第五十三話 谷中墓地へ
昭和二十二年十一月二十三日は日曜日だが、
「昨日は寒かったけど、今日は暖かくなりそうね」
かつらはカーディガンを羽織ると財布から
「お線香とマッチはわたしが持つわね」
「じゃ、お弁当は俺が持つよ」
康史郞は自分の肩掛けカバンに弁当箱を入れた。今日はお墓参りということもあり、学生服に学生帽の正装だ。
「
かつらは目覚まし時計を見る。十時を少し回ったところだ。
「写真も持っていこうよ」
康史郞は立てかけてある家族写真を取りあげ、かつらに渡した。
「そうね」
かつらは写真を受け取りながら心の中でつぶやいた。
(今日は特別な日になるかもしれないわ。お母さん、見守っててね)
ほどなく
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。今日は上野広小路駅で都電を乗り換えて
かつらは先日買った靴を履きながら隆に答える。
「俺、先に電停に行ってるよ」
先に外に出た康史郞は待ちきれないように歩き出した。
都電を乗り換え、谷中墓地近くの団子坂で下りると、三人は坂の上にある墓地に向かって歩き出した。隆は菊の花束を抱えている。
「お花代を出してもらってすみません」
頭を下げるかつらに隆は微笑んだ。
「お昼代の代わりですよ。気にしないで下さい」
隆は辺りを見回した。坂の下は焼け野原になっているが、上の方は建物が残っている。
「それにしても、ここまで空襲の火が来たんですね」
「住人がバケツリレーで必死に食い止めたそうですわ。おかげで墓地も守られたんです」
かつらは小声で答える。前を行く康史郞が振り返って呼んだ。
「早く行こうよ」
「ええ」
かつらは歩みを早める。新しい靴のお陰で足取りも軽くなっているようだ。
谷中墓地の中にある横澤家の墓所にたどり着くと、かつらは水筒の水を墓石に掛け、線香と菊の花を供えた。康史郞と隆が続けて手を合わせる。
「京極さん、ここにみんなの名前が刻んであるんだ」
康史郞は墓誌が刻まれている墓石の横に回った。
「失礼します」
隆は康史郞の後ろに立った。康史郞が墓誌を指差しながら説明する。
「おじいちゃん、おばあちゃん、父さん、母さん、兄さんたち。おじいちゃんとおばあちゃんは生まれる前に震災で亡くなったから会ったことはないけどね」
「関東大震災ですか。本当に災難でしたね」
「ええ。父も母も震災で家族を全員亡くしました。二人はそれぞれ仕事場にいて助かったんですけどね。お互い同じ町内の顔見知りだったそうで、後片付けをしていた時に再会しそのまま結婚したと母に聞かされました」
「母さんは毎年九月一日が近づくとここにお墓参りをして、俺たちに震災の時の話をしてくれたんだ。『助かった知り合いの話では、おじいちゃんたちは
康史郞の話を聞いていたかつらの顔が曇った。手は無意識に胸元の翡翠を掴んでいる。その異変に気づいたのか、隆が話題を変えた。
「うちは震災の後に上京したんです。と言っても駆け落ち同然だったようで、実家との交流はありませんでした。それでも父の
隆は国民服のポケットから、パラフィン紙の包みを取り出した。開くと小さな写真が入っている。
「これが私の両親と弟の写真です。出征する前に撮ったんですが、戦場から捕虜になった時もずっと持っていたのでかなり痛んでしまいました」
かつらと康史郎は差し出された写真を見つめる。自宅らしき家の前で軍服姿の隆と、眼鏡に国民服姿の父親、もんぺに割烹着姿の母親、中学校の制服を着た弟の靖が映っている。
「とても仲の良い家族だったんですね。写真だけでも分かります」
かつらは目を細めて写真を見つめる。隆は写真をしまいながら静かに言った。
「まだ位牌やお墓を作る気にはなれないんですが、そろそろ踏ん切りを付けなければと思っています。家族が生きていた証ですからね」
「生きていた証、ね」
かつらはつぶやくと翡翠の帯玉を胸元に出した。
「康史郞、わたしあなたにずっと隠していた事があるわ。この翡翠、母さんの形見なの」
「母さんの?」
康史郞はかつらに詰め寄る。
「そんなの知らないよ。どうして隠してたの」
「ごめんなさい。東京大空襲で母さんが亡くなった時、本当は何があったのか話すのが恐かったの。康史郞はきっと許さないじゃないかって」
康史郞はかつらに向き直った。真一文字に結んだ唇が開く。
「話を聞かなきゃ俺にも分からないよ。それに、俺だってもう子どもじゃない。姉さんの話も受け止めたいんだ」
「ありがとう」
かつらは頭を下げると隆に顔を向けた。
「すみません、隆さんにもわたしの秘密、知ってもらいたかったんです。聞いていただけませんか」
「もちろんです。私もあなたに色々話しましたから、お互いさまですよ」
「そう言ってもらえると、気が少し楽になります」
かつらは家族写真を取り出すと墓石に立てかけた。
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