに帰ってくるよ」


 花の甘い匂いが近づいてきて、額に温もりが触れた。

 祖母は緑の匂い、そしてこれは……ティターニア、ふたり目の母の匂いだ。

 それから二度寝をして、いつもの起床時間に目覚めたナディアは、家にティターニアがいないことに気づき、夜明け前のあの語らいが夢ではなかったのだと気づいた。


「マザーティターニア、最近は数日家を空けることが増えたよね。人間の世界ってそんなに楽しいの?」


 スアと森の中を歩きながら不満をこぼす。誕生日のあとから、ティターニアは頻繁にフリートメルンに行っているのだ。


「その言い方、リトルティターニアはすっかり身も心も妖精なんだね」


 嬉しそうにくしゃりと笑うスアに、同然だと胸を張る。


「今頃気づいたの? 私は誰より妖精好きな人間妖精なのよ!」


「人間妖精……ぷっ、ハーフか。よくばりだね」


 可笑しそうに笑うスアの言葉ではっとする。ハーフでからかわれたり、はぶかれたりすることはあったけれど、妖精たちにはそういう偏見がない。どちらかと言うと彼らのほうが姿形も様々で、恐ろしい能力も持っている。なのになぜ……。


「なんでスアたちは、人間の私を仲間にしてくれるの?」


 足を止めて、少し先を歩く彼の背に問いかける。するとスアは不思議そうに首を傾げ、当然のごとく答えた。


「なんでって、リトルティターニアが私たちを愛してくれてるのがわかるからだよ」


(──ああ、やっぱり彼らが好きだな)


 見た目も種族も関係なく、ナディアを見つめてくれる彼らを愛している。


「ふふっ」


 嬉しくて笑みがこぼれた。そんなナディアを眩しそうに眺めていたスアがそばにやってくる。顔を覗き込むように腰を屈め、「んー?」と首を左右に傾げ始めた。


「どうして笑ってるのかな、リトルティターニア」


「んー? ずっと、ここにいたいなって思って」


 スアの真似をして小首を傾げてみせる。

 元の世界に残してきた祖母や両親はきっと心配している。でも、彼らと同じくらい大切な家族を見つけてしまった。


「ずっと、スアやティターニアたちのそばにいたい」


 同じ気持ちだと、そう返してくれるのを期待した。けれど、スアの表情は痛みを堪えるように歪む。


「スア?」


 家族だと思っていたのは、自分だけだったのだろうか。不安が胸を掠めたとき、スアは片手で顔を覆った。


「……すまない」


 いつもの陽気な口調は一変して、その一言には深刻な響きがあった。


「な、なにが?」


 彼に向かって一歩を踏み出したとき、スアは罪を告白するかのように言う。


「……ティターニアは帰ってこない」


「え? なに言ってるの? マザーティターニアはお土産を持って帰ってくるって約束してくれた。絶対に帰ってくる!」


 ティターニアを信じているのに胸騒ぎが消えないのは、必死に訴えるナディアをスアが憐憫の眼差しで見つめているからだ。


「ティターニアとフリートメルンの王に交流があったのは知っているだろう?」


 スアは屈んで、ナディアの両肩に手を乗せる。


「うん、お互いの世界のことを教え合う友達みたいなものなんでしょう?」


「そうだよ。フリートメルンは今、隣国シェルバーンと戦争中だ。戦況は拮抗していて、流れを変える必要があった」


 一瞬、言葉にするのを躊躇うように黙ったスアに鼓動が早まる。


「シェルバーン側は魔術師の力で妖精を強制的に使役し、フリートメルンを攻撃し始めたんだ」


「使役? 無理やりエンゲージしたってこと?」


「全く別物だよ、リトルティターニア。エンゲージはもっと美しい契約なんだ。人間たちがやったのは、私たちの意思に関係なく、妖精の身も心も支配する奴隷契約だ」


「……!」


 頭が激しく揺さぶられるようだった。自分と同じ人間が妖精に非道な仕打ちをした。その事実を認めたくなかったからかもしれない。ナディアはただただ呆然としていた。


「恐らくなんらかの方法で真名を吐かせ、妖精たちを縛ったんだろうね」


「ひどい……無理やり妖精を戦争の道具にしたってこと?」


「ああ、忌まわしいことにね」


 スアは瞼を閉じ、静かな怒りを湛えるように声を震わせた。


「フリートメルンが対抗するには、同じ妖精が必要だと考えたフリートメルン王はティターニアに助力を乞うてきたらしい。それでティターニアは頻繫に人間界に行っていたんだよ」


 ここ数日、夜明け前に出かけて家を留守にすることが増えた。怪我をして帰ってくることもあった。


 食料調達に行くティターニアについていきたいと言ったときも、フリートメルン国は戦争中で危険だと断られたはずだ。

 友人である王のためにティターニアが加勢に行く可能性に、なんで今まで気づかなかったのだろう。


「じゃあ、マザーティターニアは友達のために敵国と戦っている?」


「いや、いくら友のためでも妖精が人間の戦争に手を貸せば他の妖精も利用されるかもしれないからね。ティターニアが力を貸すのは、あくまで妖精のためだ」


「妖精の……?」


「敵国に対抗するためにフリートメルンの王はよりにもよってドラゴンを使役した。あれは人の手に負えるものではないというのに」


 誕生日の席で、スアはティターニアに王から音沙汰はあったかと尋ねていた。ティターニアはそのとき、気になることをこぼしていた。


『過ぎた力を振るい続けたがゆえの末路が想像しきれていない』


 あれはドラゴンを使役する王を憂いていたから出た言葉だったのだ。


「案の定、制御しきれずにドラゴンは敵味方関係なく暴れている。それを食い止めるためにティターニアが自ら赴くことになったんだよ」


「……っ、どうして?」


「ティターニア?」


 心配そうにスアが顔を覗き込んでくる。

 悔しさなのか、怒りなのか、悲しみなのか、よくわからない。ナディアは溢れそうになる涙を目に力を入れて堪えていた。


「なんで友達と同じ妖精を使おうなんて思えるの?」  


「リトルティターニアは小さいときに妖精国に来たから知らないかもしれないが、人間は同じ人間すら道具にできるんだ。多数のために少数を、国のためにそれ以外のものを犠牲にすることも厭わない」


 世の中を知らない子供を宥めるように、スアが頭を撫でてくる。

 ナディアは俯いたまま、その手を捕まえた。


「……だから」


「え?」


 聞き取れなかったのか、スアの困惑が伝わってくる。ナディアは彼を強く見上げ、今度ははっきりと告げた。


「私は世間知らずの子供だから、大人の損得勘定も、お国のやんごとなき事情も知ったこっちゃない! マザーティターニアが望んでなくても、迎えに行く!」


「は……はあ!?」


 驚愕の表情を浮かべ、声を裏返させるスアの両腕を捕まえる。


「家族は誰も欠けちゃ駄目なの!」


 スアは息を呑んだが、やがて観念したように息を吐き、その目に真剣な光を湛えた。


「わかった。リトルティターニアが望むなら、どこへでも連れて行こう。ただし、無茶はしないこと。いいね?」


 念を押され、ナディアはこくこくと鼻息荒く頷いた。





 フェアリーサークルを通って人間界に来ると、森に出た。幻想的な花がなく、ナディアにとっては馴染みがないのに懐かしい。

 森を抜けると、少し高台だからか町が一面見渡せた。


「人の手によって栄えた王都が、まさに人の業によって燃えカス寸前になっているなんて、皮肉なものだね」


 スアの言葉にも皮肉が効いている。

 家は炎で焼き尽くされ、悲鳴を上げながら逃げ惑う人々。恐ろしい光景のはずなのに、ナディアは一瞬、綺麗だと思ってしまった。


(白い……炎……)


 摩訶不思議なもので溢れている妖精国に四年住んでいたナディアでも、目にしたことのない炎の色だ。そして、それを吐き出しているのが――。


「大きい……」


 煌めく竜鱗に覆われた純白の身体。それと一体になっている巨大な翼をはためかせ、起こした暴風で人も家も王都も破壊していく。もはや、人の手には負えない災厄だ。


「あれがホワイトドラゴンだ。マナを無制限に体内で生成できる、すべての妖精や魔法の始祖」


「え……」


 町から隣に視線を移せば、スアの横顔からは余裕が消えていた。


「マナを無限にってことは、永遠に力を使い続けられるってことなんじゃ……」


「そうだよ。本来ならば妖精女王にしか従わないドラゴンを暴走させたんだ。王都どころか国が亡ぶだろうね」


「でも、マザーティターニアの声なら届くんだよね?」


「五分五分……だろうね。妖精はその身に内包するマナによって従う相手を決める。その最たる存在がティターニアだが……あれではもう言葉を交わせるかどうか……」


 憂うようにドラゴンを見つめていたスアの手を引く。


「行こう」


 スアは頷き、町へと続く目の前の坂を駆け下りる。

 町に入ると、まず熱気に気道を焼かれそうになった。袖で口元を覆いながら走っていると、立ち込めた黒煙が身体に纏わりつき、咳込んでしまう。


「――っ、リトルティターニア!」


 ドラゴンの咆哮が地面を揺らした瞬間、スアがナディアの腰を抱き、勢いよく飛翔した。足元から発した黒い霧を台にし、近くにあったレンガ造りの屋根に飛び乗る。

 すると、白炎が人も建物もすべて飲み込みながら迫ってきて、先ほどまでナディアたちがいた地面を抉りながら通り過ぎて行った。


「あ、ありがとうスア」


 スアが助けてくれなければ、今頃炭になっていただろうと思うと、さあっと血の気が引く。


「いいんだ。それより、このまま進めるかい? 今なら引き返すことも……」


 ナディアは首を横に振る。ティターニアがこれほど危険な目に遭っていると知って、余計に引き返せない。


「わかった。私にしっかり掴まっているんだよ」


 スアはナディアを横抱きにした。その首にしがみつけば、スアは屋根を伝って一気にドラゴンとの距離を縮める。

 やがて王城の広場で夫婦らしき男女と、少年を背に庇うティターニアの姿を発見した。

 スアは塔を踏み台にして、ナディアを抱えたままティターニアのもとへと飛ぶ。


「マザーティターニア!」


 弾かれるように顔を上げたティターニアは、宙から降ってくるナディアたちを見上げ、目を見開いた。


「……! 愛しい子!?」


 ティターニアのもとへ駆け寄ると、肩を掴まれる。


「こんなところへ来てはいけないよ。すぐに帰りなさい」


「嫌!」


「リトルティターニア……」


 分別のない子供を前にした母のように、ティターニアは途方に暮れていた。

 ナディアはそんな母の目を、揺らがない瞳でまっすぐ見据える。


「マザーティターニアは素性もわからない人間の子供を拾って育てちゃうくらい優しい女王だもん。あそこにいる人たちを守るために無茶するでしょう?」


 後ろを振り返れば、ファー付きのマントをつけた豪華な金装飾が施された軍服の男と、同じくファー付きのマントをつけた華やかなドレス姿の女がいる。このような戦場下でも、彼女のウエーブがかかった短い金髪とシアンの瞳は目を引いた。

 どちらも三十前後だろう。恐らくティターニアの友だという王と、その王妃だ。

 彼らに守られるように抱きしめられている少年はナディアと同い歳くらいに見えるが、父譲りのインディゴの髪と利発そうな静かなアイアンブルーの瞳のせいか、大人びた雰囲気があった。彼も白い軍服に右肩を覆うような赤いマントを纏っているので、きっとこの国の王子だ。

 ナディアと目が合った王子は一瞬、驚いた顔をした。この赤髪か、妖精と同じ色の瞳が珍しいのだろう。

 だが今は、彼に構っている暇はない。ナディアはティターニアに向き直る。


「家族が待ってると思ったら、無謀なことはできないでしょう?」


「まったく、私の愛しい子は利口だね」


 ティターニアは困ったように笑い、ナディアの頭を撫でた。

 そのとき、ホワイトドラゴンのエメラルドの目がぎらつく。それにいち早く気づいたスアが「来るぞ!」と叫んだ。


「お前たちは中に入っていろ」


 ティターニアが後ろを振り返って告げると、国王は苦しげに顔を歪める。


「だが……っ」


「己の過ちを正したい気持ちはわかるが、国を立て直すことで償え。そのためには生きなければならない」


 友の言葉を素直に受け入れ、国王は妻と子を連れて身を翻す。少年が案じるような視線を向けてきたが、ナディアはこれが自分の選択だからと微笑んだ。

 彼の口元が「強いな」と言葉を紡いだ気がしたのだが、「逃げろ!」というスアの割れんばかりの声に思考を遮られる。


「私から離れてはいけないよ」


 ティターニアは杖を構えた。先端に集まった虹色の光が蕾のように膨れ、大輪の花になる。咲いた花は四方に裂け、色とりどりの花弁を散らせながら、向かってくる白炎を押し返そうとする。


「くっ……ふたりとも!」


 スアは駆けつけようとしているが、力がぶつかり合った衝撃で暴風が起こり、こちらに近づけないようだ。

 ずるりとティターニアが後ずさる。口端は上がっているものの、額から汗を流して一瞬の気も抜けないのだという緊迫感がティターニアから伝わってくる。


「もう私の声は届かない。望まず戦争に使われ、壊れてしまった心を癒さなければ正気を取り戻せないだろう。ただ、それには途方もない時間がかかる」


 ティターニアはナディアのほうを向き、切なげに笑った。


「愛しい子、今から私の中にドラゴンを封じる。そうなったら、人間の一生では足りないほどの時間、私は眠ることになるだろう」


「噓……そんなの駄目だよ。他に方法がきっとある!」


「いいや、もうたくさん考えた。愛しい子、これしかないのだよ」


 聞きわけなさいと頭を撫でるように、ティターニアは優しい眼差しを向けてくる。

 胸が詰まったナディアは、言葉がとっさに出なかった。


「妖精はマナから生まれ、それが尽きない限り、その命は永遠。子孫を残す必要もない。だが、長い生の中で娘に出会った」


 なぜ、今そんな話をするのだろう。頭の端ではわかっている。まるで別れの言葉みたいで嫌だと、涙が目の端に滲んだ。


「心も身体も常に成長し続けるお前は、妖精を愛する心だけ変わらず、母として見守るのが楽しくて幸せで、仕方なかったよ」


 微笑んだティターニアは、未練を振り切るようにドラゴンに向き直る。


「森のゆりかごで生まれし同胞よ、汝らの女王が命ず――」


 すうっと息を吸い、ティターニアは詠唱を続けた。


「我が内で眠れ!」


 ティターニアの杖から虹色の光りの蔓がいくつも飛び出し、ドラゴンの身体を絡めとった。ドラゴンは激しく暴れながら雄叫びを上げ、やがて弱々しく鳴く。


「くっ……」


 蔓ごとドラゴンを自分のほうへ引き寄せるティターニア。スアがナディアたちを呼ぶ声がするが、ドラゴンが建物を薙ぎ払いながら引きずられてくる音で掻き消えた。

 ドラゴンがすぐそばまで迫ったとき、ナディアは反射的にティターニアを突き飛ばした。考える間もなかった、気づけば身体が動いていたのだ。

 無論、ドラゴンを警戒していたティターニアにとっては予想外のことで、体勢を崩す。ナディアも彼女を押した勢いで前のめりに倒れ、ティターニアとの位置が完全に入れ替わった。その瞬間、熱の暴流が身体を襲う。


「ぐううううっ」


 砕けそうなほど噛みしめた歯の隙間から、悲鳴が漏れる。


(熱いっ、痛いっ、苦しい……!)


 今まで感じたことのない苦痛に、身体が砕けてしまいそうだった。意識が薄れていく中、遠くで「リトルティターニア!」と家族が呼んでいる。でも……。


(ごめんなさい……応えられそうに、ないや……)


 ナディアは瞼を閉じる。


(でも、マザーティターニアは守れた……)


 満足して瞼を閉じれば、身体の内側から焼かれているような灼熱感がすうっと引いていく。それを不思議に思いながら、眠りにつく間際のことだった。


『あたた、かい……』


 白いひげを編めるほど伸ばしている、それはもう長生きをした長老のように威厳のある声が鼓膜に響いた。


   ***


 次に目覚めたとき、ナディアは妖精国にある自宅のゆりかごにいた。

 ぼんやりと天井を見つめていると、小妖精が羽をパタパタと動かして飛んでくる。彼女はナディアと目が合った途端、驚いたようにぽとりと花を落とした。自分の身体を見てみれば、七本七色の花に埋もれている。


(――え、ここ棺?)


 縁起でもない勘違いしてしまいそうだったが、妖精たちが自分を想って持ってきてくれたのだろう。あとで押し花にでもしようと思う。


「愛しい子!」


「リトルティターニア!」


 ゆりかごを挟むようにしゃがんでいたティターニアとスアが、思いっきり抱き着いてくる。その衝撃でゆりかごが大きく揺れた。


「全くこの子は! 心配かけて! この暴走ドラゴン娘!」


「うう、きみはひと月も眠っていたんだよ? もし目を覚まさないままだったら、いくら可愛いきみでも恨む!」


 ひと月も眠っていたことに驚く暇もない。子供のように号泣しながら怒る母と兄弟に、同時に泣きつかれているからだ。

 けれど心は満たされている。口角が自然と上がり、ナディアはふたりの背に手を回すと、ぽんぽんと叩いた。


「……?」


 ナディアの胸に顔を埋めていたふたりは、べそをかきながら不思議そうに顔を上げる。



「ふたりとも、おはよう」


 まだ言えてなかったからとナディアが笑えば、ティターニアもスアもさらに瞳をうるうるとさせ、声をあげながら号泣する。またしばらく胸を貸すことになりそうだ。




「ねえ、あのあとってどうなったの?」


 ふたりが落ち着いたのを見計らい、そろそろ頃合いかと切り出す。スアと顔を見合わせたティターニアは、こくりと頷いてナディアに視線を戻した。


「結論から言えば、ドラゴンは封印できた」


「え、でも封印したら永い間眠ってしまうんじゃ……?」


「ああ、そのはずだった」


 はずだった? と、ティターニアの言葉を復唱しながら首を傾げる。

 スアはちらりとティターニアを見やった。


「見た方が早いのでは?」


「それもそうだな。――ライシュ」


 ティターニアは近くにいた水の妖精に、すっと手の甲を差し出す。

 ライシュと呼ばれた水の妖精――フライフィッシュはひれの翼でぴちぴちと空を飛ぶ水でできた魚で、エメラルドの目を閉じながらその甲に口づけた。

 そのとき、妙な感覚があった。温かい人の体温のようなものがティターニアからライシュに流れていくような……言葉で説明するのは難しいけれど、今まで馴染みのなかった気配を感じた。


「ティターニアの仰せのままに」


 ライシュはぴちぴちとナディアの前まで泳ぐようにやってくると、くるりと円を描くように飛ぶ。尾ひれから生まれた水が鏡のようにナディアの顔を映し出した。

 赤毛は白く変色し、頬には光が当たるとダイヤモンドのように光る竜鱗が少しある。


「って――誰!?」


 水鏡に顔を寄せれば、そこに映っている自分とそっくりな顔も同じ動きをした。瞳の色以外、随分と様変わりしているけれど、紛れもなくナディアだ。


「凶暴化したドラゴンは私ではなく、愛しい子。お前に封印されたのだよ」


「そう……だったんだ……」


 ドラゴンとぶつかったとき、身体が焼けそうなほどの熱を感じたのに生きているし、意識を失う間際にドラゴンらしき声も聞こえた。自分の中にドラゴンがいるという感覚はないが、この姿を見れば事実なのだろう。


「身体に力が漲っている感じがしないか?」


「言われてみれば……」


 自分の両手を見つめ、握ったり開いたりしてみる。

 ひと月も眠っていたにしては、身体の動きも悪くないし、なんなら今から百メートルでも二百メートルでも全力疾走できそうだ。


「なんか、超特大のエンジン積んでるな、私! って感じがする」


 ティターニアたちのほうを向いて真顔でガッツポーズを決めると、スアがため息をついた。


「本来は妖精女王のように広大なマナを蓄えられる器――肉体でなけれれば、いくら眠っているとはいえドラゴンが無限に生成し続けるマナに肉体が崩壊しているんだよ?」


「じゃあ、なんで私はピンピンしてるの?」


「それは……」


 スアの言葉を引き継いだのは、ティターニアだった。


「魔力を持たない純粋な人間だったから、だろうね。この世界の人間は幼い頃から少しずつ、空気や食べ物に宿るマナを呼吸や食事を通して身体に取り込み、魔力を持つようになる。だから、この世界で魔力がない生き物はいない」


「へえ……」


 知らなかった。そもそも魔力が存在しない世界から来たので、今まで魔法を使えないことを不便に思ったことはなかった。使える皆のことも初めは物珍しく見ていたが、数日もすれば慣れて、ひと月で当たり前の光景になった。まさか魔法が使えないナディアのほうが、異色の存在だったとは……。


「魔力には宿主の性質が少なからず混じる」


「性質?」


「そうだな、簡単に言えば……その者の色がつく……というイメージだ。つまり、そこへ別の魔力が入り込めば、ふたつの色違いの魔力は反発し合い、肉体はその副反応を受ける。私はそれを時間をかけて、自分の色に馴染ませる予定だったのだ」


「じゃあ、私の副反応っていうのが、この髪と鱗?」


 ティターニアは肯定するように頷くと、


「まあ、その程度で済む話ではないのだがな」


 そう苦笑交じりに付け加えた。


「お前の身体は色のついていない空っぽの器だ。ドラゴンのマナを素直に吸収し、なおかつ長い時をかけて少量ずつ馴染ませるはずのマナを一日でその身に取り込んだことで、その身体も半ドラゴン化してしまった」


「……は?」


 目を瞬かせるナディアに、ティターニアはこめかみを中指で押し揉んでいる。


(元の世界でもハーフだった私が、異世界ではドラゴンと人間のハーフになったってこと!?)


   ***


 半ドラゴンになってから数日が経った。

 目覚める前とあとで容姿以外に変わったことがあるとすれば、ひとつは体質だ。大気中に溢れているマナを感じられるようになったし、怪我をしても傷がすぐに塞がるようになった。もうひとつは――。


「ほら、もっとお食べ、愛しい子」


「ティターニア、人間はデザートの前に肉や魚を口にするんですよ! 忘れてしまったんですか?」


 いつものように魔法で天井を開き、清々しい青空の下で朝食をとっている。両脇をティターニアとスアに固められていること以外は、いつもと変わらない日常だ。

 フォークに刺した一口大のケーキと、スプーンで掬ったビーフシチューが両サイドから差し出されている。


「リトルティターニア、どうしたのかな? 病み上がりでつらいだろうけど、たくさん食べないと」


 心配そうに顔を覗き込んでくるスアに、ナディアは遠い目で泉の波紋を眺めた。


(いや、病み上がりのせいじゃないから。甘い、香ばしい! ミスマッチな匂いに食欲を根こそぎ持っていかれたせいだから!)


 心の中で抗議しつつ、ナディアは素直にスアのビーフシチューを頬張る。するとスアは息を呑んで、喜びに身体を震わせながら目を輝かせた。

 そんなスアを視界からシャットアウトし、今度は味が混ざるのを承知のうえでティターニアのケーキを口に入れた。ティターニアは自分の頬に手を当て、初めて雛鳥の餌やりに成功したかのように感激している。

 ナディアが目覚めてから、ふたりの過保護ぶりに拍車がかかった。食事中はこの通り、寝るときも川の字で、四六時中一緒にいようとするのだ。


(心配をかけてしまったのは私だし、ふたりが安心するまで付き合ってあげよう)


 もぐもぐと口を動かすナディアをスアと一緒に嬉しそうに見守っていたティターニアが、「ああ、そうだ」と我に返った様子で言う。


「愛しい子、今日から妖精女王の継承に向けて特訓を始めるよ」


 スアの手からパンにかじりついていたナディアは、ごふっとそれを口から吐き出しそうになった。


「ああっ、私のリトルティターニアが!」


 スアが慌てたように背を叩いてくれる。


「けほっ、けほっ、うぐっ……」


 今思い出したかのような気軽さで、少なくとも食事の席で告げるような内容ではない。

 詰まらせかけたパンをなんとか飲み込み、はあっと大きく息を吐く。


「ど、どうして私が妖精女王になるって話に?」


「愛しい子が半ドラゴンになったからだよ」


「んー……ん?」


 意味を考えて、やっぱり首を傾げる。そんなナディアの頭の周りを、フレちゃんやライシュがくるくると仲良く飛んでいた。


「ホワイトドラゴンは際限なくマナを生み出し、その血肉を喰らえば不老不死にもなれる。身に覚えがあるはずだよ」


「あ……」


 傷がすぐに治ることと、身体が熱っぽく感じるほど高まっている――マナのことだ。でもまさか、不老不死にできるとは。食べられないように注意しないと。

 ぶるりとナディアが震えると、スアが腕をさすってくれる。少しだけ不安がほぐれ、笑みを返すと、ティターニアは続きを話し始める。


「そう、お前がドラゴンをその身に封印していることは、その見た目からしてすぐにバレる。あとは魔法を使えば――」


「え! 私、魔法を使えるの!?」


 腰を上げて勢いよくテーブルに両手をつき、前のめりに尋ねると、ティターニアは顔をひきつらせた。


「ええと、愛しい子? なぜ、そんなにも生き生きとした目を?」


「だって! 異世界に来たのに急に能力に目覚めちゃうとか、そういうあるあるもなかったし! 半ば諦めてたチート能力が! まさかこんな変化球で手に入るなんて! 喜ぶ以外になくない!?」


 ティターニアとスアがなんとも言えない顔で、こちらを見ている。


「事態の深刻さをわかっているのかな、我らがリトルティターニアは……」


 スアの笑みに呆れが滲んでいる。


「薬は多すぎれば毒になる。今はホワイトドラゴンのマナが身体に馴染んでいるけど、やがて内包したマナによって肉体が負荷に耐えられなくなることもあるんだよ?」


「え? でも、ふたりが私が死ぬのをただ待ってるってことはないよね? 私のこと愛してるし」


 特に心配していなかったので、けろっとしていたのがお気に召さなかったのか、スアの顔が引きつる。


「そう平然と言われると、愛の重みが途端に軽くなる気がするんだが……」


「まあ、前向きで順応性が高いのが愛しい子のいいところだ。お前もわかっている通り、娘の身体が崩壊するのを指を咥えて傍観する気はないよ」


 安心しなさいと言うように、ティターニアが柔らかく目を細めた。


「肉体の崩壊を回避するためには、定期的にマナを放出することが必要なのだ。ゆえに、魔法の使い方を教える。お前を狙う者から身を守る術にもなるからな」


「やった!」


 椅子の上で跳ねるナディアに、スアは肩を竦めて笑う。


「我々妖精は、その身に内包するマナの量によって従う相手を決める。予期せぬ事態で私が動けなくなったとき、代わりに妖精女王の役目を果たせる者が必要だと思ってな」


「私に女王になってほしい理由はそれ?」


「ああ、そうだ。妖精女王は触れた相手にマナを与えられる。マナの放出を助けられる点でも、お前にとっては利があると思ったのだ」


 際限なく溢れてくるマナの放出方法は、たくさんあるに越したことはないけれど、女王になるなんてそんな簡単に決めてしまっていいのだろうか。

 ナディアの不安を感じ取ったのか、ティターニアの手が頬に触れた。


「お前の副反応を和らげるためだけに女王になれと言っているわけではないよ。妖精に愛され、妖精を愛しているお前なら、私の対の女王として皆を守ってくれるだろうと確信しているから任せるのだ」


 対の女王として妖精たちを守る。その重みも、実感もわかないし、想像もできないけれど、ただ純粋にこう思う。


「マザーティターニアだけじゃ無茶するもんね。いいよ、みんなのことも大好きだし」


 頬に触れているティターニアの手に、自分の手を重ねて笑った。


「愛しい子!」


「わっ!」


 ティターニアに強く抱きしめられ、「くすぐったい!」と照れ隠しに抗議をしながらきゃっきゃと騒ぐ。

 わいわいとじゃれ合うナディアたちにつられてか、どこからか妖精たちが集まってきて、楽しそうに飛んだり跳ねたりしていた。

 スアはフレちゃんやライシュを両肩に載せ、優しい眼差しで見守ってくれている。

 こうして、ナディアの女王候補として育てられる日々が始まった。




 初めに教わったのは、魔法を使うための基礎だった。マナを枝の先に集め、魔力という形にするのだとか。

 川にある石の上にティターニアと向き合うように立ち、みぞおちの辺りに停滞している熱の存在を血流に乗せて巡らせ、腕や手、そして指先から枝の先に動かす。

 魔法は杖がなくても発動できるらしいのだが、マナを集めたり、魔法を狙った場所に使いたいときなどに狙いがつけやすいことから用いられるそうだ。

 初めはまったくマナを集められず、ただ膨張させるだけで、弾けた反動で何度も川に落ちた。

 濡れネズミになって石にしがみつくナディアを見下ろし、ティターニアに駄目だと首を横に振られたのは数え切れないほどである。

 水の音を聞きながら、川のようにマナが流れる様を想像し、感覚を掴むまでにひと月。実際に白いマナが枝の先で球体──魔力として目視できるようになるまで、さらにひと月かかった。

 簡単に使えるようになると思っていたナディアは、まず魔法を使う前段階でつまずいている。魔法はナディアが考えるより繊細な作業と力加減が必要らしい。

 けれど、小学校も途中で通えなくなったナディアからすれば、学ぶことが新鮮で楽しく、それを苦だとは思わなかった。

 スアはお弁当を用意してくれるし、他の小妖精たちも甘い木の実を取って来てはナディアに差し入れてくれる。ひとりではないから続けられた。




「今日は魔法と魔術の違いについて説明するよ」


 座学はスアの担当だった。森の中で切り株を机にしながら、フリートメルンで調達した帳面を広げて羽ぺンを動かす。


「マナで魔力を利用する術式の陣を作り、発動するのが魔術。妖精との対話や交渉、信頼で協力を得て、初めて発動することができるのが魔法。妖精と心を通わせられる人間はもうほとんどいないだろうし、魔術より工程が長いから、大昔に廃れてしまっている。魔法を使える人間は、きみを除いてもういないだろうね」


 異世界では常識でも、ナディアにとっては初めて知ることばかりだ。情報量が多く頭はパンクしそうだったが、廃れてしまったという魔法を自分が使う日を想像するとワクワクして、いくらでも頑張れそうだった。


 座学の翌日は、いよいよ魔法の練習に入れることになった。


「妖精は自分に備わった力を使う。リトルティターニアの場合、ホワイトドラゴンの白炎の力は他の妖精の力を借りずとも使えるだろう」


「えっ、そうなの?」


「早くやってみたくて、うずうずしているな」


 ティターニアは苦笑する。どうやら顔に出ていたらしい。


「だが、ホワイトドラゴンの力を使うには真名を知らなくてはならない。ホワイトドラゴンに聞こうにも眠っているからな、当面は難しいだろう」


「そっかー、残念」


 ナディアの中で眠り続けているホワイトドラゴンは、いつ正気を取り戻して目覚めるだろう。できれば、ナディアの寿命が尽きる前に話ができたらいいなと思う。


「ただ、リトルティターニアの半分は妖精だ。ホワイトドラゴンの真名を第三者に知られれば、同時にリトルティターニアの心と身体の半分を縛らせることになるから気をつけるのだよ」


「待って、マザーティターニア。国王と、国王に力を貸した魔術師には真名を知られているんじゃ?」


 でなきゃ、ホワイトドラゴンを操ることはできなかったはず。


「ああ、そうだ。だが、そちらは私のほうで手を打っておく。愛しい子を傷つけさせたりはしないよ」


 それはもう背筋が凍るような笑みを湛えるティターニアに、その場にいた全員が震えあがった。


「あ、ありがとう……そ、それで? 私はどう魔法を使えばいいの? マザーティターニア」


 声を裏返らせながら、話題を変える。

 ティターニアは基本優しいが、ナディアになにかあればなにをするかわからない。これは自惚れでもなんでもなく、ティターニアの過保護ぶりから安易に想定できることだ。


「願いに見合う対価――マナを支払い、妖精に力を借りればいい。そうだな、試しにライシュの力を借りて魔法を発動してみろ」


 名指しされたライシュは、ぴちぴちと近づいてきてナディアの周りを泳ぐように飛ぶ。


「ええと?」


「ライシュに触れながら、願いを妖精に伝える。ただ、なんでも叶えられるわけではないよ。ライシュは水を操ることができるから、妖精の能力を考えて頼むといい」


 つまりフレちゃんに力を借りるなら火、スアはあまり頼む機会はないと思うけど呪いや疫病をもたらすといった魔法を使うことができるということらしい。


「わかった。じゃあライシュ、雨を降らせることはできる?」


 返事をするようにライシュは水音を立てて、一回転するように宙で泳いで見せた。


「それじゃあ、いくらでもマナを持っていっていいよ!」


 ライシュの身体は小さいので、人差し指を差し出したとき、「駄目だ」とティターニアに止められた。


「雨を降らせる願いに、マナをいくらでも与えるというのは、釣り合っていない」


「いっぱいあげちゃいけないの? 私、有り余るほどマナがあるのに」


「お前も見ただろう。真名を奪われ、一方的な契約で従わされた妖精を」


 王都を火の海に変えたホワイトドラゴンの姿が脳裏に蘇る。


「魔法も強制力は弱まるが、一種の契約だ。お前の純度が高く豊富なマナを差し出せば、たいていの妖精を従わせることはできるだろう。だが、与えすぎれば味を占め、お前の力を我が物にしようと調子に乗る輩も出てくる」


 妖精国の妖精は皆、ナディアに好意的だった。けれどそれは、ナディアが彼らの生命源――言わば食事でもあるマナを持っていなかったからではないだろうか。そうでなければ、初めて見る異世界人への純粋な興味だけでは済まなかった。

 もし豊富なマナを持って妖精国へ迷い込んでいたとしたら、信じたくないけれど、食い物にされていた可能性もあったのかもしれない。大きな力は、それなりにリスクも伴うのだと知った。


「契約はバランスが大事なのだ。人間社会にある法に同じく、そのバランスを守ることが妖精社会の秩序を保つことに繋がる」


「わかった。じゃあ、ライシュ」


 ナディアはティターニアから、ライシュに向き直る。


「雨を降らしたら、ライシュたちが暮らす森も潤うし、お互いにメリットばかりだと思うの。だから、マナはこれくらいでいいかな?」


 指先に集めたマナを感じ取ったライシュは、頷くように額をそこへくっつける。


「リトルティターニアの仰せのままに」



 ライシュの身体が水色に光った。杖代わりに持っていた木の枝の周りを一周しながら、ライシュは水の輪へと姿を変える。その瞬間、自分の成すべきことを理解した。


「森のゆりかごで生まれし同胞よ、汝らのリトルティターニアが命ず――」


 杖を勢いよく天へと突き上げた。


「恵みの雨を降らせよ!」


 杖の先から閃光が放たれ、天を穿つ。すると大気中の水の雫が集まり、大きな水溜りが天へと現れた。そして一気に弾けると、ザーッと透き通る雨を降らせた。


「わあ! 本当に降った! やったね、ライシュ!」


 ライシュも嬉しそうに、ぴちっと頬にくっついてくる。


「スア、不思議だと思わないか。愛おしい子の魔法からは、契約という堅苦しさを感じない」


「はい、本当に。私たちを心から好きでいてくれている。それが伝わってくるからでしょう。本人曰く、誰より妖精好きな人間妖精だそうですから」


「ぷっ、愛おしい子らしい表現だ」


 こちらを眺めて、なにやら話しているティターニアとスア。ナディアはふたりを振り向き、杖代わりの枝をぶんぶん振りながら声をかける。


「ねえ、マザーティターニア! 次はフレちゃんと一発ドカンと火柱上げたい!」


 フレちゃんもその気なのか、ふんっと鼻息荒くナディアの頭の上に乗る。無論――。


「駄目に決まっているでしょう!」


 ティターニアとスアの叫びが森にこだました。


   ***


 魔法の修業を始めてから、二年の月日が経った。

 ナディアは十六歳になり、もう魔法もひとりで使える。今日はティターニアと反対色の純白のドレスに身を包み、姿見の前に立っていた。


「ついにこの日が来たね、リトルティターニア」


 振り返れば、出会った頃から変わらない姿のスアが近づいてくる。


「うん、よく似合っているね。ああ、抱きしめてしまいたいけど、せっかくの晴れ舞台に、しわしわのドレス姿で行かせるわけには……っ」


 ナディアを抱きしめられない代わりに、スアは自分の身体を抱きしめてもじもじしていた。


「スア、もうみんな集まってるの?」


「ああ! そうだった、私としたことが迎えに来た目的を忘れていたよ」


 我に返ったスアが恭しく手を差し出してくる。


「行こう、我らがリトルティターニア。もうみんな、広場でリトルティターニアが来るのを待っているよ」


 その手を取り家を出ると、スアの姿が黒い霧になり、やがて鎌の尻尾を持つカモシカの姿へと変わる。大きさは自由自在に変えられるらしく、馬と同じくらいになってナディアを振り向く。

 ナディアはその背に乗ると、黒い霧風になった勢いで皆が待つ場所へと向かう。

 そう、今日はナディアにとっても妖精たちにとっても特別な日。ナディアが妖精女王を継承する日なのだ。




 森の開けた場所にやってくると、たくさんの妖精たちが集まっていた。


「愛しい子、こちらへ」


 スアから下りたとき、ティターニアの声が聞こえた。妖精たちが左右に捌け、ナディアの花道ができ、スアにエスコートされながら歩き出す。

 ティターニアは一本の大樹の前でナディアを待っていた。ティターニアのところへ辿り着くと、前もって練習していたように片膝をついて頭を下げる。


「これより、対の女王の証を授ける」


 ティターニアは杖の先をナディアに向けた。ぶわっと虹色の風が吹きつけ、ナディアの髪を巻き上げる。その瞬間――。


「妖精女王はこの世に存在する、すべての妖精の真名をその記憶に刻む」


 妖精の真名が一気に頭の中に流れ込んできた。思考する間もなく、ティターニアの声だけが響く。


「真名とお前のマナさえあれば、すべての妖精を従えることができるだろう。すでに使役されている妖精の契約を上書きすることもな。その重みをしかと心得ろ」


 背に熱を感じ、白い四枚の羽が生えた。驚いて自分の羽に手を伸ばすと、頬にある竜鱗のようなものがあった。

 ティターニアのアゲハ蝶のように色鮮やかなものとは違うが、妖精の羽だ。


「小さな女王、リトルティターニア。それが証、必要時以外は隠しておくのだよ」


「はい」


 細かく説明されなくても、羽の収め方はわかった。マナでできた羽は、マナを内側に抑えることで消える。


「それから即位を祝し、これを贈る」


 大樹に手をつけたティターニアがすうっと腕を引く。幹の表面が糸のようにその手に絡みつきながら剥がれ、一本の杖を作り上げた。


「ずっと木の枝で練習していたから、初めは慣れないだろう。だが、もうお前は一人前の女王。これからは、この妖精国の大樹から作られた杖を使うといい」


 差し出されたのは、身長よりも大きい杖だった。


「ありがとうございます」


 両手で受け取ると、生まれたての杖はほのかに温かい。

 ナディアは杖を大切に胸に抱え、立ち上がった。

 すべての妖精の真名を知ったということは、その命を預かったも同然のこと。その重みを感じながら、はっきりと告げる。


「対の女王の任、謹んで拝命いたします」


 その瞬間、妖精たちがわっと沸いた。


「小さくて可愛い女王、リトル・ティターニア!」


「半ドラゴンの偉大な女王、ホワイト・ティターニア!」


 花びらを降らせ、水と虹のアーチを空にかけ、フェアリーダンスを披露する妖精たち。ナディアはたくさんの妖精に祝福され、ただのあだ名ではなく正真正銘、リトルティターニアとなった。


   ***


 継承の儀から数日後、ティターニアの対の女王となったからといって、特に今までの生活が変わることはなかった。


 けれどその夜、珍しくティターニアに呼び出された。ふたりでツリーハウスの太い枝の上に腰掛け、森の向こうまで見渡す。


「愛しい子、妖精国が好きか?」


「もちろん! でなきゃ、とっくの昔に帰りたいって泣き喚いてるよ」


 ティターニアは「それもそうか」と可笑しそうに笑ったあと、ふいに真剣な表情を浮かべた。


「先日、フリートメルンへ行ってきた」


「えっ」


 フリートメルンへは、ホワイトドラゴンをこの身に封じた日以来、ナディアは行っていない。火の海となり、崩壊していた王都の光景が頭に浮かんだ。


「ドラゴンが封じられてから二年、国王が尽力したおかげで王都も復興されていた。戦争もドラゴンの介入で、停戦協定が結ばれたらしい」


「そうなんだ……よかった。向こうにも妖精たちはいるだろうし、巻き込まれたら大変だもんね。というか、向こうにいる妖精は妖精国に帰りたいとは思わないのかな?」


「望んで残った者、初めは望んでいたけど今は違う者、契約に縛られている者、様々だからな。妖精に聞いてみないことにはなんとも言えないが……」


 言葉を切ったティターニアの顔が険しくなる。


「あの戦争で、確実に妖精と人間の関係性は変わった。力の均衡が崩れ、妖精が人の奴隷のようになりつつある」


「……!」


「貧しさや恐怖が人間の心を変えてしまった。妖精は隣人でも友でもなく、戦争の道具や都合のいい働き手として使えると味を占めたのだ。そうなれば妖精たちも、自分たちを物のように扱う人間を嫌悪する。これがなにを意味するかわかるか?」


「二年前の惨劇が繰り返される?」


「そうだ。次は妖精たちが自ら望んで人を滅ぼそうとすることもあるかもしれない」


 それを聞いて、ナディアの中にはひとつの考えが形になりつつあった。

 妖精国は好きだ。ナディアが愛してやまない妖精たち、家族がここにいるからだ。


(でも、リトルティターニアになったのに、私はこの優しい世界に守られたままでいいの?)


 すぐに答えは出た。ナディアは考え込んでいるうちに、いつの間にか俯いていた顔を上げて、まっすぐにティターニアを見据える。


「マザーティターニア、私、人間の世界に行く。そこにいる妖精たちも、女王の力を必要としてるかもしれないから」


 ティターニアは「ふっ」と小さく笑った。


「私から頼むまでもなかったな」


「なんだ、もともとそのつもりだったの?」


 ティターニアの腕に抱き着いて頬を擦り寄せれば、頭を優しく撫でられる。ティターニアから香る花の匂いが鼻腔を掠め、ナディアはさらにくっついた。


「ああ、お前は自負するように人間であり妖精。どちらの立場にも立って、物事を考えられる。お前ほどの適任者はいない」


「あ! でも私、フリートメルンの土地勘もないんだけど大丈夫かな?」


 腕から顔を離してティターニアを見上げると、得意げな笑みが返ってくる。


「それなら案ずるな。前にお前の中にいるホワイトドラゴンの真名を第三者に知られてはならないという話をしただろう。覚えているか?」


「あ、うん。国王と国王に力を貸した魔術師には知られてるから、マザーティターニアが手を打つって……」


「そうだ。愛しい子を確実に守り、リトルティターニアとしての役割を果たしやすくなるよう整えてきた」


「へえ! なにを?」


「フリートメルン王国第一王子との縁談だ」


「そうなんだ!」


(…………………ん?)


 元気に返事をしたはいいが、聞き流せない単語があった気がする。


「国王も先の戦の責任を感じている。二度と同じ過ちを繰り返すまいと、人間の王子と妖精女王の娘との婚姻によって、ふたつの種族の繋がりを強めようと考えている」


「政略結婚じゃん! マザーティターニア、私のこと売ったの⁉」


 ティターニアの胸に泣きつけば、苦笑しながら頭を撫でてきた。


「違うよ、愛しい子。王族になれば権力を持てる。助けたい妖精が貴族に飼われていたとしても、渡り合える。そして、なにより王子の花嫁であれば、真名で縛りつける真似はできない。不敬罪に当たるからな」


「り、理屈はわかるけど……」


「王子は王立学院に通っているらしい」


 奥の手とばかりに、ティターニアが切り出す。


「それが私と、なんの関係があるの?」


「全寮制の魔術学校で、歳の近い魔術師たちも多く集まる。友もできるだろうし、魔術について知識を含めるのもためになるはずだ」


「うっ、それはちょっと楽しそう」


(嘘だ。実は物凄く楽しみになってきた)


 学校は途中までしか行けていないし、この見た目と妖精ネタで引かれたこともあって、あまりいい思い出はない。だからこそ、これはやり直すチャンスなのではないだろうか。


「妖精国での暮らしが長かったからな。人間の世界にいる妖精を助けたいなら、人の生活も学ばなければ」


「わかったわ! 私の青春を取り戻すために結婚する!」


「……結婚があとずけなのが気になるが……お前なら番を一途に愛せるだろう。私たちを愛してくれたように」


「任せて! 私の旦那様なんでしょ? 腹くくって溺愛するわ!」


「さすがは私の娘」


 ティターニアはそう言って、ナディアを抱きしめる。


「幸せにおなり。娘も孫も、お前の繋ぐ命を永遠に私が見守る。ゆえに、その限られた命の一瞬一瞬を心のままに謳歌するのだよ」


「ありがとう、マザーティターニア。約束する。マザーティターニアたちが愛してくれたこの命を目一杯使って幸せになるって」


 その背に腕を回して、ティターニアの香りを肺いっぱいに吸い込む。

甘えるのはこれで最後だ。ティターニアが心配しなくてもいいように、立派な娘になろうと、ナディアは心を決めた。

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