第44話



 聖剣オブライエンよ。

 今日はお前にアホほど血を吸わせてやろう。

「オルルァかかってこんかい!」

 聖女レイチェルの手下どもを切り伏せ、蹴りつけ、殴り飛ばした。街灯に飛び込んでくる夏虫かこいつら。

 所詮は手下である。聖剣は俺に得も言われぬパワーを与えてくれるし、こっちはブチ切れている。しかも異端者を懲らしめるという大義名分までもらっているようなもんなので怖いもんなしだった。

 あっという間に叩きのめし、残りは聖女と騎士の二人だけになった。俺は聖剣をぶらぶらさせながら、どっちからやってやろうかと笑った。

「おさがりを」

 騎士が前に出るか。だろうな。女の前だ。かっこつけさせてやる。

 かっちりとした構え。地に足ついた流派。騎士キント・セッタハイターが、滑るようにして接近してきた。俺は馬鹿でかい声で猿みたいに叫びながら迎え撃つ。こっちには流派も流儀もクソもない。何せ日ごろから俺の戦っている相手は人間じゃない。やり合っているのはダンジョンの魔物だ。教会騎士のお座敷剣法とはわけが違う。だからフルスイング。野球のバットみたく聖剣でかっ飛ばすイメージ。

 鈍い音とともに、騎士が自らの得物で俺のフルスイングを受け止めたのが分かった。受けると思っていた。こいつも聖ブロンデル騎士団なら、アキ・ミュラーたちと似たような戦い方だろうと当たりをつけていた。こいつらは盾だ。避けるのではなく、受ける。

「死ぃぃねオラ!」

 そのままゴリ押し、後ずさりさせて終わり。こいつの後ろには落とし穴がある。スキャレットには避けられていたが仕掛けたままだった。すっぽりと穴にはまった騎士を見下ろし、土の秘蹟を上からかぶせて穴をふさいだ。出てくるには時間がかかるだろう。あと一人。

 最後の一人こと聖女レイチェルは不敵な笑みを浮かべていた。まだやろうってのか。

「泣いて謝ったら許されるかもしんないぞ」

 俺はいいけど小栗さんがどう言うかな。

「……ああ、そういうこと。案外、勇者オグリも知恵が回るんですね。それとも従者の提案でしょうか」

「したり顔で言ってる場合か?」

「誰の差し金か入れ知恵か知りませんが、事ここに至ってはあなた方を皆殺しにするほかないようです」

 なんで? いや、もう降参してくれよ。そしたら後は話し合いなり何なりしてさあ。

 俺はちょっと腰が引けていたが、レイチェルという女はやる気を漲らせている。どうしますかという意味合いで小栗さんを見たが、彼女は首を振っていた。そして小栗さんは大きく口を開く。

「聖女レイチェル・リアルシェル。あなたは勇者に敵対しました。異端の対象となりえますが、どうされますか」

「どうもこうも……」

 レイチェルの周囲に冷えたオーラのようなものが纏わりついていた。氷の秘蹟か。

「最初からそのつもりでしょう」

 やるんだな。こいつ。

 動こうとしたが、足がなんかに引っかかっていた。視線を落とすと足元が固まっていた。霜のようなものが引っ付いて取れないでやがる。

「ちょ、ちょい待って」と俺は霜をはがそうとするが、頭上に馬鹿でかい氷の塊が浮いているのを見て絶句する。マジかこのアマ。マジでやる気か。

 可愛いツラして……! もう容赦せんといきり立つ。が、熱風に煽られて意気消沈。熱源であるスキャレットが氷塊をねめつけると、俺の頭上で小さな爆発が起こった。

「エルフ。あなたの信仰心をそっくり頂けばおつりが来ますね」

「猛々しいじゃん」

 炎と氷が激突する。俺の真上で。

「きゃーっ!? もっと離れたところでやってくれよ!」

 凄まじい熱と冷たさが俺を襲い続ける。叫んでも泣いて謝っても二人の戦いは留まることを知らなかった。だが、信仰心には限りがある。保有量で言えばスキャレットは他の追随を許さない。彼女は俺たち人間とは格が違う。歴史が違う。徐々に押しているのはスキャレットの方だった。

 スキャレットが生み出したのは、まるで小さな太陽。特大の火球が標的へ向かうのと同時、俺の足を何者かがつかんだ。もはや悲鳴すら出なかった。お化けだ。いや違う。俺を掴んだのは、さっき落とし穴に閉じ込めたはずの騎士キントである。

「お逃げください!」

 その声に反応したのか、レイチェルもまた特大の氷を生み出して応戦する。もう逃げられない。特大の秘蹟同士が中空でぶつかり、凄まじい衝撃と水蒸気が発せられた。何も見えない。俺はしゃにむに剣を振るった。

 白い霧の向こうに二つの影が見えた。逃がすかと意気込むも、腹からまた血が流れ出て、痛みで思わず足を止めてしまった。一瞬で死ぬのは慣れてるんだけど痛いのはあんまり耐性がない。ぐおおと呻いていると、心配そうな顔をしたスキャレットが覗き込んでくる。

「あいつら逃げちまうぞ」

「いいよ。あいつの信仰心空っぽだもん。何もできないっつーの」

 周囲を覆っていた水蒸気が晴れると、死にそうな顔をした小栗さんが近づいてきた。腹から血ぃ出てる俺より深刻そうな表情をしている。いつもの執事とメイドがいないけど、どうしたんだろう。

「あー。大丈夫?」

 うわー、いたそー。とか言ってる小栗さん。

「どうにかな。あの二人、放っておいていいの?」

「や、うーん。まあ、大丈夫だと思う」

 なんか歯切れが悪いな。

「モレノさんやメリーナちゃんは?」

「まあ、そっちも大丈夫だと思う」

 こっちはどうにかなったが、問題は首都だな。亜人の強硬派があっちに向かっているらしいが、ブラッドは無事でいるだろうか。



◎〇▲☆△△△



 人は分かり合えない。

 言葉では分かり合えない。我々には隔たりがある。

 力でも解決しない。暴力は時に歪んだ答えをもたらすが、新たな禍根を生み出すこともある。

 人と人が手に手を取り合うにはほとんど一つきりだ。セックスだ。互いを知るには余計なものを取っ払い、裸でぶつかり合うしかない。交合の快楽こそが唯一無二。不確かな現実の中で脳みそに直接叩き込まれる絶頂こそ最上のコミュニケーションである。ヨドゥンの冒険者、ブラッド・スクリプトはそう信じていた。


(あとはまあ、歌と踊りか)


 裸になって交わるほかないのだ。しかし男の尻に突っ込むつもりもなければ突っ込まれるつもりもない。結局ブラッド自身は女としか分かり合えない。それでいい。

 不来方の森をぶち抜くようにしてできた道は首都まで通じている。その道のド真ん中をブラッドは歩いていた。堂々と。悠々と。

 右からは爆発音。仕掛けた秘蹟が炸裂して、首都襲撃を敢行した亜人が吹き飛んでいる。

 左からは悲鳴。古典的なトラップによって丸太やトラバサミのようなものが乱舞する。

 ブラッドは、森に仕掛けられた罠を嫌って突っ込んでくる亜人を迎え撃った。小型のクロスボウが進撃を食い止め、複数の秘蹟が手投げ弾じみた小爆発を起こした。搔い潜ってきたものを蹴り飛ばし、踊るようにステップを踏む。くるりと体をひるがえせば敵対者はみな倒れ伏していた。

 なおも亜人たちは止まらない。罠を交わし、ブラッドをすり抜け、遂には首都に到達するものも現れるかと思われたが、穏健派の亜人たちがそれらを阻んだ。蛮声を上げて突進するのはカバ顔の亜人イッポポモートである。巨体を生かした雑な体当たりはよく効いていた。強硬派の亜人をちり紙のように打ち破って左右に弾き飛ばす。鬱憤を晴らすかのような彼の暴れぶりに味方までドン引きしていた。

 戦いは無意味だ。こんなことをしても真の意味で解決することなどない。悲し過ぎる。ブラッドは嘆いた。あいつもまだ戦っているのだろうか。彼はケイジを思った。やつは弟分のような存在だ。生意気で口が減らない。第一、男だ。彼と分かり合えることなどない。しかし何かしらの助けにはなってやりたかった。


『あいつに足りないものを教えてやってくれ。俺じゃあ間に合わないこともあるだろうからな』


 ブラッドが冒険者として身を立てるようになってから、様々な同業者に出会った。大陸中を旅したうえでシルバースターという男こそが真の一流だと知った。その男が自分に頼んだのだ。それだけで理由としては十分すぎた。



 強硬派の亜人を率いているのはミチキリ族だ。誰彼構わず噛みつく凶暴な性質は知られているが、ここまでとはブラッドも思っていなかった。趨勢は決したのだ。大多数が捕縛され、虫の息も同然である。しかし残ったミチキリ族の男は屈服しなかった。ブラッドに何度倒されても強気な態度を崩さなかった。

 ぼろぼろの状態で男は言う。亜人の怒りを思い知れと。

「貴様らは持ち過ぎた。本来なら、神からの恩恵を得るのは俺たちだけだったはずなんだ」

「恩恵ってなんだよ。金か? 土地か?」

「全てだ」

「結局金かよ。あんな。俺ぁ大陸中を見て回ったがよ。金持ちの亜人だっていたぜ。素寒貧の勇者だっているんだ」

 生まれ育ちだけで何もかもが決まるとも言えないはずだ。

 そもそも、亜人というだけで蔑視する人間の数も減っているのだ。異世界の人間がこの大陸に召喚されたことで変わるものが山ほどあった。そのうちの一つが価値観だ。

「説教するつもりなんかないけどよ。お前ら。森から出たことあんのか? よそのやつと話したことあんのか? お前らはどこのどいつに差別されたんだ?」

 ミチキリ族の男は押し黙ったが、その視線には敵意が宿ったままだ。鋭い、不可視の殺意がブラッドを射抜き続けている。やはり言葉だけでは分かり合えないのだ。

「その目」

 男は短く言った。

「俺たちを馬鹿にしているんだろう」していないが。ブラッドは眉根を寄せた。

「俺たちも愚かではない。二段構えだ。本命は既に森を出て、国の外へ向かっている。他国にケンカを売れば穏健派のアホも目が覚めるだろう。やらざるを得なくなる」

 ブラッドは男を蹴り飛ばした。

「本物の馬鹿だな」

 争いなど大した意味はない。目の前の男は亜人の地位向上じみたものを訴えていたが、特に落ちてもいないものを上げる必要などどこにもない。

 それでもまずい事態にはなった。強硬派が言う本命の部隊は目立たないよう少人数で構成されているはずだ。国を動かすほどの何かができるわけではない。だが、問題を起こせば連邦にその責任がのしかかる。だと言うのに、イッポポモートしかり、穏健派の亜人たちはのんきにしていた。

「まあ、だと思ってましたから」

 何でもなさそうにカバ顔のイッポポモートが言った。追従して、老年の亜人が口を開く。

「あの方がおるなら安心ですわな」

「ああ、森を守ってくださっている」

「……誰のことだ?」

 不思議に思うブラッドだが、亜人たちはのほほんとしているばかりで答えなかった。

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