第4話
今日は聖女のお仕事でラウリ様と共に教会を訪れている。
瘴気は多かれ少なかれ人間にも影響を与える為、瘴気に毒されてしまった人々に手をかざし、決められた文言で祈る事で瘴気を取り除くのだ。
この「浄化」と呼ばれる作業は、修行した神官ならば誰でも行う事が出来るそうなのだけれど、聖女と彼らでは、その威力に雲泥の差があるらしく、時々こうして教会のお手伝いをしている。
集められた人の身体からは黒い靄が発生しており、浄化後にはそれが消えるので、やっている事に問題も間違いも無いのだけれど、その靄もやはり、神官などの限られた人間にしか見えないそうで、自覚症状が無い人達からは「教会のヤラセだ」と非難の声を浴びる事も多々ある。
特に元凶である黒龍が居なくなった
「聖女様、この者で最後です。」
神官が連れて来たのは、左肩から腕にかけて黒い靄を纏った男性。
瘴気の影響は主に二つあり、一つはその場所が痛んだり力が入らなくなったりする事で、これは全身に言える事。もう一つは、自分の意志に関係なく他人に危害を加える様になったりする事で、主に手足に瘴気を受けた人に現れる。気づいたらナイフを握っていた、攻撃の意志はないのに、足が勝手に動いて人を蹴り殺したなんて話もよく聞いた。
「では、浄化を始めます。左腕に不快感や痛みはありませんか?」
「ねぇよ。いいからさっさとしてくれ。」
男性の苛立ちに反応するように、黒い靄がブワっと揺らめく。
これが瘴気の一番恐ろしい部分。瘴気の影響は、人の気性を粗くするうえに、そうして込み上げる負の感情に連鎖して広がっていく。だから一度広がり出すと全身に回るのはとても速い。
瘴気の影響が全身に回ってしまうと、狂人になってしまうか、或いは身体が耐え切れずに死に絶えてしまう。
私の力があれば狂人でも浄化は可能だが、死んだ人を救う事は誰にも出来ない。
「失礼しました。では、少し触りますね。」
目を閉じて、力を込めて祈りをあげる。
まばゆい光が男性の身体を包み、左肩にあった靄をかき消していくけれど、男性にはその光を見る事も感じる事も出来ない様だ。
「終わりです。」
「はんっ。満足か? なら帰らせてもらう。」
「あ、申し訳ありません。帰宅の前に教会の方の指示に従ってください。」
「はぁ? 俺はお前らお偉いさんと違って暇じゃねえんだぞ、このインチキ集団めが!」
「おい、聖女様になんてことを!」
「はん、聖女だと? 救いだと? そんなもんよりな、今日の飯をくれよ! ったく、痛てぇな。神官の癖に弱い者いじめかよ、くそがっ」
靄は消えたけれど、抑えきれない不満が元々あったらしい男性は、神官に抑えつれられ暴言を垂れ流し去って行った。
彼らからすれば、異世界から来た救世主扱いの私は悪徳霊媒師みたいなものなのだろう。 その反応は仕方ないかもしれない。
「お疲れ様です。聖女様。」
神官と入れ替わりで、ラウリ様が駆け付け労いの言葉を掛けてくれる。
何処で何を聞かれているか分からないので、外に居る時は聖女と騎士の間柄を保ち、ラウリ様の口調もとても丁寧だ。
しかし、そんな言葉と一緒に私にくださるキャンディーは、猫の形をしていてとても可愛らしい。
(いったいこれは、いつ誰が購入しているんだろう?)
疲れた時は甘い物、という認識があるのか、ラウリ様は仕事終わりに必ずキャンディーやチョコ、キャラメルなど、ポンと口に入れられるようなものをこっそり渡してくれるのだけど、その形はいつも、ハートや星、動物の形と可愛い。
前にミーリさんにお礼を言ってみたら、「それは私ではありません」と言われてしまったし、かといって、まさか、ラウリ様がこんな可愛いお菓子を私の為に買うはずもないし。謎だ。
「ス…聖女様? お気に召しませんでしたか?」
「いえ、ありがたく頂戴します。後程いただきますね。」
「体調がすぐれませんか?」
「いえ、そうでは無くて…」
キャンディー一つでそこまで心配されるとは…
(もしかしてこの甘味、聖女への貢ぎ物? 仕事終わりには食べなきゃいけない決まりがあるとか…)
いやいや、そんな訳無いよなぁ。とキャンディーを仕舞う。
「この後のお仕事に支障が出ますから。」
教会での仕事は終わったけれど、今日はまだ、ラウリ様の視察に同行するというお仕事が残っているのだ。教会での浄化もそうだが、示威活動とでもいうのか、困難は去っても混乱が収まるまでは聖女が国に尽力している事を示す必要があるのだとか。
「聖女の正装は顔が隠れているとはいえ口元は見えてしまいますし、モゴモゴしながら町を歩いてははしたないですから。」
「…すまない。今日はそれしか持っていなかった。」
「いいえ。お心遣いに感謝します。もう移動されますか?」
「…聖女様のお心のままに。休息が必要でしたらそのように手配しましょう。」
一瞬だけ口調を乱したラウリ様は、すぐに元に戻して伺いを立てて来るので、フルフルと首を横に振ると、「では」と片膝ついて手を差し伸べてくれた。
***
認識阻害魔法のかけられた純白のローブに付属するフードをすっぽりと被り、顔半分は布で隠す聖女の正装。露わになるのは口元だけという、その異質な雰囲気と、胸元にある、聖女の心臓と呼ばれるこぶし大のダークレッドの宝石がついた首飾りが、聖女という存在を神秘的に演出しているのは間違いない。
ちなみに、顔の布も特殊な作りになっていて、視界は良好だけれども外からは見えないという、ミラーレースカーテン仕様。通気性は申し分ない。
この恰好で居る時は、徹底して聖女と呼ばれ、崇められ、慈悲を与える事を求められる。
勿論、ラウリ様との婚約も結婚もこの恰好で、私は聖女として彼に嫁いだ。
それら全ては、やがて訪れる聖女の帰還後に、一人の女性として生きられるようにとの配慮だという。
今まで深くは考えて来なかったけれど、私が聖女である時、この世界にスズという人間が消滅しているというのは、なんだか不思議な感覚だなぁと、改めて思う。
おかげで町の人は誰一人、スズの顔も名前も知らない。のだけれども…
(わ、あの人お店の常連さんだ。)
働くようになって、顔見知りがちょっとだけ増えた町を歩くのはちょっと緊張する。
「聖女様、この子は以前浄化していただいた子です。昨日1歳の誕生日を無事に迎えられました。本当に、本当にありがとうございます。」
「あぁ、聖女様。この国をどうかお守りくださいませ!」
「せいじょさま、おかーさんと、おとーさんといっしょに、はなかんむりをつくったよ! どうぞ。」
聖女様…聖女様…聖女様…
集まってくれている人は、聖女に多大な信頼を寄せている。
きっとありがたい事なのだろうけれど、相変わらずあまり実感が沸かない。
そのせいか、こうしていると、自分が誰なのか本当に分からなくなって、頭の中がグルグルと回り出す。
だけど、口角を上げてさえいれば、目を閉じていても冷や汗をかいていても、微笑んでいるように見えるから、こういう時、顔が見えないのはとても便利だわ。
それにしても、後どれくらいこの場所にとどまるのだろう?
今日は今までで一番人の熱気がすごい。教会から町の外れに止まっている馬車まで歩きがてら、途中の店を二件ほど視察すると聞いていたけれど、人込みで道が封鎖されてしまっている。
押し寄せる人を無碍にも出来ないし、かといってずっとこのままだと倒れそうよ。
あぁ、頭が痛くなってきた…。
「さぁ、皆が聖女様の祝福を受けたい気持ちは分かるが、聖女様はまだまだお忙しい。次のご公務へ行かなければならない時間だ。道を開けてくれないか。」
ようやくラウリ様がそう声を上げ、道を作ってくれた。
はぁ…いつもの半分くらいしか仕事をしていないはずなのに、疲労度が半端ない。
集中していないと、足がもつれて転がってしまいそうだ。
「辛ければ私に体重を掛けて歩くと良い。少しくらいもたれかかったって、仲良き夫婦に見えるだけだ。」
被っているローブを直すふりをしながら、ラウリ様が私にだけ聞こえるよう耳元で囁き、そっと肩を抱き寄せてくれた。
ふいの出来事に、身体がピクりと跳ねてあがり、目が覚めるような感覚と共に、顔に熱が上がっていく。
雰囲気で察したのか、町の人達が「まぁ!仲がよろしい事」「お似合いですわ!」と滅多に見れない聖女のプライベートシーンに盛り上がっているせいで、変に意識してしまった私の顔は、多分真っ赤になってしまっているけれど、そっと横を見上げてみると、ラウリ様は動じるようなそぶりも無く、いつも通りの騎士の顔をしていた。
(それにしても、やっぱり王子様だなぁ…)
支えてくれる力強さや心遣い、頭の回転の良さ、周囲に振りまく余裕の微笑みは、常に他者に気を配っている何よりの証拠だ。彼が本当に噂通りの脳筋だったらきっと、こんな上手くは立ち回れないだろう。
因みに、本当の王子様、王太子のエーリッキ殿下は、公ではしっかり王子様だけれど、裏ではかなりのお調子者。堅苦しい振舞がとにかく嫌いらしく、聖女に対しても「聖女ちゃん」と言ってリュリュさんにかなり絞られていた。
それに関しては、私としては、そのくらいフランクの方がありがたかった面もあるんだけどね。
けっこう人のプライベートにズケズケ入って来るところは苦手だった。
(ラウリ様でよかったな…)
振り返れば、無事に聖女として勤めあげられたのは、寛大なラウリ様の支えがあったのは大きい。
だからせめてもの恩返しに、私はちゃんと自立して、後を濁さず去って行こう。
良い人が貧乏くじを引くのはどの世界でも同じかもしれないけれど、私の行動次第で、ラウリ様が強引に結ばされた婚姻関係が解消できるなら、やれるところまでやってみよう。
(よし、明日からまた、お仕事頑張るぞ!)
そう決意を新たにはしたけれど、どうしてこんなに頭がガンガン脈打っているのか、今は一歩一歩進むごとに身体を揺らす振動すらもしんどい。
(…今はもう少しだけ、この肩を借りてもいいかな?)
エスコートしてくれるラウリ様の力強い腕は頼もしくて温かかった。
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