25. 研究発表会の誘い

 その日の夜、胡桃ことう先生に指摘していただいた箇所を直していると、芭蕉ばしょう先輩から返信があった。


 今年度に制作した『研究科紀要』を、各大学に送付する準備を行なう日程を調整するために、何度もやりとりをしていたのだけれど、

《2月20日は大丈夫です。できればこの日にお願いしたいです》

 ということで、日にちについては落ちついた。


 思いだされるのは、初詣の日の先輩との一夜のことだ。どういう顔をして会えばいいのか分からない。

 あの「指切り」で約束したことも――もし旅行に行くとしたら、お互いに研究が一段落したときかもしれない。来年の3月くらいになるだろうか。


 そうか、来年度で芭蕉先輩とは、ひとまずお別れになる。そう思うと寂しくなってくる。卒業したあとも、連絡を取り合うことはできるだろうか。


     *     *     *


 年が明けて、また「メゾン」でのバイトが始まった。今年になっても、人足はまばらで、大盛況になるということはない。


 しかし、福袋セットは大いに売れた。元日のあの日――始発で帰り少し仮眠を取って、午後からバイトに来てみると、もう福袋は半分くらいしか残っていなかった。


 これは、ひとつの「恒例のイベント」として、地元の人たちに愛されている証拠だ。子どもたちのことを思って、オーナーが頭を悩ませて作ってきた福袋。その気持ちは、お店に来る人たちに、ちゃんと伝わっている。


「そうだ。この前もあの方がお見えになったから、1戦だけしてもらったんだけど、やっぱり強いねえ」

「いままで一度も『引退』をしたことがないみたいです」

 お客さんのいない店内で、美月の代わりに玩具おもちゃの整頓作業をしているマサさんと、藍染あいぞめ先生のことを話していた。

「そりゃすごいな。学校の先生なんて多忙だろうに、『グローリア』をさわり続けてきたんなら、そりゃ、強いわけだよ」


 マサさんがいうには、一日ついたちの昼頃、藍染先生が、お子さんを連れて来たらしい。パックを開封してカードを眺めているうちに、『グローリア』に興味を抱いたらしく、お年玉で構築済みデッキとカード1枚を買っていったとのことだ。


「ショーケースを食い入るように見ていたよ。嬉しかったなあ」

 最初に自分で選んだ1枚は――初めて組むデッキの「切札」は、一生手放せないものになると、マサさんはいう。もう「完全引退」をしたマサさんも、最初に組んだデッキの「切札」だけは、手元に置いているとのことだ。


「もちろん、お子さんがいるからって、手は抜かなかったよ。むしろ、真剣勝負を見せた方が、もっと興味をもってもらえると思ったからさ。目を輝かせて、対戦を眺めていたよ。それも嬉しかった。でも、ボコされたけど。粘ったんだけどね。一度盤面を一掃したのに、またすぐに展開されてしまって……」


 いつになく饒舌なマサさん。さっきいくつかのカードの値段をそっと書き換えていた。

「あの構築済みデッキに相性のいいカードだけ下げたんだよ。秘密だからね。あの子たちがこのカードを選ぶかどうか……楽しみだなあ」


 藍染先生との交流がはじまってから、マサさんが楽しげにしている姿を見ることが増えた。美月みづきのお母さんは、そんなマサさんに不平不満をもらしていたけれど。「あんまり人様の奥さまを……」云々うんぬんと。


「おっ、美月。お帰り」

「ただいま、お父さん……と、鱗雲うろこぐもくんっ」


 美月は、部屋に荷物を置いてからお店へと顔をだした。


「じゃ、あとは頼んだよ。奥で寝てるから、なにか用があったら呼んでくれ」

「はーい」

「マサさん、お疲れ様です」

「はい、お疲れー」


 思いっきりあくびをしながら下がっていったマサさんに、美月は苦笑する。

「お父さんには、悪いことしちゃったな。急に代わってもらって」

 帰ったばかりの美月の顔色が、少しだけよくないのに気付いた。


「大学でなにかあった?」

「えっ? なんで?」

「ちょっと疲れている感じがしたから」


 すると美月は少しためらいがちに、「研究発表会が3月にあるんだけど、なにかといろいろあってね……」と言って、無理に微笑んでみせた。

 さらに理由を聞くべきか迷っているぼくに、美月はこんな提案をしてきた。


「そうだ。よかったら鱗雲くん、研究発表会に来ない? 一般開放もされていて、毎回、学外からも聞きにくるひとがいるらしいから」

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