第58話
とある日。
宿の部屋で横になっていると、隣の部屋から物音が聞こえてきた。やがて、ぎいいいとドアが開き、部屋に入ってきたスキャレットが俺の腹に顔を押しつけてくる。
「重いからどかせよ」
「うーーん。ちょっと疲れたんだよう。休ませてよう」
スキャレットは最近、妙な草を育てている。隣室を借り、栽培用に使っているのだ。いったい何の草で何に使うものなんだと聞きたかったが……一度だけその部屋を見たことがある。なんかこう、どう見ても合法的な雰囲気ではなかった。めっちゃ薄暗かったんだが、テントのようなものがいくつかあって、その隙間からは煌々とした明かりが漏れ出ていた。幻想的な光景だった(記憶の捏造)。なもんで聞けないでいる。俺も何か良くないことに巻き込まれるんじゃないかって。
「いやー、室温キープするのに秘蹟使ってるんだけどさー、なかなか調節が難しいんだよ。知ってる? あれって」
「ちょちょちょ聞きたくないって! やばいって!」
「は? 何が?」
何がって……。
「俺は酒もたばこもやってるが、薬には手を出してないんだ」
それだけが自慢なんだ……。
「薬? ああ、何か勘違いしてる。あたしがそんなんするわけないじゃん」
あはは、いやだなー、と、俺をバンバン叩くスキャレット。
「あたしが育ててんのはたばこだっつーの。たばこの草」
「あ……ああ、なんだ。それなら……」
いいのか? たばこって栽培しても……いや、いいのか。ここって異世界だし。いや、そもそもたばこの栽培はセーフか。ああ、なんだ。合法じゃん! ふー、焦って損したぜ。
「ケイジが吸ってるやつも好きなんだけどー、あたし好みのが欲しいんだよね。でもさー、エルフが好きそうなたばこってこの町にはなくってさー」
なるほど。それでいろいろと試してるのか。
「頭ちょっとクラーってするじゃん? あれもっと弄りたいんだよね。頭ん中スッキリして―、ぐあーって気持ちよくなっちゃう感じの。そんで眠気とか吹っ飛んじゃう感じで―」
「……お、おう」
「混ぜたりしてさ、試してんの。もうじきイケると思うんだけどさ、あんたも試してみなよ。ちょっとだけヤったんだけどハイになれるっていうか」
「お前それやばくね?」
ほんとにたばこ? 大丈夫?
「でもさー、上手いこと量産出来たら売れると思うんだよね」
俺の脳みその中を閃きが駆け巡った。確かに。詳しくは言えないが売れるだろう。ただでさえ中毒性があるもんに、さらに中毒性を足してみたらどうだろう。そりゃやばいくらい売れるんじゃないのかな。
「いや、どっちかと言えば数絞った方がレアリティ上がって高値で売れんじゃねーの?」
「売れるかなー、たばこ」
「たばこって言うか……冒険者向けの魔物除けの煙だからな」
「え?」
「うん? いや、たばこってそうだよ? 煙とか楽しむって言うか、魔物を近づけさせないためのちゃんとした道具だから」
「誰に向かって言ってんの?」
うん。そうだな。スキャレットに投資してみるか。
酒にたばこに、眷属たちのための神域拡大に、方々にある借金に……えーと……とにかく金が要る。前よりも確実に。
しかし、ダンジョンで稼ぎづらくなってもいる。冒険者が増えて魔物を刈られやすくなったのだ。正直なところ、スピナーの群れを相手するのは危険度も高いし。
そんなわけで俺は借金をしていた。金貸しさんに、である。もはや訳が分からなくなっている。金を返すために他所からまた金を借りているのだった。で、返済の期日は今日である。もちろんそんな金はない。できることは頭を下げることだけだ。
「すんませんしたっ!!」
俺は、この町一番の金貸しと呼ばれている男の前で土下座していた。赤い絨毯の上で。
男の名はリック・デッカーマン。この町でデッカーマンと言えば大抵の借金持ちが震えあがるという。
俺はちらりと顔を上げた。ここはデッカーマンの事務所である。高級そうなデスクにチェア。漆黒のそれは俺の将来のように――ええと、まあ、そこに腰かけている金髪で髭の生えた、ちょっと小太りの男こそがリックである。ぴっちりしたスーツを着こなしていらっしゃる。若いころは浮名を流していたに違いないであろう端正な顔立ちだが、運動なんてしそうにないタイプにしか見えないからな。そら肉もつくわ。自分ではなく、他人を動かすことが当たり前の人生を歩んできたかのような貫禄をお持ちだ。
「ケイジぃ。まだ頭上げるには早いんじゃねえのか」
「あ、すんません」
リックは笑いながら葉巻に火をつける。
「どうすんだよ。踏み倒しに来たのか」
「いやいやそんな滅相も。ただ、ちょーっとだけ期限を延ばしていただきたいなあと」
「こないだもそう言って、もう一週間も待ってんだがな。お前冒険者だろ。もっと死ぬ気になって働けよ」
俺は愛想笑いを浮かべる。今、ダンジョンは稼ぎづらくなってんだよ。この野郎。リックだってそれを知って冒険者に金を貸しまくってるくせに。
「頼んますよ。ほら、前に言ってた酒とか、そういうの今は調子いいんで。もうちょいしたらまたドバっと金が入ってきますし」
「酒ねえ。あのクソマズイやつか。あんなん一過性のもんだぞ。冒険者だって冷静になったやつからダンジョンに潜らなくなっちまう。この町から人がまた減るんだぞ」
「そうなりゃこっちがダンジョンで稼ぎやすくなるんで」
「口がよく回りやがる。お前本当に勇者かよ」
「へ、へへ……」
金を借りている分際の俺が軽口を叩いていられるのはリックと旧知の仲だからだ。以前から世話になっているし、こいつは俺が勇者だと知っていて面白がっている。新しいものが好きだし、外の文化も受け入れがちと、意外と好奇心旺盛なのだ。
「しようがねえなあ。とりあえず今持ってるもん、全部出せ」
「えっ。マジすか」
「小銭でもなんでもいいから、返す意思を見せろ」
言われた通り、俺はポケットの小銭を掌にのせて見せた。
「おいおいそんだけか?」
「いや、マジでカツカツで」
「お前そんなんで明日からどうすんだよ」
「明日の俺に聞かないことには」
リックは大笑いした。
「分かったよ。いいよ、もう。そん代わりちょっと仕事しろ」
否応もない。
「取り立てを頼まれちゃくれねえか。お前も知っての通り、俺たちも忙しくてな。手が回らねえんだ」
「全然いいすよ、そんなん」
「いいのかよ。勇者がそんなことして」
させてんのはそっちだけどな。
「厄介な相手なんすか?」
「さあな。それを今から確かめるんだよ」
「あー。俺が」
「そう。お前が」
なるほどね。
「で、二組頼む」
「そんだけでいいんすか。今日中に終わるな、そりゃ」
「は。どうだかな」
含み持たせんなよこええな。
取り立て相手の簡単な情報を聞き、俺は町に出た。
名前は聞いたが、顔は分からねえからな。えーと、なんだっけ。確かヒコとかいうおっさんだったか。東方国から来たらしく、顔立ちはまあ、アジア系を想像してりゃいいだろう。あとは、小柄で、黒髪。猿っぽい顔つき。武術を齧っていたのか身のこなしは軽そうで、冒険者もやっていたが、ヨドゥンで店を開くために金を借りたんだっけか。
うーーーーん。とりあえず繁華街の方かな。冒険者じゃないなら、工事現場で日銭を稼いでるか、住み込みありの飲食で働くのが定番だろう。面倒くさいが聞き込みでもしてみるか。
取り立ての相手が東方の出身なので、アジアンテイストな料理をお出しする店を中心に回っていたところ、有力な話を聞いた。最近入った新人のバイトが、そんな感じの風貌だったそうだ。今日はたまたま休みの日らしく、俺はそいつの家に向かうことにした。
何のことはない集合住宅だ。いかにもボロっちい四階建てのアパートと言った感じの。部屋は(恐らく)ヒコを雇っている店主から聞き出している。二階にあるドアの前に立ち、一呼吸。下からは賑々しい声が聞こえてくる。雑多な雰囲気だ。嫌いじゃない。
がん、と。ドアをノックする。拳を叩きつけるようにして何度も。
「おォい! 出てこい! はよ!」
返答はない。
「リック・デッカーマンの使いのもんだ! 耳揃えて払うもん払ってもらおうか! あァ!?」
返答はない。
ノックを続けながら巻き舌気味にまくし立てる。続けていると、ほかの住人がドアや窓の隙間から様子をうかがっているのが分かった。
「ゴルルルァァアてめーの勤め先も知ってんだぞこっちはよォ! だったらてめえの代わりにあのおばちゃん店長に金払ってもらうか!? どうなんだオイ!」
「分かった! 分かったからもうよせ!」
室内から声。やっぱりいたんじゃねえか。
「今開けるから、叩くのをやめるんだ」
「さっさとしやがれ、おう」
ややあってからドアが開かれる。ゆっくりと。俺は隙間に足を滑り込ませて、相手を見た。……身長は、一六〇半ばか? 猿顔のおっさんが俺をじっと見据えている。黒髪……アジア系っちゃアジア系か? 部屋の中は、物がないな。こいつの服もジャケットに、下は作業ズボンみたいなもんを穿いている。
「ヒコだな?」
問うと、おっさんは頷いた。
「よっしゃ。そんじゃあ早速返済をだな」
「無理だ。払えない」
はあ?
「何だとコノヤロウ……人様に金を借りておいて、返せないだあ? お前それどういう了見だ。人の道を外れてんじゃねえかよ。そんなもん泥棒と同じだぞ」
「違う。払うつもりはあるが、間に合わなかったんだ」
「そりゃ約束が違うってもんじゃねえのかよ」
「申し訳ないが、今少し待ってもらいたい」
「少しってどんくらいだよ」
ヒコは思案していたが、首を振った。
「ひと月は待って欲しい」
冗談じゃねえ。こっちだってガキの遣いじゃねえんだぞ。
「とりあえず出すもん出しな。金目のもんもなんかあんだろ」
部屋の中に踏み入ろうとしたが、ヒコが俺の体を手で制した。
「不法侵入になるぞ」
「何を偉そうに」
無視して三和土を跨ぎ、土足で中に入った瞬間、俺の視界がぐるりと反転する。強い衝撃が伝わって顔をしかめた。……野郎、やりやがったな。立ち上がりながら罵声を吐くと、ヒコはこっちを睨み返してくる。
「警告はした」
「ふざけんなやコラ」
あー、くそ。あったまいてえな。
「やむを得ん。デッカーマン氏には返済を待ってもらうように伝えてもらいたい」
では。言って、ヒコは背を向けた。
「っておォイコラ!」
ヒコは柵を飛び越えて路地に着地していた。俺も慌てて後を追う。無理くり跳躍し、両足を踏ん張って着地し、即座に走る。ヒコは角を曲がり、路地裏へと逃げていた。追う。追う。走る。走る。狭苦しい道をひいひい言いながら。
しかしあいつ、足が速い。速過ぎるぞ。俺だって勇者だ。その辺のやつに劣るような肉体ではない。つーか目いっぱい飛ばしてるんですけど。だってのに、全然追いつけねえ。それどころか距離を離されている始末。が、どうやらヒコはこの町に来たばかりのようであっけなく行き止まりにぶち当たっていた。
「はっは、馬鹿が」
ヨドゥンに来る人が増えたことで、この辺はめちゃめちゃに集合住宅なんかが建てられているのだ。入り組んでいるし、妙に背の高い塀だったりで無理やり仕切りを作っている始末。ヒコはその塀の前で立ち止まっていた。が、彼はちょっとした溝に指を引っかけ、するすると登り切ってその姿を隠してしまった。え。しばし呆然としていると、再び走っていく足音が聞こえてくる。
おいおいおいおい。マジで猿かよ。クソが。ここで見失うわけにはいかねえ。風の秘蹟を使い、塀を跳躍して乗り越える。まだ野郎の背中は見えている。すぐに走り出そうとしたところで、
「ケイジ?」
「おわあ!?」
逆さになった女の顔が目の前に現れた。
「あはは、びっくりした?」
ティピータである。彼女はその辺の家屋からぴょんと飛び降りてきたらしい。
「してねーし」
ビビった……心臓壊れるかと思った……。
「何してるの?」
「だっ、そうだよ! あの猿みてえなおっさんを追っかけてくれ!」
「どれ?」
「いいから向こうだ! 走れ走れ!」
「いいけど……後で何か買ってね」
分かった分かった!
慮外の援軍である。ティピータは自らのスキルを使って建物の屋根に移動し、上からヒコを追いかける。俺は下から、必死になってやつを追う。路地裏から表通りに。通りからまた路地裏に。そうして屋台が立ち並ぶ、ちょっとした商店街のようなエリアまでたどり着いてしまった。
ここいらは最近できた場所だ。人もごちゃごちゃしてやがるし、紛れると人捜しには苦労するだろう。
ティピータも高いところから辺りを見てくれているが……見失っちまったか?
「あっ、いた。いたよケイジ! あそこ、なんか食べてる」
「何だと?」
ティピの指さす方へと身を乗り出すと、中華っぽい屋台でヤムチャ決め込んでるヒコの姿が見えた。ふざけくさって。俺は我慢できずに駆けだした。すると、ヒコの方も俺に気が付き、慌てて蒸し饅頭を平らげて茶を飲み干し、金を支払ってまた逃げようとする。その時、向かいから歩いてきた男とぶつかって体勢が崩れた。今だ。舐め腐りやがって殺すぞ。
瞬間、ヒコの体が一メートルばかり吹っ飛んだ。彼は人ごみをかき分けるようにして地面に突っ伏してしまう。
あれっ、俺、まだ何もしてないんだけど。不思議に思っていると、どうやらヒコとぶつかった相手に突き飛ばされたらしい。そのお相手の男、よくよく見ると見覚えがあった。見覚えしかなかった。
「イップウ師範!」 でかした!
ヒコとぶつかった師範は彼を至近距離で殴りつけていたらしい。どうしてそんな乱暴な真似をしたのかはともかく助かった。俺はすかさず師範のそばに駆け寄り、礼を言った。
「いやー、助かった。ありがとな。ちょっとこいつとは因縁があってさ。つーか何? どしたん? イライラしてたんか? いきなり人を殴るなんて師範らしくないんじゃ」
「うるさいっ」
「ヒッ」
師範は俺を見ていなかった。彼は倒れているヒコを無理やり起き上がらせて、腹に重たいのを見舞った。えー……なに?
「何なの?」
降りてきたティピータに聞かれてもどうしようもない。俺が知りたいわ。なんで師範がヒコをボコボコにしてるんだよ。
「貴様っ、よくもぬけぬけと」
「誰かと思えば」
放心していたヒコだが、気を取り直すや師範の肩を蹴りつけて後ろへ跳躍。そうして構えた。
「この構えは」
「知ってるのケイジ」
いや何も知らんが、すごく強そうな雰囲気がある。
ヒコが構えるのに呼応する形で師範も何かしらの体勢を取った。これはあれか。二人は知り合いなんだろうな。しかもあんまりよくない関係。
「どうするの?」
「うーん」
「不意打ちとは随分な真似をするじゃないか、イップウ」
「貴様のような男など知らん。だが、生かしてはおけん」
「ふん、負け犬が吠えてやがるぜ」
「牙を抜かれたのは貴様だろうに!」
喧嘩が始まったので見物人が出始めた。こうなったらどっちかがバテるまではケンに徹するほかないな。
「なんか食いたいもんあるか?」
「いいの? それじゃあ……」
ティピータは、さっきヒコが食べていた蒸し饅頭の屋台を指さしていた。
「オッケオッケ。すんませーん、饅頭となんか飲み物ください。あ、お代はあそこで喧嘩してる二人にツケといて」
どうせなら師範が勝って欲しいな。ヒコが弱ったところを捕まえればいいだけだし。
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