第63話



 夜になり、通りを行きかう人たちも、その種類ががらりと変わる。冒険者たちはとうに酒場や宿屋に引っ込み、水商売であろう女たちがきつい香りを振りまきながら足早に去る。どこか後ろ暗い雰囲気の男が周囲を気にしながら路地へと入る。喧騒にはちょっとした剣呑さが混じりだす。

 俺とヒコは、広場の段差に腰かけながら道行く人をぼうと眺めている。

「どうするつもりだ?」

 問われ、俺は鼻で笑った。どうするもこうするもねえよ。どうもするつもりがないんだよ、俺には。……ヤズコは俺たちにトキマサのことをお願いしますと頼んできたが、義理なんかない。見ず知らずに等しい連中だ、あいつらは。だいたいだな。トキマサの野郎、こっちは出会ってからずーっと虚仮にされて邪険にされてんだ。あいつのせいでリックに切れられるしな。

 俺は頬杖を突きながら答えた。

「……町の出入り口はリックの部下が張り込んでる。だが、連中はまだその辺をうろついてる。ってことは、トキマサはまだ町の中だ。見つかってねえのさ。逃げ回れるほど広い町じゃないが、人は増えた。捜すのには多少手間取るだろうよ」

「俺たちが先に見つけるしかないな」

「見つけてどうするよ。外に逃がしてやんのか?」

「いいや。口添えするんだ。あの少年には借金を返済させる、と」

 交渉にはならない。なぜならヒコの言っていることは当然だからだ。金を返すなんて今さら何を。リックにとって何のプラスにもならない。彼がブチ切れているのは、その当然のことをしなかったからだ。金を返せばよかっただけだし、それを持って逃げるなど言語道断だ。

「デッカーマン氏は、トキマサを見つけたらどうするつもりだろうな」

 知らねえが、メンツを潰されたようなもんだからな。そりゃまあ酷い目に遭うのは既定路線で確定事項である。

「ただの子どもじゃないか。そこまでされなくてはいけないのか」

「だからだよ。ヨドゥンどころか王都にだって顔が利くデッカーマン一家が、ただのガキに飛ばれたんじゃ舐められちまうからな」

 たとえばトキマサが超一流の大剣豪で、王さまや教会のえらいさんだってどうしようもないほど強かったらリックだって諦めたかもしれない。周りのやつらだって『仕方ねえよな』で済ませてくれるだろう。だが、そうじゃなかった。

「……どうして人は金を欲しがるのだろうな」

 ぽつりと、ヒコがそんなことを呟く。

「それがありゃあ何でもできるからだよ」

「俺の言い方が悪かった。なぜ身の丈に合わないものを求めようとするのかが分からない。トキマサたちは東方にいたころ、野良仕事に精を出していたそうだ。そこでだって、幸せと呼べるような暮らしはできていたんじゃないか?」

「身の丈ねえ」

 それを決めるのは自分か他人か。たぶん、死ぬまで分からないはずだ。てめえの器のでかさなんて生きてるうちには分かりづらい。

「金は自分がこうやって生きてきたんだって証だよ。誰にだって伝わりやすいステータスだ。町で一番喧嘩が強いとか、頭がいいとか、ダンジョンの何階層まで潜れるだとか……顔がいいとか悪いとか、性格がいいとか……そんなんよりもっと分かりやすい。金はな。どれだけ稼げたかで、そいつがどれだけ頑張ったかどうかを教えてくれるんだ」

「それはあまりにも品がない」

「そうか? あんたには店を開くって夢があるよな。その店が繁盛したら儲かるじゃん。美味いメシを出すために修行したり、客が来るように宣伝したり、可愛い看板娘を見つけて雇ったりさ、そういうこともやるよな。店のために頑張るじゃん。で、その結果がナンボ稼ぎましたってだけで下品とかじゃねえだろ」

「その言い方は卑怯だな」

 そうかよ。

「だが、そうかもしれん。少なくとも、武を極めようとするよりはずっといいことだ。力があっても無意味だからな。誰も救えない」

「故郷でなんかあったんか?」

「流行り病があってな。医者にかかるには金が要るし、順番を待たなければいけなかった。金持ちから順繰りに医者は回っていったよ。俺の家に来る頃には、家族はみな死んでいた。金さえあればいの一番に診てもらえただろうに」

 ヒコはうつむきながら話を続ける。俺は彼を見ないまま、街の明かりをぼんやりと視界にとらえていた。

「俺はずっと自分を鍛えるのに忙しかった。武術を修めることが全てだと思っていた」

「金があっても医者がいなけりゃ意味ねえよ。医者がいたって怪我や病気を治せるとも限らねえ」

「ああ、そうだな。実際、流行り病は治せなかったよ。ただ運の悪いものが死んでいくだけだった。だが、俺はチャンスすら与えられなかった。日ごと弱っていく父や、弟たちに、何もしてやれなかった」

「何もないから欲しいんだよ」

 金だけあっても、力だけあっても、結局、その場に応じた何かを持っていないと意味なんかない。ただ、ヒコの言う通り機会は増える。選択肢が現れる。金持ちには金持ちなりの悩みなりなんなりがあるんだろうが、俺は持ってねえからな。リックのこともヒコのことも理解はできない。

「もし自分が金持ちになったら、もし自分がめちゃ強くなったらどうなるかなって。未来を想像するんだ。金がなきゃ見えないもんがあるんなら、とりあえず金を手に入れるしかねえよ。みんな分かんねえから欲しがるんじゃないのか?」

 トキマサたちだってそうだったんじゃないのか? 別に田舎暮らしに飽き飽きしたわけじゃあないだろう。ただ、少しばかり力があって、選択肢があったから。何かできるかもしれないってビジョンがあったから動いた。身の丈なんて後からついてくる。それはきっと、リックの言葉を借りるなら、夢なんだろう。



◎〇▲☆△△△



 どんな屑であろうと、どんな罪人であろうと、どんな悪人であろうと、夢を見る権利がある。大きな口を叩き、出来もしないことを声高に叫ぶ権利がある。

 だが、資格や資質も必要である。

 夢見るだけなら勝手だが、行動に移せるものは限られている。そして行動に移してもいいものはさらに限られている。多くのものは結果が伴わない。他人に迷惑をかけるだけで何も成せない。そうして自らを慰めるために言い訳を口にする。


(俺にはそれが羨ましい)


 リック・デッカーマンにとって夢の結実など二の次だ。彼にとっては夢を見ることそのものが憧憬の対象である。

 デッカーマンの家は、いわば地主である。ヨドゥン近郊の土地を預かっていた一族だ。リックや、その祖父ですら詳細はもはや知らないが、大陸辺境のこの地を治めるような貴族もおらず、半ば以上放任されていた。危険なダンジョンが多く、人も寄りつかない。その不毛の地を少しでも良くしようと町を興した。人を呼び、道を作った。そうしていつしか富を得ていた。

 家業を継いだリックは、いくらしようもない町とはいえヨドゥンから出るわけにはいかなかった。自分が勝手をすると困るものが大勢いる。この家に生まれた以上、そうせざるを得ない。運命だとか使命だとか、大仰なものではない。リックにとって、血によって決められた法なのだ。だからか、町で騒ぎを起こすことはあれ、結果的に人を集めることになった冒険者の存在は気に入っていた。今やヨドゥンを支えているのは冒険者と言ってもいい。彼らがダンジョンに挑んでいるからこそ町は栄える。信仰心が集まり、教会からも一目を置かれている。

 その冒険者の中でもカシワギ・ケイジという男は特に気に入っていた。彼は教会の呼び寄せた勇者であり、既存の枠組みに囚われない妙な価値観を持っている。リックにとって数少ない友人の一人だ。

「だが、あいつの造る酒はまずい」

 リックは酒瓶を傾けて中身を口にした。ふんぞり返るようにしてちゃちな椅子に座り、腹の肉をゆすった。

「ああ、やっぱりまずい。だがな、不思議な……癖がある。何なんだろうな、こりゃ。妙なキレはあるんだ。気になって一口、もう一口と飲んじまう。こんなもんが流行ったらこの町はおしまいだ。住民みんな舌が馬鹿になっちまう。あいつはな、この酒を売り出そうとして俺に金を借りたんだ。どうやらやつはこの町を中毒者でいっぱいに溢れさせたいらしい」

 そうしてリックは、トキマサをねめつけた。

 トキマサは全裸だった。ここは娼館で、彼は今まさに娼婦と事に及ぼうとしていたのだ。そこにリックが押しかけたという話だった。

「何なんだよ。あんた」

 トキマサはベッドから這い出るようにして降りると、得物を探した。相棒たる大剣は部屋の片隅に立てかけられている。すぐには動けなかった。リックは屈強な男を二人、ボディーガードとして連れていたからだ。

「君たちに金を貸したもんだ。どうも。リック・デッカーマンと申します。用件は分かってるか?」

「は、汚い金貸しか」

 リックは酒を口に含んでから吐き捨てた。

「あァ! あぶねえ、また飲んじまった……おい、何見てやがる。戻れ」

「……ああ?」

「戻れって。娼婦がベッドで待ってんだろ」

 トキマサは表情をゆがめた。

「金は払ったんだろ。待っててやるからヤれって。お前、娼館に来て裸になるだけで満足するのか? 勿体ねえだろ」

「誰かに見られてまで盛る趣味はねえよ」

「んん、まあそうだろうな。まだ若いし、倒錯的なプレイにハマるのもよくない。けど、今生で抱ける最後の女かもしれないって思うとどうだ。そこの娼婦が極上の天女にでも見えてこねえか?」

 リックは足を組み、たばこに火をつけた。

「汚い金か。そうか。これでも教会にだって貸しがあるんだがな。信仰心だ何だと言っても、そいつでメシは食えねえんだ。何の話だ? ああ、そう。そうだった。俺はお前に感謝されこそすれ、そんな風に睨まれるような覚えはないがな。その汚い金でお前らはずっと飯を食い、雨風を凌いでいる。安い宿だってずうっと借りてりゃ馬鹿にならねえ。……俺ぁ物事の道理を教えに来たんじゃない。もうな、別に金だってお前から返してもらおうとも思ってない」

「何しに来たってんだよ」

「お前には夢があるか? まさかこの町で娼婦を抱くことじゃねえだろうが……誰の金で安い女抱いてやがるって、そういうことを言いたかっただけだ。来世で活かせ」

「俺を、殺すのか」

 ややあってから、リックは腹を抱えた。笑い転げそうになっていた。

「殺さねえよ。いい仕事を紹介してやるだけだ。ま、もう好きにはできねえがな。飯食うのもクソひり出すのも全部決められた時に、そういう生活が待ってる。いや、悪くないと思うぜ。規則正しい生活は心根にだって正しく作用する。ヤズコとか言ったか。君はあの子に感謝すべきだ。今まで好き勝手にやれてたのは全部彼女のおかげだった。そして、今からも、これからも、死ぬまでもそうだ。お前はあの子のおかげで助かった。そう思え」

「ヤズコに何をしやがった……!」

「俺は何もしてない。あのお嬢さんが選んだ。自分で決めた。借りたものは自分たちで返すとな」

「だから、てめえ」

 トキマサが一歩前へ出ようとすると、リックのそばに控えていた大柄な男が二人、前に出た。

「君の幼馴染のあの子は娼婦になった。金を返すためにな」

 ぽかんとしていたトキマサだが、我に返って怒号を発した。ベッドの上で毛布に包まっていた娼婦が悲鳴を上げた。彼はリックに迫ろうとするが、ボディガードに取り押さえられる。

「夢はお嫁さんだったか。安心しろ。あの子なら上手くいく。どんなでも幸せになれるだろうよ」

「頼むっ、だめだ! ヤズコは、あいつだけはだめだ! 金なら俺が返すから! なあ!」

「残念だが、デビューは今日だ。初仕事はとっくに終わってる」

「うがああああぁぁぁぁあああ」

「お?」

 男が二人、壁に激突した。怒りに飽かせたか、あるいは混血の力を使ったか。トキマサは拘束から逃れて大剣を引っ掴んだ。大して広くもない部屋でそれを素振りすると、風圧でリックの前髪が揺れた。

「お見事。その意気さえあればどこででもやっていける」

「ぶち殺す!」

「願わくはそういうエネルギーを返済のために使って欲しかったがな」

 トキマサが大剣を振り下ろそうとしたまさにその時、彼の脇腹に突き刺さるものがあった。それは男の拳であった。



◎〇▲☆△△△



「もう、よせ」

 ヒコがトキマサを殴り、凶行を防ごうとしていた。

 なおも大剣を振り下ろそうとするトキマサ。ヒコはそれを悲しそうな目で見ていたが、二発ほど蹴りを入れると、トキマサの体が沈んだ。エっグ……顎に入れやがった。脳震盪でも起こしたんじゃねえのか。

「ぐ、お、おお」

「うお」と俺は呻いた。

 気合か怨念か。トキマサは立ち上がり、リックを睨んでいる。だが、もはやまともには動けまい。視線も定まってないし、足元も怪しいな。だいぶ効いてるか。

「ようお前ら。俺に借りた金で娼婦抱きに来たのか?」

 軽い感じのリックだが額に汗がにじんでいる。さすがに危ないところだったな。

「バーカ。お前らをつけてたんだよ。トキマサを探すのはめんどかったからな」

「相変わらず小賢しい知恵だけは回りやがる」

「うるせー感謝しろ」

 限界が近づいたのか、トキマサは片膝をついた。だが、彼は殺す殺すとぶつぶつ言い続けている。まるで呪詛だ。

 もはや悪いのはこいつなのか俺たちなのか。誰がおかしいのか。そこらへんがよく分からんくなってきた。

「て、てめえだけは……てめえだけは殺してやる……」

「馬鹿が」

 俺はトキマサを殴りつけた。一発じゃ収まらなかったので何発か足しといた。これはあの時の! これはあの時の! これはあの時の分だ!

「やめろケイジ。彼はもう抵抗できない」

「いや最初に殴ったのはお前だからな」

 俺はもう一発殴って蹴り飛ばした。

「お前らは悪魔だ……なにが金だ、ちくしょう、ちくしょう」

 悲劇のヒーローみたいなツラしやがって。

「アホが! 金がすべてだ! 金は力だ! 生きてくのには金が要る。金のために生きてるやつだっているんだぞ。借りた方が悪いし、返さないやつはもっと悪いに決まってんだろ! 挙句持ち逃げしようとしやがって……女に借りてもらった金で生意気に娼婦抱こうとしてんじゃねえよ! 悪魔はてめーだ!」

 こいつはもはや俺にとっての死神だ。こっちまで危うく消されるところだったんだぞ。

 リックは拍手をしていた。

「演説をありがとう。すごく心に沁みたよ。特に『返さないやつはもっと悪い』の部分が」

 ああ、そりゃどうも。で。こいつどうすんだ。

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