6章
第56話
「お嫁さんになりたいんです」
少女は言い切った。どこか垢抜けない顔立ちだが、それ故の魅力は感じられる。無垢なもの特有のまっすぐな視線。
妄言にも似たことを言い切られた方は僅かばかり面食らったが、茶化して笑うようなことはしなかった。少女は不思議そうにした。
「笑わないんですね」
「まあ、そりゃそうだ。……いいか、お嬢ちゃん。お嫁さんになりたいってのは、まあ、幸せになりたいってことだ。誰だってそうなりたい。暖かな気持ちを胸いっぱい抱いて眠りたい。そう思うのは当然だ。違うか」
違いません。少女は首を振った。
「確かに可愛らしい言い回しだが、お嫁さんになるのと、誰かのもとに嫁ぐじゃあ意味合いが変わってくる。当人が望んでない結婚だって世の中にはある。珍しくはない。俺のおふくろがそうだった」
「そうなんですか」
「ああ、そうだ。誰も好き好んで、こんな家に来てえって女ぁいやしねえよ。そりゃ金こそ持ってるがな。恨みだって買ってるし、男との間に愛だのなんだのって浮ついたもんはなかったろうぜ」
「あなたのお母さんは不幸だったんですか」
「分かんねえが、着るものにも食うものにも不自由はしなかったし、この町でもいい方の暮らしはできてたよ。俺はおふくろには可愛がられたと思うしな。だが、かと言っておふくろが幸せだったかは分からねえ。死ぬときはそう思えたのかもしれないが、何にせよ、嫁ぐときは『お嫁さん』らしい心境じゃあなかったんじゃないかな」
少女は黙って話を聞いていた。
「俺ぁお嬢ちゃんの夢を馬鹿にしねえよ。ああ、しないとも」
「どうも」
「一つ聞いていいか」
少女は頷く。
「ありがとう。お嫁さんになりたいのは分かるが、じゃあ、誰のお嫁さんになりたいんだ? 誰でもいいわけじゃあないだろ。その辺で酔っ払ってるオヤジだとか、酒場でくだらねえこと息巻いてるアホと結婚したいか? ……違うよな」
「私は」
僅かな逡巡。少女は意を決したかのように口を開いた。
「……あの。お金を借りるのに、こういう話って必要なんですか」
「いいや。俺の趣味だ」
「そうですか……」
◎〇▲☆△△△
食いしばれ。
この身に流れる勇者の血。かの英雄マガモの末裔ならば何を恐れることがあろう。
「おっ、オオオォオオ……!」
一人、気を吐く。
逆立てた頭髪は戦意の表れか。仲間が倒れても少年は武器を手放さなかった。より強く得物を握り、先よりも強く敵をねめつける。彼の名はトキマサ。東方国出身の冒険者である。彼を迎え撃つがごとく仁王立ちでいるのは強大な魔物だ。二本足で立つ狼のような姿をしており、黒々とした毛並みは、浴びた血によっててらてらと輝いている。
(こいつが
ガーデン。死の神エロリットの支配地である、ヨドゥン近郊のダンジョン。
そのダンジョンで新たな階層の《狼の巣》が見つけられたのは昨秋のこと。冬を越し、春になるや、稼げると聞きつけた様々な冒険者が町を訪れた。トキマサもそのうちの一人であった。住み慣れた場所を飛び出し、仲間と共に新天地へ。自信はあった。混血の力は並の魔物なら寄せ付けず、ならず者など物の数ではなかった。
だが、今日の相手は悪かった。狼人は今までに出会った魔物とは格が違う。幼馴染である戦士ハルマンはたったの一撃でノックアウトされ、これまた幼馴染の少女であるヤズコは彼の治療にかかりっきりだ。動けるのはトキマサしかいない。自分が倒れれば、魔物の爪牙の行き先はヤズコに向かうだろう。
負けるわけにはいかなかった。トキマサが自らの背丈ほどもある大剣を振り回せば、狼人は怯んだように見えた。今だとばかりに前へ踏み込む。だが、物陰から新手が現れた。まずいと思った時にはもう遅い。横合いからぶん殴られてトキマサは吹き飛んだ。地べたに顔を擦るようにして、それでもなお立ち上がる。
「あはは、死にそうかも」
「……が、あ!?」
目の前に顔が現れた。女のそれは喜色に彩られている。ばかりか、彼女は逆さだ。逆さに立っていた。まるでこの世の理を無視しているかのように。
ふ、と、その女はどこかへ立ち去る。驚いている暇はない。トキマサは立ち上がるも、狼人の数は増え、モンスターに包囲されていた。嬲り殺し必至の状況下で彼は覚悟を決められなかった。死んでたまるかと、その戦意、いまだ旺盛である。トキマサもまた十代の少年だが、腰を低く落とし、大剣を構えるその姿には狼人たちもやすやすとは攻撃を仕掛けられないでいた。
が、と、血を吐くような音。倒れていたハルマンが息を吹き返しかけていた。しかし物音に反応した魔物の注意がそちらに向くのは必然であり、また、魔物が弱いものへ襲いかかるのも道理であった。
トキマサがパーティの崩壊を予見したその時、自分たちの来た方向からやってくるものの姿を認めた。それは男だ。背の高い大柄な男だ。純白のコックコートに身を包み、侍の髷のように髪を後ろで結わえた中年の男だ。誰だと誰何する間もなく、コックコートの男は、ハルマンを狙っていた狼人の攻撃をいともたやすく受け流し、腕を捉えて背負い投げした。モンスターは受け身も取れず、背中から地面に倒されるや喉元を包丁で掻っ切られた。それで終わりだった。
「動かない方がいい」
コックコートの男が狼人へ歩み寄る。返り血一つ浴びないままで。
「こいつらは弱者に反応する」
弱者と断じられたトキマサだが反論する術を持たなかった。彼は言われるがまま、男の動向を見守った。
するすると、コック風の男は狼人の攻撃をいなし、カウンター気味に攻撃を放つ。決して素早い動作ではなかったが、これほどの強敵を相手に酷く落ち着き払っていた。
だが、狼人はその数をどんどんと増やしていく。トキマサは何もできないまま、ただ仲間を庇うようにして剣を構えていた。
「おーおーおー、大漁じゃねえかよ」
振り向くと、新たな冒険者がそこにいた。黒髪の男だ。トキマサとそう変わらない歳だが、その男もまた飄々としている。否。それどころか嬉しそうであった。スピナーの群れと相対して笑顔である。
(なんなんだ。こいつら)
トキマサは困惑するほかない。
黒髪の男は片手剣をぶらぶらと弄びながら、軽い足取りで狼人の懐に潜りこみ、鋭い呼気を吐くや標的の首を切り落とした。それを蹴飛ばし、男は顎をしゃくった。彼の視線の先には、サングラスをつけ、ハイヒールを履いた白髪の美女が立っている。彼女から熱風が発せられた。
「うおッ……」トキマサは腕で自らの顔を覆い隠す。
竜の吐息にも似た熱風が狼人を焼いていた。熱さで苦しむ魔物ども。その群れの中に、黒髪とコックの男が飛び込んだ。そこからは一方的だった。あんなにも恐ろしかった狼人が容易く刈り取られていく。夢のような光景だった。悪い夢でしかなかった。培った自信も何もかも、根こそぎ消えてなくなっていた。
「よう。平気かよ」
戦い終わった後、男が声をかけてくるが、トキマサは彼の顔をろくに見られなかった。恥ずかしくて、悔しかったのだ。勇んで挑んだ結果がこれだ。見ず知らずのものに助けられて、立つ瀬がないように感じられてどうしようもなかった。
「ま、お仲間も生きてんだ。気ぃ落とすなよ」
「はい……」
トキマサは、諦めるものかと決意を新たにした。
◎〇▲☆△△△
「おー、お疲れ」
ダンジョンを出て声をかけると、料理長ことフレデリックが微笑を浮かべた。しかし視線は鋭い。髪型も相まって、まるで侍のようだ。
「ああ。後でまた店に来るといい。良質な肉が手に入ったんだ」
「まさかスピナーのじゃないだろうな」
「そいつは後のお楽しみだな」
冗談だよな?
じゃあな。そう言って料理長は去っていく。
「ねえ。ケイジ。アレ、やっぱりイカれてる……どうしてコックさんの格好なの?」
ティピータが疑問を口にする。それは俺にも分からない。分からないが、料理長の実力は本物だ。コックコートには魔物の返り血どころか、ダンジョンの埃一つついてないんだからな。彼は真白のままでダンジョンを出入りするのだ。一流の冒険者と言って差し支えないだろう。そして同時に、彼は一流の料理人なのだ。このヨドゥンの町で自らの店を持っている。客の入りは、あまりよくないが。味はいい。腕もいいのだ。それは本当。
「さあな。とりあえず俺らもギルドに行こうぜ」
俺は、ティピータとスキャレットを引き連れるような格好でダンジョンを後にする。いつの間にやら、誰かと一緒に潜るのが当たり前みたいになっちまったな。
スキャレット・スモーキースリル。森から連れ出した、火の秘蹟を操るおばあちゃんエルフ。見た目は若いが。
ティピータ。以前、ニギアの町で組んでいた混血の斥候。逆さ女。この春に合流する形となった。
俺は主にこの二人と一緒に行動している。そんで気が向けば、料理長やサム船長、イップウ師範といった連中にも声をかけるようになっていた。
まさか、ソロでやってた俺がこんなことになるとは。……いや、楽なんだけどな。稼げるのは稼げるし。
前に王立神学校の生徒を鍛えている時に出くわしたモンスター。あの狼の化け物。今では
かくいう俺もスピナーの相手は結構慣れた。もうあいつらを見てもビビることなんかない。つーか、あの時怖がってたのが恥ずかしいくらいだ。いや、うん。初見の相手を警戒するのは冒険者として間違いじゃないから俺は正しい。俺は間違ってない。
ヨドゥンには人が集まるようになった。それに乗じたギルドは冒険者を大いに募集していた。
ぶっ殺せモンスター。稼ごうぜ金ってな風に。実際、人は増えた。町のそこかしこでは工事が始まっている。宿に家に店に、需要がガンガン高まっているのだ。そのおかげか冒険者だけでなく、とにかく職を求める連中も増えた。何せ手も足も何もかも足りてないのだ。
いいことばかりではなかったりもするが。
人が増えればトラブルも増える。何より冒険者の増加は俺たち古参にとって由々しき問題である。稼ぎづらくなるし、色々と邪魔だ。どうしようもないけどな。ダンジョンに潜るのを禁止するとか、そんなんないし。
ただ、ギルド側は冒険者がガンガンやってきて、ガンガン死ぬのは避けたかったらしく、制限を設けた。十一階層以降である《狼の巣》に入れるものを取り決めしたのだ。いわゆるクラス分け。冒険者の能力に応じて階級を定めたのである。
階級は、SS。S。Aの三つ。
A級はガーデンでもある程度やれそうな冒険者。
S級はソロでもスピナーを狩れるやつ。
SS級は……まあ、これはあってないようなものだ。これはシルバースター限定のものに近い。ブラッドとかはSS級でも問題ないだろうが、シルバースターと並ぶのを恐れ多いと固辞したのだ。ちなみに俺もそうだ。SSと同レベルなんてぞっとする。とにかくSS級なんてのは、このガーデンにおける最上級の冒険者に与えられる、ある種称号のようなものでしかない。
まあ、ただ……ぶっちゃけ階級がどうとかを気にしている冒険者は少ない。階級を決めて冒険者を管理したいってのはギルドの意向であって俺たちにはそんなんどうでもいい。別に何級だろうとどこのどいつだろうと狼の巣まで好き勝手に潜ってもいいわけだ。法律で禁止されてるとかでもないし。ギルドには冒険者を束縛できる権限はない。
とはいえそれなりの階級だと何かしらの箔が付くだろうし、上級冒険者はギルドから美味しい仕事を回されやすい。パーティを組むのにも事欠かないだろう。一部の店ではS級割引なんてのもある。腕の立つ冒険者ならそう簡単に死なねえし、常連さんになってくれるかもだろうし。
で、俺はS級の冒険者と勝手に認定されて、その階級を見定めるのは俺たち上級冒険者の役目でもある。押しつけられただけともいう。というか、この町にゃあごろごろ冒険者が転がってんだ。どいつがソロでスピナーを倒せるかとか、そんなんいちいち確認できるかよ。ろくな報酬だってもらえねえし。意味あんのか、これ?
「ケイジー。料理長の店行ったらお酒おごってよねー」
軽い感じでスキャレットが言う。彼女は上機嫌だった。
「何せあたしー、SS級だからー。ケイジくんはS級だもんねー」
完全に浮かれてやがる……。いや、スキャレットの実力ならそれくらいは当然なんだけど。なんつーか……まあいいか。楽しそうだし。
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