第55話



 地上に戻った俺は、背中のベッセルを起こして、頭を下げた。まずは謝らなきゃいけない。

「ちょっと……いや、めちゃめちゃ油断してた。お前らが危ない目に遭ったのは俺のせいだ。申し訳ない」

 顔を上げると、三人とも目を丸くさせていた。

「で、お前ら三人とも合格な」

「は!?」

 ダリが食って掛かってきた。

「私ら何もしてないし、六階層も見てませんけど! というか逃げちゃったんですけど!」

「いや、あれでいいよ」

 冒険者としては正解だし、一流とも言える。

「他人を出し抜いてでも逃げていい。あの場面を無傷でやり過ごしたんだからもう言うことないって」

 無事これ名冒険者なり。

「でも、私たちは勇者の同行者として試されていたのでは?」

 リーヴェの視線はいつになく鋭かった。こんな目ぇする子だったかな。

「見ず知らずの勇者のことなんか俺は知らねえよ。あくまでお前らがどうかってだけだ。お前らのせいで死ぬ勇者が悪い。弱いやつが悪いんだ」

「けど……」

「だいたい、冒険者なんかいいことないからな。今日で分かっただろ」

 まだ納得していない風のリーヴェだが、一度出した合格を取り下げるつもりなどなかった。

「つーか、お前らの家って結構あれなんだよな。最悪言っていいぞ。俺のせいだって」

「……カシワギさんのせいとか、そういうのないですから」

「そうか? それならいいけど」

 貴族だの商人の家だの敵に回しても損しかしないからな。

「あ、そしたらせんせー。うちのお抱え冒険者にしてあげよっか」

 ダリがいやらしい笑みを浮かべた。

「お抱え……」

 そういや、《金路》ダンジョンのあったニギアの町で、デールとかいういけ好かないやつがナントカという子爵の世話になってたっけ。あいつ、あれであの町ででかいツラしてたらしいからな。

「先生の実力ならティンバーラインさんも認めますよ。私のお墨付きです。ガーデンに潜るよりずっと安全だろうし、安定して稼げるんじゃないかな」

 魅力的な提案である。

「それも嫌ならー、私がもらってあげましょうか」

「えっ。それって貴族の婿殿になるってことか。おお、そうか。俺も貴族か」

 ダリは笑った。満面の笑み。

「ちょっと待ってください」とベッセルが割り込んでくる。

「ダリちゃんの家より、ぼくの家のキャラバンの護衛になった方がいいです」

「はー? 商人風情が貴族様に楯突くっての? 絶対うちの方がいい目見られるって」

「カシワギさんにはそういうの似合わないよ」

「あんたが決めないでよ」

「そっちこそ決めつけないで」

 睨み合うガキども。

「ま、俺ぁ当分ヨドゥンから出るつもりないけど」

 えー、と不満の声が上がった。

 しようがねえだろ。色々と残ってることがあんだから。だいたいだな、俺なんかに関わらない方がいいに決まってる。君たちには未来があるんだからな。

「はい。終わり。お疲れっした。なんか晩飯でも食いに行くか」

「せんせーのおごり?」

「貴族が俺にたかるんじゃねーよ」

「私ー、貴族じゃなくて貴族の子ですからー。大人が出してくださーい」

 最後まで生意気なやつめ。まあいいか。……こいつらには言ってないが、あの狼のバケモンは結構な量の信仰心を持ってたからな。たんまり稼がせてもらった。少しくらいなら合格のお祝いとしてくれてやろう。

 おめでとう、三人とも。じゃあな。二度と会うまい。もう冒険なんかするんじゃないぞ。



 その日の夜。

 俺はギルドにいた。そこには、シルバースターや、船長・師範・教授といった熟練の冒険者、ギルドマスターのツェネガー氏もいて、ひざを突き合わせるようにして話をしていた。話題はもちろん、俺が倒したあの狼のバケモンのことだ。

「……聞いたことがない」

 ツェネガーが、いまだ信じられないと言った風に窓の外を見やった。

「シルバースター。お前も知らないのか」

 いつになく難しそうな顔をしていたシルバースターが口を開く。

「ああ。そこまで凶暴な魔物は見たことも聞いたこともない。あるいは試練の類かもしれんが、低層の瘴気は薄かったはずだ。まだ試練の出る時期ではない」

「試練でもないのに、ケイジをそこまで苦しめるようなやつが出たってのかよ」

「こないだ来た《星の四つ葉》ってパーティは全滅だ」

「物差しになるかどうか分かんねえ連中だったがな」

 いや、初心者がどうこうって話でもない。ありゃあ異質だ。神の眷属ですらやっちまうようなモンスターである。現段階で、あれをソロで殺せるのはヨドゥンでも一握りだろう。

「当分はダンジョンを閉鎖するか?」

「いや、それもまずいな。放っておいても中の瘴気が増えるだけだ。だが、よっぽど自信のあるやつであっても、単独で潜ることは避けた方がいい。ギルドから通達を出せ。いいな、ツェネガー」

「ああ、分かってる」

 俺はたばこの火を消して、シルバースターに目を向けた。

「たぶんだけど、ダンジョンが変化したんだ」

「変化?」

「そういう説を唱えてる人がいてな。話半分に聞いてたんだが、そうかもしれないってさっき思ったんだよ」

 シィオン先生は神さまや神域についていろいろと調べている。頭の悪い俺らみたいなのが考えるより、あの人みたいな先生の考えることの方が正しそうだ。

「あのバケモンが突然変異なのかもしれないけど、そうじゃないとしたらあんなのがこれからもごろごろと出てくるってことだ。で、可能性としてはそっちのが高い。俺ぁ今から確認してくるから、お前らは俺の後に続いてくれ」

 椅子に座っていたシルバースターが立ち上がった。

「確かめる? 何をだ?」

「十階層の先だよ。今まで最下層だ、一番深いと思ってた階層よりも先がある。……いや、いつの間にかできてたんだよ。十一階層がな」

 というより、あったはずだ。俺たちの知らない場所が。もっと深く、もっと暗い場所が。

「だが、試練の間から下にはどうやっても進めんぞ」

「確かにな。降りる階段も何もないはずだ」

「だから確かめてくるんだよ」

「一人でかよ。俺も行くぜ」

 船長が立候補するも、俺は認めなかった。これは俺の意地だ。俺の油断と慢心の罪滅ぼしだ。

「俺なら殺せる。あのバケモンとは一度やったからな。ただ、どうなるかは分かんねえしよ。とにかく一度様子見だ。何もなけりゃあみんなで潜ればいい。どうせ死ぬなら捨て石は一つで充分だ」

 生き返るのだってタダじゃねえんだ。借金まみれではあるが、この町で信仰心に余裕があるのは俺くらいのものだろう。



 久しぶりだ。

 ダンジョンに潜るのがこんなにも嫌で恐ろしいのは。

 俺はギルドから武器を借り受けていた。もはや手ぶらで入れるような気分じゃない。スキャレットにも声はかけなかった。あいつはエングゥリンの信徒であってエロリットの信徒ではない。というか、あいつを嫌な目に遭わせるのは躊躇われた。

「あー……くそ。ロックでも歌いてえよ」

 めちゃめちゃな気分になりながら先へ進みたかったが、何とかこらえた。

 見慣れたはずのガーデンが、どこか違うように見える。

 階層を少しずつ。確かめながら奥へ。

 やがて五階層に到達し、俺はひっそりとした声を聞いた。

「お待ちしておりました」

「……ミヤマか」

 物陰から現れたのは武器を持ったミヤマである。お面をしているので彼女の表情は分からないが、緊張しているようにも見えた。

「さっきはありがとうな。ガキどもを見てやってくれてただろ」

「いえ。それも私の役目ですから。あなたがおっしゃることは、カブラヤさまがおっしゃることとほとんど同じなのです」

 それでもありがたかった。

「それから、ファストワードが」

「ああ。やられたんだろ」

 ミヤマは小さく頷いた。

「すでに復帰し、今はカブラヤさまのところに」

「そうか。あいつ、変わりなかったか」

「眷属ですから。ただ、あなたの無事を心配していましたよ」

 そうか。……ああ、そうか。

「勇者カシワギ・ケイジさま」

 畏まった口調のミヤマ。彼女が俺のことを勇者と呼ぶのは初めてだった。

「十階層。あなた方が試練の間と呼ぶ場所に変化がありました」

「見たのか?」

「ええ。ですが、今はもう、私では……いいえ。私たち神の眷属では近づけないと思います。あそこは、瘴気が濃過ぎます」

 俺は息を呑んだ。

「先の階層があったのか」

「はい。繋がりました・・・・・・。カブラヤさまいわく、あれより下は純粋な神域です。まだ人の手が触れていない、穢れの少ない領域なんです」

「……めちゃ危険な場所ってわけか」

「まだ完全には繋がっていません。隙間が空いただけに過ぎません。あなたが今日倒したモンスターは、その隙間からこっそりと抜け出したのでしょう」

 目眩がしそうだった。完全に繋がってない? それで、あんなのが出てくるってのか。

「だったら、繋がり切ったらどうなるんだよ」

「想像を超える瘴気があふれ出るでしょう。どれほどの規模なのか。どれだけの密度なのか。はっきりとはしません」

 マジかよ……。

「穴を塞ぐ方法はないのか?」

「ないでしょうね。というより、繋がっている方が自然で、本当の姿なんです。今までがおかしかったのでしょう」

「だとしたら、なんでだ? なんで今繋がったんだ?」

「エロリットさまに尋ねるほかないかと。ここはあの方の支配する場所ですから」

 そりゃそうだ。かと言って信仰心を大量に費やしてまで聞くことかね。

「お前ら眷属だろ。御前とかもなんか知らないのかよ」

「私たち眷属には分かりませんよ。カブラヤさまは何かご存じかもしれませんが、あの方は必要なことしか話してくれません」

 くそう。あんまり考えたくない事態になってたな、やっぱ。

「見に行ってくるわ」

「おやめになった方がよろしいかと」

「いや、そうはいかねえよ」

 ミヤマは、まるでベッセルみたいにして、俺の服を掴んでいた。

「お気を付けください」

「おう」

「あなたに死なれては、美味しいお菓子が食べられませんからね」

「そうだな。今度は頭も撫でてやるよ」

「はい。お待ちしております。最低な勇者さま」



 この日以降、ヨドゥンの冒険者は本腰入れてダンジョンの攻略に乗り出す羽目になった。まあ、それが正しい姿なんだが。

 そして想像以上のことが起こるんだが、それはまた別の話ってやつだ。とにかく今日は疲れた。



◎〇▲☆△△△



 ヨドゥンを発ってから数日後。

 ダンジョンでの訓練を終えたリーヴェは王都タカラマウンドに戻っていた。そうして、一人で教会で祈りを捧げていた。その隣に男が立った。執事服を着た老年の男だ。

「早かったですね」

「はい。ティンバーライン家の者にすすめられて転移の陣を使いました」

「そうですか。何よりです」

 男は眼鏡の位置を直した。リーヴェは、ひざをついたままで彼を見上げた。男の名はモレノ。勇者オグリ・アワに仕える、とある一族に連なるものだ。

「それで、どうでしたか。勇者カシワギ・ケイジという男は」

「おおむね想像通りです。お二人の言っていた通りの方かと」

「ほう。そうですか」

「あのガーデンで日夜冒険者として活動しているのは伊達ではありません」

「ガーデンはどうでしたか。そこまでのものでしたか」

 モレノは興味深そうだった。珍しいなとリーヴェは不思議がる。むろん、顔にはそのようなことおくびにも出さないが。

「凶悪な魔物により、王都で鳴らしていた冒険者パーティが全滅しました。私はそこに居合わせたのですが、勇者カシワギはたった一人でそれを打倒しました」

 聖剣もなく。聖女の加護もなく。己の身一つだけで。

「あのダンジョンは、勇者シノミヤ程度では無理です。あれ・・に攻略は不可能です。教会に助言した方がいい。カシワギ・ケイジこそ教会の求めている人材だと」

「いや。あの方はお嬢様が……我が勇者が気に入っておられる。余人に知られたくはない」

 出過ぎたことを言ったかと、リーヴェは自らを恥じた。

「白い目のリーヴェ。まずは学校を卒業なさい。立派な大人になり、社会に貢献する。それが身寄りのないあなたを拾ってくださった孤児院の……勇者さまの願いなのですから」

「はい」

 リーヴェは、ヨドゥンでのことを思い返していた。

 ダリ・ティンバーラインとベッセル・カウリはまたあの町に戻るだろう。恐らくだが、彼ら自身がそう望んでいるであろうし、勇者とのコネを作れと言う家からの圧力もかかるはずだ。


(私は、分からない。勇者に仕えるその日まで、牙を研ぐしかない)


 できることなら、この才を披露できるものに仕えたい。リーヴェはそう願っていた。

「それから、勇者オグリ・アワさまに伝言があります。勇者カシワギ・ケイジが『お菓子を送って欲しい』とのことです」

 モレノはじっとリーヴェを見つめる。長い時間の果て、彼は言葉を発した。

「なぜです」

「私には分かりかねます。ああ、それから、その品はカウリ家の者に運ばせてはどうかと」

「カウリ……北方出身の商家の。しかしなぜ」

「分かりかねます」

「そうですか。……ふむ。伝えておきましょう。お嬢様であれば、その意味を理解できるはず」

「はい」

 どうだろうか。誰もあの男を真の意味で理解などできないのではないか。ただ強いだけでなく、思考が読めない。まるで何かに守られているかのような。この世界のすべてから拒まれているかのような。歪な生き方だ。

 もしかすると、歴代の勇者ではなく、あのようなものこそが神との約定を終わらせるのかもしれない。そこまで考えて、とんでもない不遜だなと、リーヴェはモレノに気づかれないように口元を緩めるのだった。

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