リトル・ティターニアの結婚

@toukouyou

プロローグ

 十歳の夏、野原のばらナディアはスコットランドに住む祖母エラのもとを訪れていた。

 コテージのデッキの椅子に腰かけている祖母の膝の上で、赤いセーターに緑色のチェックのスカートを穿いたナディアは、白い靴下とローファーを履いた足をぶらぶらさせる。

 目の前には太陽を乱反射させる眩しい湖が広がっており、その景色に目を奪われている祖母をナディアは見上げた。


「おばあちゃん、私はチェンジリングなのかも」


 ヨーロッパの伝承では人間の子を可愛がりたい妖精が人間の子を連れ去り、代わりに醜い妖精の子を置き去りにすると信じられていた。チェンジリングは、そのとき取り替えられる子供たちを指す。

 祖母は「まあ」と目を丸くした。


「それは、あなたがハーフだから?」


 イギリス人の母と日本人の父の間に生まれたナディアは、赤毛でグリーンアイだった。日本の小学校に通っていたので、クラスメイトからは変な色だとからかわれた。

 だが、いちばんナディアを孤立させたのは虚言癖のある子供だと思われたからだ。


「妖精は本当にいるんだって話したら、噓つきだって。人間に溶け込めない私は、エルフかトロールの子なのよ」


 顔をきりっとさせ、真面目に言う孫娘に祖母は「ぷっ」と吹き出す。


「人は自分とは違うものが怖いの。だから力で従わせようとする。自分が傷つけられないためにね」


 そよ風が草原の緑の匂いを運んでくる。祖母はそう、森の香りのする人だった。


「でもいつか、ナディアがずっといたいと思える場所が見つかるわ」


 小学校でもなじめず、こうして長期休みには両親にわがままを言って祖母のところへ逃げてくる自分に? 


「そうかなあ」


 半信半疑で首を傾けてしまうと、祖母はナディアの顔を上から覗き込み、鼻をちょんと指でつついてきた。


「そうよ、可愛い赤毛の妖精さん」


 額をくっつけ、くすくすと笑い合う。


「ナディア、誰になにを言われようと、なにを信じ愛するかはあなたの自由。あなたはあなたのままでいいの」


 祖母はナディアの長い赤髪を緩く三つ編みにし、瞳の色と同じ緑の大振りのリボンで結った。それが済んだあと、ナディアは「よっと」と祖母の膝から飛び降りる。


「私、木を拾ってくる!」


 腰が悪い祖母の代わりにたきぎ拾いをするのは、いつもナディアの仕事だった。


「日が暮れる前に帰ってくるのよ? でないと、妖精に攫われてしまうからね?」


 デッキの階段を駆け下りて、「わかってる!」と一度だけ祖母を振り返った。


「行ってきます!」


 心配そうに微笑んでいる祖母に手を振り、ナディアは森へ走る。


「あ、これも! それと……あれも!」


 湿っていなくて、できるだけ太い薪を拾っていたら、あっという間に前が見えなくなった。


「よいっしょ……っと!」


 抱えている薪を落とさないように身体を起こすと、辺りは薄暗くなっている。


「そろそろ帰らないと……」


 来た道を引き返そうと思ったとき、すうっと前を光がよぎった。


(え……?)


 目を瞬かせれば、その光は森の奥へ奥へと飛んでいく。

 帰らなくちゃ、追わなくちゃ。相反する気持ちがせめぎ合い、ナディアは駆け出していた。


「待って!」


 持っていた薪を落とし、髪に葉をつけ、ただひたすらに追いかける。ナディアを突き動かしたのは、祖母の言葉だ。


『でもいつか、ナディアがずっといたいと思える場所が見つかるわ』


 これは予感。ナディアの運命を変えてくれるかもしれないという期待。

 やがてナディアを導く光が増え、くすくすと鈴の音のような笑い声がした。木々が優しくざわめき、甘い香りが鼻腔を掠める。

 風を切り、草木をかき分けるように飛び出した先、そこは開けていた。

 薄絹の白い衣を纏った妖精たちが月光を反射する美しい羽で宙を舞い踊っており、その足元に輪を描くように白い花を咲かせていく。


(フェアリーダンスだ!)


 ナディアは目を輝かせる。吸い寄せられるように足を踏み出せば、ふくらはぎの辺りがもぞもぞとして下を見る。


「えっ」


 右足に擦り寄るようにしているのは、尻尾の先が鎌のようになっている灰色のカモシカのような生き物。瞳はナディアと同じグリーン色で、大きさは膝ほどで小さい。

 カモシカはついてこいとばかりに何度もこちらを振り返っては足を止め、少しずつ花の輪――フェアリーサークルへとナディアを誘う。

 妖精たちが歓迎するように、ナディアが来るのを待っていた。

 そして花の輪の内側に入った途端、足元から白く輝く風が吹き上げ、ナディアは両腕で顔を庇う。

 色とりどりの花びらが舞い、ぎゅっと目を瞑った。春の木漏れ日のような温もりに包まれ、次に瞼を持ち上げると――。


「ようこそ、妖精国へ」


 羽の生えた小さなエルフ、小人、青炎を纏った黒馬などの人外に囲まれ、ひとりの女性がナディアに手を差し伸べていた。

 漆黒のドレスに身を包んだグリーンアイの女性で、アゲハ蝶のように色鮮やかな四枚の羽を背に生やし、木の枝を模した杖を持っている。


「私は妖精女王、ティターニア。歓迎するよ、異世界の少女」


 気づけば異世界の妖精国に迷い込んでいたナディアを拾ったのは、この赤い紅をひいた唇で弧を描く、美しくも気高い妖精女王だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る