間話


 私の名前は澄村瑠夏。

 現役の高校生であり、そして女優だ。


 小学生の頃に応募した芸能事務所の面接に合格して、子役として芸能界に入った。

 私自身は特に俳優を目指していたわけではなかったが、応募したのは親の薦めが大きい。


「瑠夏はこんなに可愛いんだから、きっとすごい女優さんになれるわ!」


 と、当時小学生だった私に言って応募したのだ。


 端から聞けば親バカの台詞ではある。

 しかし私はみごとに事務所に所属したし、現在に至るまで少なくないドラマや映画に出演しているあたり、あながち単なる親バカの言葉ではないようだった。

 

 芸能事務所に所属してから初めて応募したオーディションに合格。

 そして子役として初めて出演したドラマがまさかの大ヒットを飛ばした。


 正直、私の実力というよりも私以外の出演者の実力に依るところが大きい気がするのだけど、しかしヒット作の主演として私も注目されることになった。


 それが私の宣伝になっていたのかはわからないが、私の元へ仕事が舞い込むようになり、他のドラマや映画のオーディションにも合格し続けた。


 そして小学校・中学校に通いながらも俳優として仕事を行ってきた。


 中学を卒業後には高校に入るのだが、そこでは出席の融通の利く芸能人向けの高校ではなく普通の高校に通うことにした。

 その理由としては、できるだけ学校に通いたかったからだ。


 小学校のころから女優として仕事をしている私は、学校に通ったことが少ない。

 別に満足に通えてなかったわけではない。

 小学生のころは休む方が少なかったし、中学生の頃も週に一、二回しか休んではいなかった。

 ただそれでも、他の学生と比べれば登校の回数は少ないことに違いはない。


 一度しかない高校生活だ。おろそかにしたくはない。

 だから私はできるだけ多くの日数登校することを望んだ。


 芸能人向けの学校は、私の家からかなり距離がある。

 電車を乗り継いで二時間ほどかかる。

 通うことはできなくはないが、かなり大変だろう。

 出来る限り学校に行きたい私としては、出席に関して融通の利く学校よりも家から近い学校を選んだ。


 地元の高校に進学した私は入学時から注目を浴びていた。

 女優として働いて当時からいくつものドラマに出ていた私のことを知っている人は多い。

 中学時でも注目されることはよくあったことだし、そこは特に問題はない。


 最初の方は問題はなかった。

 遠ざけられていたわけではないし、同じクラスに友人もできた。

 高校生になって仕事が忙しくなり、登校の回数こそは少なくなかったが、しかし普通とそうは変わらない学校生活を送ることができていた。


 問題が起こり始めたのは、二学期になって以降だ。

 十月くらいから、一部の――というより、三人の――女子からのいじめが始まった。


 きっかけは確か、三人のうちの一人の恋人が私に告白してきたことだった。

 

 彼に別の恋人がいることは知っていたし、そもそも誰とも交際する気がなかった私はもちろんそれを断った。

 その後に彼がしつこく付きまとってくることはなかったが、恋人の方は私を恨んできた。

 曰く、私が彼に色目を使ったということらしい。


 別にそういった行為は何もしていない。

 どうして彼女がそんな結論になったのか理解できなかったが、それ以来私は三人から嫌がらせを受けるようになっていた。

 それも他人にわからないように巧妙に。

 

 最初の方は他に人がいないところで聞こえるように悪口を言われた。

 次は教科書やノートに悪口を書かれた。

 その後は私物を盗まれたり壊されることが頻発した。

 机の中はもちろんロッカーの鍵を開けてまで盗まれることもよくあったのだ。

 そうしてからは物は学校に置かずに全て持ち帰るようになったのだが、体育や別の教室へ移動する授業の時に盗まれるようになった。

 

 辛くなかったと言えば嘘になる。

 切り裂かれた服や下品な落書きが羅列された教科書を見るたびに、心が傷ついていった。


 でも誰にも相談することはできない。

 親にも、教師にも、友人にも。


 相談すれば動いてくれていじめが止むのかもしれない。

 しかしそうなれば私のいじめのことが周囲にバレることになるだろう。

 周囲だけならばまだしも、いずれそれは世間にバレることになってしまう。


 特に今はSNSで誰でも簡単に呟ける時代なのだからその事実は簡単に広まってしまう。

 マスコミが食いつくのにそう時間はかからない。


 芸能人というのはそういうものだ。

 特に私はドラマや映画に出て顔も売れてしまっている。

 いじめられているという事実はマスコミや世間のかっこうの的だろう。


 しかし、それは私には耐えられなかった。

 被害者であるとはいえ、いじめられているというマイナスイメージは今後の女優業に差し支えてしまう。

 最初は親が応募したことがきっかけだったが、今では女優という仕事が好きになっている。

 決して失いたくはない仕事だった。


 だから私は誰にも言わずに耐えることを選んだ。

 今耐えることで今後女優として活躍できるのだと考えた。


 また女優としては関係なく、単純に自分がいじめに合っていることを他人にバレることが恥ずかしかったのだ。


 それに、どうせあと少しで学年が上がってクラス替えが行われるのだ。

 ならばそれまで耐えればいいだけの話だ。

 そう希望をもって考えれば我慢することができた。


 しかし私の希望は打ち砕かれる。

 クラス替えは行われたが、よりにもよって私にいじめを行っていた三人と同じクラスになってしまった。

 最悪だ。

 

 クラス替えの後もいじめは変わらず行われた。

 彼女たちは飽きるようなことはなく、むしろ時が経つにつれていじめは激しくなっていた。

 私がいじめのことを隠そうとしていることも彼女たちの行動を過激にさせた要因の一つかもしれない。


 最近は暴力を振るわれることもあったし、無理やり髪を切られかけることまであった。

 その時に髪はやめてと抵抗したことが腹立たしかったらしく、「女優ぶってんじゃねえ」と顔を殴られた。


 女の力で殴られた程度だから怪我は残らなかったが、心の方は傷だらけだった。


 そしてとある日の放課後、バケツに入った水をかけられた。

 幸い着替えもタオルも持っていた私は体をふき、彼女たちがこぼした水にぬれた床を掃除した。


 放置すれば、翌日になぜ水があるのかを調べられる。

 そうするとわたしのいじめのこともバレるかもしれない。

 そのことを恐れて、教室の床をモップで掃除していく。

 

 私は何をやっているのだろうか。

 掃除をしながらそんなことを考えた。


 なぜ自分のいじめの証拠を頑張って隠そうとしているのだろうか。

 こんなにしてまで耐えることに意味があるのだろうか。

 こんなことをあとどれくらい続けなければいけないのだろうか。


 虚しい気持ちと疑問が胸の内に湧いてくる。



 ――死のうかな



 そんなことが頭をよぎった。


 いじめられ続けるくらいならば死んでしまえばいいのだ。

 すぐそこの窓から飛び降りれば、いつでも死ぬことができる。


 楽になることができる。

 そう思った時。



「わわわわっすれ物~」



 誰かが教室に来た。


「あ」


 人が来たことに驚き、思わず声が出てしまう。


 ええと。

 誰だっけ?


 登校する日が少ないから、クラスで顔がわからない人も多い。

 この教室に来たということは同じクラスのはずなのだけれど……。



「望月だよ」


 

 と、その言葉を聞いて初めて名前を知る。

 同じクラスなのに名前も憶えていないなんて、と自分を恥じた。



「ごめんなさい。私、あまり学校に来ないから。クラスの人の名前とかよくわからなくて」


「気にするな。毎日学校に来ている奴でも俺の名前はよく覚えていない」



 私を気づかってなのか、そんな冗談を言ってくれた。


「なにをしているんだ」


「えっと……掃除をしているの」


 嘘ではない。 

 床を掃除していることは事実だ。


「水をこぼしちゃったから」


 これも、ギリギリ嘘ではない。

 こぼしたというよりかけられたという方が正確だが。


「ペットボトルをね、机から……」


 これは確実な嘘だ。

 しかしバレないという自信はあった。


 これでも女優だから、演技や嘘には自信があった。

 それにバケツは既に片付けているし、床に残っている水の量もすでに残り少ない。

 ペットボトルから水をこぼしたと言われてもおかしくない程度の量だった。

 だからバレることはないはず、とそう思っていたのに。



「嘘だな」


 

 彼には私の嘘を簡単に看破された。


「髪に水がかかった跡がある。机の上からペットボトルをこぼしたのならそんなところに水はつかないだろ」


 どうやら私は詰めが甘かったらしい。

 髪は拭いたと思っていたけれど、すぐに乾くわけではない。

 濡れていた形跡から水をかけられたことを見抜かれてしまっていた。


 いじめられていることを望月君に見抜かれて観念した私は、これまでのことを彼に話した。


 話をしている内に心の中が和らいでいった。

 ただ相談するだけでも楽になるのだとそのとき初めてわかった。


 いじめのことを内緒にしておくことを頼むと彼はそれを了承してくれた。

 大丈夫だ。嘘をついてはいない。

 彼は約束を守ってくれるだろう。


 私は女優としての経験からか、相手が嘘をついているのかどうかが仕草からなんとなくわかる。

 望月君からは嘘をついている人特有の仕草がない。

 この人は他人に言いふらしたりはしないはずだ。


 安心した私は望月君と別れて下校した。

 その後一週間、登校する日には三人からいじめられたけれど、それでも耐えていた。


 しかし一週間後には主犯だった三人が学校を辞めた。


 なぜ?

 どうして?

 何があったの?


 頭の中は疑問でいっぱいだった。


 家庭の都合と言っていたが、三人が一度に家庭の都合で転校するというのはいくらなんでもおかしい。

 私のいじめが学校にばれて処分がくだったのだろうかと思ったが、周囲の人間も教師もそんなことは話していない。

 

 もしかして。

 パッと望月君の方を見る。

 彼は三人の転校に驚いておらず、いつも通りの顔をしていた。


「やっぱり」


 望月君が何かしてくれたのだろうか。

 

 彼にいじめのことを話したとたんに主犯の三人がいなくなった。

 もちろん、彼以外にいじめのことは何も話していない。


 ホームルームが終わり放課後になって彼のところに行き問い詰めると、やはり彼が三人の転校に関わっているとわかった。


 具体的にどうやったのかはわからない。

 彼がそれを語らない以上、私も尋ねるべきではない。


 だけど――


「ありがとう」


 私は深く頭を下げてお礼を言った。


 私がいじめにどれだけ苦しんでいたのか。

 辛かったのか。

 それは彼は知らないかもしれない。


 だけどその苦しみから助けてくれたことは、私をいじめから救ってくれたことは、心の底から嬉しかった。


 いきなりお礼を述べた私に対して望月君は戸惑ってしまう。

 そして、


「だからお前のためとか、実はそんなわけでもないんだ。要は自分のために行動しただけだからな。あんまりお礼をいう必要はないぞ」


 と言っていた。

 

 私はすぐにそれが嘘だとわかった。

 私に気を使わせないために、彼に負い目を感じさせないように嘘をついているのだとわかった。


 そうか。

 この人は他人のための噓をつく人なのだ。

 他人を助けるために、他人を気遣うために嘘をつく人間なのだ。


 誰かのために行動できる、優しい人なのだ。



 それがわかった時に心が惹かれるのを感じた。



 いじめから助けてくれたことは嬉しいし感謝もしている。


 だけどそれ以上に、誰かのために嘘をつくことができる彼の優しさに心が惹かれていた。

 もっともっと彼を知りたいと、彼に関わりたいと、彼と話したいと思った。


 

「それじゃあ、次の日曜日に私がお礼の品をプレゼントするから一緒に買いに行きましょう」



 私は予定の空いている日に彼を買い物に誘うことにした。

 お礼がしたいという気持ちはもちろんあったが、それと同時に彼とデートがしたいという気持ちもあった。

 

 こんなことは初めてだ。

 遊びに誘われたのは何度もあったが、自分から異性を遊びに誘ったのは初めてのことだった。

 それも、半ば強引に了承を取り付けてまで。





 夕方の仕事でも、望月君のことで頭がいっぱいだった。


 彼は何を喜んでくれるのだろうか。

 私が選んだプレゼントに彼はどんな反応をしてくれるのだろうか。

 そもそも私のことはどう思ってくれているのだろうか。

 

「瑠夏ちゃんどうしたの? あんまり集中していないようだけど」


 仕事の休憩時間にマネージャーにそう指摘される。


「何か悩み事?」


 心配そうに告げられた。

 いじめにあっている時ですら隠しきることができた私の悩みが、望月君のことを考えていたらすぐにばれてしまっていた。


「ええと、その、クラスメイトのことで」


 観念した私はそう口にする。

 私の様子から、すぐにマネージャーは気づいた。


「ちょっと私に話してみて。そうすれば楽になることもあるから」


「……はい」


 そして、私は望月君のことを話す。

 もちろんいじめのことや、それを彼がなんとかしてくれたことは言わない。

 だけど望月君のことを考え続けてしまっていることは話した。

 

「瑠夏ちゃん。それは恋よ」


「こ、恋……!?」


「ええ。貴方はその望月君のことが好きなのよ」


 恋。

 それは私には関係のないものだと思っていた。

 恋愛映画で主演を務めたことはあったけれど、実際に恋愛をしたことは一回もなかった。


 だけど、マネージャーから今の気持ちを恋と指摘された時。

 なにかしっくりきた。


「いい? 瑠夏ちゃん。恋はね、積極的にいくのよ」


「積極的って」


「押して押して押しまくるの。瑠夏ちゃんなら、それで落とせない男はいないわ」


「でも押すっていったい何をすれば」


「デートの約束を取りつけて」


「それは、はい。もうしました」


 日曜日に一緒に買い物に行くことを約束している。

 あれは、うん。デートだ。

 私の思い上がりでなければそう言っていいはずだ。


「さすが瑠夏ちゃんね。なら次は家に押しかけるのよ」


「家に?」


「ええ。クラスメイトなんでしょう? 家に行って一緒に登校しようって誘うの」


「え、でもそれって」


 さすがに引かれないだろうかと心配する。


「怖気づいちゃだめ。攻めていくのよ! 男はそういう積極的な行動に弱いんだから」


「わ、わかりました……」


 半ばマネージャーの勢いに気圧されながらも、私は彼明日望月君と一緒に登校することをマネージャーに約束させられたのだった。

 


 マネージャーに胸の内を話した私は少しすっきりしていた。

 これならば、この後の撮影もきちんとこなせるだろう。


「恋、か」


 手をぎゅっと握りしめる。

 

 胸の内がすっきりとしても、頭の中には彼の顔が今だに張り付いていた。



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