第4話大天使

「なんだか――やけにコシのない麺だな。煮方間違えたんじゃないか、ジン」

「あらあら、こうなったのは誰のせいかしらね? ねぇジン君?」

「そうかなぁ、私は美味しいけどなぁ。ジン君の料理はいつ食べても美味しいし」




 姉妹はミートソースのボロネーゼを口に運びながら、姉妹は口々に料理の味を品評する。


 そんなに文句言うんだったら自分で作れよ、ガキみたいにトマトソースで口の周りべちゃべちゃにしてるくせに……と文句のひとつも言いたかったが、そこで風夏がティッシュで唇の周りを拭ったのを見て、妙にドキリとした。




 今朝、あの唇に「課金」シてもらったんだよな……と思うと、どうにも心臓がうるさくなる。


 風夏だけではない、林音のあの唇にも、火凛の色素の薄い唇にも……とつられて思い出して、いかんいかんと俺は視線を逸し、ボロネーゼに向き直り、誰の言葉にも答えず、むっつりとパスタを口に運ぶことにした。



 

 と――そのときだ。


 ガチャ、という音が聞こえて、玄関のドアが開いた。




「ただいまー……」




 沈んだ声とともに帰ってきた、四姉妹最後の一人――中学三年生である末っ子であり、俺が実の妹以上に溺愛している御厨山女やまめちゃんのご帰宅だった。




「あら、ヤマちゃんおかえり!」

「うん……ただいまフー姉」

「ん? どうしたヤマ。随分元気ないな」

「んーん、別に……」




 山女ちゃんはそう煙に巻いたが、次に発せられたのは野太いため息だった。


 そのまますたすたと家の中に入ってきた山女ちゃんの、どう考えても普通ではない様子に、林音が声をかけた。




「あら、心配……ねぇヤマちゃん、どうしたの? 悩みがあるお姉さんたちに相談して?」




 林音の声に――山女ちゃんは身体が萎むようなため息をついた。




「んー、ちょっとね……部活のことで悩みがあって……」

「部活? 部活って、文芸部のこと?」

「どうしたイジメか? けしからん、私が出ていって丸く事態を……」

「やめなさいカーちゃん。あなたが出ていけば事態がこじれるわ」

「なっ――! 何を言うんだリン姉ぇ! どういう意味だ!?」

「山女ちゃん」




 俺はそこで初めて、冴えた口調で口を開いた。


 山女ちゃんだけでなく、他の三姉妹の視線も俺に集中した。




「誰かに相談したいけど、お姉さんたちは頼りないから相談したくないんだよね?」




 俺がズバリ言うと、山女ちゃんはすぐ首を縦に振った。


 途端に、プライドのない三姉妹から「おお~」と感嘆の声が上がる。




「ジン君すっごーい」

「ジン、お前鋭いな。なんでヤマがそう考えてるってわかったんだ?」

「私たちが姉として頼りない姉だってよく知ってるわねぇ」




 当然だ。山女ちゃんはこのダメ姉妹の末っ子、貴重な常識人だから、この姉たちが如何にダメな人間たちなのか知り抜いているのだ。




 山女ちゃんはこの姉妹の中では最も温厚で、最も俺の家事を手伝ってくれる俺の「大天使」――そして、姉妹で一番の引っ込み思案でもある。


 だらし姉ぇ、歪み姉ぇ、仕方姉ぇの黒い三連星に頭を押し付けられるようにして生きてきた彼女は、それ故なのか何なのか、小さい頃から外で快活に遊ぶよりも、部屋にこもって本を読んでいるような文学少女だった。


 その本好きが高じて、中学では名門と名高い文学部に入ったのだけれど、特に悩みもなく今までは楽しそうにしていたはずで、山女ちゃんがここまで部活のことで落ち込んだところは見たことがなかった。


 でも、このダメ姉どもの血縁関係者でない俺なら、その悩みを話す気にもなるかもしれない。




「ほら、このプライドが全く無いダメ姉どもは無視していいから。代わりに俺が聞くよ。話してごらん?」




 俺が保護者の声で促すと、しばし迷ったような表情とともに視線を下に落とした山女ちゃんは――それから観念したように話し始めた。




「今度、文化祭に出す短編があるんだけどね……」

「うん」

「ちょっとそこの書き方で詰まってて……何回も何回も書き直したんだけど、うまくいかなくて……」

「はぁ……どんなシーン?」

「どんなシーン、って……」




 俺が頷くと、山女ちゃんは何事なのか、顔を俯けてしまった。


 え? と俺がその顔を覗き込むようにすると、山女ちゃんは体ごと俺から逃げた。




「山女ちゃん……?」

「ス、シーン……」

「へ?」

「キス、シーン、キスシーンなの……書けないシーン」




 シーン……と、まるでダジャレのように場が静まり返った。


 俺と三姉妹が空中で視線を錯綜させると――口を開いたのは風夏だった。




「あの、ヤマちゃん? あのね、そういうのは別に悩むようなことじゃ……」

「悩むよ! だって仕方ないじゃない! まだ……私、男の人とシたことないし!」




 何かが爆発したかのように、山女ちゃんは張り詰めた大声を出した。


 その声に少々気圧されてしまうと、泣きそうな顔で山女ちゃんは姉たちを見た。




「でも絶対必要なの! キスシーンも出てこない恋愛小説なんてお肉が乗ってない牛丼みたいなものだもん! でも書けないの! 色々そういうこと想像したり、お気に入りの本を読んだりしたのに、私、どうしても書けなくて……!」




 それを最後に、山女ちゃんは肩を小さく震わせてシクシクと泣き出してしまった。




 キスシーン……俺は少し動揺した。今まではほんの子供だとばかり思っていた山女ちゃんが、そんな大人びたシーンを書きたいと熱望する年齢になっていたとは。


  


 どうしようか……俺たちが再び視線を錯綜させたその時、林音の目が光った。


 ぱちり、とフォークをテーブルの上に置いて、林音は諭す声を出した。




「ヤマちゃん、そんなことで悩む必要はないのよ?」




 山女ちゃんが真っ赤な目で林音を見た。




「書けないなら――研究すればいいだけなの」




 けんきゅう? と、山女ちゃんの唇が動いた。


 姉妹の中では一番薄い、年相応の未発達の唇――って、何を考えてるんだ、俺は。ふざけんな、山女ちゃんは俺の妹にも等しい存在なんだぞ。




 というか、気になるのは今の林音の発言である。


 まさか、まさか、林音の言う「研究」って――。




「いるじゃない、ここに。いつもいつも私たち三人から課金シてもらってる経験豊富な男の子が」




◆◆◆




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