泊すれば連なる

そうざ

Continuous if You Stay Overnight

「おはようございます」

 516号室の客は、私に視線を合わさず無言でエレベーターの方へ消えて行った。大柄な小太りの男で、スウェットの上下にニット帽をかぶり、マスクとサングラスでいつも伏し目勝ちにしている。

 部屋のドアノブには今日も『清掃不要』のタグが掛けてある。と言うか、ずっと掛けっ放しだ。室内の掃除どころか、タオルやナイティ等も出そうとしない。

 およそ観光客には見えないが、安価なビジネスホテルの利用者には色々と事情がある。規定料金を支払い続けている以上は列記としたお客様なので、従業員は素知らぬ振りを心掛けているのだった。


 午前九時、いつものように516号室を無視して清掃を始める。ここの清掃係はホテルに直接雇われている内製スタッフだから皆、顔見知りだ。

 使用済みのシーツやら枕やらをワゴンに載せていると、瀬和月せわづきさんが隣室の掃除を終えて出て来たので、静かに声を掛けた。

「もう何日目ですかね」

「……何の事?」

「連泊のお客さん」

「そんな長逗留の人、居たっけ?」

 また忘れている。まだそんな年齢ではない筈だけれど、つい最近も話題にしたばかりなのに、まさか若年性の何かなのかと疑いたくなる。

「516号室の若いんだが老けてるんだか陰気そうな人ですよ」

 聞こえていないのか、瀬和月さんが別の部屋で掃除機を掛け始めたので、私は声を大きくした。

「連泊だからってさ、そろそろ清掃をさせて貰わないとねぇ……もしかして部屋で何か良からぬ事をしてたりして」

「良からぬ事って?」

 瀬和月さんは、噂話の類となると途端に食い付いて来る。

「例えば、何かの犯罪とか」

「何のっ?」

「それは……判りませんけど」

 掃除機が止まると、窓の外から選挙カーのけたたましい声が入って来た。

『皆様のご期待に応えるべく不退転の決意で頑張って参ります!』

 客室に嵌められた磨りガラス窓は落下防止の為に五センチ程度しか開かないが、それでも大音量のスピーカーは遠慮会釈がない。

「ねっ、今度の選挙は誰に投票れるつもり?」

 瀬和月さんの表情が明らかに変わった。厚化粧の下で顔が上気している。

「さぁ、似たり寄ったりの顔触れだし」

「だったらさっ――」

 瀬和月さんは皺に囲まれた目をかっと見開くと、与党第一党推薦の立候補者の名を口にした。ローカルタレントとして人気はあるが、如何にも軽薄そうな優男やさおとこで、その癖、威勢の良い事ばかり主張しているらしい。

 瀬和月さんは選挙が近付くといつもこうだ。きっとまた選挙事務所で応援ボランティアをするつもりなのだろう。家庭を顧みない程の熱中振りで、それが原因もとで離婚したとの噂もあるくらいだ。


 廊下へ出ると、エレベーターから516さんが現れた。いつものように目一杯膨れたコンビニ袋を提げている。

 食事は全て部屋で済ませているらしい。ランドリーを利用している形跡はなく、ずっと同じ格好をしている。何から何まで判で押したように変わらない。

「もしもし、お客様っ」

 私が反射的に意を決したので、瀬和月さんは身体を強張らせたようだった。

「ごみを溜め込まれますと――」

 516さんは立ち止まる事さえしなかった。部屋の扉が素早く開閉し、鍵の音が私達を拒絶した。

「まるで引き籠もりよね。親の顔が見てみたいわ」

 私が毒づいても、瀬和月さんは清掃に精を出すばかりだった。


 翌日、ホテルの裏手でごみ出しをしていると、妙な音がした。

 カシャンッ――――。

 思わず天を仰いだが、よく判らない。

 やがて、駅前に続く表通りの方がやけに賑やかになり、その内に焦燥した様子の人波が足早に移動して来るのが見えた。

「大変、大変っ、一大事よ~っ」

 人波から飛び出した瀬和月さんが、血の気の引いた青い顔で走って来る。

「何かあったの?」

「銃撃っ、狙撃っ……銃撃、狙撃、こういう時はどっちなのかしらっ?!」

 選挙演説中の駅前で何者かが銃を発砲したらしい。狙われたのは瀬和月さんが応援するローカルタレントに違いないという話だが、幸い死傷者は居ないようだった。

「どっから撃って来たのか判んないけど、駅前はそりゃもう大騒ぎよっ!」

 青かった瀬和月さんの顔がいつの間にか赤らんでいる。この状況に怯えながらも愉しんでいるようでもあった。

 私はと言えば、冷静だった。意識の何処かでと思っていた。どうしてそんな風に感じるのか、自分でも不思議だった。


 不自然にティッシュペーパーが詰め込まれたごみ箱を回収する。昨夜この部屋の客はデリヘルでも利用したのかも知れない。

 まさか、516さんは部屋に風俗嬢でも監禁しているとか――不可能だ。働いている娘が戻って来なかったら当然、店の人間が怪しむ。

 ドライヤー、電気ポット、延長コード、ティーカップ、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、メモ帳、ボールペン――紛失していないかどうかをチェックして行く。

 まさか、毎日少しずつ部屋の備品を持ち出して転売しているとか――割に合わない。どう考えても連泊料金の方が高く付く。

 窓を開けて換気をする。五センチの隙間から街の喧騒が流れ込む。今日も駅前の演説は威勢が良い。


 カシャンッ――――。


 何の音だろう。以前にも聞いたような気がする。

 五センチ幅の外界を窺うと、人影が蜘蛛の子を散らしたように逃げているのが見えた。

 演説が止まっている。その代わりに大勢の奇声が風に運ばれて来る。

 ――やっぱりそう思ってしまった。

 部屋を出ると、同じタイミングで516号室となりのドアが開いた。

 伏し目勝ちに出て来た部屋の主に、私は思い切って訊ねた。

「今、変な音がしませんでしたか?」

 516さんは明らかに聞こえていない振りをしている。行き過ぎる背中を引き止めようと、私は咄嗟に一番訊きたい事を声にした。

「連泊されて何日になりますか?」

 丸い背中が廊下の真ん中で歩を止めた。そして言った。

「……連泊?」

 初めてその声を聴いた。予想外に甲高かんだく、まるで子供のそれだった。

「おばさん……もしかして特異体質?」

 開いた口が塞がらない私に、二の句が畳み掛けられる。

「偶に時空間滞留波から意識が遊離しちゃう人が居るんだよね。僕調べのサンプルデータだけど」

 516さんが会話を終わらせて立ち去ろうとしたので、私は咄嗟に腕を掴んだ。

「僕が何者で、何の為に宿泊してるのかを知りたい?」

 余りにも図星の台詞に、私は寧ろ言い返す言葉を失う。

瀬和せわづき一郎いちろう

「瀬和月って……まさか親子?」

「うん。ママを殺しに来たの」

 516さんが不意にマスクとサングラスを外した。不精髭ながら確かに瀬和月さんを思わせる顔立ちだった。

「ママが政治に狂い始めて僕んは完全におかしくなっちゃったから、いっそ殺そうと思って」

 そう言いながら、516さんは部屋の前に戻るとドアを全開した。

「特異体質の人だったら、特別に見せてあげるよ」

 私は恐る恐る516号室を覗き込んだ。

 カップ麺の容器やスナック菓子の袋が散乱しているのは予想通りだった。が、それ以外は何から何まで様子が違っていた。

 客室に存在する筈の調度品がなく、照明や壁紙は違うものになっている。それどころか、部屋の広さ、形状自体が大きく異なっていた。

「どういう事っ……?!」

 万年床らしい布団の周りには書籍やらゲーム機やら衣服やらの私物が散乱し、汗や黴の臭いが充満している。それは、他人を絶対的に拒否した人間の為の空間だった。

「僕の自室へやと516号室を入れ替えたの。ここは駅前の演説場所まで丁度良い距離感だからさ」

 そう言いながら、516さんは大振りの銃を撫でた。先端に付いている筒状の物は、外国映画でよく見る発射音を抑える器具らしい。よく見れば、彼方此方あちこちに銃関連の雑誌やよく分からない工具が散乱している。

「だけど意外と当たんなくて苦労したよ。失敗しくじると警戒されちゃってその日はもう駄目だからね。何回トライしたかなぁ」

 そう言えば、私が最後に日付を意識したのはいつだったか。今日の次は明日、その次は明後日と、私は勝手に思い込んでいた。

「でも……何もお母さんを殺さなくたって。入れ上げてる候補者あいての方を――」

「無駄無駄、目先の候補者を殺したって、どうせまた別の候補者に入れ上げるに決まってるから」

「だからって、お母さんが居なくなったら貴方は――」

「うん、母子揃って世界から消えるね。良いの良いの、うちの家系なんか断絶すりゃ良いの」

 実際には目撃していない凄惨な光景が脳裏を駆け巡る。人波を掻き分けると、血溜まりの中にぴくりとも動かない瀬和月さんが居て、サイレンがどんどん大きくなる。

「僕、色んな時代で色んな有名人を暗殺し捲ってさ、好い加減もう飽きたんだよね」

 それにしても、瀬和月さんは気付かなかったのだろうか。幾らサングラスにマスクをしていても、実の息子だと判りそうなものだ。

「ママにとって僕は恥ずかしい存在だからね。赤の他人の振りをしてたんでしょ」

 けらけらと笑う516さんを前に、私は色んな事柄が飲み込めず、乗り物酔いにも似た吐き気に襲われた。

 人殺しの主調が理解出来なくても人として問題はないだろうが、もしかしたら自分の頭の方がどうかなってしまった可能性も捨て切れない。

「じゃ、おやつを買いに行くんで」

 516さんが廊下を去って行く。が、思い出したようにエレベーターの前で振り返った。

「僕がまだ存在してるって事は、急所を外しちゃったみたいだな。もしママが一命を取り留めたら、また明日……じゃない、また今日をやり直すんで宜しく」

 無邪気な笑顔がエレベーターの中へと消えた。同時に色んなものが消えたような感覚がした。


 数字だけが闇に浮かんだ。


 516が――――516――何の数字だろう。


「あ……掃除しなくちゃ」

 最近、何かと忘れっぽい気がする。まだそんな年齢でもないのに、思わず若年性の何かなのかと疑いたくなる。

 気を取り直して掃除機のスイッチを入れる。それにしても、もう一人くらい清掃係を増やして欲しいものだ。

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