第3話
ラウリ様に町でやりたい事が出来たと伝えると、詳しく聞かれることも無く許可が出た為、私は正式にパイのお店・フィーユで働かせてもらえる事になった。
ただ、先日はちょっとの外出つもりが、帰宅が夜になってしまった事で、屋敷を少し騒がせてしまった様で、夕食の1時間前までには帰宅する事と、持ち主に危険が迫った時にその危険を知らせる石がはめ込まれたペンダントを肌身離さず持っている事を約束した。
「改めまして、今日から働かせてもらうスズです。不定期でのお手伝いになりますが、お役に立てるように頑張ります。」
「こちらこそ改めてよろしくね。改めて、あたしはこの店の女将、スサンナで、こっちが娘のエルセ。あっちの厨房に籠ってるのが旦那のイスト。」
紹介に合わせて厨房から、イストさんがウインクを飛ばしてくれた。
高身長で強面、おまけに仕事は寡黙に取り組む方らしく、先日は挨拶も出来なかったから心配していたけれど、エルセさん曰く「格好つけてるだけで、普段は結構抜けてるんだよ」との事で、意外にチャーミングな人なのかもしれない。
オレンジの短髪がトレードマークの元気な女将さんと、そのオレンジ髪とにイストさんの長身を見事に受け継いだ、美人なエルセさん。寡黙で職人気質のイストさん。
なんだか、アニメにでも出てきそうな家族経営のお店は、とてもほんわかする光景だった。
「じゃ、まずはエルセと店内の仕事をしてもらうね。この間は忙しい時間帯に手伝ってもらったけど、普段はそんなに混まないからゆっくり仕事を覚えてくれたらいいよ。」
「分かりました。エルセさん、宜しくお願いします。」
「エルセでいいよ。あたしもスズって呼ぶし。見た感じ、そう離れたないでしょ?」
「えっと、私多分18です。」
「あ、同い年じゃん。 敬語も面倒だから無し無し。ていうかそっか、2つくらい年下だと思ってたわ。やっぱ、もう少し食べた方が良いよスズ。よし、父さんにまかない弾んで貰うよう言って来るわ。スズはテーブル拭いて、花瓶の水でも換えといて。」
「え、あ、エルセさん!? お構いなく…」
食事ならば、お屋敷で十分すぎる程食べさせてもらえているし、お蔭でこの国に来た当初より随分とふくよかになってしまっている。多分エルセさんが165cmくらいあるのに対して、私が155くらいしかないので、小柄に見えているだけだと思うのだけれど、足早に厨房へ引っ込んでしまったエルセには声は届かなかったらしい。
代わりに、隣からは女将さんの深いため息が返って来た。
「あんたをダシに、今日の昼食を豪華にしようって魂胆さね。気にしなくていいよ。ま、もう少し食べた方が良いのは同感だけど。」
全く…とぼやきながら、女将さんも厨房へと入っていく。
(もしかしたら、この国ではぽっちゃりめが標準だったりするのかな? でも、エルセさんはスレンダーだし…やっぱり身長のせいだと思うけどな…。牛乳、飲もうかなぁ…。)
厨房の奥からわいのわいのと聞こえる心地よい家族団らんの声を背に、(家族仲が良いって素敵だなぁ)と感慨深さに浸りながら、私は店内清掃とセッティングを始めたのだった。
***
「只今、オレンジパイが焼きあがりましたよ~。」
お店にも慣れた頃は、私は店頭での呼びかけに挑戦させてもらった。
こんなに良い香りを振り撒いるのに、道行く人はなかなか足を止めてはくれない。
「オレンジパイ、いかがですか? 今なら店内空いてますよ~。」
駄目だ。
女将さんなら同じような声掛けですぐに人を呼び込めるのに、何が違うんだろう…。
結局、呼び込みの成果は出ないまま、時間だけが過ぎてしまった。
「どうして女将さんの様にいかないんだろう…?」
呼び込み係が私から女将さんに変わると、あっという間に店内が混雑を始めたのでちょっと悔しい。
そんな気持ちをエルセにボヤくと、「はっは」と大口開けて笑われてしまった。
「呼び込みはあたしも苦手だよ。ってか、
「はーい。」
適材適所。確かにそうかもしれない。
少なくとも、今悩んだところで女将さんの域には達せるわけではないし、上の空で出来る仕事を失敗する訳にもいかない。
呼び込みが上手くいかなかった分、店内のお仕事は頑張らなくては! と気持ちを切り替え、着席したばかりの二人組のお客さんの元へと急いだ。
フィーユの客層は九割が女性。だけれど、こちらのお客様は男女のペアだった。おそらく男性は彼女の付き添いなのだろう。はしゃぐ女性とは反対に心なしかムスッっとそっぽを向いている。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「えぇ。お店前で宣伝していたオレンジパイを。私、オレンジが大好きなの。」
「それは良かったです。新鮮なオレンジが入荷したそうで、本日の一押し商品なんですよ。」
「聞いたわ! だからすっごい楽しみ。あと、紅茶を二つね。」
「かしこまりました。」
注文を取り終えて、二人に背を向ける。
「ちょっと、いつまで拗ねてるのよ? みっともないわよ。」
「誰のせいだよ。俺は腹が減ってんだ。なのに勝手にパイ屋なんかに入りやがって。俺の腹を紅茶で満たせって言うのかよ。」
「食事ならこの後ちゃんと行くって約束したじゃない。ちょっとくらい待っててよ。」
「菓子なんて食事の後でいいだろ? しかもパイなんて腹に溜まるもん…俺と食事する気ないだろ?」
「だって、売り切れちゃったら困るじゃない。もう、その顔止めてよ。美味しさが半減しちゃうでしょ。そんなに嫌ならあなたも何か食べたら?」
「そうさせてるのはどっちだよ。俺は甘いものは嫌いなんだよ!」
あらあら、喧嘩が始まってしまったみたい。
声を潜めてくれているから、まだ大事にはならなそうだけど、次に何かあったらどちらかが爆発してしまいそうな温度感。
水のかけ合いならぬ、紅茶のかけ合いでも始められちゃったら困るから、男の方にはどうにか怒りを鎮めて欲しいけれど、どんな人でも笑顔に出来る女将さんはまだ外に居るし…
「あ。」
ちょっとアイディアを思いついた。要は、男性の空腹を満たせればいいのだ。
けれど、勝手にやるわけにはいかないし、エルセさんは他のお客さんの対応で忙しく話しかけられる雰囲気ではない。
続々と人が入ってくる店内には注文待ちのお客さんが沢山いて、ここだけに時間を割いている場合でもなさそうだし。
『となると…イストさん?』
明らかに話しかけるなオーラを纏って厨房で黙々とパイを切り分けているイストさんに、注文票を持って行くついでに思い切って話しかける。
「あ、あのっ」
「…ん?」
睨んでいるつもりは無いんだと思うけれど、元が強面だからやっぱり怖くて尻込みしてしまった。
「あ、あの、相談なんですけど…あちらのお客さんに、チーズと黒コショウのスティックパイをサービスしたいのですが、可能ですか? 勿論お代は一皿分私が払います。」
「知り合いか?」
「いえ、空腹で機嫌が悪いのに、自分の大嫌いな甘いものを彼女が目の前で一人食べるのが気に食わないらしくて…。食べるかは分からないですけど、甘くないパイをサービスしたら、少しは機嫌収まらないかなって。」
「分かった。用意する。」
「ありがとうございます。」
イラン世話だと怒られやしないかドキドキしたけれど、意見が聞き入れられてちょっと一安心。
私みたいな素人の意見でも、否定することなく受け入れてくれるなんて、やっぱりイストさんは良い人だなぁ。
…なんて、和んでいる場合では無い。
女将さんパワーで店内は間もなく満員。気合を入れなおしてお客さんの元へ向かった。
一通り注文を取り終わったら、今度は出来上がった品を運ぶ作業。
キッチンカウンターには注文に従ってイストさんが用意してくれトレーーがいくつも並んでいて、それを順番に運んでいく。
お客様とのつながりも大切にしているこのお店では、なるべく自分の取った注文は自分でが運ぶ事になっているので、先程のカップルのテーブルに、オレンジパイと紅茶、それから小さな紙コップに入ったスティックパイの乗ったトレーを持って行くことにした。
「ご試食どうぞ」と、可愛いポップ用紙が添えられていたるけれど、イストさんが書いてくれたのかな?
本数も一皿分より少し少なめで、本当に試食っぽい。
こういう心遣いって、ちょっと嬉しいな。
「お待たせしました。こちらがオレンジパイです。」
「わぁ! 美味しそう!」
キラキラと輝く女性の笑顔を、男性が憎らしそうに睨みつける。
今にも女性に突っかかりそうな男性の顔にひやひやしながら紅茶をセットし、最後に男性の前に数本のスティックパイの入った紙コップを置いた。
「こちらは甘いものが苦手な方でもパイが楽しめる様にと店主が考案しました、チーズと黒コショウを使ったお食事パイです。よろしければご試食ください。」
「試食?」
「はい。試食ですからお代は頂戴いたしません。可能であれば後程感想を頂けると嬉しいですが、こちらも強制ではありません。それではごゆっくりお過ごしください。」
何食わぬ顔でその場を離れ、遠目から見守ると、男性はスティックパイの一本をサクサクと食べてくれていた。
フォークやナイフを使わずに食べられるお手軽さと、若干物足りなくて後を引く絶妙な一口サイズが人気のスティックパイは、普段から男性客に人気の高いメニュー。
お腹を満たす事は出来なくとも、小腹を満たすくらいになればいいなと思う。
先程まではギスギスしていたカップルの雰囲気も、何だか落ち着いたように見えた。
他のお客さんの対応中に、いつの間にかカップルの姿はなくなっていたけれど、帰り際には男性が「あのパイは旨かった」とコメントを残して帰って行ったらしい。
パイ=甘い=嫌い。の認識が、少しは変えられていたらいいな…。
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