第2話 やるしかないのなら

 ゴブリンの死体を前に、俺は深い息を吐いた。現実感のない状況に戸惑いつつも、生き延びるためにやむを得なかったと自分に言い聞かせる。


「一体ここはどこなんだ?」と呟きながら、周囲を見回す。見知らぬ森、そして今まで見たこともない生き物。これが現実なら、俺はどこか全く違う世界に来てしまったのかもしれない。


 しかし、考えている暇はない。この森にはまだ他のゴブリンや危険な生物がいるかもしれない。ゴブリンが持っていた斧を掴む。サイズは通常の手斧よりも少し小さいが、先ほどのゴブリンの突進を何度も耐えた耐久力は本物だ。武器としては頼りないが、素手や落ちている石や枝に比べればマシだった。


 斧を手に取り、森の中を進む。不安と緊張が入り混じる中、俺は周囲に気を配りながら歩を進める。どこかに人里や安全な場所があるはずだ。そう信じて、前を向いて歩き始めた。


 何時間経っただろうか。空腹と喉の渇きで今にも倒れそうになる。どうにかして川でも見つけないと、夜まで持たないかもしれない。夕方までに村を探すのが理想だが、土地勘のない未知の場所でそれを求めるのは難しいと気づく。


 そう考えていると、遠くから水の音が聞こえてきた。希望が湧き上がる。「川だ!」と心の中で叫びながら、音のする方向へ急ぐ。木々の間を抜けると、小さな清流が見えた。喜びと安堵感で胸がいっぱいになる。


 煮沸していない川の水を飲むとお腹を壊すかもしれないが、そんなことを考える余裕もない。満足するまで水を飲む。


 水を飲み終えると、少し体力が戻ってきた気がした。しかし、まだ安心はできない。この川に沿って歩けば、どこかに人里があるかもしれない。そう考えながら、川沿いに歩き始めた。


「にしても、体の疲れってものをあまり感じないな」と声に出る。川沿いを歩き始めてから2時間ほど。体育の持久走が得意なタイプではない俺だが、少なくとも5時間は歩いているはずだ。体内時計的に。


 少しお腹が空いてきた。朝食を6時半ごろに食べたので、5時間歩いているなら11時ごろか?いや、あそこで横たわっていた時間がわからないから、何とも言えないな。


 このおかしな状況に少し慣れてきたせいか、油断していたようだ。数時間前までゴブリンに命を狙われていたことを忘れて。


 突然、森の方から物凄い勢いで何かが飛んできて顔の横を掠める。


「あぶね!」


 顔を数センチ横にずらすと、顔のあった位置に矢が通る。振り返ると、先ほど倒した化け物と同じようなゴブリンが槍を構えて突撃してくる。


 地面を膝で滑って、体勢を整える。ゴブリンが顔の上を通過し終わる直前、右手の斧を腰をひねりながら打ち込む。


「よっしゃ、クリティカルヒットだ!」


 ゴブリンは右斜め後ろに飛び、川の方に音を立てて落ちる。倒れた体をすぐに起こし、川の方を向く。頭ではなく足を狙ったので、まだ動けるはずだが…


 そのとき、肩に鋭い痛みが走る。


「痛っ!」思わず声が漏れる。振り返ると、別のゴブリンが右手に矢を持っている。肩に矢が刺さっている。痛みをこらえながら、川に落ちたゴブリンを確認する。まだ動くまで時間がありそうだ。「くそっ、2匹いたのか」と歯を食いしばる。


 矢を持つゴブリンを見ると、右腕が異様に発達している。弓は持っていないようだ。その腕で矢を投げているのだろう。


 状況を素早く判断する。矢を投げるゴブリンと川に落ちたゴブリン、2つの脅威に同時に対処しなければならない。時間がない。咄嗟に、肩の矢を引き抜き、投げるゴブリンに向かって全力で投げ返す。


 右腕ゴブリンは矢を慌ただしくよける。まるでスキップのできない人が無理やりスキップするような、そんな違和感を覚える。おそらく、異様に発達した右腕で左右のバランスが取れず、回避行動が取りづらいのだろう。


 その隙を見逃さず、右腕ゴブリンに向かって突進する。体勢を立て直す前に、斧を振り下ろす。頭を一撃で潰す。


 ゴブリンから拾った斧は切れ味が悪く、切るというより潰す形になる。頭を潰されたゴブリンは、その場に崩れ落ちた。一瞬の静寂が訪れる。


 しかし、油断は禁物だ。まだ川に落ちたゴブリンが残っている。


 川の方を見るが、ゴブリンの姿はない。「どこだ!?」視界外から超速で飛んでこられたら一撃で殺される。


 そう考えていると、川の中から飛び出してくる。足に目をやっても傷らしい傷は見えず、ほとんど無傷だ。


「さっきの腕ゴブリンは柔らかかったじゃないか!」と文句も言いたくなる。


 地面に落ちている腕ゴブリンの矢を左手に取る。細くて振り回す武器には使えないが、さっき俺に刺さったのを見るに斧より切れ味が良く、殺傷能力がありそうだ。たぶん。


 ゴブリンは地面を蹴って突っ込んでくる。しかし、一戦目のゴブリンや接敵時のスピードに比べて遅く感じる。


 俺はゴブリンの動きを見極めながら、左手の矢を握りしめる。右手の斧を構えつつ、相手の攻撃を待つ。ゴブリンが間合いに入った瞬間、矢を突き出し、同時に斧を振り下ろす。


 斧で槍を弾き、矢を胸部に一突き……。それが内臓を刺したのか致命傷となり、ゴブリンの目の光が消える。


 ゴブリンの死体を確認し、周囲を警戒しながら深呼吸する。戦いの緊張が少しずつ解けていく。


 ゴブリンたちの死体の腰に布袋があり、中をあさってみると果物がいくつか入っていた。ちょうどいい腹ごしらえになる。


 命の危機を脱し、腹ごしらえもできたせいか、緊張感が急速に薄れていく。そして、俺の意識は突然途絶えた。

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