第45話
どうして争いはなくならないんだろう。
どうして俺たちはいがみ合うんだろう。
それは俺たちがそういう生き物だからだ。
奪い合い、争って、殺して死なせてここにいる。生かされている。前の世界にいた時だってそうだった。何も食べ物や土地を取り合っていたわけじゃない。権利だとか地位だとか、名誉だとか。クラスのカーストだとか。飽食にあってもなお俺たちは見えないもので競い合う。
俺たちの前にいる亜人だってそうだ。俺と同じ気持ちだろう。同じ考え方のはずだ。……ミチキリ族の長であろうノガマという男は、仲間を引き連れてオウチの町に現れた。こちらは完全に手薄だ。俺は腹に穴が開いているし、ブラッドたちもいない。ノガマたちの目的は知らないが、行きがけの駄賃にケンカを吹っかけてきてもおかしくない。どうしたものかと悩んでいると、ノガマが緊張しているのが分かった。俺たち勇者に対してではない。スキャレットだ。
「はぁい、ミチキリ。森から出てお散歩?」
スキャレットはなれなれしい口を利く。ノガマの顔はこわばっていたが、ふっと息を吐くとそれもなくなった。
「三度問う。お前も俺たちに加わる気はないか」
俺は、小栗さんに癒しの秘蹟を使ってもらいながら、スキャレットの背中を見ていた。
「なんで?」
「エルフとて人間に滅されたはずだ」
「え、そうなん?」
びっくりした。思わず問うと、スキャレットは何とも言えないような顔でこちらを一瞥し、ノガマに向き直った。
「違うよ。あんたらには何度も説明してるはずなんだけどね。時間が経つと何もかも忘れちまう。そのたびにあたしがこうやってるわけなんだけど」
ノガマたちは不思議そうにスキャレットを見ていた。彼女は話を続ける。
「この森は檻なんかじゃない。あんたたちを守る城なんだよ」
「妄言を」
「難しい言葉使うじゃん。あのさ。エルフは人間に滅ぼされたわけじゃない。自滅だよ。全部見てきたあたしが言うんだから間違いないって」
エルフが自滅した? なんだそりゃ。
「もうずっと昔のことだよ。異世界だの召喚だの勇者だの。そんなものが出てくる前の話。神域を穢したあたしらに神さまが怒って、信仰心を取り合えってけしかけた時だよ。世界中……とまでは知らないけど、この大陸の人たちが協力し合わなきゃいけないって事態になって、どうしても動かなかった連中がいるのね。自分たちの住んでいる森を荒らされたくないからって何もかもを拒んだやつが。それがエルフ」
スキャレットはサングラスを外して、指でそいつを弄ぶ。
「エルフは、大陸中にいた亜人をそそのかして、軍を率いて他国に攻め込もうとしてた」
「それの何が悪い。伝来の土地を守ろうと立ち上がったに過ぎない」
「よそ様はみんな、大陸の人たちのために神域を解放したんだよ。エルフだけがしなかった。どうしてだと思う? 何度も何度も。人間たちにどれだけ頭を下げられたってかたくなだった。独り占めしたかったんだよ。森の恵みも何もかも。それこそ外部と取引して余計なものまで得ようとしてたくらいでさ。あのね。今でこそ戦争はなくなったようなもんだけどさ、今日まで続く戦争の発端になったのがエルフなんだよ。そんで、追従した亜人もそう。国同士の争い。そのきっかけは亜人なの」
ノガマたちは息を呑んでいた。
亜人がきっかけねえ。
まあ、どうなんだろうな、実際。スキャレットはまるで見てきたかのように言ってるけど、それを証明する手立てなどない。彼女は確かに長生きだろうが、そんな歴史の生き証人レベルの長寿なのかは疑わしくもある。
ただ、スキャレットの話が本当なら……神の約定を受けて人間の再三のお願いにも動かなかったエルフ。世界に生きるものすべてが協力し合わねばならない状況で、彼らは安寧の独占を望んだ。それが国家間での戦争を呼んだ。エルフの反乱こそこの世界の戦争の始まりである。ってことになるらしいが。
「貴様とてエルフだろうに。ならば、なぜ生きている」
「売ったからさ。あたしは人間に肩入れしたからね。っていうより、エルフどもを見限った。だから死んだのさ。みぃんなね。もっとも、あたしに賛同したやつらは生き残ったけど、純粋なエルフはもういない。ダークエルフだの、そういう風に呼ばれたりしてるからね」
「同胞を裏切っただと」
「若造にごちゃごちゃ言われる筋合いはないよ。先に言っといてあげるけど。……それからエルフに加担した亜人は森に引っ込んだ。大陸中の砲火から目を背けるようにしてね。でもそれでよかった。もうほっといてくれってみんな思ってたから。ただ。それも異世界の勇者さまが道を示した。たったの一撃でね」
森を外から攻略。とか言ってたゴリラ勇者のことか。
「あんたらは感謝するべきだ。勇者にね」
「ふざけるなっ」
「なんで? だってあの人らが戦争を終わらせてくれたんじゃないの? 異世界の価値観や、技術や、知識でさ。あたしらみたいなもんのせいで起こった戦いを止めてくれたんだよ? そう思わない? っつーか、そう思えって散々言われてきたんじゃないの?」
ノガマの仲間、その数人はバツの悪そうな顔になっていた。彼らにも心当たりがあったのだろう。
「全部ひっかぶってくれたのは勇者さまだろ。あんたらは何も分かってない。積年の恨み? 何十年ぽっちでガタガタ言ってんじゃないっつーの」
言って、スキャレットはノガマを強くねめつける。そうして、俺たちは巨大な炎を目の当たりにする。
森を、炎が包んでいた。
俺は目を見開いていただろう。声を上げかけたが、不思議と熱くはない。
「……これ。幻惑の秘蹟?」
傍にいた小栗さんが顔をしかめていた。
幻惑? 幻? これが? 森全体を炎がひた走ってるんだが。
「信じられない。これ。
「あんたらにも見えるだろ。あたしはやれるよ。これぐらいのことは。亜人がまたよそ様に迷惑かけるってんなら、諸共燃やし尽くしたって構わない」
それはきっと、嘘じゃあなかった。スキャレットは長い間、こういうことをやってきたんだろう。
全部引っ被ったのは勇者、か。あんたらは分かってない、か。
そうかもしれない。少なくとも彼女はそう信じている。亜人の尻拭いをしたのが異世界の人間で、大陸で起こった争いを止めてくれたのだと。恐らくだが、穏健派の亜人たちもそうだ。彼らは小栗さんが勇者だと分かり、手のひらを返すようなそぶりを見せていたそうだ。亜人の多くは勇者に頭が上がらないのだろう。
ノガマたちは戦う意思をなくしかけていた。
おい。
おい。説得されてんじゃねえよ。それはよくない。
「でも、今の俺らには関係ないだろ」
俺は聖剣を手にして立ち上がった。腹に手を当てると、何となく傷口が塞がっているような気がした。
振り返ったスキャレットは不審そうにこっちを見ている。
「いや、だってな。勇者勇者って言うけど、昔の勇者だろ。俺が何かいいことをしたってわけじゃないし、小栗さんだってそうだ。お前らだってそうだろ。お前らはまだ……まあ、外で揉め事を起こしてない」
「あたしが話を納めようとしてんのが分かんない?」
「分かるけど、理屈だけで納得できないだろ。やろうぜ」
ノガマを見る。彼が亜人を率いているのだ。一等強いものとやり合うのが筋と言える。
「……正気か?」
ノガマは俺をまじまじと見る。
「おう。ケリをつけようぜ」
スキャレットの話はどこまでが本当なのか分からない。言葉だけで納得できるなら亜人たちだって武器を手にしていないはずだ。振り上げた拳をどうしたらいいのかが分からないのだ。不完全燃焼はよくない。
「外で喧嘩売るつもりだったんだろ。ちょうどいいじゃねえか。俺ぁ……」少しためらった。
「俺は、勇者だ。勇者カシワギ・ケイジだ。殺してみろよ。そしたら晴れて異端者で、何の遺恨もなく外に攻め込めるだろ」
「わけ分かんないこと言ってんじゃないっつーの。あのね」
「うるせえから黙って見てろよ」
言うと、スキャレットは不満そうにしながらも幻を解いた。
「知らないからね」
「一対一だ。俺かお前か。人間か亜人か。異世界人か現地のものか。森の外か。中か。どっちが強いか正しいかだ。いいよな」
「分かった。受けて立つ」
歴史とか因縁とか、そういうものは分からない。亜人と人間の諍いとか。森の中とか、外とか。今の俺たちにはあまり関係のないものだ。俺はそう思う。今は今だ。軽薄で刹那的だろうが、俺みたいなやつが一人くらいいたっていいだろう。
ノガマの姿が掻き消えていた。ものすごい速度で動いたのだと気づくと同時、彼の得物が俺の腹を貫いていた。俺は、その得物を自らの手で押し込んだ。
ふっと息を吐く。自然と笑みが浮かんでいた。
低い姿勢だったノガマは俺を見上げる形で。
「…………」
何か、彼が言った。
俺は貫かれたまま、聖剣で彼の首を刎ねた。
「これで」
口を開こうとしたが、血があふれてきてそれを吐き出す。そうしてから亜人たちに向き直った。
「これでチャラだ。全部何もかも森の中で終わったことだ」
それでいいな。亜人やスキャレットに問うと、彼女らは小さく頷き、俺を指さした。俺の腹を。
「なんか。出てるんだけど」
「ん?」
「それやばくない?」
お腹からいろんなものがはみ出しているのが見えて、俺は笑うしかなかった。
◎〇▲☆△△△
森の中に逃げ込んだのは聖女レイチェルと騎士キント。二人は手をつないで駆けていた。仲睦まじい恋人のようだった。
逃避行。その後を追う影が二つ。一つは背が高く。一つは小柄。影は苦もなく恋人たちに追いついた。
「……あなた方は」
レイチェルが影の正体を確かめた。自分たちの後を追っていたのは勇者オグリ・アワの世話役である、モレノとメリーナの二人だった。
無言のまま、キントが騎士としての任を果たそうとしていた。彼は剣を抜き、立ちはだかった。
「お逃げを」
「私一人で? この森をですか?」
レイチェルは森を敵に回している。ここに逃げ込んだ時点で先はない。ほとんど詰んでいた。彼女もまた戦いの意思を固めていた。二人を見やり、モレノは眼鏡の位置を指で押し上げる。
「見上げた忠義の心。教会騎士としては満点の立ち振る舞いですな」
モレノはふっと表情を緩めた。
「ですが。勇者に傷を負わせたのは見過ごせませんな。祓魔師でなくとも、誰であっても背信者と分かる行い。なによりお嬢様に対しての数々の無礼。もはや神が許そうとも……許しがたい」
「口上は結構」
レイチェルは皮肉っぽく笑む。
「結局、最初から最後まであなた方がやりたかったのはこれなのでしょう。……亜人の反乱や森での内乱など日常茶飯事。部族の長が代替わりすれば恒例行事のようなものでしかない。連邦はこれを抑えて新たなスタートを切る。習わしでしょう」
ええ。モレノは首肯する。
「であれば。これは森の民にならったようなもの。異端の芽を摘み取るのには時期がいい」
「貴様、祓魔師であったか」
騎士が問えば、執事は否定する。
「私はただの世話役です」
「馬鹿な。では何の権限があって」
「権限などと大仰な。これは私憤です」
不審そうな目を向ける騎士キント。
「代々勇者に仕えてきた我が一族には、彼らの大恩に報いるという使命があります。ゆえに」
お前を殺す。
キントが剣を構えた。彼の首が景気のいい音を立ててねじ曲がった。
「ご……!?」
「げぇぇぇえあああああああああああっ!!」
唸りを上げるメリーナの飛び膝蹴りが炸裂していた。モレノのそばに控えていたはずの彼女の一撃は誰の目にも止まらなかった。羊のようにもこもこの髪の毛を振り乱し、涎を散らしながら獣じみた叫び声を放つ彼女は、なおも収まらなかった。今度は大きな口を開いて聖女に噛みつこうとしている。
「彼女は混血でしてね。色々と難はあるのですが一族の中では戦闘力はぴか一なので。ああ、聞こえていますか?」
「げっ、がっ、がふっ……!」
「教会にも恩はあるのですがね。しかし秤にかければどちらが重いかなどとは決まり切っている。はは、食い散らかされて死ね」
もはやレイチェルの耳には何も届いていない。虚ろな目は自らが食われゆく場面を最期まで映していたが。
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