第五十四話 翡翠の秘密
昼下がりの
「この
かつらは家族写真の母を見た。
「母は戦時中もこの帯玉を袋に入れてがま口の中に入れてました。父が満州で戦死した後、わたしにだけこっそり見せて『お嫁入りするときには一緒に持っていきなさい』と言ったんです。家を出るわたしへの贈り物にしたかったのかもしれません」
かつらの話を聞いて思いだしたのか、康史郞が口を開いた。
「親父が亡くなった知らせを受け取ったのは疎開先だったな。みんなの前だから何でもない顔してたけど、夜中にこらえきれなくて泣いてたら、
「そうだったの。だから征一君と親友になったのね」
かつらはうなずいた。
「お母さんはかつらさんにいずれ渡すつもりだったんですね。それならどうして」
隆の問いにかつらは目を伏せた。
「東京大空襲の夜、わたしたちは家の防空壕に逃げようとしました。でも母が『位牌を持ってくる』と仏間に行って、戻ってきたところにB29の焼夷弾が落ちてきたんです。家はすぐ火に包まれ、わたしと
「母さんは命がけで親父たちの位牌を持ち出したんだね」
康史郎がしみじみとつぶやく。
「わたしたちは外の防火水槽にあった桶で火を消すと、大やけどをした母を背負って逃げようとしました。でも母は位牌の入ったこの肩掛けカバンをわたしに渡して、『私を置いて逃げて』と言ったんです。母は『
「……じゃ、母さんは」
康史郞のすがるような目から逃れるように、かつらは写真を見つめた。
「上野までなんとかたどり着いたわたしたちは、火に包まれる眼下の町を見つめることしか出来ませんでした。翌朝、日が昇った町にはいぶった煙がそこここに上がっていて、黒焦げの死体が山のように折り重なっていました。何もかも燃えてしまい、母を置いてきた防火水槽がどこかも分かりません。それでも、母が待っていると信じて防火水槽を片っ端から見て回りました。
かつらはカーディガンの袖で流れ出る涙を拭おうとしたが、止めることは出来なかった。
「翡翠は火に強い。きっとお母さんを見つけられるよう守ってくれたんですよ」
静かに、しかし力強く隆が言った。
ようやく涙を止めたかつらは再び話し出した。
「戦時中は検閲もありましたから、空襲で母が亡くなったことを康史郞に手紙で伝えることもできませんでした。くじけそうなわたしを勇二郎が『僕たちで兄さんたちの帰る場所を守るんだ』と励ましてくれたんです。勉強好きな勇二郎は、逃げた時にも教科書の入ったカバンを持っていき、いつも防空壕の入口で読んでいました。もっと勉強したかったのだと思います。でも、わたしは母の願いに応えられず兄さんと勇二郎を死なせてしまいました。だからこそ残った康史郞はなんとしても一人前に育てたい、それまではわたしのことは後回しだとずっと思ってきたんです」
康史郞はかつらに歩み寄り、手を取った。
「姉さん、話してくれてありがとう」
「康ちゃん」
かつらはまた涙が溢れそうになるのを必死でこらえた。
「俺、母さんも勇兄さんも、もっと好きになったよ」
「わたしのこと、怒ってないの」
「今さら怒っても仕方ないし、俺がもっとしっかりしないと姉さんがいつまでたっても京極さんとつきあえないからな。俺だって幸せな姉さんを早く見たいんだ」
康史郞は明るく言ったが、目が赤みを帯びているのがかつらには分かった。
「良かった。ようやくかつらさんも重荷を下ろすことが出来たし、姉弟の絆も深まって」
隆がほっとしたようにつぶやく。かつらは顔を上げると隆に呼びかけた。
「隆さん、わたしに『結婚を前提におつきあいしてくれませんか』と言ってくれた時、嬉しかったです。まだその気持ち、変わっていませんか」
「もちろんです」
「結婚は康史郞が中学校を出るまでは待っていただけませんか。それで良かったら」
隆は一瞬驚いたが、すぐに笑顔で答えた。
「かつらさん、よろしくお願いします」
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