第59話
終わったか。
勝利した師範は何も言わず去っていった。止めを刺さなかったのは慈悲か。それとも。
「まあそんなんどうでもいいんだけどな」
よっこらしょと適当な椅子を持ってきて、地面に伸びているヒコを見下ろす。ティピータは喧嘩に飽きてとっくにいなくなっていた。結構レベルの高いやり合いだったんだけどな。師範はともかく、ヒコもかなりやるようだった。しかも現役バリバリ冒険者の師範と違い、どうやらヒコにはブランクがあるらしかった。まあ、身軽だったしな。俺も一瞬で投げられちまったくらいだし。
何はともあれ師範がボコしてくれて助かった。このちっこいおっさんがまともなら取り押さえるのに苦労しただろうからな。
「お」
ヒコがゆっくりと体を起こし、周囲の様子を確認している。俺が声をかけると、彼は申し訳なそうに頭を下げた。
「すまない。迷惑をかけてしまったようだ」
「ああ、そうだな。えらい迷惑だったよ。ま、面白いもんは見せてもらったけどな」
「負けちまったがな」
「あんたってさ、師範の知り合いなのか?」
ヒコは訝しげに俺を見る。
「師範? イップウのことか?」
おう。
「まあ、昔の知り合いだ」
「ってことは、あんたも東方の出身か。やっぱり拳法とか齧ってたんだな」
破顔。ヒコは何がツボにはまったのか、しばらくの間笑っていた。
「ああ、そうだな。ちょっとやってたよ。武道とか、そういうのを。何の助けにもならなかったがな」
「ほーん。しっかし、そんだけ強いのになんでまた借金しちまったかね。冒険者としても十分やってけるだろ」
「嫌なんだ。そういうのは。俺は自分の店を持って、商売をしたい」
「それで借金を?」
ヒコは苦々しい表情になる。
「情けない話だが、共同出資というやつに引っかかってな。ヨドゥンに来てすぐ、話に乗ったら金を持ち逃げされた」
「じゃ、店も何もないのか」
「ああ、そうだな。俺にはもう何もない」
遠い目をしていらっしゃる。何もないか。借金はあるけどな。
「冒険者をやったことはあるんだろ? 嫌かもしれないけどさ、手っ取り早く稼ぐならそれしかねえだろ」
飲食でバイトしたって完済は難しいだろうに。
「いや、だが……ガーデンに潜るには冒険者としての階級を認定されなくてはいけないらしい。俺にはどうやってその認可を受けるのかが分からないんだ」
「あー。それね。みんなそんなの守ってないって」
「しかし、決められたことだろう」
中途半端にまじめなやつだな、こいつ。
「ルールより先に自分のことだろ。おまんまの食い上げされてんじゃねえか。あんなもんギルドが勝手に言ってるだけだし、どうしてもS級になりたいんなら俺が一緒に潜って見てやるよ」
「君が? しかし」
「俺ぁS級冒険者なんだよ。ギルドからも、他の冒険者のランク付けしろって余計な仕事押しつけられてんだ」
ヒコは瞠目する。
「君がか?」
「信じられねえだろうけどな。もう一つ言うと、俺は勇者だ」
「なるほど。木を隠すなら森の中というが」
おい。別に嘘に嘘を上塗りしてるつもりはないぞ。
「嘘にしては下手過ぎるぞ。勇者が借金の取り立てをするはずがないだろう」
ああ、そうですね。嘘みたいな話ですね。
「しゃあねえだろ。リックには借金があんだから。俺も返済待ってもらってんだよ。そのためにあんたらみたいな債務者を捜してたんだ」
「世も末だな」
ヒコは何かに気が付き、口をでっかく開いた。
「お前……! お前だって借金してるのに俺にあんなことを言ったのか!? どういう了見だと? よくもまあ言えたものだな!」
「はっは、そうだな。悪い悪い。いや、ああいう場面になるとさ、つい言いたくなるんだって」
「分かった。もう分かった。君は勇者ではないが、デッカーマン氏に仕事を任されるくらいには腕が立つんだろう。冒険者の方の話は信じさせてもらう」
そりゃよかった。
「決まりだ。俺がついてってやるから存分にダンジョンで稼ぎな。それでお互い、借金を返済しようじゃねえか」
「仕方ない。気は進まないが……」
話してみると案外面白いおっさんだな。妙な行き合わせだが、しばらくの間はツルむことになりそうだ。
ヒコはたぶん、飛びはしないだろう。金を返すという意思は感じる。俺とは違って。
しかし野放しにするのも気が引ける。そういうわけで、俺はもう一組の取り立てに彼を付き合わせることにした。
「仕事手伝ってくれたってリックに言っといてやるよ」
「そうしてくれ」
俺たちが向かっているのは安宿だ。割とどうしようもない冒険者が利用しがちの、壁がうっすい宿(昔は俺もそういうところを使っていた)。
「それで、相手はどんな人物なんだ」
「いきなり逃げるようなやつだったら困るな」
「確かに」
確かにじゃねえよ。皮肉で言ってんだよこっちは。
ヒコの馬鹿正直さに呆れながら、リックに聞かされていたことを話すことにした。
「男、男、女の三人組だ。最近ヨドゥンに来たみたいでな。仲間の治療費だの装備の新調だので金が要るんだとよ。だがまあ、スピナーを楽に倒せるほどの腕前じゃないみたいだから稼ぎあぐねてるって感じらしい。ああ、そうだ。そいつらも東方の出らしい。なんだよ。東方からのお客さんは借金踏み倒すやつばっかりだな」
「それは人それぞれだろう」
そっすね。
「若い連中だからな。さっさと回収したいんだろ」
「若いならまだまだ稼げる見込みがあるだろう」
「見切りつけるのも早いからな。この町を出られると困るし、冒険者ならいつ死ぬかも分かんないしな」
リックの金貸しは半ば慈善のようなものだ。冒険者に金を貸してくれるやつもそうはいない。
宿に着き、部屋を当たったが、あいにくと誰もいなかった。近くで待っていてもいいんだが、相手は冒険者。行くところは一つしかない。こっちから出向いてもいいだろう。
◎〇▲☆△△△
トキマサという少年冒険者がヨドゥンに来て、ある程度が経っていた。一時は名を上げると意気込んでいた彼だが、現状はそれに見合うものではない。パーティメンバーのハルマンはスピナーにやられた傷がまだ癒えておらず、安宿で寝たきりの生活だ。もう一人のメンバーであるヤズコは癒しの秘蹟を使えるが、それは全てハルマンに注ぎ込んでいた。何せ自分たちには金がない。医者に診せる金がない。彼女の能力に頼るほかなかった。何よりもトキマサはヤズコにダンジョンへ潜って欲しくなかった。彼にとってヤズコとはパーティメンバーというよりも年下の幼馴染であり、守るべき対象である。危険な場所への出入りは自分だけでいい。そう考えていた。
とはいえダンジョンに一人きりで潜るのは躊躇われた。幸いなことにヨドゥンギルドではパーティの斡旋を行っており、トキマサはそこで一人の冒険者と出会った。サリマリという女冒険者だ。燃えるような赤毛に筋骨隆々とした体躯。話してみると気風もよく、体に見合った豪快さだった。腕もよく、火の秘蹟も使うという。聞けば彼女は
ダンジョンでもサリマリは頼りがいがあった。さすがにスピナーに挑むほどではないが、低階層ならばさしたる苦戦はしなかった。少しずつではあるが稼げるようになり、それなりの自信もついていた。この町に来たばかりの実力で、いきなり狼の巣に挑んだのが間違いだったのだ。素直にギルドの言うことを聞いていればよかった。
後悔は徐々に薄れていく。
失ったものは少しずつ取り戻せるはずだった。
「いつもサリマリさんと一緒だね」
宿の部屋を辞そうとしたところで、ヤズコがぽつりと呟くのが聞こえた。
「え。いや、そりゃ、そうだけど」
ヤズコは、眠っているハルマンの顔に視線を落としている。トキマサを見ないままで彼女は続けた。
「私にはダンジョンに来るなって言ってるのって、もしかしてあの人と二人きりでいたいから?」
トキマサは頭を殴られたようなショックで何も言えないでいたが、ヤズコの肩を引っ掴んで振り向かせた。
「冗談よせって」
「あ、ごめん。怒らせるつもりとかじゃなくて」
じゃあどんなつもりだったんだ。トキマサの頭に血が上っていく。彼は、しかし何か言葉にするのも言い訳じみている気がしていた。そも、彼とヤズコは恋人ではない。
(けど、けどさあ……!)
「よせよ、ヤズコ……」
「ハルくん?」
眠っていたはずのハルマンが上半身を起こそうとしていた。ヤズコはそっと彼に手を貸す。その動作は酷く馴染んでいた。
「いいよ。一人で平気だから」
「でも……」
もう何度と繰り返されてきたであろうやり取りが居心地悪くなって、トキマサは少し目をそらした。
「つーか……そんな言い方ねーよ。トキマサは一人で頑張ってんだからさ」
一人ではなくサリマリという連れ合いがいるが、トキマサは訂正しなかった。
「俺たちの分まで稼いでくれてんだ。……すまねえ。あと少しで動けるようになると思うんだ」
「いや、いいって。気にすんな」
トキマサはハルマンの顔を見て、息を呑んだ。故郷を発つとき、頼もしい前衛としてパーティに加わったはずのハルマンの頬がこけている。寝たきりの状態が続いているのもそうだが、ろくな栄養をとれていないのも彼の衰えに拍車をかけているのだ。それでもなおハルマンは微笑んでいるが、それが余計に痛々しかった。
スピナーから受けたダメージは重いのだ。あれと出くわし、生きているだけでも幸運な部類だろう。現に、自分たちと同じようにガーデンへ挑む冒険者は後を絶たないが、その三割ほどは初回の挑戦で死ぬか、パーティであるなら壊滅寸前の状態に陥るとも聞く。
(俺たちもその三割に入っちまった……)
「ごめんね、トっくん。無神経なこと言っちゃって」
いいよ。トキマサはぶっきらぼうに返した。
「あと少しだけ耐えてくれな」
「ああ。分かってる」
そうだ。立て直せばいい。トキマサは何か、振り切るようにして強く歯を噛み締めた。
◎〇▲☆△△△
ああ、見っけた。たぶんアレだろ。リックから聞いちゃいたが、マジか。マジであいつとツルんでんだな。知らないってのは恐ろしいねまったく。
ダンジョンの近くで飯を買い、それを食いながら張り込んでた俺とヒコだったが、お目当ての人物を見つけることができた。髪の毛をツンツンに逆立てたガキだ。今から潜ろうとしてるっぽいな。あれがリックから借金してる冒険者パーティの一人か。
「行くぞ」
「待て。どうしてあの少年だと分かる。人違いだと申し訳ないじゃないか」
ヒコは慎重派らしいが、間違ってたらごめんなさいすればいいだけである。というかほぼ間違いねえんだって。あれでリックも自分が金を貸してる相手のことはある程度調べてるし、その動向も掴んでる。町を出入りするものはきっちりチェックしてるしな。
「ガキの隣にいるでけえ女いるだろ。あれが目印だ」
「目印……まあ確かに大きいな」
「いい胸してるだろ。固そうだけどよ」
「いや、そうじゃない。よく鍛えられていると感心したんだ」
真面目くんめ。
「連中、仲間が怪我してるからな。ヨドゥンで新しいメンバー仕入れたんだろうよ。……そんじゃあまず声かけてみっか。ヒコ。あんたは少し離れたところにいてくれ。二人だと警戒されちまうかもしれねえ」
言って、俺は串に刺さった肉を食い切った。お目当ての二人はこちらに気づいていない。ダンジョンに入る前に、よう、と肩を叩いてやった。振り向いたガキは、一瞬だけ驚いた様子だったが、すぐに睨むような目を向けてくる。
「何、あんた?」
「リック・デッカーマンの遣いのものだって言ったら分かるか?」
「……誰だ?」
えっ、分かんないのかよ。こいつ、自分が誰に金を借りてるかくらい覚えとけよ。
「借金あるだろ。もう返済期限が近づいてんだ。というか過ぎてる。お前ら難儀してんだろ? 全額とはいかねえだろうが、とりあえず今あるもん出しな」
「ふざけんな。いきなりそんなこと言われてはいそうですかって金を出せるかよ」
おー、強気な態度。ま、こいつからすりゃあ俺が怪しいってのも分かるがな。しようがないので女の方に水を向けてみるか。
「よ。そっちでもいいぜ。払ってくれんならな」
赤毛の大女ことサリマリは、かははと笑った。
「なんでアタシが」
「今はそいつと組んでんだろ? 仲間だったらそれくらいはいいじゃねえか」
「借金はカンケーないだろ。というか、ほんとにリックの遣い? あんた勇者のくせに貧乏だから、狡いことして新人から巻き上げようって魂胆じゃないの?」
「勇者……?」
ガキの方が俺を見る。値踏みするかのような目つき。
「嘘だろ。勇者? こいつが?」
こいつで悪かったな。まあ、俺が勇者だってことを一発で信じてくれるやつなんてほとんどいないのも知ってるけど。
「マジでふざけんな。きたねえ金貸しの道理なんか知るかよ。……行こうぜサリマリ。何が勇者だよ。こいつ騙りやがって。罰当たりにもほどがあんだろ」
「俺が勇者かどうかは置いといてだな。てめえ金借りといて道理もクソもあるか。いいから出せよ」
「出すわけねえだろっ」
お? やるか? ツンツン頭のガキは得物に手をかけた。抜くかよ。ここで。
「二度と勇者だなんて舐めた口を利けなくしてやる……!」
「いや、それはいいから金返せって」
どうすっかな。すげーやる気だぞこいつ。ボコボコにしてから話聞いてもらうか? 悩んでいるとサリマリがガキの手を引いてダンジョンに向かおうとする。
「やめときなって、トキマサ」
「でもよ」
「相手しても意味ないよ、そんなの」
ちょ、おい。
「さ、いいから稼ごうぜ。な?」
「チッ……二度と近づくんじゃねえぞ」
捨て台詞を吐かれてしまった。見事過ぎて追えなかったな。
「お、おい。いいのかよ」とヒコがやってくる。
「いいも何も、さすがに光もん抜いてやり合うのはごめんだぞ」
しかもガキ相手だ。新人の冒険者と喧嘩して万が一にも負けてみろ。シルバースターたちに笑われちまう。
「血気盛んだったな」
「まあいいわ。目立つやつといるからいつでも捕まるだろうし」
「さっきの女……確かに目立つが」
「冒険者の間じゃあ有名なやつでな」
サリマリのことを教えてやってもいいんだが、さっきのトキマサとかいうガキ。ありゃ俺の話をまともには聞かないだろうな。さて何が彼のへそを曲げちまったかね。勇者ってところにこだわってた気もすんだけど。それより借金のことを聞かれても反応が鈍かったな。返済が迫ってんだったらもうちょっとビビってもよさそうなんだが。よほどの楽天家か、あるいは豪胆なのか。しかし。どうすっかな。リックには何て言おう。
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