41. 誤解は続く

 ぼくの部屋にふとんが二組、畳まれた状態で並べてあった。

 ふすまをへだてて奥にある部屋は、むかし、おばあちゃんが使っていたところで、いまは物置のようになっている。ふとんを敷くことができないわけではないが、そのためには一通り掃除をしないといけない。


 受験勉強をしている夏季なつきの部屋に、ぼくのふとんを持っていくわけにはいかないし……となると、一階の客間くらいしか使えない。というか、客間を美月みづきに使ってもらうのかと思っていた。でもどうやら、美月はぼくの「恋人」だと誤解されているらしいので、こういう形になったのだろう。


「ほんと、ごめんね。みんな、誤解してしまってるみたいで……」

「ううん。恥ずかしいけど、その……なんだろう。悪い気持ちには全然ならなかった。むしろ、ちょっと嬉しかったというか……」

「嬉しかった?」

「ううん! なんでもない!」

 慌てて胸の前で両手を振る美月。

「とっ、とにかく! わたしは、ぜんぜん気にしてないからね。鱗雲うろこぐもくんのお母さんも、弟さんも、とてもいい人だなって思った」

「ほんと……?」

「うん、ほんと。お話ししていて、すごく楽しかった」

 美月は、にっこりと微笑んでくれる。


 それならよかった――のだけれど、ともかくあとで、注意をしておかないといけないな。これ以上、美月には迷惑をかけてはいけない。


 だが、母さんは美月のことを、ぼくの彼女だと「確定」してしまっている。ぼくの抗弁をすべて、「照れ隠し」だと退しりぞける。


「恥ずかしいのよね。大丈夫よ。お母ちゃんはなんでも分かってるんだから。まかせなさい。あなたたちの仲が、もーっと深まるように、がんばるから」

 そして、惑星の軌道がくるえば、太陽系がめちゃくちゃになるみたいに、母さんから父さんへと、間違った情報が伝達されることになる。


 夕方、ビニールハウスの増設の準備をしていた父さんが帰ってきた。


 千葉のプロ野球チームのキャップを脱いで、「久しぶりだなあ! おかえり!」と、熱烈に歓迎してくれたのだが、ぼくが帰宅の挨拶を返すより先に――

「お父さん、たいへんなのよ!」

「えっ? どうしたんだ?」

風吹ふぶきがね、彼女を連れてきたんだけど、とんでもなくかわいくてね……もう、女優さんかと思ったわよ、最初は」

 父さんは、ニヤニヤとぼくの顔を見たかと思うと、

「うまくやったなあ、風吹。お前にそんな芸当ができるなんて、いったいだれに教えてもらったんだ」

 ――などと言ってくる。


 はやく訂正しなければと口を挟もうとしたのに、ふたりは、よからぬ打ち合わせをはじめてしまった。

「いい? お父さん。美月ちゃんに、風吹のいいところを、それとなーくアピールするのよ」

「美月ちゃん? ああ、風吹の彼女さんの名前か。分かった。むかしの良いエピソードをたくさん話そう。とくに〈家族思い系〉のやつで攻めよう」

「うん、それがいいわね。あとは〈人助け系〉とかもいいかもしれない」

「そうだな。野口さんのご隠居いんきょが熱中症になったときのやつとか……」

 どうやら、もう引き返せなくなってしまっているらしい。


 実家に帰るむねを、母さんに電話したときに、「バイト仲間」だということを、もっと強調するべきだった。

 しかしなぜだろう。美月がぼくの彼女ではないというを、母さんたちが理解したときのことを考えると、少なからず不安を感じてしまう。


 じゃあ、美月はどういう立ち位置なのか、どう接するのが正解なのかと、ぼくの家族が混乱することになり、それによって、美月の肩身が狭くなってしまうかもしれない……そう心配になるからだろうか。

 一言でいえば、この「空間」の調和とか均衡とかいうようなものが、乱れてしまうことへの恐れではないだろうか。


 なんというか、「美月は彼女ではない」ということを「取り合わない」でいてくれる――が、宙づりにされた状態が、みんなにとって幸せに……いや、それは、ぼくの身勝手な考えだ。

 絶対に、美月は迷惑している。美月のことを、一番に想うべきだ。


「風吹。することがないのなら、夜ごはんの準備を手伝いなさい……あ、そうか」

 母さんは、拳で掌を「なるほど」と打った。なにに気付いたのだろう?


「美月ちゃんとしたいわよねえ。ごめんね、気付かなくて。ささ、部屋にいきなさい。でも、羽目を外しすぎちゃダメだからね」

 ……夜ごはんの準備を手伝わせてください。

「よし、お父さんが風吹の分をやることにしよう。いいか。母さんの言う通り、するにしても、こっそりとするんだぞ」

 父さんまで! あの鶏肉はぼくが揚げるよ!


「お父さんと付き合いはじめたころのことを、思いだすわねえ」

「熱い夜を何度も過ごしたなあ」

「やだ、お父さん。風吹がいるんだから……でも、ほんとうに、燃えるような日々だったわ」

 やっぱり、一刻もはやく、美月とぼくが「バイト仲間」以上の関係ではないことを、分からせなければ。

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