19. 先に入る?
やはり、バスの姿は見えないし、そもそも待機列もなかった。調べてみると、降雪により山に沿った道が行き止めになっているとのこと。しかし、始発電車まで待つにはあまりに時間があるし、運休してしまうかもしれない。
「凍えてしまうから……わたしの家に来る?」
「先輩の家にですか?」
「うん」
「そう言ってもらえるのは、ありがたいんですけど……」
独り暮らしの女性の家にあがりこむ勇気が、ぼくにはまだない。なんだろう。恋人どうしなら普通だけど……みたいな感覚がぬぐいきれないのだ。
しかし、泊まるわけではなく、三時間ほど暖を取らせていただくだけなのだから、友人の家へ遊びに行くような感覚だと言えないこともない……のかな?
いまだかつて、女性とお付き合いをしたことがないだけに、こうしたことにうまい判断と理由付けができないでいる。
「きて……ほしいな。ひとりじゃ、帰ることができないかもしれない。さっきのことを思いだして、どこかで座りこんでしまったらいやだし」
顔の半分くらいまでジャンパーのなかに埋めて、上目遣いをする先輩。薄明かりのなかで、うるんで光っている目に、なにかを訴えかける力強さを感じる。
「じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか? 始発まで三時間くらい、暖を取らせていただけると」
「うん、もちろん。じゃあ、行きましょう」
今度は先輩がぼくの手を取った。吹雪く道。涙に濡れた先輩の顔は、刺すように痛むのか、何度も腕で顔を覆う。
「先輩」
「うん?」
「ぼくの背中を使ってください」
ぼくは立ち止まり、先輩がぼくの背中を盾にしてくれるのを待った。少し戸惑っているのかもしれない。それでも――
「大きな背中……頼もしい」
「ジャンパーを着ているからですよ」
「ずるいよ」
「ずるい?」
ぼくの背中に寄りかかって、ぎゅっと抱きついてくる先輩。
「3秒だけ」
いつしか、雪は舞い散るようなものへと変わっていき、このまま静まっていくかもしれなかった。
「いーち……にい……さーーーん」
間延びした3秒だ。
「……しっ」
先輩は両手でぼくの背中を軽く押して、「行こう!」と、弾んだ声で言った。
* * *
先輩の言う通りの道を、ゆっくりと歩む。ひとの姿は見えない。
「ここ」
「ここですか?」
新築の綺麗なアパートだった。家賃は高いものの、両親がどうしてもオートロックのアパートに住んでほしかったらしい。三階の部屋というのも、防犯上の理由からなのかもしれない。
玄関から伸びている廊下は、ふたり並んで歩けるほどの広さだった。ここからでも、この奥にある部屋は、ぼくの借りているところより大きいのだと分かってしまう。
玄関にある収納棚の取手に、ハンガーをかけてジャンパー吊るし、濡れている靴下を脱いで、先輩の部屋へと足を踏み入れた。
「暖房をいれるね」
先輩はリモコンを取ると、エアコンの電源を入れた。温かい空気が、ぶわっとはきだされる。ぼくの下宿より、一段と部屋が明るく見える。
家電も高価そうなものが勢揃いで、冷蔵庫にはたくさんものが入りそうだ。それに、台所はIHだし、流し台は広いし、自炊が
部屋のまんなかにはコタツがあって、ふたりくらいなら、ゆったりと入れそうな大きさだ。やけに天井が高いと思ったら、ロフトがついている。
圧倒的なのは、勉強机の両隣にある4つの本棚だ。2つは左2段・右3段の区切りのもの。残り2つは、文庫や新書くらいなら、ゆとりを持って収納できる、シンプルな4段のものだ。
メジャーな出版社の新書がずらりと並んでいて、刊行された順番に並んでいる。学術書や洋書は、著者名を五十音順(アルファベット順)にしてある。
机の上にはパソコンとプリンタがあり、正面にはコルクボードが吊るされていて、そこに予定表のようなものがピン留めされている。
ホワイトボードが、テレビの横の棚の上に立てかけられている。なにかアイデアが
感動を覚えながら、部屋を見渡していると、ピピッという電子音のあとに《お風呂を沸かします》という機械音声が流れた。
「いまお風呂を沸かすから、ちょっと待ってね」
何時間も、雪の降り積もる凍えるような外にいたのだから、身体は冷え切っていることだろう。また風邪をひいたら困る。芯の方まで温まってほしい。
「鱗雲くん、先に入る?」
台所で飲み物を用意してくれている先輩が、こちらを向くことなく、少しためらいがちに、そう
先に入る? えっ、ぼくも入るの?――え、えっ、えええ!
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