24. 一緒に考えませんか?

鱗雲うろこぐもくん! お待たせしました!」

 一冊の本を抱えた桐生院先生は、ぼくの対角線上にある椅子に腰をかけた。その距離感もここちよい。圧迫感がないし、ゆったりとした気持ちになれる。


胡桃ことう先生たちとは、どんな本を読んでいるの?」

 先生は、メモ帳を取りだし、スーツの胸ポケットからボールペンを引き抜いた。


「胡桃先生とは、移行期正義に関する本を中心に読んできました。神凪かんなぎ先生とは、来年度から、中東部アフリカの近現代史の本を読むことになったのですが、いままでは国連の文書であったり、国際法の入門書を精読したりしてきました」


「なるほど……鱗雲くんは、ええと、パッと思いだせないけれど、中部アフリカのどこかの国の内戦後の和解政策の研究をしているんだったね。だとしたら、そうした研究書を読むのは必然、ということだろうね。ううん、だとしたら僕は、歴史学の理論的なものを講義しようか。もし、鱗雲くんがよければだけれど」


「理論的なもの……ですか?」


「ぼくは、サハラ砂漠より南にある国の歴史は専門外だけれど、鱗雲くんの研究は、和解政策をらなければならなくなった、内戦に至るまでの経緯を事細かにみていく必要があると、僕は思う。去年の研究発表を聞く限り、そこは大切な部分だと思った。そのとき、歴史史料や研究書にはそれを書いたのが誰なのか、ということが重要になるし、書かれたことを真に受けてしまうことの弊害もある」


 桐生院先生は、短く息継ぎをした。


「たとえば、史料を記したのが、現地の人々か、それとも植民地政府の官僚か、であったり、研究書を記したのが、どこの国の、どのような立場の研究者なのか、であったり。それを意識することによって、記述されたものには〈先入観〉が紛れこんでいることが見えてくる。そうした、歴史史料や研究書を読む上での心構えみたいなものを、みっちりと、なんて、どうだろうか?」


 桐生院先生は、とても分かりやすく、ぼくが研究を進める上で必要なことを説明してくれた。


「それでね、この本を一緒に読もうと思うのだが、どうだろうか。これは僕のだけれど、さっき図書館のウェブサイトで調べてみたら、すでに図書館に入っていたし、たぶん借りられることはないだろう。貸し出し中になったら、そのときにまた改めて読む本を考えるとして、とりあえず、これを講義の教科書にしたいと思う」


 一番上に本のタイトル。その下に著者の名前。そして真ん中には、寒色で彩られた抽象的なイラストが描いてある。そして一番下に、小さく出版社名が記されている。およそ五百頁近くある大著だ。


「でも、いま話したことは、鱗雲くんが僕の授業を履修してくれたら、ということだけれど。もし、僕と一緒にについて考えようという気になってくれたら、3月の上旬までに連絡してくれるかな? できればメールで送ってほしい」


 にこやかな表情を見せて、「それでは」と軽くお辞儀をして去って行く桐生院先生。

 いますぐにでも、履修をお願いしたいと思ったけれど、ちゃんと考えてから連絡をするというのが礼儀だと、考え直す。


 大学がしたということもあって、バス停には長蛇の列ができている。本を読んでいたかったけれど、あいにく粉雪が舞いはじめてしまった。いつになったら、春の気配が訪れてくれるのだろうか。


 そんなことを考えていると、芭蕉ばしょう先輩からメッセージが届いた。

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