第46話
木の杯を傾ける。
美味い。たぶん。
果物を肴に飲む酒も結構アリだな。とか。そんなことを考えながら、広場でごうごうと燃え上がっているキャンプファイアみたいな炎を見つめる。表面上は全部丸く収まったかのような連邦での騒動は終わりを迎えつつあった。さっきまでぶち殺しあってたはずの亜人たちは輪になって、訳の分からない音楽と共に妙なステップを踏んでいる。それを薄いとか軽いとかなんて思わない。ブラッドなんかは一緒になって踊ってるしな。
「あんたは行かないのかい」
広場の隅で酒を飲んでいると、グラサンの女に話しかけられた。炎に照らされた横顔。スキャレットは少しばかり楽しそうにしていた。
「腹が痛くてな」
「塞がったんじゃないの?」
あほう。出すもん出した。それを無理やり戻したもんだから調子が悪いんだよ。癒しの秘蹟だって万能じゃないんだ。いっぺん死なせてくれた方がマシだったぞ。
「お前こそ踊ればいいじゃないか。こんな時くらいは」
「知らないんだよ。踊り方なんか」
ほかのことは何でも知ってるつもりなんだけどね。そう言ってスキャレットは俺の隣に座った。
「ありがとね。殺してくれて」
「……あのミチキリ族のことか」
「そ。あいつら、ああでもしなきゃ収まらないからね。でも、強いやつの言うことは聞く性質だから」
殺すつもりはなかった。なんて甘いことを言うつもりはなかった。ただ、そうしなきゃ終わらせないぞってあの男からは感じたから、止められなかった。
「こういうの、連邦じゃあ恒例行事みたいなもんなんだってな」
カバ顔の代表が俺に教えてくれた。申し訳なそうに。
「本当ならよそ様を巻き込むことはないんだけどね」
「今までは、お前が処理してたのか。こういうこと」
「まあね」
俺はスキャレットの顔を見られなかった。だから、立ち上がって酒を取ってくる。
「ん」と空の杯を握らせて、そこに酒を注いだ。
「飲まないよ」
「試してみ。ダメなら吐いちゃえ」
それでもスキャレットは躊躇っていた。
「酒に飲んだら溺れろ。たばこを吸って煙に巻け。博打と女で熱くなれ。そしたら人生どうでもよくなる。しんどいこととか、嫌なこととか、忘れられるもんなら忘れた方がいい。どうせ最後の最後まで、残るもんは残るんだ。こびりついて、シミみてえに」
「何それ」
「俺にそう言ったやつらがいるんだよ」
俺は自分の杯の酒を一息で飲み干した。
「大事な役目がある。命がけの使命がある。そんなやつがさ、笑ってたって楽しんでたって罰は当たらないはずだろって」
「それはそういう役目も使命も持たないやつらだからこそ言えるんだよ」
そうだな。荷物しょい込まされた人にはそんな余裕ないもんな。
「だから言うんだ。『気楽にな』って」
俺はたばこをくわえた。火の秘蹟を使って、煙を燻らせる。
「あんたは飲んだんだね。そのお酒を」
「おう。飲みに飲んだ」
「あはは。だからちゃらんぽらんになったんだ」
笑って、スキャレットは杯に口を近づけた。舐めるように一口。そうしてから彼女は、えへへと笑う。
「変な味」
「次はたばこか博打だな」
「もしくは男だね」
「お。乗り気じゃん」
「お眼鏡にかなうようなのはいないかもだけどね」
「そもそもエルフがいないんだろ」
まあね。スキャレットは酒をもう一口。
「番を見つけるのにも苦労するっつーの」
「エルフは無理でも、なんかないの? 好みとか」
「馬鹿な子がいいかなあ」
ああ、それはちょっと分かる。
「もしくは長生き」
「切実……」
「そりゃそうでしょ」
「まずは出会いがねえとな。ヨドゥンにでも来るか?」
「ヨドゥンって。スロープゴットの? あんたの住んでるとこでしょ」
「そこじゃなくともいいけどな。あんなとこにいても出会いなんかないだろ」
どっちかと言えば王都の方が人は多い。
「でもなんか。外は怖いというか」
その所作は可愛らしかったが中身はクソババアだからな。
「俺でよかったら手伝ってやるよ」
「えー……すぐ死にそうじゃん。明日にでも」
言い返せない。
「まあ何回か死んでるし。信仰心があるうちは平気だよ」
「ああ、エロリットのおひざ元で冒険者やってるんだったっけ。そう。そうかそうか」
「死ぬまでは付き合ってやるよ。暇つぶし」
「期待しないでおくよ」
言って、スキャレットは酒を飲み干した。案外、いい飲みっぷりだった。
宿に戻ってベッドで寝転がっていると、ノックの音が聞こえた。ブラッドだったら勝手に入ってくるだろうし。誰だ?
「はあい。開いてるよー」と声をかければ、ややあってからドアが開かれ、顔だけを覗かせた小栗さんが見えた。
「……入れば?」
小栗さんは部屋の外から室内を見回して、ぎこちない感じでやってきた。所在なげに突っ立っているので枕を投げた。
「クッション代わりにどうぞ。悪いね。特に椅子とかもないからさ」安宿だからな。
「あー、ありがと?」
「そんで、どしたん」
うーん、とか、あー、とか、小栗さんは言葉を選んでいるらしかった。
「なんか……さっきのエルフの人といい感じだったね」
ああ、スキャレットのことか。
「俺のことは赤ん坊扱いだよ。見た目はああだけど中身はババアもババアだからな」
「ああ、そうなんだ。へえ」
じっとりとした目つきを向けられる。なに。
「あ。お腹は大丈夫?」
「何とか。まあ生きてるから大丈夫だよ」
「ならいいんだけど。ヨドゥンに戻ったらちゃんとしたお医者さんに診てもらってね」
ヨドゥンにちゃんとした医者なんかいたっけか?
「ほんとは王都に戻って欲しかったんだけどね。柏木くん見てたら諦めた。なんか、そういうの向いてなさそうだなあって」
知らん間に匙を投げられてた。
「今回は色々と見逃してあげよう」
「何か分かんないけどありがとう」
ああ、そうだ。ありがとうと言えば。
「聖剣貸してくれてありがとうね。ごめんな。血でいっぱい汚れちゃったから」
「もう綺麗になったからいいよ。私が持ってても宝の持ち腐れになるだろうし。……柏木くんの聖剣も用意されてると思うけどね。一応」
そうなの? マジか。それはちょっと興味があるな。とはいえ武器に釣られるつもりはない。俺なんかには勿体ねえや。棒切れや拾った剣とかで充分すぎる。というか俺が使ってたら聖剣が魔剣とか邪剣になりそう。
「小栗さんたちも、もう帰るのか?」
「うん。二、三日したらね」
「あいつらどうなったかな。レイチェルとか、キントとかいう騎士は」
「死んだと思う。たぶんだけど」
結構ドライな小栗さん。
まあ、でも、そうか。あの聖女は信仰心がからっけつだったらしいし、森の中には亜人が大勢いる。あいつらは連邦を敵に回したからな。彼らも俺たちには言わないだろうが、同胞を傷つけたものを放置しないし、容赦もしないだろう。
「柏木くんは明日帰るんでしょう?」
頷く。そう。ヨドゥンに帰るのだ。久しぶりだな。二週間ぶりくらいだろうか。
「ね。お願いがあるの」
上目遣いの女子。ろくなことにならない予感。
「……なに」
「もしなんだけど。私に、何かあったら助けて欲しいんだけど……ですけど」
「ああ、なんだ。そんなのか。いいよ別に。お願いしなくとも。俺はヨドゥンにいるからちょっと遠いけど、いつでも来なよ」
「いいの?」
まあ、俺にできることなんか知れてるからな。金も貸せないし、頭もよくないぞ。
「じゃあ、私ももう少し頑張ってみる。王都で偉くなったらさ、柏木くん一人くらい受け入れてあげられるように」
「そりゃいいや」
言って、そこで気づく。
そっか。逃げ場所が欲しかったのかもなって。そんで。小栗さんからすりゃ、俺は勇者という役目から逃げてるように見えたんだよなって。……そんなつもり、たぶん、ない。なかったと思う。俺はヨドゥンでも信仰心を稼ごうとしてたし。与えられた使命を全うしようとしてた。はず。でも、やっぱりちょっと違うんだろうな。だから、ノガマたちに自分が勇者だと告げるのをためらったのだ、俺は。
小栗さんはテラスとは違う。俺とも違う。彼女はうまくやっている。前の世界と同じように。そう思っていたんだけど、違うんだよな、やっぱり。
「気を付けてね。たぶんだけど、あんなに強いし、色々できるんだから目をつけられると思う」
「俺が? いや、でもシノミヤの方が全然強いだろ」
そもそもテラスにもボコられるくらいだしな。俺個人は勇者の中じゃ死ぬほど弱いぞ。
「……そういうのじゃないんだと思う」
「まあ、覚えとく。ありがと」
次の日。俺はオウチの町で馬車を待っていた。
「いいのかよ。転移の秘蹟を使える機会なんか滅多にないんだぞ」
ブラッドは物珍しそうに俺を見下ろしていた。呆れてもいたんだと思う。
「金もかかるし。時間も結構かかっちまうぞ」
「俺もそう言ったんだけどな」
「……誰に?」
少しして、森の方からスキャレットが姿を現した。いつもの格好だが、大きめの鞄を持っていた。旅慣れない雰囲気がありありと滲み出ていた。
ブラッドは小さな悲鳴を上げた。
「ありゃ、あのやべえエルフじゃねえのか」
「ごめん、待たせたね。ああ、そっちのは」
「お? おお、どうも。俺ぁブラッド・スクリプトだ」
「その子から聞いてるよ。腕利きの冒険者なんだってね」
「あ、ああ……どうも」
ブラッドは完全に戸惑っていた。
「俺はこいつと一緒に帰るよ」
戸惑っていたブラッドが何か、すべてを悟ったような顔つきになった。
「お前マジかいつの間に……いや、いい。お前も男なんだなあ。俺ぁちょっと嬉しい。いいよ。ゆっくり戻って来い。シルヴィにはうまく言っといてやるから」
「なんであいつの名前が出てくんだよ」
「はっは、はっはっは! シルバースターに言ってやろ!」
ガキみたいにはしゃぐブラッド。彼はそのまま行ってしまった。
「馬鹿みたいだな、あいつ」
「あんたには負けるよ」
誰が馬鹿だ。誰が。
「それよりマジでいいのか。馬車って案外退屈だぞ」
「いいよ。退屈なもので暇をつぶすのだって悪くないし。あんたが傍にいるからね」
おう?
「退屈せずに済みそうじゃん。変なことばっかり起こしそうだからね」
世の中ってのはそうそう面白いことなんかないんだよ。
「なんだったら歩いてヨドゥンまで行くのもいいかもね」
「無理すんなよ、おばあちゃん。疲れちゃうぞ」
「そしたら負ぶってね」
「やだよ」
「馬車はいつ来るのかなー」
スキャレットはでかい鞄の上に腰を下ろして、遠くを見つめる。
「さあてなあ。こっちの世界はみんな時間にルーズだからな」
「ま、人生は長いんだから、いいか。……ほら、口開けな」
「なんで」
「飴ちゃんをあげよう」
やっぱババアだな。
「ほい、あーん」
「ん」
◎〇▲☆△△△
この一件で連邦はスロープゴットに頭が上がらなくなるが、スロープゴットもまた罪なき亜人を手にかけたことで連邦への支援を約束させられる。この支援の後押しには勇者オグリ・アワの高潔さとケイジたちの邪悪さが絡んでいるのだが、それはまた別のお話。
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