第2話
「奥様、本日はいかがいたしますか?」
自由時間が貰える事になってからは、毎日朝食が終わると同時に、私専属の侍女のミーリさんがそう問いかけてくれるようになった。
私の答えは図書室か自室での読書の二択なのだけれど、それらをしていると、何かと世話焼きな侍女さん達は「晴れているのでお庭でお茶でもいかがですか?」とか「こちらの本もお勧めですよ」と、恋愛小説やファンタジー小説をお勧めしたりしてくれる。
現在この屋敷に仕えている人たちは、国が最良と見込んだ選ばれし方々で、少数精鋭で屋敷のあらゆる業務を回しているので、私なんかに構わせて申し訳ない気持ちになってしまうのよね。
仕事と割り切っているからか、皆さんとても親切だけれど、赤の他人の、私なんかの世話なんて、本心では嫌に決まっている。
「ラウリ様から、外出が可能になったと聞いたのですが…今日これから外出しても大丈夫なんでしょか?」
「もちろんです。では馬車の手配をしますね。」
「あ…」
そうだった。
玄関開けたら5分でコンビニな日本と違って、ちょっとそこまで行くのにわざわざ馬車を呼ばなきゃならない。これはこれで費用が
私の反応にミーリさんが不安そうに「もしかして、外出とは庭の散策でしたか?」なんて聞いてくれるので、街へ行くつもりだと伝えると、ホッと胸をなでおろしているようだった。
多分、私の機嫌を損ねないよう、相当言わられているのだと思う。迷惑掛けないよう気をつけないといけないな。
***
用意してもらった馬車に揺られる事10分。整備された道だった為、お尻が痛くなる前に街に着く事が出来た。
出発時には護衛だの案内役だのと人が付いてこようとしたけれど、大きな目的があるように振る舞って辞退してもらった。最後まで、ミーリさんは「一人で外出なんて…」と渋っていたけれど、「ラウリ様には私の我儘だと伝えるから気にしないでください」と伝えたら最後には諦めてくれた。
私なんかに付いてくるより、本来のお仕事に専念してもらうほうが良いし、一人で行動できるようになることを求められているのだから、ラウリ様もきっと彼女たちを叱ったりはしないはずだ。
さて、適当な所に馬車を停めてもらって街に繰り出してみたけれど、これからどうしよう。
聖女としてならば何度か来ているけれど、いつも誰かしらについて歩くだけだったから何処に何があるのかよく分かっていない。
適当に歩いたら賑やかな出店が連なる市場に出たから覗いてみたけれど、よく考えたらお金を持っていなかったので、店先で商品をお勧めしてくれても購入が出来なかった。
「美味しそうな食材見ていたらお腹がすいてきたなぁ…」
市場から離れ、今度は商店街の方へとやって来たのだけれど、何処からともなく香って来る、香ばしく甘い香りについ、お腹の虫が鳴いてしまう。
吸い寄せられるように香りを辿ると、そこはパイのお店で、店先に立つ女将さんがベルを鳴らしながらアップルパイが焼けたことを元気に宣伝していた。
「さぁ、店内でアップルパイが焼けたよ! そこのお嬢さん。焼き立てのアップルパイ食べて行かないかい?」
女将さんの視線が、明らかに私に向いている。
無視するのも申し訳ないから、素直にお断りをしよう。
と思ったのだけれど、ふくよかで人のよさそうな女将さんが、にっこにこの笑顔で差し出してくる焼き立てのパイから目が離せない。
こんがりといい色の焼き目の生地にのったリンゴが艶やかに煌めいていて、つい口の中にあふれて来た唾液を飲み込む。
「本当に美味しそう…」
「そうだろう? 名産品のリンゴを使った自慢の一品さ。」
「凄く食べたいですけど、ごめんなさい。お金を持っていなくて…」
ぐぅー
泣く泣くお断りを入れているというのに、お腹が抗議の音で鳴く。
意地汚く思われたかな? 恥ずかしいったらない。
「あっはっは。ほら、試食にちょっと切ってあげるからさ、食べて行きなよ。」
「あ…いや。あの。本当に大丈夫です。今度来た時は絶対食べますので。」
「いいからいいから。腹の虫なんか鳴かせてたらせっかくの別嬪さんが台無しだよ。はい。」
試食だなんて言いながら、しっかり一人前にカットされたパイが差し出される。
「出来たら「美味しい!」って言いながら食べてくれると宣伝になって助かるよ。」
女将さんのお茶目なウィンク。
ここまでおぜん立てされたなら、食べない方が失礼かもと、素直に受け取ってパイにフォークをいれると、サクッと気持ち良い音と共に、ジュワッとフォークに纏うバター。
一口食べれば酸味と甘みが広がって、口の中が幸せ空間に変化した。
「美味しい! すっごく美味しいです。サックサクの生地にふんだんに使われているバター、贅沢にカットされたリンゴの存在感、主張しすぎない甘さに香るシナモン。どれをとっても最高のバランスで、美味しすぎて頬っぺたが落ちてしまいそうです。」
はしたないなぁとは思うけれど、食べる手が止まらないうえに、女将さんが変わらずのニッコニコ顔で今度は紅茶を渡してくれるから、そこが店先だなんて忘れて完食してしまった。
「いいねぇ。そんなに美味しそうに食べてくれるなら、商売人としても嬉しいよ。」
「こんなに美味しいアップルパイ初めて食べました。お代を…」
(っと、そうだった。お金持ってないんだった…どうしよう。)
帰ってラウリ様にお金を貸していただくことは出来る…と思う。
でも、自由にして良いと言われた直後に、お金も無いのに食い逃げ同然の所業をしただなんて知ったら、どう思うだろうか。
「あの、やっぱりこのままじゃ帰れません。何か、お手伝いできることありませんか? お皿洗いでも何でもやりますから。飲食代分、働かせてください!」
家事なら出来る…はず。
それに、日本の飲食店では「主婦大歓迎!お皿洗いなどの簡単なお仕事です。」という張り紙を見たし、需要はあるはずだ。
「皿洗いって、お嬢さんにそんな事させられないよ。」
女将さんが私の服装をじろりと見る。
貴族が着るという華美なドレスは動きにくいので、出来るだけ質素なワンピースを用意して貰ってはいたのだけれど、それでも庶民が身にまとっている物よりずっと上質な衣服だから、警戒されてしまったみたいだ。
「私、お皿洗いはその、得意(?)なんです。厨房によそ者を入れるのが駄目でしたら、床掃除でも窓ふきでも、何でもいいです。こんなご馳走を無銭飲食だなんて、後で罰が当たりますから、お願いします。」
「そうかい? んー。そこまで言うならお願いしようかな。」
ついてきな。と手招いて案内された店内は満席で、人の声が飛び交いざわついていた。
賑やかに飲食を楽しむ女性たちの合間をせわしなく行ったり来たりしている一人の店員さんが、私達を見て顔をしかめながらやって来る。
「ちょっと母さん、いつまでも外に居ないで中手伝ってよ! 急にお客さんが入って来たの見てたでしょ!?」
どうやら店員さんは女将さんの娘だったらしい。
「はいはい、今助っ人を連れて来たよ。」
「助っ人? あんた誰よ?」
「あ、スズです。宜しくお願いします。」
「いや、この子大丈夫なの? まぁ、なんでもいいけど忙しいんだから邪魔だけはしないでよね!」
私の事を上から下まで品定めするように見た後、吐き捨てるようにそう言って、娘さんは仕事へ戻って行った。
「すまないね。あの子はエルセ。悪い子じゃないんだけど、口が悪い。特に忙しくなるとね、客にもあんな態度さ。それが良いってもの好きもいるけど、まぁ、あんまり気にしないでおくれ。」
「いえ。いきなり来たんですから、当たり前の反応だと思います。それよりお仕事です。何をしましょう?」
「そうだね。今は提供に手が取られていて片づけが間に合っていないから、人がいなくなったテーブルの片づけからお願いできるかい? 同じ大きさの皿でまとめて、向こうの厨房の棚に置いてくれりゃいい。」
「分かりました。」
「んじゃ、頼んだよ。」
会話をしている間にもお客さんがやって来ていたので、指示が終わると女将さんはさっさとそちらへ行ってしまった。
「あら、また来てくれたのー?」なんて言いながら、注文を取ったり、お客さんの話し相手になっている女将さんは、瞬間移動でもできるのかと思うほど、店の中をあちらこちらに移動している。その合間を縫うように、娘のエルセさんもテキパキと料理の提供をしていて、二人のコンビネーションは見ていてとても気持ちが良かった。
しかもよく見るとこの店は、席を待つ人も注文を待つ人も、料理を待つ人も、食事を楽しんでいる人も、誰一人カリカリすることなく穏やかなオーラを放っている。
(なんか、良いなぁ。)
この空間に、心がポカポカと温かくなって、今は私もその一員なのだと思うと嬉しかった。
言われた通りに、空いている席の食器を片付ける。
絶対に割らないように、音をたてないように、だけど素早く…
久しぶりの家事仕事は緊張で手が震えたけれど、この場にはしつけをしてくる義母がいないと分かっているおかげか、落ち着いて取り組むことが出来た。
***
「さぁ、今日はもう終いだよ。」
女将さんやエルセさんの指示に従って働くのに夢中でいたら、気づいたら外はすっかり日が暮れていた。
「今日はスズが来てくれて助かったよ。」
「いえ。飲食代ぐらいは働けたでしょうか?」
「十分すぎておつりが出るよ。」
ほらっと、女将さんが小さな布袋をくれた。
少し重たくて、ジャラジャラと音が鳴る布袋の中身は銀貨が約…20枚。
確か市場で見たリンゴやパンが銀貨2枚、このお店のパイと紅茶のセットが銀河10枚だったから…日本円で言えば2000円くらいになるのかな?
無銭飲食代を稼ぎたかっただけなので、受け取れないとテーブルにそっと置き、女将さんの方へスライドさせて返す。
「私、そんなつもりじゃ…」
「受け取っておきなさいよ。聞けば今日の盛況だって、あんたが店頭で実食宣伝したかららしいじゃない。それでちゃんと食事して、また手伝いに来なさいよ。」
「エルセの言う通りさ。それはスズが働いた分の立派な対価。あんたが生んだもんだよ。お蔭で今日は過去一番の売り上げさ。本当にありがとうスズ。」
再び女将さんが私の手に袋を握らせてきた。
確かなお金の重みがジャラジャラという音と共に両手に乗った。
(これが、私が働いた対価、私が生んだお金)
—―― 全く、本当に何にも出来ないのね。私がしつけてあげてることを光栄に思いなさい
――― おいクズ、こんな事も出来ないのかよ。ホント、穀潰しだな。
――― 仕事? お前みたいな能無しが社会に出たら迷惑だって分からないのか?
――― クズのあなたは私達に従っていればいいの。それが社会の為であり、あなたの為よ。
何故か思い出した、忘れたい言葉に、ツーっと頬に生暖かいものが流れるのを感じた。
「ちょ、ちょっと、何泣いてんのよ?」
そっか、私は泣いてるんだ。
何で? 分からない。だけど…
「だって…違う。私にだってちゃんと出来た。ちゃんと働けた。人の役に立てたって事でしょ…。ほら、私は、何もできない能無しなんかじゃ…」
無かった。
誰かに言われるがままに生きる事。
心を殺して従う事。
それが私の為だなんて嘘。だって私は幸せなんかじゃなかった。
ずっと、辛かった。辛くて辛くて逃げ出したくて仕方なかったんだから。
ふいに身体がぎゅっと温かく包まれた。
女将さんが、私を抱きしめてくれたらしい。
「事情は分からないが、あんたは働き者のいい子だよ。もしも正当な対価も貰えず苦しんでいるのなら、そんな所は止めてウチにおいでよ。最近、アップルパイが当たって店が大盛況でね、丁度人を雇おうと思ってたんだ。大歓迎だよ。」
「私なんかでいいんですか?」
「あんただからいいんじゃないか。なぁ、エルセ?」
「そうね。初めてであんなに手際よく動ける人、そうそういないわ。間違いなく才能ある。スズが働きたいって言うなら大賛成よ。」
すごく嬉しい。
だけど、自分の一存ではまだ、決められる立場にはないから首を横に振る。
「ここで働けたらとても嬉しいです。でも、お家の人に聞かないと…」
「じゃ、聞いたらまたおいで。出来る時に手伝ってくれるだけでも助かるからさ。」
「待っててくださるんですか?」
「勿論。自慢じゃないけど、あたしは見る目はあるんだよ。こんないい子、他に取られるなんて損だからね。だから、焦らなくてもいいから、しっかり話し合ってまたおいで。」
「ありがとうございます。女将さん。」
ここで働いて、お金をためて、お家を借りて…
そんな上手くは行かないかもしれないけれど、自活への第一歩を素敵なお店でスタートできるかもしれない事がとても嬉しい。
もし、駄目だったとしても、女将さんやエルセさんのような優しい人に出会えた事は、この先きっと力になる。
(町へ出て来られて良かったな。)
店を出ると、何だかジッとはしていられなくて、小走りに夜の風を切る。
スーッと冷たい風が、いつもより高めの体温を冷ますように額のあたりを通り抜けていった。
夜道を進む馬車は息より少しゆっくりで、コトリコトリと優しく揺れる馬車の中で、私は充足感に包まれながら、気づけば眠りに落ちていた。
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