第3話



 なぜ女優ならいじめられていることを言えないのだろうか。

 事務所の契約書に書いてあるとか?

 いじめられていることをカミングアウトしたらクビって。


 バカな。

 さすがにそんなわけがない。 

 法を犯したわけじゃないんだから。



「どうして女優なら言えないんだ。相談すればいいじゃないか。そうすれば――」


「確かに、いじめられていることを親や教師に言えば何かしらの対策は取ってくれるかもしれないわね。主犯の生徒に罰を与えたり、逆に私が転校するかもしれない」


「対策を取ってくれるならそれでいいじゃないか」


「でもね、そうすると必ずマスコミにばれるわ。ああいう人たちって、こういうことにはすごく過敏に反応するの。そうしたら週刊誌やテレビで報道されるでしょうね。私が学校でいじめられているって。そんなことが世間にばれたら仕事に影響があるわ」


「仕事に影響……」


「ええ。今やっている仕事はまだしも、今後私がやる仕事には悪影響があるでしょうね。オーディションに受かりづらくなったり、ドラマの役で私が候補にあがることが少なくなるはずよ」


「そんなのおかしいだろ。だって澄村は悪いことをしていないじゃないか。むしろ被害者なんだから」


「例え被害者でも、そういうのはマイナスイメージになるのよ。そしてマイナスイメージをつけられたら、例え自分に悪いことがなくても悪影響が出てしまう物なの。俳優なんてイメージが重要なんだから特にね。そうして仕事が減った人の話を何度も耳にしたわ」


「……!」


 その台詞に対して俺は反論できなかった。

 彼女の言葉を否定できるほど俺は芸能界にも仕事というものにも詳しくはない。

 それに、残念ながら彼女の言葉に頷ける部分もあるのだ。

 

 いじめ以外にも、本人に非がなくともマイナスイメージを持たれたことによって仕事が減った芸能人はいる。何人か思いだすことができるくらいには。

 

 それにたとえ仕事が関係なくとも、自分がいじめられていることを他人に知られることはいい気分ではないだろう。

 

 いじめられている可哀そうなやつ。


 そういったレッテルをはられることは、ひょっとするといじめられていることそのものよりも辛いかもしれない。

 そう感じる気持ちを軽々しく否定することはできない。



「だから誰にも言わなかったんだけど。望月君にはばれちゃったから言っちゃった。隠してたつもりだったんだけど、望月君は鋭いのね」


「別にたまたまだよ。たまたま通りかかったのが俺だっただけで、今回のことは俺じゃなくても気づいたはずだ」


「そう。なら今後は誰にもばれないように気を付けないとね」


 そう言って、彼女はモップを片付ける。

 床の水はいつの間にかなくなっていた。

 話をしている間に拭いていたのか。


「こんな話をしてごめんなさい。話を聞いてくれて助かったわ。さっきはああいったけど、私も誰かに話をして楽になりたかったのかしらね」


「別にかまわないよ。話を聞くことぐらい」


 話を聞いているだけなら別になにも困らないし苦労もない。

 聞くだけならタダだ。


 それに陰キャは自分から話すことは苦手だからな。

 せめてその代わりに人の話を聞くぐらいのことはしないと。


「そう。ありがと。優しいのね」


 お礼を言われる。

 大したことはしていない気もするけど。

 

「ついでにお願いなんだけど、このことは誰にも内緒にしてくれないかしら」


「わかってる。言いふらす趣味はねえよ」


 そして言いふらす友達もない。

 陰キャに横のつながりはないものと思っていい。


「ありがとう。気づいてくれて、話を聞いてくれて、本当に助かったわ」


「別にそんなにお礼を言わなくてもいいよ」


 大したことはしていないしな。

 いや本当に大したことはしていない。何も出来ていないに等しい。

 掃除も別に手伝ってないし。


 これがあのイケメン陽キャだったらまた違ってたんだろうな。

 涙にぬれる彼女の瞳を拭い――いや泣いてはなかったな。これは間違い。

 まあとにかく、俺のような陰キャでは想像もつかないような歯の浮く台詞でも言ってなぐさめるのだろう。



「それじゃあ、また会いましょう。さようなら」



 澄村はそう告げて教室を去って行った。


 そして、教室には俺一人になる。

 


「俺も帰るか」


 

 教室から出ようとしてはたと気づく。

 あれ? 俺は何しにここに来たんだっけ。

 あ、スマホだスマホ。

 もともとスマホを取りにここにやって来たんだった。

 澄村の話が衝撃的で忘れていたよ。


 自分の机に行き忘れていたスマホを制服のポケットに入れる。


「さてと、用も済んだし。家に帰るか」


 そして家の布団に寝転びながら、いつもどおりにソシャゲの周回をするのだ。

 いつもどおりに。

 いつもと同じように。

 


 別に澄村の話を聞いたところで、俺は特に何も変わりはしない。

 彼女は何かして欲しいとは言っていなかったし、そもそも俺が何かをする義理もない。


 いじめから助けるなんてどこぞの漫画の主人公みたいなマネをすると思ったか?

 残念だったな。俺は陰キャだ。

 主人公じゃないんだよ。

 

 澄村も相談する人選を間違えたな。

 するならば俺のようなクラスの端っこにいる名前もろくに覚えられていない陰キャではなく、クラスの中心にいて誰からも注目される真島のような陽キャに頼むべきだった。


 いや今からでも遅くないんじゃないか?

 きっとあのイケメン陽キャに相談すれば、実に快く話を聞いてくれるだろうぜ。

 俺では思いつかないような感動的な言葉でなぐさめてくれるし、俺ではとても言えないような熱い言葉で励ましてくれるだろう。

 もしかしたらいじめから助けてくれるかもしれないな。

 真島ならお前に気がありそうだから。あいつは喜んで助けてくれるだろうぜ。


 まあ、俺には関係のない話だ。

 今日はたまたま会話をしたが、きっと明日からはそんなことはないのだろう。

 もう二度と話すこともあるまい。

 陰キャはいつもどおりの日常を過ごす。


 いじめの相談を受けたところで、いじめられている彼女を助けるなんてことはしない。

 陰キャにはそういうの、荷が重いんだよ。



 だから――――。



「あはははは。見た? あいつの顔」

「水かけられた時の顔。わらっちゃうよね」

「最近反応鈍くなってたからねー。ああやって直接やった方が効くんだ」

「やっぱ靴とか教科書切る程度じゃ足りなかったかー」

「それもこれもあいつが悪いっしょ」

「だよねー。ちょっとけーたに気に入られているからって調子のりすぎだよね」

「色目つかってさ。マジキモい。死ねよ」

「ね、ね、次はどうする? 直接やる? それとも物にする?」

「物にするとしたら、体操服は?」

「それなら破くより売った方がいいっしょ。キモいおっさんとかに高値でうれそー」

「アイツのファンっておっさんとかばっかだしね」

「つーかどーせテレビ局のおっさんとやってんでしょ」

「枕でもしなきゃあんなブスが女優とかありえないからね」

「どうせならAV女優にでもなったらいいんじゃないの?」

「それあるわ。男に色目使うことだけは得意らしいし」

「じゃ、今度は『AV女優の澄村瑠夏です』ってアイツのノート全部に書くか」

「机にも書く?」

「さすがにバレるでしょ」

「いいよいいよ。どーせ何やってもあいつが勝手に隠してくれるし」

「さっきモップで床拭いてたよ」

「マジ? 便利すぎでしょあのAV女優」




 ぎゃははは、と笑う声がする。


 俺は廊下でそんな話をしている女子3人とすれ違う。

 それらは見知った顔だった。

 俺と同じクラスにいる女子たちだ。


 俺は向こうに気づいたが、向こうは俺のことに気づいてもいないようだ。

 正確には、俺がいることには気づいていたのだろうが、俺が同じクラスの生徒だとは気づいていなかった。

 さすが陰キャ。

 顔と名前を覚えられるのは常に最後だ。

 なんなら最後まで覚えられていないこともあるくらいだ。


 なんで覚えられていないと確信しているのかって?


 いやだって、そりゃそうだろう?

 俺に気づいていたら、自分たちが他人をいじめていたなんてことは大声で笑いながらできないはずだ。

 普通の感性をしていたら。 


 ああそうか。

 こいつら普通じゃないのだ。

 他人を傷つけることにためらいはなく、それを隠そうとも思っていないのだ。



 気持ち悪い。

 吐き気がする。

 顔も見たくないし声も聴きたくない。


 こんな奴らが同じクラスにいるのか? 

 こんな奴らと同じクラスにいなきゃいけないのか?

 あと一年近くも?


 そんなの気持ち悪すぎて耐えられない。

 耐えたくない。


 澄村のことは関係なく、俺自身が気持ち悪くて耐えられないのだ。



 だから――――。

 だから、これからすることは。


 いじめられている可哀そうな少女を助けるなんていう、まるで陽キャのやるようなご立派な行いではなく。


 ただクラスにいるムカつく奴を排除してやろうという、まさに陰キャのやるような最低の行為にすぎない。




「キモイんだよ、クズが」



 俺は行動を開始することを決意した。

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