第2話
まあ、人がいたところで別に教室に入るのを辞める理由にはならないんだけどな。
スマホを持って帰らなければいけないからね。
俺の連続ログイン記録はそんなに安くはないのだ……。
教室に入ると、モップかけをしていた澄村瑠夏がこちらに気づいた。
「あ」
こちらを見てそう言葉が漏れる。
俺が、というより人が来ることを予想していなかったようだ。
ポカンと口を開けて驚いている。
澄村瑠夏は普段、クールでどんな時でも冷静だ。
映画やドラマの芝居には朗らかで明るい演技をするが、バラエティではクールな受け答えをしている。
もちろん、学校などの私生活でもそうだ。
そんな冷静な彼女の驚いた表情はなかなかレアなんじゃないだろうか。
写真を撮ってSNSにでもあげればけっこうバズりそうな絵面だなと思う。
まあやらないけどね?
女優と言えどもプライベートな時に勝手に写真を撮るわけにはいかないし。
というか俺のSNSのフォロワーはフォロバ100%を謳う謎のアカウントとかばっかしかいないからそもそもバズることはない。
あれ絶対業者とかbotだろ。
何呟いても影響ゼロだわ。
と、そんなどうでもいいことを考えていたが、しかしそろそろ現実に帰る頃合いだ。
俺は教室に意識を戻すと、澄村と目が合う。
こんな時は何を言えばいいのだろうか。
ちょっと想定してみよう。
「こんばんは」
いやこれを言うには少し早い気もする。夕方だし。
「こんにちは」
これもなんか違うな。お昼は過ぎている時間だ。
「おはよう」
これは間違いなく違う。朝じゃねえよ。
「お疲れ様」
社会人かよ。向こうは女優だから社会人かもしれんが俺はただの学生。
「はあいマドモワゼル!」
これは間違いなく黒歴史が増えるな。今晩ベッドの上で悶えそう。
クソ!
ろくなのが思い浮かばねえ!
夕方の挨拶くらい考えておけよ昔の日本人はよお!
「よ、よう」
そして俺は無難な挨拶ともいえないような言葉を発した。
ちなみにこの言葉、記念すべき澄村瑠夏への俺の初台詞である。
これまで彼女とは一回も話したことはないのでね!
まあクラスの女子大半がそうだけどもね!
なんなら男子とも半分以上は話したことはないけどね!
「えっと……」
俺に話しかけられた澄村は俺の顔を見て何か話そうとするが、しかし名前がわからなかったのだろう。何も言えなくなってしまった。
困惑した顔で固まっている。
「望月だよ」
「あ、望月君か」
なにかホッとしたような顔をして俺の名前を呼ぶ澄村。
「ごめんなさい。私、あまり学校に来ないから。クラスの人の名前とかよくわからなくて」
「気にするな。毎日学校に来ている奴でも俺の名前はよく覚えていない」
これは謙遜でもなぐさめでもない。自虐だ。
だって本当にあったことだもんね。
用事があってクラスの生徒に話しかけたら「えっと……」とさっきの澄村のような微妙な顔をして困惑顔をされたことがある。
まさかと思いつつ「望月だよ」と告げたら「ああ! そっか望月か! 悪い悪い、俺バカだから人の名前とかすぐ忘れちゃうんだよな!」と慰めにもならない言葉を掛けられた。
ありえねえだろ、もう同じクラスになって二か月以上経ってんのに。なんならそいつ、隣の席になったこともあるのに。
陰キャはクラスの最後に名前を覚えられるのさ。
なんなら最後まで名前を覚えられないことまである。
用事があって去年同じクラスだった生徒に話しかけたら(以下略)。
「私は――」
「知ってるよ。澄村だろ」
彼女は俺と違って有名人だ。
澄村瑠夏の名前を知らない奴はこの学校にはいない。
日本という単位で考えても知らない奴の方が少ないはずだ。
「なにしてるんだ?」
「えっと」
澄村は水にぬれた床とモップをちらりと見る。
「掃除してるの」
少し時間をおき、澄村は呟いた。
「水をこぼしちゃったから」
「水?」
「そう。ペットボトルをね。机の上から……」
「嘘だな」
俺は彼女の言葉をすぐに嘘と断じた。
「髪に水がかかってるよ」
俺は澄村の髪を指さす。
耳元の近くの髪が水で少し濡れていた。
そこから髪先にわたって濡れているところも発見できる。
それだけではなく、制服のブレザーも濡れていた。
「机の上からペットボトルをこぼしたならそんなところに水はつかないだろ」
「それは」
「誰かにかけられたのか」
「……うん。そう」
かけられた、というところはまあなんの証拠もないただの勘だったのだが、どうやら当たったようだ。
……正直、当たってほしくない勘だったんだけどな。
水をかけられた。
それなのに一人で、しかも被害者の方が掃除をしている。
そしてそのことを隠そうとした。
これで考えられる状況は――、
「いじめか?」
俺は真正面から澄村に尋ねる。
これも当たってほしくない勘なのだが。
「そう、ね。いじめというのかしらね」
目を伏せながら澄村はそう告げた。
「……」
残念ながら俺の勘は当たってしまったようだ。
「もしかしてこれが初めてじゃないのか?」
「ええ。もうバレてしまったのだから隠す必要はないわね」
澄村はため息をつく。
「一年生の三学期くらいからかしらね。クラスの女子から嫌がらせを受けるようになったわ。学年が変わればなくなるかと思ったけれど、そうでもないらしいわ」
一年の三学期ということは、去年の冬からいじめをうけているのか。
今が六月だからおおよそ半年間にわたって。
「いじめと言っても軽いものよ。小学生みたいな幼稚なもの。今みたいに水をかけられたり、聞こえるように悪口を言われたり、物を破かれたり隠されたり。ああでも、さすがに教科書や靴を破くのは勘弁してほしいわね」
「靴って……」
思わず澄村の足元を見る。
すると俺の視線に気づいた澄村が言う。
「これ、実は四つ目なのよね。別にお金は問題ないけれど、その度に買うのが面倒なのよ」
ふふっ、と澄村は虚しく笑う。
「無くなった靴は切られてゴミ箱に捨てられてたわ。わざわざ私の登校する日に合わせて、ね。手の込んだことをする人たちよね」
「教師とか、親に相談はしたのか?」
「誰にも何も相談してないわ。このことを言ったのは君が初めて」
「どうして誰にも言わないんだ」
「そんなの、言えるわけないじゃない。いじめられているなんて」
「確かに他人に伝えたくないことかもしれないが、それでも今の状況を放っておくよりはマシだろう」
「言えないわ。だって、私は女優だから」
「は?」
女優だから?
どういうこと?
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