第53話



 ベッセル、ダリ、リーヴェの三人とダンジョンに潜るようになってから数日が経っていた。

 朝潜り、休憩して夕方も潜る。

 で、休憩がてら町の食堂で飯を食いながら話していると(ダンジョンのモンスターを焼いて食えばいいと言ったんだが死ぬほど拒否られた。曰くそんなもん口に入れるくらいなら自殺するとのことだ)、ダリのことが気になった。

「なんで貴族の子なのに、そんなダンジョンに潜らなきゃいけないんだ?」

 パスタめいたものを食べていたダリが面倒くさそうに息を吐いた。

「いや、だって超金持ちだろ? 最悪卒業できなくとも生活くらい余裕で何とかなるんじゃないのか?」

「偏見だと思いまーす」

「だって貴族じゃん」

 あのね、と。ダリがフォークを置いて水を一口飲んだ。

「貴族にも色々あるんです。せんせーが思ってるより貧乏な貴族だっているし」

「でも、ダリちゃんとこは公爵様じゃない」

 ベッセルに突っ込まれると、ダリは机の下で彼女の足を蹴った。おい。見てるぞ。

「まあそうなんだけど。けど、うちはほら、武名優先なとこあるから。貴族たるもの民を守れんでどうするって考え方なんです」

「あー、それノブレッシュなんとかだろ?」

 知ってる知ってる。

「え、何それ。えー、だからうちにはしきたりがいっぱいあって、破ったら怒られるし、学校を出られなかったら家を追い出されるかもしれないし」

 へー、結構厳しいんだな。金持ちの家にはそれなりのやり方とか悩みがあるもんだ。

「しかし、すげー家だな。女の子にそこまで要求するとは」

「……先生?」

「やーん、せんせー優しいー。そうそう、女の子に優しくできる人はモテますよー」

「えー、そうかなー?」

 さっきベッセルが何か言いかけたが、おだてられて気分がよくなってたので追及はしなかった。

「ところでリーヴェちゃんは……なかなかお腹いっぱいにならないんだね」

「?」

 リーヴェはさっきから無言で咀嚼を続けている。空になった皿がうず高く積まれていた。

「ユニークな味です。大変興味深い」

「手加減してくれると助かるんですが」

「せんせーダサーい」

 うるせえうるせえ。



「そういえばー、朝に会った人たち、感じ悪かったですよね」

 昼めし食ってダンジョンに向かう道すがら、ダリが唇を尖らせていた。

「……《星の四つ葉》ってパーティだと思う。王都では有名な冒険者なんだって」

 ベッセルが補足する。

「はーん。私を誰だと思ってたんですかね。ティンバーラインさんとこの子だって分かったら手の平ひっくり返してきそう」

「別にお前らが絡まれたわけじゃないだろ。ありゃあ俺に突っかかってんだ」

 ガーデンの三階層あたりで行き会ったのだ。冒険者さんが子守とはすごいでちゅねー、みたいに煽られただけで実害はない。しかしそうか。あいつら《星の四つ葉》とかいうのか。確かに四人パーティだったしな。全然知らんけど。

「ベッセルは冒険者に詳しいんだな」

「え、えへへ、そういうの好きなんです」

 今日はベッセルの体調も良さそうだな。

「じゃ、今日はちょっと六階層あたりに行ってみるか」

 ぴたりと。先まで意気揚々と歩いていたダリたちが足を止めた。

「どした?」

「どしたじゃないです。先生。分かってて言ってます? ガーデンの六階層なんてありえませんて。五階層に行けたら王都でそれなりに自慢できるってベッセルが言ってたんですけど」

 ベッセルがこくこくと頷く。

「や、ちょっと見たら帰るって。見るだけだし」

 及び腰なのも分かる。が、こちらとしてはそろそろさよならしたいのだ。もう何日も付き合わされてるし、このままでは終わりが見えない。俺の実力云々はともかくビビらせて帰らすのが手っ取り早い。そもそも、こいつらには合格をやってもいいと思っている。そりゃあガーデンで冒険者をやってくのはまだまだしんどいだろうが、それでも学生ってことなら十分すぎるほど立ち回っている。この三人だったら《姫道》程度ソロでも余裕でクリアできるんじゃないのか?

 一応、ほかの冒険者や協力者にもばれないようにお守りを頼んでいる。影から手を貸してもらうつもりだ。というかそのプランは既に実行済みである。スキャレットには昨日のうち、六階層までの魔物をぶち殺しまくってもらってるしな。暇そうにしてた連中にも声をかけたし、ダンジョンの中は歩きやすいくらいサッパリとしていてもおかしくない。

「そしたら晴れて合格、卒業だ。……なんだよ。ダリちゃん嬉しそうじゃないな」

「……そうですか?」

 そう見えるが。なんで。俺みたいな小汚いやつと離れられて嬉しいだろうに。

「まあ、そうですよねー」とダリは再び歩き出す。さっきと違って覇気がない。……マジで何なんだ?



◎〇▲☆△△△



 おしまいだ。

 星の四つ葉はおしまいだ。


「もう終わり。ボクたちはおしまいだ。何もかもっ。ひ、ひひっ……ひっはははは――――ッッ!」


 後ろから哄笑。やがてそれがくぐもった音の後に途切れる。気にしている余裕などない。冒険者パーティ《星の四つ葉》を率いる男は死んだ。あれ・・と出くわした瞬間、紙くずみたいにされて壁にたたきつけられて、へばり付いたまま動かなくなった。それを目の当たりにした魔法使いも頭がおかしくなったのか、馬鹿みたいに笑い続けて殺された。

 残ったのは二人だけ。巨躯の戦士と武道家の女だけとなった。

 ガーデンの中を逃げ惑う。走り回ったせいで出口が分からない。気ばかり焦って体がついてこなかった。

「はあ、はあっ、ま、待って……は……待ってくれよ……」

 図体の大きい男は立ち止まりかけていた。重装備だ。こんな風にむやみやたらと走るためのものではない。武道家の女は男を一瞥しただけで構わずに走った。

「お、おぉおおおおい……! 置いてくな、置いてくなよおおおお」

 男の声には嗚咽が混じりかけていた。

 一人になった女の頭がぐるぐると回る。どうしてこうなったのか。どうすればいいのか。なに一つとして解決しない、無意味な事柄に思いをはせる。

 思えば、妙だった。今日は酷くスムーズだった。王都近郊のダンジョンで経験を積み、ヨドゥンに来た。自分たちなら何でもできると信じていた。だが、ガーデンに挑んでからはまるで手ごたえがなく、空回りする日々。一つたりとも上手くいかなかった。常なら飄々としているリーダーでさえ、飲んだくれ、酒場で喧嘩を吹っかけて返り討ちに会う始末だったのだ。それが今日は違った。魔物とも出くわさず、五階層まで無傷でたどり着けたのだ。ガーデンの五階層だ。王都に戻ればいい土産話になる。箔もつく。ああ、と、女は嘆く。調子づいたのが運の尽きだった。ここはどこだ。今、どこにいる。何階層だ。誰か。誰でもいい。助けて。助けてくれ。自分が一体何をしたというのだ。田舎から出て、名を上げて金を手にしたかっただけだ。四人で頑張ってきたじゃないか。みんな一緒に笑って泣いて、力を合わせて助け合ってきたじゃないか。みんな死んだ。

「どうして、どうして……!?」

 積み上げたものが壊されるのは一瞬だった。もう二度と戻らない。力が抜けてその場にへたり込む。暗がりの中、心臓の鼓動だけが聞こえる。

「置いてくなあぁああ」

 女は絶叫した。足首を掴まれた。視線の先、ここまで追いすがってきたであろう仲間の戦士が助けを求めている。

「うああああっ、はなせ! はなしてえぇえええ!」

 女は男の手を蹴り、頭を蹴る。殺す勢いで蹴りつけても彼は手を離さない。憤怒に塗れた形相で女をねめつける。

「ふざけんな、ふざけんな!」

 何度も蹴りつけるとついに男は動かなくなる。立ち上がると、彼の足は片方がなくなっていた。途轍もなく強い力で装備ごと引きちぎられている。そう気づいた瞬間、鼻腔を凄まじい獣臭が突き刺した。悲鳴すら上げられず、ただ座り込む。

 ゆっくりとした歩み。一歩ずつ死の恐怖が迫った。毛むくじゃらが口を開いて、倒れている男の足を無造作につかんだ。女は悲鳴をかみ殺す。このような状況下であってもなお助かろうとした。目の前で、仲間だった人間が食われていく。生きながらに。

「お前も……お前もしぃいねええええぇえええ」

 怨嗟の声とともに男は丸かじりされた。巨大な魔物が武道家女に狙いを定めるのは自然な流れであった。死が差し迫った時、彼女は座ったままで足を開いた。もはや逃げることも戦うこともできない女が選択したのは命乞いであった。

「はァー……ハぁー……お、おねがい……お願い、やめて……」

 魔物は答えない。

「お願いだって……ヤらせてあげるから、命だけは」

 下着丸出しの武道家女は、魔物が人間の言葉を解さないことを知っていてもなお続けた。命乞いを。

 たとえ魔物が人語を理解し話せても無駄だっただろう。圧倒的優位にあるものが弱者の意思を汲み取ることは絶無である。

「……ね?」

 媚びた眼差し。武道家の女が頼みにすべきは自らの性ではなく、冒険者として磨いた拳だったのかもしれないが、それが通用したかどうかは知る由もない。ただ、女は一点のみを見つめる。槍のように聳え立つ生殖器。仲間であり、恋人でもあった《星の四つ葉》のリーダーよりも雄々しい逸物は生物としての格の違いをまざまざと見せつけられているようで。

「ぎ……!?」

 皮膚ごと剥かれた衣服。片手で体を鷲掴みにされる。女の四肢からは力が抜けていた。さてここからは冒険者でも人間でもなくなる。末期の時くらいは覚悟を決めようと武道家は思った。せめてこのような畜生を喜ばせたくない。声も上げず、ただ犯されて死ぬだけしかない。

 がぱ、と、魔物が大口を開けた。そこにはまだ、先ほど食われた男の残骸が覗いていた。砕かれた顔。むき出しの骨。虚ろな目が女を睨むように。お前も死ね。その声は幻聴だったのか。女の喉から、独りでに声が溢れた。魔物が嗤った。同時に、肉槍が女の中を貫いた。

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