17. 望んでいない再会

 本殿までのびる列は少しずつ進んでいるけれど、まだまだぼくたちの番は来そうになかった。

 凍えるような寒さのなか、ここにいる人たちみなが、少しでも温もりを求めて、家族と話しをしたり、ポケットに両手を突っ込んだり、ストレッチのようなことをしたりしている。子どもたちの叫声きょうせいは冬の寒さにも負けないようで、ほほえましく思える。


「雪……」

 芭蕉ばしょう先輩の手袋にふわりと粉雪が逢着ほうちゃくして、すっととけた。夜空を見上げると、ちらちらと雪が舞いはじめていた。


「吹雪きますかね?」

「無いとはいえない……かも」

「吹雪く前に帰りましょうか……と言いたいところですけど、駅までの距離を考えると、もう遅いかもしれませんね」

「……なにかあったら、その……うちに泊まれば、いいから……」


 先輩はなにかを言ったみたいだったが、雪が降ってきたことに喜ぶ子どもたちの声で、ほとんど聞きとれなかった。


 賽銭箱に百円玉を投げて、銅鑼どらを鳴らし、手を合わせた。後ろに続いている列のことを思うと、ご本尊よりも、並んでいるひとたちの方に気が向いてしまう。

(今年も一年、家族が健康に過ごすことができますように)

 故郷にいる家族の姿を思い浮かべながら、そう祈った。


「なにをお祈りしたの?」

「家族の健康ですよ」

「そう……」

「芭蕉先輩は?」

「わたしは……秘密」


 右手には行列が続いている。雪はひらひらと舞い、どこか、ひどい降雪になる気配がしていた。


「みんなのことを祈った」

 芭蕉先輩は、おもむろに口を開いた。

「みんな?」

「そう、みんなの幸せを……」


 吉――を引いた先輩。

 小吉――を引いたぼく。


「まずまず、ですかね」

鱗雲うろこぐもくんの、見せて」


 開いたばかりのおみくじを渡すと、案内所のライトを頼りに細かい文字を読みはじめた。

「待ち人……もう来てる……ここにいる……わっ、わたし……」

 なにかを呟いているみたいだけれど、音読をしているのだろうか。


「小吉だけど、いいことが書いてあるわね」

「大吉だったら、いいことばかり書いてあるんでしょうかね」

「でも、吉は少しだけ突き放してくる」

「落差のラインみたいなものがあるんですね」


 先輩は、今度は自分の引いたおみくじをする。

「待ち人……長く待つことになるのね……」

 聞き取れない声でなにかを呟いて、少し寂しそうな表情をした先輩。そんなにネガティヴなことが書かれているのだろうか。


 雪だけではなく、風も吹きはじめた。「はやく帰るぞ」と言う父親の方へと駆けていく、赤色の長靴をはいた子どもが、目の前を横切った。


「行きましょうか、先輩……先輩?」

 先輩は、なにかにおびえたように身を固くして、ぼくに身体をひっつけてくる。


「あれ、青風? なんでこんなとこにいんの?」

 短い黒髪に眼鏡をかけた男が近づいてきて、こちらに声をかけてきたかと思うと、その後ろからお洒落な茶髪をしたもうひとりが、顔をのぞかせた。


「洋次の知り合い?」

「うん。うちの大学にひと。いまは、どっかの大学の博士課程にいるって聞いてたけど、陽太のところにいるの?」

「いや、知らない。べつの研究科の人かな」


 こちらを置いてきぼりにして話しあうふたり。


「青風はいま、こっちに住んでんの?」

「…………」


 先輩はこのふたりと話をしたくないみたいだ。ぼくから半歩後ろに後退する。


「じゃあ、琥珀紋学院こはくもんがくいんかな」

「こはく……なんだって?」

。このへんにはもう一つ大学があるんだよ」

「聞いたことのない名前だけど」

「大学院があるのは知ってるけど、院生はいたりいなかったりするみたいで、選択肢に入らないところだよ」


 芭蕉先輩の同期だったという男は、なにか勝ち誇った表情をこちらに見せつける。


「なんで、そんなところに行ったんだよ。いくら、からって、そこまで落ちぶれなくてもいいだろうにさ。それとも、実家が太いから、とことん遊んでやろうっていう魂胆? こっちは奨学金もらって苦労してんだから、ムカつくわー」


 ひとり合点をして先輩を嘲弄ちょうろうしてくるこの男に、思わず手が出そうになったけれど、ぼくの左手が、先輩にぎゅっとつかまれる。


「オレも、恋人と遊んで暮らせる身分になってみたいもんだなあ」

「そんなんじゃ……ないから」


 すっかり萎縮してしまった先輩が、ようやく口を開いた。だけど、そのか細い声は、木枯らしに巻き込まれて飛んでいってしまう。


「こっちは、年末年始も、観音大学かんのんだいがくの山田先生の勉強会に参加させてもらっているわけ。んで、ここまで来たのに、遊んでばかりのムカつくやつを見つけるなんてさ」

「…………」

「お前なんて、Fランのバカ大学で、くだんねえ研究をしてればいいさ」

「…………」

「存分に親の金を使って、遊んで暮らしな」

「…………」

「相田先生も言ってたわ。お前がいなくなって、せいせいしたって」

「行こう先輩、と話すだけ無駄だから」


 先輩の手首を握って引っ張り、このふたりの間を突っ切る。「ごっ、ごめんな」という、男の相方の声が聞こえた気がするけれど、無視した。

 鳥居をくぐり横断歩道を渡り向こうの歩道に着いても、ぼくは先輩の手を放さなかった。放したら、そのままへたりこんでしまいそうな気がしたから。


 だらりとしていた手が少しだけ力を取り戻し、「もう大丈夫だから」と先輩は言う。立ち止まり振り返ると、「顔を見せたくないから」とうつむく。泣いているのは分かる。


 ぼくはもう一度手を握って、吹雪のなかを、ゆっくりゆっくり、駅の方へと歩んでいった。

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