第九章 みんなと幸せに
第六十二話 毛糸の湯のし
十一月三十日の日曜日。
「姉さん、火鉢持ってきたよ」
セーターに
「ありがとう。ミシンを運ぶ邪魔になるから窓の側に持ってきて」
布団を奥に寄せながらもんぺ姿のかつらが答えた。窓は換気のために少し上げてある。
「火鉢が出るといよいよ冬本番って感じね」
しみじみとつぶやくかつらに康史郞が相づちを打つ。
「今日は
「もうすぐ
「分かったよ」
康史郞は外に出て行った。陶器の火鉢は炭を起こして暖める準備がいる。今日は湯のしをするので、ヤカンを掛けてお湯も沸かさなくてはいけない。かつらはちゃぶ台の上にあらかじめセーターをほどいておいた毛糸とミシンの革ベルト、工場から借りたミシンの説明書、山本さんから借りた工具箱を並べた。
「そうそう、リュウさんの服を作る準備もしなくちゃね」
かつらは柳行李から竹の長い物差しと裁縫箱を取り出すと、ちゃぶ台の上に置いた。
「後はこれも、忘れずにカイ君に渡さないと」
かつらは肩掛けかばんから
十一時を回った頃、ミシンを載せたリアカーが
「みなさんありがとうございます。まずは一休みしてください」
お盆に湯飲みとミカンを載せたかつらが出てきた。こんなに人が来るのは珍しいので、ごはん茶碗や味噌汁椀も総動員である。
「戸祭さんも折角の休みなのにすみません」
お茶を淹れるかつらに戸祭は汗を拭きながら答えた。
「背中怪我してる兄さんに無理はさせられないからな。これもらったら帰らせてもらうよ」
「怪我はもう大丈夫です。かつらさん、ミシンの説明書を見せてくれませんか」
隆は作業服のポケットから軍手を取りだす。かつらは説明書を手渡しながら言った。
「ミシンの修理と湯のしが終わったら、みんなで銭湯に行きましょう。カイ君とリュウさんの分はこちらで払うわね」
かつらが見守る中、隆はベルトの取り付けを始めた。火鉢の方では、ヤカンの口につけた湯のし器から、湯気で伸ばした毛糸が出てくるのを康史郞が巻き取っていく。毛糸を繰り出すのはカイとリュウの役目だ。
「ところで、病院のヒロさんはどうだった」
康史郞の問いにカイが答える。
「だいぶヒロポン中毒が治まってきたから、正月には帰りたいって言ってた。それと、ヤマさんの代わりに俺たちを住み込みの従業員として雇って店を続けたいってさ」
「良かったじゃないか」
毛糸で両手がふさがっている康史郞がうなずく。
「そうそう、あのミシンは元々ヒロさんの家にあったもので、お袋さんが使ってたのを防空壕に避難させてたんだってさ。でも家も空襲で被害を受けて、お袋さんも奥さんも亡くなっちまったんで、使える人がいるなら持っていけって言ってた」
「そうか、ヒロさんも大変だったんだな。ヤマさんのことは何か言ってた?」
「ヤマさんは
「本当しつこいな。あの刑事さんに教えた方がいいかも」
あきれたように言う康史郞に隆が呼びかけた。ベルトの取り付けが終わったようだ。
「
「一体何ですか」
取り付けたベルトの具合を確かめていたかつらが尋ねる。
「戸祭さんが言ってた、私たちの婚約祝いを兼ねた新年会を『まつり』で開きたいんだ。みんなを招待してね。その時に……」
隆は声のトーンを落とした。
ミシンの設置も無事終わり、かつらはミシン台の引き出しに入っていた糸を取り付けて試し縫いを始めた。戦時中に使っていた防空頭巾だ。
「いい感じよ。後は油を少し差した方がいいわね」
「姉さん、その頭巾何にするの」
湯のしをした毛糸を洗濯紐に引っかけながら康史郞が尋ねる。
「この椅子、座面がボロボロでしょ。座布団代わりにしようかなって」
「確かに、もう被ることもないもんな」
「これを被って逃げるなんてこと、二度としたくないわ。これからカイ君の服の裾上げと、リュウさんの服を作るから寸法を測らせてね」
「うん」
リュウは笑顔で答えた。かつらは康史郎に呼びかける。
「康ちゃん、隆さんと一緒に先に銭湯に向かってもらえる? 後から三人で追いかけるわ」
康史郎と隆を送り出した後、間仕切りの布の向こうに入ったかつらは、カイとリュウに改めて切り出した。
「実は、二人に頼みがあるの。
かつらは葵のハガキを取り出す。カイは驚いたようだが、すぐに思い出すように話し出した。
「芝原家はうちの『
「その葵さんが家出をする手伝いをして欲しいの。十二月六日の土曜日、朝十時前に芝原家にリアカーで行けるかしら。お礼に質屋に預けてある兄の布団を差し上げるわ。そしたら
「アニキ、お店は休みになるけど手伝おうよ」
リュウが身を乗り出す。
「だけど、俺たちを見て驚かないかな」
心配するカイに、かつらは葵のハガキを差し出した。ハガキの余白に葵の文章が書き足してある。
『
「俺たちも色々あったけど、芝原も色々あったみたいだな。力になるよ」
カイはハガキを見ながらかつらに言った。
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