第5話

「スズ、今は空いてるから母さんだけで大丈夫だって。アップルパイが焼きあがる前に休憩しちゃいましょ。」

「うん。じゃぁここ片付けたら行くね。」


 今しがた客が帰ったテーブルのセッティングを終え、女将さんに声を掛けてから住居スペースになっているお店の二階へ上がると、働き始めてすぐ、女将さんが「これを使いなさい」と用意してくれた鈴蘭の絵が入ったティーカップに紅茶と輪切りのレモンが浮かんでいた。


「お茶入れてくれたんだ。ありがとうエルセ。」

「んー。」


 そんなエルセは、テーブルに広げた紙と睨めっこ中。ここ最近、ずっとこの状態なのは新商品開発の為らしいのだけど、用紙の色は白からずっと変わっていない。

 今日も唸りながら両腕を高く広げ、背もたれにもたれかかったまま目を瞑ってしまっていた。


「大変そうだね。」

「ホント大変だよ。父さんの奴、スランプだか何だか知らないけどさ、思いつかないからって素人に商品開発頼むなって感じ。スズ、何か無い?」

「そう言われても、イストさんのパイは美味しいし、種類もすでに豊富だし…」

「ね。これ以上何をって話だよね。」


 何かアイディアが出せればいいのだけれど、残念ながら何も思い浮かばない。


「あー、止め止めっ。それより見て! 昨日ついに新しいの買ったのよ。」


 背もたれから戻って来たエルセが指刺すのは、肩にかかる髪を一つに束ねるリボン。

 貴金属や宝石のついた装飾品は高価で貴族しか手を出せないので、安価なリボンは庶民女性に人気のお洒落アイテム。ただ、それもそう安くはない為、流行の新品のリボンは結構なステータスだったりもするらしい。


「うんうん。気づいてたよ。刺繍とかビーズ飾りがあって、凄く可愛いリボンだね。」

「でしょ? お店で見た時一目ぼれしてさ、お金貯めて頑張ったの。」

「私、その刺繍の幾何学模様すごく好きだよ。」

「へぇ、意外。スズって全然飾りっけないから、こういうのに興味ないんだと思ってた。だったら閉店後に一緒にお店に見行かない? 可愛いリボンがお手頃で売ってるお店知ってるの。この模様流行ってるから、きっと好きなの見つかるわよ!」

「嬉しい! でも、今日は予定があって、いつもより早めに帰宅させてもらうつもりなんだ。お金も無いし、また懐に余裕がある時にお願いしてもいい?」

「勿論いいけど…珍しいじゃん。いつもは店じまいが早まっても帰らないで仕事してるのに。そんなに働いててお金ないって、母さんもしかして給料ケチってる?」

「まさか。むしろ十分すぎる程貰ってるよ。お金が無いのは私の事情。家を借りたくてさ。今日、不動産に行くの。」


 まだまだ持ち家を買うような余裕は無いけれど、少しはお金が溜まったので、今後を相談に行く予定。訳あり物件なら価格がかなり抑えられるらしいから、そういう話しも聞きたいなぁ。狭かったり多少古かったりするのはいいけれど、訳ありの理由が幽霊だったらちょっと怖くて住めないし。


「引っ越すの? そんなの旦那に任せとけば良くない?」

「うーん、というかもうすぐ離婚するの。だから私の新居探し。」

「はぁ!? それってまさか無一文で家追い出されるって事? 人の家庭に口出すつもりは無いけど、スズの旦那、ちょっと横暴が過ぎない?」

「違うよ。もともと、期限付きの結婚だったの。私が役に立つ代わりに、身の安全と衣食住を保証してくれてたっていうか。だけど、もうすぐ私が旦那様の為に出来る事はなくなってしまうから、必然的に離婚だなぁってだけ。旦那様は良い方だよ。最低保証で良いところを、良い物たくさん揃えて下さって、気にかけて下ったし、今もほら、自由にさせて下さってるでしょ。本当は今すぐに離婚したっていいはずなのに、私に先々を考える時間をくれて、体制が整うのを待ってくださってるんだよ。凄く優しいでしょ!」

「…それ、優しいって言う?」


 エルセは何か納得いかなそうに首を横に傾げていたけれど、私のラウリ様への感謝の気持ちは何を言われても変わらないと思う。

 元旦那は「これはスズの為だ」と言いながら、自分の為に私を従えていたけれど、ラウリ様は何をするにも「これは自分がしたかった事だ」と言ってくれていた。


 以前だったら、そんな事には気づかなかったと思う。興味も無かった。

 だけど、ここで働くようになって、何も持って無い私を評価してもらって、優しさを貰って、そうしたら人の優しさが見えるようになった気がする。


「まだ引っ越す事とか女将さんに言ってないんだけど、通える範囲ならこのまま雇ってもらえるかな?」

「そもそも今のスズの家の場所知らないし、話題に出たことも無いくらい気にしてないから、仕事の質が極端に落ちる、又はうちの経営が悪くなるのどちらかが無い限り、大丈夫でしょ。むしろ母さん、スズの事気に入ってるし、家に住めばとか言い出しそう。」

「わぁ、それ楽しそう!」

「でも母さん、何気に人使い荒いからね? よく考えてから決めた方が良いわよ。」


 丁度その時、一階から「二人とも、アップルパイが焼けるから降りて来て準備して!」と、私たちを呼ぶ女将さんの声が聞こえた。


「噂をすれば。」

「ですね。」


 二人でクスクスと笑いながら、急いで紅茶のカップを洗い、お店へ降りたのだった。



 ***



「今紹介できるのはこんな所ですかな。しかし、お嬢さんの様な方にはどれもお勧めしませんぞ。同じ値段でも、町の外ならばもう少しマシな物件も紹介できるんですが。」


 整えられた口髭がダンディーな不動産屋の旦那さん、イーヴォさんにそう言われて、「そうですか」と広げられた用紙に目を通す。

 今の手持ちでは、治安がすこぶる悪い場所や修繕しないと雨風も凌げないような家しか紹介できないらしい。


「訳ありの様だし力になってあげたいが…すまないね。」

「いえいえ、無理を言って申し訳ありません。もう少しお金を工面したら、また来てもいいですか?」

「勿論、またいつでも来なさい。私も物件を探しおきますよ。」


 掛けていた黒ぶち眼鏡をスッと外して目を細め、微笑んで見送ってくれたイーヴォさんに別れを告げ、帰宅する。


(そう上手くは行かないか…)


 残念な気持ちと同時に、疲労感がズンと身体に降りて来る。また、頭がズキズキと痛み始めた。先日から、どうも調子が戻らない。


(早く帰らないとな…)


 辺りはすっかり日が暮れている。

 もし約束の時間を過ぎてしまったら、流石のラウリ様も私の自由を制限するだろう。そうなれば、家を借りる事も難しくなってしまうし、困る。


 幸い、不動産屋は馬車が待っている場所のすぐ近くなので、馬を飛ばして貰えば時間は間に合うはず。お尻は痛くなるけれど。


 そんな事を考えながら重い足どりで馬車までの道を走ったのだけれど…


「あれ…?」


 馬車が見当たらない。

 と思ったら、送ってくれた御者の方が、私に気づき近づいていてくれた。


「あの、馬車は?」

「こちらへどうぞ。」


 前を歩いていく御者に、付いて行くのが正しいのかは分からないが、彼以外の馬車には乗ってはいけないとも言われているし、ここは付いて行くしかない。


 何かのトラブルかな?

 と考えながら、細道を進む御者に続くと、その先に、乗ってきた馬車が止まっていたので一安心した。


「お客様が一人お乗りになっておりますので、驚きませんように。」


 御者はそれだけ言って馬車の扉を開けた。


「ラウ―――」


 馬車に乗っていたラウリ様が、指を一本口元に運び、シーっとして来たので、はっとして言葉を飲み込み、静かに馬車に乗り込んだ。


「スズっ!」


 今しがた私に、静かにと言ったはずなのに、扉が閉まった瞬間、今度はラウリ様が強い口調で私を呼び眼前に迫ってきた。


「はい、あの、遅くなってごめんなさい。でも、約束の時間にはまだ余裕があったと思うのですが…今日は何かあったんでしたっけ?」

「無い。そんな事はどうだっていい!」


 どうだっていい? どうやら帰宅時間が遅れたことに対して怒った訳では無いみたい。

 なら、いったい何の用があるの?


 とりあえず、あまり大きな声を出さないで欲しい。頭がガンガンする。


「スズ、どうして不動産なんかへ行ったんだ?」

「どうしてって、お家を見にです。」

「屋敷を出て行くのか?」

「手持ちのお金では借りられるところが無かったのですぐには無理ですが、いずれは。離婚したらお屋敷に住まわせていただく理由もありま…」


 ラウリ様の顔がみるみるうちに怖くなって、それ以降の言葉は消えいってしまった。

 いや、顔は笑っている。笑っているのだけれど、その笑顔の背景にはヒューっと冷たい風が吹いているのが見えるのだ。


「スズ。私は君と離婚の話をした覚えはないのだけれど、それは君の望みなのか?」

「あ、えっと、望み…というか、私は…」

「聖女の役割が終わったら離婚だなんて、いったい誰がそんな事を言った?」

「あの、だから…」

「君との結婚が契約だなんて、君に吹き込んだ奴はいったい誰だ? 私は、君と離婚などするつもりは無い。」


 声を荒げたりはしないけれど、ラウリ様の怒りがひしひしと伝わって来る。

 怖い。上手く言葉が出て来ない。視界がクラクラする。頭が痛い…。


 どうやら、家を探したのがいけなかった様だ。

 ラウリ様は離婚の意志が無いらしい。

 そんな事を、前にも言われたな。


 ――― 離婚なんてするわけねぇだろうが。お前は一生、俺の奴隷なんだよグズが ―――


 だけど違う。ラウリ様は元旦那あの男とは違う。


「…どうして…」


 やっとの思いで発した声は震えてどこかへ消えてしまう。聞きたい事はあるのに、次の言葉は出て来なかった。


「君には影を付け、行き先の報告は常に受けていた。離婚に関する君の解釈については、エルサから聞いたよ。スサンナは私の親族だ。」


 ラウリ様の親戚のお店…


 その事実を聞いた瞬間、自分の中にあった一本の柱がポキリと折れたのを感じた。


(そっか…そういえば、ラウリ様から、町で何をしているか聞かれた事なんて一度も無かったもんね。全部知っていたんだ。女将さんも、だから雇ってくれたんだ。優しくしてくれたんだ。エルサが仲良くしてくれたのは、私から情報を聞き出すためだったんだ。私は結局、ラウリ様の手の平で踊っていたに過ぎなくて、サークルの中だと気づかずに野原で走り回る犬と同じで…あぁ、頭が痛い。目が回る。しっかりしなきゃ…ちゃんと話を聞かないと、また叱られる…)


 ラウリ様が何かを言っていたけれど、それを聞かないとと思うのだけれど、私の視界はついにぼやけ、天と地が、ひっくり返った。


「…スズ!?」


(私なんかが自由を望んだから罰が当たったんだ…人の優しさなんて、信じなきゃよかったかな…)


 ラウリ様のひんやりとした手が、倒れ込んだ私を支えてくれたおかげで、狭い馬車の中でも怪我をする事は無かったけれど、私の意識はそこでプツリと途絶えたのだった。

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