08. 打ち上げ / デート

 六帖ろくじょうの畳部屋の真ん中に、横長の紫檀したんの机が置かれており、座布団ざぶとんが四ついてある。

 いつもマサさんが座っているのは、台所から見て一番近くのところだけど、今日は飲み会でいないとのことで、そこは空席だった。代わりに、マサさんの妻の雪子ゆきこさんがそこに座り、ぼくは美月みづきの反対側に腰をおろした。


 アジフライにコロッケにハムカツといったお惣菜そうざい茄子なすの味噌汁、みずみずしい野菜サラダ。ぼくのために用意してくれた、来客用の食器にはし湯呑ゆのみ。まるで親戚の家にいるような、親しみやすさと少しの緊張感。

 冬の日本海の荒波が、暖房のいた部屋にかすかに聞こえてくる。


「ゆっちゃん、たくさん雪が降ってる?」

「それほどでも。でも、明後日からは大雪らしいし、お父さんには雪かきを頑張ってもらわないとねえ」

「ぼくも、お手伝いしましょうか?」

「いい、いい。来るのも帰るのも大変だろうから。バイトも明日まででいいよ。ところで、年始は人がくるだろうから店を開けるけど、どうする?」

「できるなら、お手伝いをさせていただきたいのですが、少し学校の方の用事がありまして……毎日というのは難しそうです」


 実は、修士論文の「一章分」を書くという、胡桃ことう先生から出された課題があるのだ。ずっとアルバイトをするというわけにはいかない。


「そう。じゃあ、マサにもがんばってもらうか。美月は?」

「わたしは……ううん、課題の進み具合によるけど」

「分かったよ」

 滅多にない好条件で働かせて頂いているだけに、できるかぎりお手伝いをしたいところなのだけれど、学業をおろそかにすることはできない。


「そうだ!」

 パチンと手を合わせる音が、食卓の上にするどく響いた。

「ねえ、風吹ふぶきくん。明日なんだけど、美月と食事に行ってくれない? 今年のバイトは明日で終わりでしょ? 打ち上げということでさ」

「お母さん! 鱗雲うろこぐもくんは忙しいから!」

「だって、だってさあ。半年もったんだから、そろそろふたりきりで食事とか、あっていいじゃない。ねえ、どうかな、風吹くん?」


 美月とふたりきりで食事。たしかにいままで一度もなかった。でも、大丈夫だろうか。雪の日の夜というシチュエーションは、美月の苦手とするものではないだろうか。


「帰りは迎えにいくからさ」

「ええと……八ツ橋やつはしさんさえよければ」

 ふたりきりのときは「美月」と呼んでいるけれど、ご家族の前では「八ツ橋さん」と言い使い分けている。

 オーナーは前に、「みんな八ツ橋だから、美月は美月でいいだろう」と言ってくれたが、ご家族の前では恥ずかしいというか、なんというか……。


「鱗雲くんは……大丈夫、なの?」

 美月はぼくのことを、「鱗雲くん」としか呼ぶことはない。

「うん、ぼくは大丈夫だけれど」

「わたしも、ぜんぜん大丈夫だよ!」

 急に大きな声を出されてびっくりする。そんなに外食をしたいのだろうか?

「じゃあ、明日のバイトが終わったら、市街地の方へ行ってみる? そのときの八ツ橋さんの調子を見つつ」

「うん!」

 それならば――と、オーナーは五時半に上がっていいと申し出てくれた。


 食後、皿洗いをしている美月は、机の上をいているぼくを呼んで、「明日、楽しみだね」と、微笑ほほえんだ。

 それにしても、女の子とふたりきりで食事……というのは、いままで、彼女も女友達もいなかったぼくにとっては、あまりにも新鮮な状況になる。

 座布団をすみに重ねながら、下宿のクローゼットにある服のことを思い出してみたが、あれやあれで大丈夫なのだろうかと心配になる。

 いつも通りでいいという気持ちになれないのは、なぜなんだろう?


     *     *     *


 定期的に掃除をしているし、きちんと片付いてもいるから、母さんは「これなら、掃除に行かなくてもいいね」と安心し、大学生のときからずっと、下宿先には来ていない。

 だけど、発表のための資料を作ったり、まとまった文章を書いたりしているときは、机の上は悲惨ひさんなくらいに、本や印刷物で散らかってしまう。


 来年度はひとりしか入学生がいない。

 ネームバリューのある、大学院の運営に力を入れているところなら、ものすごい数の大学院生がいるみたいだけれど、ぼくには想像さえできない。

 ぼくは、研究者になりたいわけではない。だから、キャリア的なことを頭にいれつつ大学院を選ぶということはなかった。


 むかしから歴史が好きで、戦国時代や三国志のことを書いた本をよく読んでいた。世界史の授業がはじまった中学生のときからは、ヨーロッパの歴史に関してたくさんの知識を頭にいれるのが好きになった。

 そんな「歴史好き」だったぼくは、大学生のときに「アフリカ史」に出会った。それが、すべての始まりだった。

 世界地図を広げたとき、一番知識のないのがアフリカのことで、とくにサハラ砂漠より南にある地域について知っていることは、あまりなかった。


 だから、知識を集めていくことが楽しかったし、大学は専門的なことをたくさん教えてくれた。

 そして、知識を集めることだけが、研究ではないということを知った。

 いままで世に出た数々の研究が、見逃してしまっていること、まだ手をつけていないこと、それらを見つけだして、自分がその穴を埋めていく。それが研究なのだと、何人もの先生に教えられた。


 そして、大学時代を通して、探究していきたい「テーマ」が生まれた。

 その「テーマ」について考える時間がほしかったから、大学院に進むことにした。


 ぼくは、すべての大学の中から、自分の研究をびしびしと指導してくれそうな先生を探すことにした。

 アポイントメントを取り、初めてお会いしたとき、胡桃先生は、ぼくの研究に理解を示してくれたし、性格的にも相性が悪いような気はしなかった。

 両親は、「琥珀紋学院こはくもんがくいん大学」という聞き慣れない大学に我が子を通わせることに、少し抵抗があったみたいだったけれど、何度も話し合いを重ねた末に理解してもらうことができた。


 一月九日に、胡桃先生の授業がある。その三日前までに、修士論文の「一章分」をメールで提出することになっている。

「どこでもいいけど、これから研究の方向性が少し変わるかもしれないから、先行研究の整理のところを書いておくといいかも。どっちにしろ、どんな研究があるのかというのはまとめておかないといけないし。もちろん、そのあたりは鱗雲くんに任せる。でも、一年間の疲れがでてもおかしくないから、あまり無理はしないでね」

 考えた末に、胡桃先生のアドバイス通り、論文を書くのに苦労するところのひとつである、先行研究の整理の部分を作っていくことにした。


 早速、日付が変わるまで、続きを書いていこう。そう決意したとき、スマホの着信音が鳴り響いた。

『もしもし、鱗雲くん。いま大丈夫だった?』

 電話の相手は、芭蕉ばしょう先輩だった。



(2024/12/17 加筆修正)

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