第41話
気が付くと、ベッドらしきところに寝かされているのが分かった。体は、あんまり思うように動かない。助けを呼ぼうとするも舌がうまく回ってない。頭ん中も霞がかかってるようでぼーっとしている。いつもぼーっとしてるよねあんたはとシルヴィの言葉を思い出す。
木のにおいがする。それに交じって薬や、ご飯のにおいも。
「おー、起きた?」
視界の端に女の顔。見覚えは、ある。エルフの女だ。確か。彼女の家に来てからこうなったんだっけか。
「お腹減ってる? 起きられそう?」
俺は動こうとするが上手くいかず、女に支えられてどうにか上半身だけを起こした。なぜか服は脱がされていた。
「……頭がぼーっとする」
「血を抜いたからじゃない?」
「体中が気だるい」
「頭ん中もクチュクチュしたからじゃない?」
「怖い」
「怖くない怖くない」
思い出してきた。この女に薬を盛られて意識朦朧としていたんだった。というか明らかに何らかの実験されてるよなこれ。内容は聞かないでおこう。知らない方が身のためだ。……で、これ、どういう状況だ。彼女は敵なのか。味方なのか。
「帰りたいんだけど」
「そりゃーいつかは帰れるよ」
間延びした口調。
くふふという笑い声。
少し妙だ。女には険がない。自分の家だからか? ずいぶんと穏やかに感じられる。どうしてだろうと彼女を見ていると、ふと思いいたることがあった。女は神さまに似ている。あるいは、俺に転移の秘蹟を使ってくれた涼風の人にも。神々しい、のか?
「何か食べなよ。じゃないと薬が飲めないし」
「何の。俺、病気なのか」
「何でも喋っちゃう薬とか、嘘をつけなくなっちゃう薬とかかな」
自白剤じゃねーか! 俺は何も知らねえ! 隠してねえぞ!
「とっくに使用済みなんだけどね。あんた、寝てても起きててもぼーっとしてても言ってることがちっとも変わんないんだよ」
「裏表のない素敵な人だとよく言われる」
「誠実さは人間の美徳だね。面白みがないとも言うけど」
また女が笑った。含みこそあれ、普通に好感が持てる類いの笑みであった。
「なんか優しい? そんな感じがする」
「あたしが? 薬盛った相手に言うかな、それ」
「薬はともかくとして、なんつーか、顔つきとか」
ふうん、と、女は目を細める。
「ま、何日も一緒にいるからね。情が沸いたってわけじゃないけど、あんたには慣れてきたのかも」
何日も?
「もう三、四日は経ってるかな。一週間くらいだったかな。一か月は経ってないと思うけど。その間、好きにさせてもらったよ」
「スケベ過ぎるだろ」
「そういうことはしてないから」
いや、睡眠薬使って無抵抗の人の体いじくりまわしたんだぞ。エロ以外の何物でもないだろ。こいつ、とんだどスケベだな。どスケベエルフだ。エルフってのはみんなこうなのか? くそっ。なんで何も覚えていないんだ俺は。
「第一、子どもには興味がないし」
子供って。そんな歳変わらないだろ。
「っていうか人間の男には性的な魅力を感じないし」
「そっちだってその辺の小娘だろ。やってることは老獪すぎるけど」
「あたしが? 小娘? どうなんだろ。誉め言葉として受け取っといていいのかな」
おかしそうに笑う女。まあ確かにその所作はその辺の小娘ではない気はする。落ち着いてるというか、枯れてるというか。
「結構長生きしてるからね。あんたなんか赤ん坊みたいなもんにしか見えないよ」
「え、そうなん。全然そんな風には見えないけど」
「あたしが何歳か想像してみ。たぶん、その何十倍も生きてると思う」
「エルフって寿命が長いのか?」
そんな話は聞いたことがあるが、この女以外のエルフはほとんどいないんだっけか。
「人間よりは長く生きられるけどね。ただ、あたしの場合はちょっと違うかな」
長生きか。いいな。俺もあと八〇年くらいは生きたい。ところでそろそろ力が戻ってきたような気がする。拳をぐっと握れるようになってきたし。
「そろそろ帰りたいんだが」
「はい、あーん」
いつの間にか木でできた匙を向けられていた。湯気の立ったスープらしきもの。俺は反射的にそれをくわえた。……うまい。野菜がいっぱいしみ込んでる感じ。ポトフ的なやつだろうか。女は二口目、三口目を俺の口に運ぶ。腹が減ってたのか栄養を欲してたのか、俺はそれを平らげた。
「果物あるけど剥いたげようか」
食べる―。
二度寝して起きると普通に頭が痛かった。体を起こして部屋の中を見回すも女はいない。近くに服があったので着替えていると、戻ってきた彼女が、ありゃ、と声を発した。
「やっぱり回復が早いんだね。さすが勇者さま」
「勇者って知ってたのか」
「自分でさんざん言ってたじゃん。秘蹟の使い分けといい、信じるしかないかなって」
このアマ恐ろしすぎるだろ。俺が勇者って分かってて実験してたってのか。教会はおろか神に楯突く行為だぞ(そうなのか?)。
「俺がやんごとなき身分の方ってのが分かったんならさっさと帰して欲しいんだけど」
「勇者ってやつ、あたしもそんなに見たことないんだけどさ。あんたはどうして一人っきりで森の中をうろついてたわけ? お供もいない。聖なる装備も持ってない。お金もないし……いいのは、まあ、おまけして顔だけだね」
「ありがとう。残念ながら俺は外れ勇者でな。色々あって冒険者をやってるわけだ」
「変に地に足ついてるというか……ふうん。そうか。変わってると思ったけどアレか。あんたちょっと、この世界に毒されてるのかな」
「さっきから毒とか薬とかこええからやめてくれよ」
女はくつくつと喉の奥で笑みをかみ殺す。
「首都までの一本道は知ってるでしょ。あれを作ったのが昔々の勇者ってのも知ってる?」
「おとぎ話かなんかじゃないの?」
「いいや。本当のこと。ナントカって勇者が神域を攻略するために、一撃を撃ち込んだんだよ」
「攻略?」
「そう。森の中に入ったら道に迷うからって、外から攻略しようとしたの」
賢いゴリラだな。
「で、それを見た亜人がビビッて勇者を案内したんだ。今まで排他的にしてたんだけどね。あんなもん見せられたら従うしかないやって」
「見てきたように話すんだな」
「まあ、見たからね」
「嘘だろ?」
女は答えなかった。本当だとしたら、こいつ何歳だ? ええ? 大したクソババアじゃん。
「勇者ってのは外の世界の人間なんだってね。だからこの世界に住んでるやつじゃあ、ちょっと考えらんないことをする。だからこそ勇者なんだろうけど」
うーん。人によりけりだろそんなの。俺だってそんなんやらねえよ。いや、やるだけの力がないわけだが。
「あんたら勇者はこの世界を変えちまう。そのために呼ばれたのかもしれないけど、やっぱり怖いよ」
「俺にはそんなバカ強い力はないぞ」
「本当に怖いのは森を焼き払ったり、お城を吹き飛ばすような力じゃない。考え方だよ。思想や思考が怖いんだ。あたしらの世界にないもので、あたしらの世界を作り替えていくのが怖いし、すごいと思う」
言わんとすることは分かる。俺もこっちに来て、向こうの世界にあるものがちょこちょこあるのに驚いたからな。だから、この世界は歪なんだろう。過程を踏んでないというか、所々だけが異常な進化を遂げているというか。
さっきからエルフ女が俺を見つめていた。何だろう。顔だけは褒められたし、好感度がぐぐっと上昇したんかな。
「あんたを殺そうかどうか迷ってる」
好感度どこ?
「この世界のためにね」
「俺も大概言われるけど、お前無茶苦茶だぞ。俺はモルモットじゃないんだ。実験されて殺されるなんて……ああでも、モルモットは可愛いからな……俺にはそこまでの愛嬌ないしな」
「ま、あんたに大それたことはできそうにないからね。見逃してあげよう」
はいはい、それはどうも。
「いい暇つぶしにはなったよ」
「暇ならもっとこう、他に色々あんだろ」
「ないよ」
「こんなとこに一人でいるからそうなんだよ。引きこもってないで外に出ろ」
何もないだろこんな森。虫しかいねえじゃん。虫好きの少年だって二日も経てば飽きるだろ。実際俺は飽きたぞ。
「ガキが説教みたいなことを言うんじゃないよ」
くそー、腹立つなこいつ。でも逆らったらずっとこの森に閉じ込められるわけだしな。
それじゃ行こうかとエルフ女が小屋を出て、俺はそれについていく。
「俺を実験してなんか分かったのかよ」
「あんまり」
それこそあんまりな話だ。
「何かこう、俺の秘められた力とか、そういうのないの?」
「……秘蹟こそ色々使えるけど、あんたのはレベルが低いし。器用貧乏というか」
「誉め言葉でないのは確かだ」
「頭こそおかしいけど案外普通だしね。これ以上弄繰り回しても特に何も出てこなそう」
「おおい、もっと実験しろよ! もっと可能性を掘り下げろよ!」
「いや、もういいよ」
「なんで!? 飽きるなよ!」
あれ? どうして実験されたがってるんだ俺。
「そういや、名前なんての?」
「何の? ああ、あたしの? スキャレット・スモーキースリルっつーの」
「ほほう、いい名前だな」
「そうなの?」
「いや適当言っただけ」
「だと思った。ああ、もう着くよ」
ほら、と、スキャレットが指をさす。木々の向こうに道が見えた。
「おお、助かった。ありがとうな」
「ふ。あたしにそれ言う? ありがとうってさ」
寄り道こそしたが、まあ、道案内してくれたのに変わりはないからな。
「ふーー。とりあえず酒でも飲むかな。スキャレットも行こうぜ。おばあちゃんの知恵袋的な話聞かせてくれよ」
「は? どうしてあたしが」
「酒くらい飲むだろ」
「飲まないし」
はー? んなわけねえだろ。新入社員かお前は。
「全人類があんたと同じ考えや好みなわけないんだから」
「じゃあ酒なしでもいいや」
スキャレット婆ちゃんは目を白黒させている。
「……いや、だからどうしてあたしと?」
「何となく? せっかくだし、一人で飲むのもなんだかなーって時ない?」
「いいよ。人が多いのは苦手だから」
俺は道に出て、スキャレットは森に残る。
「じゃ、また遊びに行くわ」
「はあっ? ああ、もう、いいよ。勝手にしな。どうせ来られないだろうし、あんたの頭がおかしいのは分かったからさ」
「道覚えてないから、でかい声で呼んだら迎えに来てくれよな」
スキャレットは、あほらしいと言って去っていった。色々ひどい目に遭った気もするが、どうしてだか親近感がわくというか……たぶん、彼女の信仰心がえげつないからだ。正確には分からないが、スキャレットはもはや神さまに近い。御前やその眷属のミヤマに似た空気感があったからな。長生きしてるからか? それとも、あの大量につけてたアクセサリー。まさか全部が聖遺物ってことはないよな。
ブロウタウンに戻り、酒場で一杯やっていた俺は頭をはたかれた。
「いってええな!」
「てめー生きてたんなら生きてたって言えよ!」
ブラッドがブチ切れていた。彼は俺の首根っこを掴んで椅子から引きずり降ろそうとするも、俺が死ぬほど抵抗したのであきらめて隣の席に座った。
「どこ行ってたんだお前」
「変な女に捕まってたんだよ。エルフの女だ」
「はあ? エルフだと? 嘘つけ昼間から酔っ払いやがって。こっちはちょっとややこしいことになってんだぞ」
逃げるタイミングを逃したと頭を抱えるブラッド。
「お前のお友達の勇者。あの一行に聖女と騎士がいたのを覚えてるか?」
ああ、いたな、そういや。可愛らしい聖女と神経質そうな騎士の男が。
「その二人がえらく張り切っててな。亜人をぶっ殺しまくったんだ」
「仕事してるじゃん」
「敵味方関係なく無茶苦茶やってんだよ。あいつら、亜人の区別がついてねえんだ。強硬派だけ押さえろってのに、無関係の亜人の村落にまで押し入りやがったんだぞ」
「……それってやばいんじゃないのか?」
こ、国際問題的なやつになるのでは?
「穏健派の連中は白目向いてるぞ。俺じゃあ話を聞いてもらえないからよ。ケイジ。お前が知り合いの勇者さまにどういうつもりなのか聞いてこい。事と次第によっちゃどうなっても知らねえぞ」
「えー。小栗さん苦手なんだよな」
「おまえの分まで働いてんだぞこっちは」
じろりと睨まれては立つ瀬がない。しゃあない。後で話に行ってみるか。
「ケイジお前、マジで何だったんだ? 俺ぁ一人で逃げたんじゃねえかって疑ってたぞ」
「いや、森で道に迷って、変な女に……ああ、そうだ。思い出した。森で火事があっただろ」
「ああ。それが?」
俺は簡単にこれまでのあらすじを説明した。ブラッドはあんまり信じてない感じだったが。
「お前が生きてんならそれでいいけどよ。兄貴分としちゃあそのエルフの女は見逃せねえな。好き放題されていいのかよ」
「っていうか、俺らじゃ勝てんかもな」
「そんなに強いのか?」
スキャレットはたぶん、俺たちとは比較にならないほどの信仰心を持っている。あいつが森の三分の一を一人で掌握しているってのも嘘じゃないんだろう。
「年季が違う感じだな」
「世界は広いなまったく。俺も飲むか。マスター、こいつのと同じやつをくれ」
面倒なことになってきてたんだなあ。あのままスキャレットの森の中にいた方がマシだったかもしんない。
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