第1話

 私の名前はスズ。

 ヒューティア国に古くから伝わる聖女召喚なる魔法で呼び出された異世界の存在である。

 因みに、この国に来る前の私は、日本という国の、ちょっとした高級住宅街に住むエリート家族に嫁いだ主婦だった。

 

 年は一回り違ったけれど、優しくて頼りがいのある夫と、施設育ちで身寄りのなかった私を「本当の娘の様だ」と言って受け入れてくれた義両親。

 幸せな家庭を築けると信じていたけれど、現実はそう甘くは無くて。

 結婚後に豹変した夫は私から一切の自由を奪い、義両親は私を召使としか見ず、助けを求めようにも、知り合いは外面の良い夫の味方で、数少ない友達は「何それのろけ?」と取り合ってくれなかった。

 私の呼び名は「スズ」から「グズ」へ代わり、言われた事が出来ずに叱られ、出来ても罵られの毎日にほとほと疲れたある日、あまりに眠くて少しだけ仮眠しようと横になったのを最後に、目を開けたらヒューティア国で、仰々しいぎょうぎょうしい面々に取り囲まれていた。


 この国に、終焉の黒龍しゅうえんのこくりゅうが現われて瘴気をばら撒いている事、そのせいで魔物が活性化して各地で争いが絶えない事、それらを完全に浄化するには、聖女だけが使える特別な魔法が必要不可欠である事、そして…その聖女は私だという事。


 正直何を言われているのかは分からなかった。理解しようとも思えなかった。

 多分、あきらめを繰り返した生活の中で私はという物を捨ててしまっていたのだと思う。


 ―― 力を貸して欲しい。


 私はその申し出を二つ返事で引き受けた。

 それからは、言われるがままにお披露目パーティーに出席し、言われるがままに騎士様と婚約し、結婚し、言われるがまま魔法の訓練に励み、戦に出て魔法を使い、言われるがまま祈っていたら、ついに先日『終焉の黒龍』を倒す事に成功し、ヒューティア国は救われた。

 昨日あった祝賀パーティーでは、国王陛下に感謝の言葉を直々に頂くこととなり、ちょっと吐きそうになってしまった。


 そもそも、『終焉の黒龍』の影響が如実にょじつに現われたのは数十年前らしい。徐々に侵食されながらも、あらゆる知恵を駆使して戦い続け、最後の手段にかけるべく、聖女召喚を英断としたこの国の人々と、ただの道具として1年程前にを持って呼び出された私では、この戦にかける想いが違い過ぎたのだ。


 黒龍討伐の直後、ラウリ様に言った言葉は謙遜では無く事実で、私はあくまで、言われた通りに動いただけの人形なのだから、称賛なんていらない。

 正直、戦場に向かうより、各所に出向く度に発生する「聖女様万歳!」と言われるためだけのパレードの方が心労だった。



 さて、そんなこんなで今日は、今後の事を話したいとラウリ様に呼ばれている。

 仕事の説明をしてもらうために何度も来ている執務室へ入ると、いつもと変わらず私を一瞥してから、机に広げられた書類に視線を戻すラウリ様。

 中性的な整った顔立ちに、ストレートな赤髪。必要な部分にだけ無駄なく筋肉を付けた細身の体からは、死闘を制してきた荒々しさを一切感じず、むしろ優雅な気品が漂う。


(王子様みたいだなぁ)


 静かな部屋でカツカツとペンを動かす音。小気味よいこの音を聞きながらラウリ様を待つ時間が、私は何となく好きだった。


「待たせて済まない。」


 やがて、書類を片付けたラウリ様が立ち上がり、私の座るソファーの向かいの席に深く腰掛けた。


「早速だが、本題に入ってもいいか?」

「はい。お願いします。」

「では今後についてだが、君には予定通り『聖女帰還の儀せいじょきかんのぎ』までの間、各地に残っている瘴気の残滓ざんしを取り除く作業に尽力してもらいたい。日程は決まり次第、いつもの様に伝えるが、問題はないな?」


 手短に決まった話をサクサク進めるラウリ様に「大丈夫です」と頷く。

 この辺りの事は、既にリュリュさんからも説明を受けて了承していたので全く問題はなかった。


 因みに『聖女帰還の儀』というのは、その名の通りこの国にやって来た聖女が元の世界へ帰る為に行う儀式らしい。しかし実際は聖女が元の世界へ戻る方法は無いそうで、要は国民に向けてのパフォーマンスなのだそう。

 異世界から異世界人を召喚し、強制的に戦わせた後、帰す事も許さないときたら、その非人道的さを非難する人間が出かねないし、それはそのまま王族への批判へと繋がってしまうから、聖女は帰る必要があるのだとか。

 私の場合は、元居た場所なんて進んで帰りたい場所では無いからそれを酷だとは思わないけれど、私より前に召喚された聖女様達は、どんな思いでこの国で生きて行ったのか、少し思うところはあった。


 ともあれ、『聖女帰還の儀』を終えると、この国からは消える。

 聖女には、認識阻害の魔法がかけられた正装が用意してあり、私が聖女として各地を回る際には常にそれらを必ず身に着けるよう言われていた。名び名も「聖女様」に統一されている為、この国の人たちは、一部を除いて私の顔も名前も知らされていない。

 勿論私もそれに伴い様々な制約を受けているので、帰還の儀は、そういった聖女に関わる制約が終わる日でもある。以降は私はスズという一人の人間として、この国で生きていく事になるのだ。


「うむ。では、次だ。この先も聖女の仕事をしてもらうと言っても、今までのように戦場から戦場へ渡り歩くような忙しさは無い。君の自由な時間が増える事になる訳だが…その時間で何かしたい事はあるか?」


(したい事…)


 考えてはみる物の、何一つ浮かんでくるものが無い。

 そもそも、私がこの国で知ったのは聖女の業務とそれに関係する事のみ。

 何がしたいかと聞かれても、そこにどんな選択肢があるのかさえよく分からないし。


「特には思いつかないです。」

「そうか。趣味や得意なことなどは無いのか?」

「これといっては…」


 何分私は、何をしてもダメな出来損ないの「グズ」。

 そんなものは持ち合わせてはいない。


(あぁ、そうか。この国ではだったから必要とされたけれど、それが無ければ私はただの「グズ」その時この人は…)


 元夫あの男のように豹変するんだろうか?

 そう思うと、気持ちがズーンと重くなった。


「あぁ、すまない。今の質問はただの確認だから、そんな顔をしなくていい。無いならこれから探せばいい。そうだな…では、まずはこの国の事を知る事から始めてみてはどうだ? これから国民として生活していくんだ、知識は必要だろう。」

「では、そうさせていただきます。」

「うむ。屋敷の図書室にある本は好きに読んでくれて構わない。何か興味が湧いて、必要な物が出て来たなら執事サロモン侍女ミーリに伝えてくれればいい。」

「分かりました。」

「他に、スズの方から聞いておきたい事はあるか?」

「………。」


 ラウリ様は、話の最後にいつもこの問いかけをしてくる。

 そこにどんな意図があるのかは分からないのだけれど、ここで何か言わないととてもガッカリしたような顔をするから、なるべく答えるようにしている。


「えっと、私の行動範囲は今まで通り屋敷の中という事でよろしいのでしょうか?」


 悩んだ末に出した回答。

 聖女の正体が漏れないよう、聖女の任務に関わる事以外での外出は禁じられていたから、それの確認だ。


「あぁ…そうだな、屋敷では軟禁生活を強いている様なものだ、窮屈だろう。決まりとはいえ、すまない。」

「いえ、そういう訳では。」


 実際、ラウリ様のお屋敷は十分広くて、手入れされた庭には季節ごとに彩り豊かな花が咲いていたので飽きる事は無かったし、争いが熾烈になるにつれて屋敷にはつかの間の休息をとる程度しかいなかったので、何の文句もなかったのだけれど、私の回答を「外出がしたい」と汲み取ったらしく、腕を組み、目を閉じて「うむ」と暫く考え込んだラウリ様。


「……危険……いや、一人で行動する練習にもなるか…」

「あの、今まで通りならばそれでもかまいませんよ。」

「うむ………」


 ボソボソと聞こえた独り言のような小言に返事をしてみるも、聞こえていないのかラウリ様は目を閉じたまま考え込んでいる。

 その様子だけで、外出が許可されないことなど一目瞭然なのに、何を悩むことがあるのだろう。


(ん? そういえば今、一人で行動って言ったような…)


 会話が止まり、長く感じる待ち時間にいると、つい余計な事に気を取られてしまった。

 どういう意味なのだろう。この先私が一人で行動するという事があるならば、それはつまり…


(そっか。聖女じゃなくなったなら、離婚になるのか。)


 ふと、結婚に至った経緯を思い出し、納得した。


 そもそも、この結婚は契約結婚だ。

 国を救う存在である聖女を保護するという名目で、聖女はこの国に居る間、王族と結婚してその地位を確かな物にしておかなければならないという習わしがあるそうなのだ。

 本来ならば、私も王この国にいる2人の王子のどちらかと結婚する予定だったらしいのだが、彼らには既に素敵なお相手がいるそうで、ならばと、公爵家の嫡男であり、婚約者の居なかったラウリ様に白羽の矢がたったと聞いた。

 習わしはどうなったのだとも思うけれど、ラウリ様は王弟の息子でもあるので、ギリギリセーフという事になったみたいだ。


 王立騎士団、第二部隊の若き隊長であるラウリ様は、幼い頃から武術に精を出し、最年少で騎士団入りするとその後もメキメキと力を付けて王太子の兵である第二部隊の隊長にまで上り詰めたらしいのだけれど、その結果、「女性と出掛ける時間があるなら素振りをしていたい」という脳筋に育ってしまったために、何人かいた婚約者との関係が全く上手くいかなかったのだとか。

 婚約の時「私が責任をもって女性の扱いを叩き込むから、こいつの事を捨てないでやってくれ。」と頭を下げてきたラウリ様の親友、王太子のエーリッキ殿下は、結婚式の時には男泣きで「お前が結婚とは、本当に良かったよ。」と祝福してくれた事もあったから、きっと噂は事実なのだと思う。

 エーリッキ殿下のお蔭なのかは分からないけれど、ラウリは「食事はとれたか?」「よく眠れたか?」などとよく気にかけてくれた。夫婦の会話と言うよりは、親が子を心配するような感じではあったけれど。聖女という存在が国にとって大切で、それを預かっているのだからそうなるのは当たり前だったのかもしれない。


(そっか。離婚するのか。あ、だからこの国の事を勉強して、出来る事を探しなさいって事ね。確かに、今のままでは何もできずにすぐ野垂れ死んじゃうもんね。職業訓練みたいな事させてくれるなんて、ラウリ様は本当にいい人だわ。)


「スズの気持ちは了承した。少し時間を貰うが、外出できるよう手配をしておこう。」

「ありがとうございます。ラウリ様のお心遣いに感謝します!」


 やっと目を開けたラウリ様に、深くお辞儀をして礼を尽くした。

 この心遣いを無駄にしないように、何とか私にできる事を探したい。そして出来るだけ早くラウリ様を聖女のお守役から解放して差し上げたい。


(よし、頑張ろう!)


 翌日から、私は図書館へと通い、この国の歴史や一般教養についての勉強を始めたのだった。

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