番外編1(ラウリ視点)
騎士隊の仕事が終わって屋敷に帰る馬車の中でスズの様子の報告を受ける。
昨日「屋敷の外へ出ても良い」と伝えておいたので、スズはやはり町へと出掛けたようだ。
(しかし、まさか従者同行を拒否するとはな…)
確かに、従者を付けるような約束はしなかったけれど、あの大人しいスズが、まともに出歩いた事も無い場所に一人で行く度胸があるとは思わなかった。
普段諜報員として私の周りで動いてくれている影の者をスズにつけ、常に行動を把握・報告させてはいるので、問題は無いけれど。
報告によれば、スズは市場などを散策した後、フィーユというパイ屋で店の手伝いをしているらしい。
フィーユを経営する家族とは顔見知りで、その人となりを知っているので事件性の心配はしていないが、もう日が傾き夕焼け空が広がっているというのに帰る気配が無いというので、様子を見に町まで行くことにした。
「お待ちしておりました。」
馬車から降り、フィーユのまで歩くと、細く暗い横道からスッと気配を現したのは影の一人、リク。
「状況は?」
「先ほど店を出られました。馬車までの道はカイが見ております。」
「そうか。それで、いったい何故こんな事になった?」
「こちらでパイを食され、いたく感激されて店の手伝いを始めたようです。強制されている様子はなく、むしろ活き活きと従業員の真似事をされておりました。女将や娘と仲良くなったようですね。」
「そうか…」
経緯は分かり兼ねるが、その報告からは楽しそうなスズの姿が浮かんだ。
辛い思いをしていないのであればそれで良い。
異世界から強制的に連れて来られたのに弱音も吐かず、愚痴一つ言わず懸命な努力を続けて来たスズを、一番近くで見ていたからこそ、この先は好きな事をしてのびのびと過ごしてもらいたい。
その為に、出来る事があるのなら何だってしたいと思える。
「ご苦労だった。お前は先に帰って居ろ。」
「はっ。」
リクの気配がスーッと消えていくのを確認してから、再び歩き出してフィーユのドアをに押した。
カランカラン と、ベルの音が鳴る。同時にそこに居た女将のスサンヌが「今日はもう終いだよ」と振り返った。
「おや、これはコニティオラ公爵様ではございませんか。とんだ失礼を。」
「止めてくれ、私用で来たんだ。」
「そうかい。じゃぁ、何の用だい? 坊ちゃん。」
「あぁ、突然ですまないが、先程までここに居た令嬢の事で話があって来た。少し話せるか?」
フィーユの女将、スサンナは父親の従妹。
庶民であるパイ職人、イストと大恋愛の末貴族席を捨て、駆け落ち同然で家を出たらしいが、今は和解していて、親族間での関りもある。要は顔見知りだ。
我が家が武系家族で常識に偏りがある事を気にし、幼少期から私の事を気にかけてくれていた事もあって、私にとっては世話焼きだが信頼できる
貴族社会を理解しつつも、柔軟な考え方が出来るスサンナには、今も時々相談相手になって貰っている。
「あの子に何か問題が?」
「あぁ。彼女は…私の妻なんだ。」
「はぁ? あんたいつの間に結婚…いや、じゃぁあの子は…。坊ちゃん、それはルール違反じゃないのかい?」
「そうだな。だが、貴女なら大丈夫だろう?」
「やめとくれ。あたしはただの善良な町民だよ、機密事なんて御免だ。巻き込まないでおくれよ。」
「それはすまない。しかし、一度発した言葉は取り消せないからな。」
上から見下すようにそう言うと、スサンナが分かりやすく不快感をあらわにする。大嫌いな、いかにも貴族らしい立ち振る舞いに嫌悪感を持ったのだろう。
そこに金貨の詰まった袋を3つほど重ねると、その顔はみるみるうちに鬼の形相と化した。
「これはいったい、何の真似だい?」
「そう怒らないで欲くれ。彼女の飲食代だ。パイを馳走になっただろう?」
「ウチのパイは町民でも努力次第では食べられる値段設定だよ。ふざけているのかい?」
「まさか。彼女はここが気に入ったようだ。出来たら今後も気にかけて欲しい。そういうお願いは必要だろう。」
何の偶然か、スズが興味を持ったのが
こういう事が、頼みやすい。それにスサンヌの元ならば安心してスズを町へ送り出せる。
しかし、スサンヌは険しい表情を崩さない。
「そういう事なら、余計受け取れないね。」
「何故だ? 私は貴女を信頼して…」
「はぁ…坊ちゃん、あんたはあの子を鳥籠の中の鳥として飼うつもりなのかい?」
「まさか。今まで窮屈な生活を強いた分、これからは自由に過ごして欲しいと思っている。彼女が安心して好きな事が出来るよう、外へ出ても安全に過ごせるように取り組んでいるだけだ。」
逸れの何が可笑しい? と前のめりにいくも、スサンヌは手を広げて呆れるように深いため息を吐き出した。
「あたしはまだ、今日1日分のあの子しか知らないけどね、少なくともあの子が、綺麗な物しかない、都合の良いものしかない偽物を望む子だとは思わないよ。」
「どういう意味だ?」
「じゃぁ、もし坊ちゃんが、おとぎ話にある人魚の国に突然迷い込んで、自由に過ごして良いと言われたら、何をするんだい? 兎にも角にも探索をするだろ? どんな場所なのか知りたいはずだ。しかし、情報を得ようと誰に話しかけても張り付けたような笑顔で良い事しか言わない。そんな場所で幸せになれそうかい?」
「一刻も早く逃げ出したくなりそうだな。」
「だろう? 坊ちゃんがしているのはそういう事だよ。」
「しかし、彼女は今まで国の為に身を犠牲にしてきた。最短で幸せになって貰いたい。私はその手助けをする義務がある。」
「それは、罪悪感を消すための自己満足だろうに。何が幸せか、決めるのはスズだって事を忘れちゃいけないよ。」
幸せはスズが決める?
当たり前だ。
だからこそ、その為にスズを自由にして、好きにさせている。それに何の問題があるというのか。
「坊ちゃんがしているのは凧揚げと一緒さ。広い空を好きなように泳いで良いと言いながら、糸を握っている。凧は糸の届く範囲しか行くことが出来ない。あの子の為に、全世界に金でもばら撒くつもりかい? それとも常に誰かを付けて見張らせるつもりかい? 人の裏を一々読まなきゃいけない煩わしさも、常に監視されている息苦しさも、坊ちゃんは知っているだろうに。見た感じ、あの子は貴族社会とは全く無縁そうじゃないか。」
「あぁ。彼女の世界では、大昔に貴族社会は崩壊したらしい。富裕層は居たそうだが、彼女は平民生まれだそうだ。」
「なら尚更、そんなあの子に坊ちゃんの普通を押し付けちゃいけないよ。ただでさえちょいとズレてるんだから。まぁ、義理堅い坊ちゃんの事だから、気持ちは分かるけれどね。そう焦らない事さ。まずはちゃんと、話を聞く。そして、あの子が必要としている支援をするんだ。」
「必要としている支援…成程。それを聞くんだな。」
「そうだよ。スズはちゃんと出来る子だ。道に落ちてる石ころを、全部拾って転ばないようにしてやることだけが愛情じゃないからね、転んでも自力で立ち上がるのを見守ってやるんだ。そして、出来たらたくさん褒めてやったらいい。」
あまりにも、素直に何でも受け入れこなしていくものだから、スズにとってこの場所が異界だという事を、つい忘れてしまう。
スズが過ごしていた世界はどんなだったのだろう。
何かのついでに、貴族社会や魔法が無いという話しなどは聞いたけれど、どんな場所でどう育ち、どんな人生を歩んできたのかと深く聞いた事は無かった。
もう戻る事が許されない場所だ。もしも帰る事を望んでいたとしたら、スズを傷つけるだけだと思うと、聞く事が出来なかった。
「あたしはあの子が気に入ったし、これからもただのパイ屋の女将として、スズと仲良くしていくつもりだ。それから今日の飲食代なら、本人が自分で稼いでいったよ。おつり付きでね。だから、こんな金は必要ない。早くしまってくれ。全く、相変わらず交渉事は様にならないんだから、止めときなよ坊ちゃん。」
苦言を呈されたので、金袋は仕舞う事にする。
確かに交渉事はあまり得意ではない。我が家の交渉事は、執事のサロモンが担当しているくらいだからな。センスが無いとは多方面から言われてきた。
剣を交えてならば、相手の気持ちを読み解く事も可能なのだが、対面で座り、腹の探り合いをするのはかなり骨が折れる。
私には昔から、剣を振るうことくらいしか能がないのだ。
その点、自分の飲食代をその場で稼ぎだしている、スズはやはり凄い。
数日前まではおそらく、金銭の価値すら曖昧だったはずなのに、もう手に職を付けて稼ぐことが出来るまでになっている事にも驚きだが、そもそもにその場で解決しようと行動できるその行動力が素晴らしい。
エーリッキから、女性は手を握っていないとすぐに何処かへ行ってしまうと聞いた事があったが、このままでは、スズもスタスタと進んで、どこか遠くへ行ってしまいそうだな。
「一つ聞いても良いか?」
「何だい?」
「スズが躓きながらも歩いていくのを見守るのはいいとして…その先も私の傍に居てもらうにはどうしたらいんだ?」
「手を握る」と言うのが、物理的な事でない事は流石に分かる。しかし、手のつなぎ方が良く分からない。
スズには苦労無く過ごして欲しいが、その結果が男と逃亡だなんてことになったら
嫌なのだ。叶うなら、スズの未来には、隣に私の姿があって欲しい。
「あはっはっは。坊ちゃんは本当に、相変わらずウブな男だね。」
「仕方がないだろう。スズは、日課の素振すら忘れる程存在が気になった初めての女性なんだ。望む事ならなんでもしてやりたいのに、何をしても今一反応が薄い…」
「自由にしたら、飛び立ってしまいそうかい? それでも自由にさせる坊ちゃんは寛大だ。因みに今日は、それは楽しそうに店を手伝ってくれてたけどね。」
「ぐ…私もパイ屋を作るか…」
「馬鹿言うんじゃないよ。コニティオラ公爵家をライバルに商売なんてやってられないよ。」
「しかし、ではどうしたらいいのだ?」
「そんなの、スズに選ばれる男になるしかないだろ。男を磨く事だね。」
男を磨く…とは、つまり武芸を磨くという事だろうか?
そう言えば、ずっと戦って来た脅威が去って平和が近づき、燃え尽き症候群とまでは行かないが、気の緩みがあったかもしれない。
女性は事細かに相手の様子を観察していると聞いたが、まさかスズは僅かな筋力の低下すらも感じ取れるというのか?
凄い観察眼だな。その力を是非貸して欲しいものだ。
「耳が痛い話だ。よし、選ばれる男になる様に、今一度気を引き締め己を鍛え直す事にする。アドバイスに感謝する。」
「うん? 鍛え直す…?」
「おっと、もうこんな時間か。長居をしてしまってすまなかった。そろそろスズが屋敷に着く。帰って少し話をしなければいけないな。」
スズが中々帰って来ないと、屋敷で皆が心配していると言っていた。
外へ出るのはいいとしても、時間などを決めておかないといけない。
今日の話も、スズの口から聞けるだろうか?
少しでも、明るいスズの表情が見られたら嬉しいのだけれど。
「これは、公爵としてではなく、ただの親戚坊主としての言葉になるのだが…スズをお願いします。スサンナ小母さん。」
「あぁ。任せておきな。坊ちゃんも、頑張るんだよ。」
「勿論。今後黒龍が5匹攻めて来る想定で、明日からの練習メニューを組みなおす事にするさ。」
「ん?」
「スズの為にも、剣が折れ、盾が割れれた戦場で、己の拳を武器に、筋肉を盾に戦ったという伝説の英雄・アハティくらいの男になってみせる。…では、失礼する。」
スサンナに頭を下げてから店を出る。
最後に見たスサンナの顔が、何かもの言いたげだった様な気もするが、目標が定まった心は晴れやかで、足取軽く、カランカランとベルを鳴らしながら扉をあけると、私は帰路へと急いだ。
だから…
「いや…そういう事じゃないんだけどねぇ…コニティオラの血筋はどうしてそっちに行っちまうんだか…」
との女将の声は、残念ながら届く事は無かった。
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