39. 手を繋いで
むかし、家族旅行で電車に乗っていたとき、トンネルのなかで少しのあいだ止まってしまったことがあった。乗っていた電車の問題ではなく、「線路内への立ち入り」による緊急停車だったのだが、妹はこの一事を、自分の生死の問題へと連結させてしまった。
というと、大袈裟でトンチンカンなことだと一笑に付すひともいるかもしれない。だけど当人からすれば、ほんとうにそう思えてしまうのだ。このうす暗がりのなかで身動きがとれない。とすると、いま急病になってしまったとしたら、すぐに病院に運び込まれない。そんな風に連想をしてしまうのだ。
これも、論理が飛躍しているとか、都合のいい妄想だとか、取り合われることなく一蹴されるかもしれない。
でも、これは何度でも言いたいことなのだけれど、このことが妹からすれば大事件であるという事実を踏みにじるひとたち――あの日、同じ車両にいて、泣いてしまった妹を「うるさい!」と叱ったひともそのひとりだ――とは、今後かかわりあいになりたくない。
もし、何時間も停車していたとしたら、妹のパニックがどうなっていたか分からない。幸いなことに、十分後には電車が動き出した。しかし妹は、帰りは絶対に電車に乗りたくないと言い張った。同じことが起きるのが、こわいからだ。
こういうときは、想像しているようなシナリオは絶対に起こらないということを、根気強く説明しないといけない。急病になれば、必ずすぐに応対してくれる……とか。あれだけ乗客がいれば、お医者さんもいるはずだ……とか。
でも、こういう「対応」をしてあげられるのは、ぼくたち家族だけだし、とりわけ、ぼくの言うことしか信じなかった。だから家の外に出れば、妹は「わがまま」だとか「めんどう」だとかいうレッテルを貼られてしまう。
かわいそうだった。なんで妹だけ、こんな不遇に甘んじないといけないのだと。だけど、「かわいそう」と思うこと自体の愚かさのようなものも、ぼくは――ぼくだけは、後に反省することができた。
* * *
あのとき乗ったのも、この電車だった。
「大丈夫?」
だけど、
だから、ぼくは美月の右手を、ぎゅっと握った。その瞬間、美月の思考は止まったようだった。深呼吸をするよう、うながす。
「大丈夫だよ。ぼくとふたりで旅行をするのが初めてだから、ちょっと動揺しているだけだよ。乗り換えの駅で薬を飲もうか。美月はお医者さんから処方されている薬を持ってきているんだから、絶対に大丈夫」
もう大人とみられてもいい年なのに……などという視線が、よけいに美月を苦しめているのも、知っている。大人だから、子供のときのようなパニックを起こしては「ならない」というような思考になってしまい、余計に不安と心配が募っていくのだ。
冷たくなった美月の手を、優しく包みこむ。美月が自分の力で落ちついていくよう、そっと見守る。まだ一年も経たない付き合いだけれど、これが回答のひとつであることは分かっている。
ぼくたちの間に生じた「ぎこちなさ」みたいなものが、少なからず、雪どけをしていくのを感じる。時間の経過とともに、自然と。だけどどうしても、あの先走った行動を、もう一度謝りたい。それなのに、そのチャンスは、春の蝶のように逃げてしまう。
腕時計を見ると、もうすぐ乗り換えの駅に着くころだった。山間を抜けて平野部を突っ走っていく。晴れ渡る空は、どこまでも続いている。ぼくの実家までずっと、この爽やかな天気のままであってほしい。
ぎゅっ、ぎゅっと、ぼくの手がもまれた。美月の方へ目をやると、小声で「ありがと」と言ってくれた。そのほほえみに、おもわず、ドキッとしてしまった。
いま手を繋いでいることが、別の意味を持ちはじめていることに、気付いた。
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