第40話
シ・ダアイ連邦のいざこざに巻き込まれてから数日が経過していた。
俺はブラッドと一緒に森へ行き、魔物を狩ったり、強硬派らしき亜人を捕らえたりしていた。それも、小栗さんたちが王都から正式な使命を下されるまでの間だけだが。乗りかかった舟とは言うが、その行き先も知らなければ船頭だって知らないのだ。乗った船が海ではなく山に漕ぎ出す恐れもあるわけで。とりあえずだらだらと過ごすほかない。俺としてはもうヨドゥンに戻ってもいいような気さえしているが(娼館も飽きてきたし金も減ってきたし。でも亜人の子はやっぱりいいなあ。特に黒猫の子がいい)、ブラッドは、戻るのが早すぎるとツェネガーに申し訳が立たないとか言って滞在を望んでいる。けどあいつだって遊び惚けてるしな。
「しかしアレだな」
俺は不来方の森の奥深くまで来てしまったらしい。今日はブラッドも一緒に来てないし、首都までの道もこっからじゃ木々に阻まれて見えない。これは迷ったな。帰り方が分からねえ。そもそも目印だってないし。太陽さえ隠しちまうほど大きな木ばっか生えてるもんだから、この辺は昼だってのに薄暗い。
でかい声で助けを求めようと思ったが、確実に無駄に終わるだろう。疲れるだけだ。そればかりか強硬派の亜人に見つかったら面倒だし。
こういう時は焦って動いたらダメなんだよな。よし。体力温存だ。俺が戻らないことが分かれば誰か助けに来てくれるかもしれない(他力本願)。俺は大樹のそばに腰を下ろし、息を一つ。森の中を抜けていく風が心地よかった。
この森は風の神アイナスの支配地にある。かの神は連邦にそびえるワルルルァ山で民を見守っているらしい。見ているんなら俺を助けてくれ。ちら。と、虹色に光る報酬石に手を伸ばしかけて、慌ててひっこめた。あほか俺は。道に迷ったくらいで神を呼んでどうする。くそう。知らん土地だから心細くなってきた。だ、だめだ。じっとしていると嫌な考えばかりよぎってしまう。俺はその辺をうろついて歩き回った。しかし進めば進むほど分からなくなる。
「……《信仰心強化》……いや、いやいや……」
助けて神さま。もはや道案内してくれなくともいいのでそばにいて。いやそばにいるんだろうけど寂しいから姿を見せて。
「ちょっと。そこまでにしときなよ」
俺のものじゃない声がした。幻聴にしてははっきりとしていて、俺は何となく振り向く。向かいの草むらから女が顔を覗かせていた。……森の民か? にしては妙な格好だ。歩きにくい道だってのにヒールを履いている。白くて長い髪の毛。サングラス。大量のアクセサリー。美人さんだが、なんか怪しいな。
「何者だ!」
「あんたが言う?」
「連邦の人? この森に住んでる感じの?」
「そうだけど」
ふー。助かった。
「へ、へへ、すんません、道に迷ってしまって、帰り方を教えてもらえませんか」
俺がそう言うと、美女は呆れたような顔つきになる。
「あんた、どっから来たの。この国のもんじゃないでしょ」
「はい! ヨドゥンから来ました! けちな冒険者のカシワギ・ケイジです!」
「声でか……やっぱりそうか。はあ。どこに帰りたいの。首都? 森の出口?」
帰りたい、か。本当はヨドゥンに戻りたいし、何だったら元の世界でもいいな。なんてあほなことを考えてしまった。
「首都でお願いします」
「ええとね」
俺は何となく美女に近づく。すると、彼女はそれ以上動くなと手と目で制してきた。
「この森のこと、何も聞いてないの?」
「虫はいっぱいいますね。あと亜人」
「あんたが足を踏み入れてるのは立ち入り禁止の区域なんだけど?」
そうなん?
「いや、それは申し訳ない。でもほら、似たような景色ばっかりで迷いこんじゃって。別に来たくて来たわけじゃないよ」
「ああ、そう」
そこでピンときた。そういやオウチギルドの案内人がこの森は三分割されているとか言ってたっけ。
「あー。そういや、ここってとある部族の領地なんだっけ?」
「知ってんじゃん。そうだよ」
「あっ。もしかしてあんた方の?」
「そういうことになるね」と美女が言う。
「ふーん。だったらこの森で火事を起こしたバカもこの辺にいんのかな」
「は? 何それ」
俺は簡単に事情を説明した。
「だからそのバカのせいで俺たちが依頼を受けてここに来たんだ。そのバカが余計なことさえしなけりゃ、俺はこんな薄暗い森で迷子にならずに済んだんだよ」
美女は黙って話を聞いていたが、なぜだか俺を強く見据えつけていた。なんで。
「この領土を管理しているのはエルフって知ってた?」
いや、初耳。
「つーかエルフってこの世界にいるのか? 俺ぁまだ見たことないぞ」
ドワーフやリザードマンは知ってるが、ファンタジーといえばのエルフとはまだエンカウントしていない。
「は」と美女は吐き捨てるように笑った。
「そりゃそうだっつーの。純粋なエルフはもうほとんどこの世にいないんだから。残ってんのは交じりもんだけだよ」
ええっ!? マジか嘘だろ……。
俺がショックを受けているのを分かってか、美女は不思議そうな顔をする。
「何で落ち込んでんの」
「いや、ここに来た醍醐味というか……あれ? いや、でもここはエルフが管理してるんだろ? エルフはいるんじゃないの?」
「そうだよ。この世界にただ一人だけね」
その時、風が吹いた。アイナスがもたらした涼風は木々をすり抜け葉を揺らし、俺たちのそばも通り過ぎていく。その際、女の髪の毛がなびき、長い耳が見えた。
「うわっ、耳長っ」
「うん。長いの」
「エルフみたいだな」
「みたいじゃなくて」
「……エルフ?」
女は自らの耳を指さし、次いで、あらぬ方を指さした。つられて見ると、なんか……木が燃えたような跡があるな。しかも広い範囲にわたって。まるであそこで火事でも起こったかのような。
そして女は俺を睨みつけた。彼女の周囲にはなぜか炎が揺らめいていた。なるほど。察しの悪い俺も何となく分かってきたぞ。
「そうか。バカはあんただったのか」
「お分かりいただけたようで」
じゃあアレか。こいつが強硬派の主犯格なのか。
「勘違いしてるみたいだから言っとくけど、あたしをあいつらと一緒にしないでよね。あいつらがうちに踏み込んできたから追い払っただけだし」
「ええ? ちょっと話をややこしくしないでくれよ。もういいから強硬派のリーダーってことにしてくんない?」
そしたらこの女を叩きのめしてふんじばって事件解決じゃん。
「物を知らない馬鹿は好きだけど、あんまししつこいと燃やすからね」
「じゃ、あんたは無関係ってことなのか?」
「たぶんね」
エルフらしき女は適当そうに笑った。
「で? どうすんの? 森を燃やしたバカをとっちめるとか言ってなかったっけ?」
「そんなん言ったっけ俺」
「言い残す言葉はそれでいいわけ?」
やばい怒ってらっしゃる。
「まあ……なんというか……人間って間違ってしまう生き物なんだよな。そしてその間違いを正すことで成長する生き物でもある」
「一理ある」あるのか。
「色々と行き違いとか誤解があったようだけど、お互い水に流すとしようじゃないか。なあ。こんな風に、こんな感じで」
俺は水の秘蹟を使って水流を生み出した。さりげなく、エルフ女の秘蹟を消火しておく。
「素直に謝れんのかおのれは」
「ごめんなさい、すみませんでした、もうしません、許してください、悪い! すまん! すんません!」
「分かった分かった。うるさいからもういいって。いいよもう。ブロウタウンまで送ってあげるから」
「いよっ、さすが、ありがとうございます!」
エルフ女が歩きだし、俺はその後ろについていく。
「いやー、しかし見事な炎ですなあ。火の秘蹟の使い手であらせられる?」
「無理に褒めなくていいから黙ってて」
「俺もエングゥリンにはお世話になってますから! 同じ火の神の信仰者と出会えるなんて嬉しいなあ」
「嘘つき。さっき
「いやいや、火も使えますよ」
エルフ女が立ち止まって振り返り、顎をしゃくった。俺は火の秘蹟でちっちゃな火の玉を作り、ついでなのでたばこに火をつけて紫煙を燻らす。自然の中の一服もいいもんだな。
「ああー、そういうこと。さっきからこいつ頭おかしいと思ってたけど二重信仰者なわけね」
「二重どころじゃなかったりしますが」
「どういうこと?」
信仰心はもったいないが、せっかく道案内してくれるんだしサービスしておこう。俺は様々な神の秘蹟をちょっとだけ使って見せた。使ううち、エルフちゃんの顔が見る見るうちに驚愕の色に染まっていく。
「え、何、どういう意味? なんか仕掛けでもあんの?」
「いや特にないけど」
逆にというか、前から思ってたけどなんで俺以外にこれができないのかがいまいち分からん。なんで一柱だけの神を信じてるのかが分からん。八百万の神って言うじゃん。神さまは森羅万象に宿ってんだから森羅万象の神々がいてもおかしくない。そもそも十柱とか、十神教とか言ってるくせによう分からんよなこの世界の人たちって。
「俺は信心深いんだよ」
エルフ女は何事かを呟き、くるりと方向転換してずんずん歩き出す。
「あ、ちょっと待って歩くの早い」
ヒールなのによくもまあ森の中を歩けるもんだ。俺は感心しながら彼女の背を追った。
そして辿り着いたのは首都ではなく小さな小屋であった。
「着いたよ」
「どこに」
「あたしんちだけど」
「いや、俺は首都に行きたいって」
「お茶でも出すよ」
「あ、すんませんどうも」
小屋の中は雑然としていたが、とりあえず椅子に座らされてテーブルの上に出されたお茶を飲む。不思議な味がした。
「気が変わった。あんたに興味がわいたよ」
それは異性的な意味かな? 首都に戻りたいのは戻りたいんだが、美人に、しかもエルフに言われると嬉しくなっちゃうな。ファンタジー感ある。
「えー、マジで? そうか。家に連れ込むなんてやっぱり亜人は情熱的なんだな」
「複数の秘蹟を使い分ける人間なんて初めて見た。この大陸の歴史上でも存在しなかったはず。ありえない。異常の存在」
はあ。
「ありがとね。新しい暇つぶしができた」
「……何が?」
「大丈夫痛くしないから」
えっ、何? それ俺が言うべきセリフでは? いや、別にそんなこじゃれた(そうか?) こと言わないけども。
「眠くなる薬を混ぜといたから、もうじき落ちると思うよ」
「いや、別に薬なんかなくとも抵抗しないというか、普通にありがたい展開なんだけど」
「そう? それはいいね。手間が省けるから」
睡眠薬?
なんでだ?
「色々と実験させてもらうね」
「そ……」
俺は椅子から滑り落ちた。なんか、体が言うことを聞かない。
「おーおー、効いてる効いてる。念のため強めのやつにしといて正解だったかも」
「実験って……エロい、意味で……?」
「んなわけねーじゃん」
そんなあ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます