第38話



 亜人どもが森から現れたのは、首都への道を半ばほど進んだあたりの時であった。勇者オグリ・アワ率いる支援団は泡を食った。逃げ出そうにも左右を瘴気漂う木々に挟まれ、前後には徒の騎士や荷駄隊がいて動きようがなかった。襲われたのは隊列の中ほどにいた信徒たちである。敵襲の声に反応するより先、アワの執事であるモレノが襲撃者の武器を奪い、腕をとって無力化した。その機転を警戒してか、後続の亜人どもはすぐに動かなかった。

 そこでようやく、勇者オグリ・アワはこの状況を把握した。自分たちが亜人に襲われたということを認識して、足がすくみそうだった。

 なぜ襲われたのか。なぜ自分たちなのか。きっと大いなる勘違いに違いない。交戦はまずい。だが、アワには浮足立った騎士たちを止めるすべはなかった。

「お嬢様。私のそばを離れないように。……メリーナっ」

 襲撃者の腕を外したモレノが指示を出すや、メリーナは飛び出した。羊のようにもこもことした可愛らしいメイド服の少女は、近づいてきた狼のような亜人の男の腹に拳を見舞い、小さく跳躍する。バランスを崩した彼の顎に蹴りが炸裂していた。

 前方からはキント・セッタハイター率いる教会騎士たちの威勢のいい声が聞こえてくる。その声に交じっていくつかの風切り音。

「矢除けの秘蹟を!」

 隊列に降り注がれる矢の数本は信徒たちに命中するも、どこからか吹き込んだ風がそれ以外の矢を弾き返した。アワは信徒たちに身を守る秘蹟の発動を命じた。同時に、アワは聖女レイチェルの姿を目で追った。目が少しの間だけ合った。彼女は哂っていた。

 聖女レイチェルは亜人嫌いで有名だ。亜人に対しては情け容赦がない。何の咎もないもの相手にも冷酷に接するのだ。であれば、この状況はレイチェルにとって垂涎物の展開ともいえる。

「いけませんっ、聖女!」

 レイチェルは聞く耳を持たなかった。勇者オグリ・アワは聖女を取りまとめる機関にコネを作りこそすれ、そこに属する聖女たちはアワの部下ではない。

 聖女の近くにいる亜人から順繰りに動きが鈍くなった。彼らは訝しみ、足元に視線を落とす。地面から伝わったであろう冷気が纏わりつき、亜人たちの感覚を奪っていた。霜のような。霧のような。気づけば、亜人の下半身は凍結し、身動きが取れなくなっていた。


(闇雲に死人を出すなんて……! 最悪や。何なん。あの子何しとんねん……)


 聖女レイチェル・リアルシェルは《二重信仰者ダブルスタンダード》である。水と風の神の秘蹟を扱い、それらを組み合わせた氷の秘蹟が得意分野であった。


「お、おわっ?」

「やめろやめてくれ!」

「降参だっ」


 凍結した亜人たちが武器を捨てた。彼らの頭上には巨大な氷柱が浮いている。言わずもがなレイチェルの秘蹟だ。彼女は中空に固定させた氷柱を見やり、ふっと息を吐いた。落下する鋭利な先端が亜人どもの頭と衝突し、血飛沫を舞い上がらせた。その際の衝撃で首の骨が折れ、上半身はぐしゃぐしゃに折り畳まれていく。後に残ったのは骸と融解する氷雪だ。

 同胞が無残に殺されるのを間近にし、襲撃者たちの意気は盛り下がった。好機と見たのはキントたち騎士だ。彼らは、アワの静止の声も聞かず逃げる亜人の背を追いかけた。

「追わなくて結構! 追い払うだけで構いませんから!」

 アワは声を張り上げるも場は狂騒の渦のただ中に在る。なおも戦意を喪失しない亜人がしゃにむに突っ込んできて、彼女は思わず目を瞑った。次に開けたとき、モレノとメリーナが敵を食い止め、追い返していた。

「アワちゃんどうするの。いったん町に帰るの?」

「帰りたいけど」

 隊列はばらばらだ。騎士は亜人を追いかけて行ったきり。すでに逃げてしまった同行者もいるかもしれない。彼らと合流して立て直すのには時間がかかる。

「襲撃者を無力化する方が早そうですな」

「私は聖女を止めます。あなたたちは皆の護衛を」

 アワはなるべく怒らないように心掛けながらもずんずんと歩くその調子からはどうあがいても怒りを隠しきれていなかった。

「レイチェル・リアルシェル。あなたの信仰心は神も十分に見届けたはずです」

「あら勇者さま」

 静かに微笑むレイチェルだが、その視線はいまだ鋭い。

「ですが異端の者はまだ動いておりますけれど」

「異端かどうかは分からないじゃないですか」

「……教会わたしたちを襲ったのですから。ねえ? 異端以外の何者でありましょうや」

「十分です」

 レイチェルは目線を切った。そうしてから、誰もが息を呑むような笑みを浮かべた。見るものを虜にするような可愛らしいそれは、血生臭くなったこの場においてはあまりにも似つかわしくない。

「失礼しました。勇者オグリ・アワさま。ええ。きちんと弁えておりますもの」

「あなたの信仰に感謝します」

「せめて一人は残しておかないと、首謀者の正体がつかめませんものね」


(そういうことじゃないんだけど)


 アワは内心でため息をついた。



 それから数分もしないうちに襲撃者の無力化には成功した。特にモレノの働きは尋常でなく、手慣れた動作で亜人たちを縛り上げていく様は頼もしくもあり空恐ろしくもあった。アワにとっては可愛らしいだけの存在でしかなかったメリーナも荒事には慣れているらしい。さすが勇者の監視役兼護衛役といったところかと得心する。

「話は聞き出せそう?」

 モレノは首を振った。

「難しいでしょう」

「口を割りませんねえ」

 アワのそばに屈み込んで亜人を眺めていたレイチェルはつまらなそうに息を吐く。

「こんな森の中じゃあ何もないですし、尋問する暇もないですから」

 先行した騎士たちが戻ってくるまでは動けない。アワは首都へ通じる道の先へ目を凝らす。

「アワちゃん、アワちゃん。みんな戻ってきてるみたい」

「あ、そうなの」

「でも、知らない人が混じってる」

 騎士たちの姿が近づくにつれ、彼らがふんじばった亜人を連れていることが分かった。それから、支援団にはいなかったはずの二人の男の姿があった。

「お嬢様」

「うん。……あの人たち、誰かな」

「キントさまと行動を共にしているようですが」

 一人は二〇代の男。髪の毛は明るい茶色で、マントを羽織っている。シルエットはシュッとしていて遠目からでもハンサムに見えた。ただ、遊び人っぽくてアワの好みではなさそうだった。

 もう一人の男は若い。恐らくは一〇代だろう。自分と同い年くらいかもしれない。男は黒髪の冒険者然とした格好だが、妙に荷物が少なかった。というかほとんど手ぶらだった。装備も遊び人風の男と比べれば貧相極まりない。まるで近所のコンビニにでも行くかのような気軽さを身にまとっている。


(黒髪……)


 アワの知る限り、この世界の住人にとって黒い髪の毛は珍しいもののはずだ。大陸は東方国出身者であるか、あるいは、自分と同じように勇者候補として異世界から召喚されたものか。黒髪の人間はそのどちらかだ。アワはそのように認識していた。

 あの男が勇者であるなら顔見知りのクラスメイトのはずだ。しかし、心当たりがまるでない。ここにシノミヤは来なかった。カラスダニもコイケも来るはずがない。サクライならよく知っているので見間違うことはない。ということは、彼は勇者ではなく、東方出身者なのだろう。

「戻りました。勇者さま」

 恭しくお辞儀をするキント・セッタハイターだが、そのしぐさは慇懃無礼にも見えた。アワは彼をあまり信用していない。少なくとも土壇場で自分の指示を聞くような男ではない。それは先刻痛感した。

「襲撃者は」

「誅滅済です。一人は生かして捕らえましたが、どうされますか」

「話を聞ければいいんですけど」

「如何様にも」

 言って、キントは聖女レイチェルと何事かを話し始めた。彼らが懇ろの仲なのは周知の事実である。アワは放っておくことにした。

「失礼ですが、あなた方は?」

 アワの前に立ったモレノが、二人の男に問いを投げた。

「ああ。俺はブラッド。冒険者だ。さっきの騎士さんとは道の先で会ってな。亜人が暴れてたんで捕まえるのに手を貸してた。で、こっちが」

「小栗さん?」

「は? 何言ってんだ?」

「だから小栗さんって」

「なんだ『オグリサン』って。お前の名前はそんなだったか? シカの食い過ぎで頭バグってんのか?」

「失敬だな」

 ん? アワは目を瞬かせた。今、妙に懐かしいイントネーションで名前を呼ばれた気がする。

「あー、やっぱ小栗さんじゃん」

 気のせいではなかった。黒髪の冒険者がこちらを見て目を細めている。それで気づいた。全体的に荒んだ雰囲気こそあれ、彼の優しげな目元には覚えがあった。だから、アワは少し信じられなかった。どうしてあの柏木がこの場にいるのか。

 そもそも、なぜ生きているのかが。



◎〇▲☆△△△



 小栗安和。

 俺のクラスメイトで、いわゆるカースト上位に君臨する女子だった。性格は、恐らくだが、いい。真面目な感じで上手いことクラスを回してたって印象がある。女子は男子より大人びているのが普通だが、小栗さんはその中でも特に大人っぽかった。常に落ち着いているように見えたし、成績も良さそうだったかな。確か。全部推測だ。前の世界ではほとんど接点はなかった。ただ、俺みたいなもんでもフルネームを覚えるくらいには目立つ人で、クラスの中心的人物の一人だったように記憶している。

「いやー、お互い生きててよかったなあ」

 俺たちヨドゥンの冒険者がここにいる経緯や、連邦が今どんな状況なのか。説明は全てブラッドに任せてある。

「うん。本当に」

「なー」

 俺は小栗さんと並んで歩いている。異世界に召喚でもされなきゃありえない事態だろうな。まあ、とにかくクラスメイトと再会できたのは喜ばしい。しかし小栗さんはそうは思っていないらしく、その表情はどこか浮かなかった。お腹でも痛いのかな。

「……ねえ。その、柏木くんは……本物、だよね」

 本物とは。何? 哲学的な問いかけ?

「気を悪くしないで欲しいんだけど。柏木くん、死んだことになってるから」

「ああ、そうなん?」

「そうなんって……え、そういう反応?」

 まあ、そりゃそうだろ。王都には戻ってないんだし。あいつら、俺がどこでどうしてるか知らないだろう。一応ポルカは俺のことを報告するとか言ってたけど、そんなすぐには伝わらないだろうし、というか伝わっててもどうでもいいから無視されてそうだし。実際、小栗さんは俺を死んだと思ってたわけだし。

「色々あったけど今はヨドゥンで暮らしてるよ」

「ヨドゥン……えーと。それどこだっけ」

「大陸の端っこ。すげー薄汚い町だよ。そこで冒険者やってんだ」

 小栗さんは眉根を寄せていた。さっきからしかめっ面というか、難しそうな顔をしているが。

「どうして王都に戻らなかったの。生きてたんなら……というか冒険者って。勇者じゃん。柏木くん勇者じゃん」

 どうして戻らなかったって。そりゃ生きてたから戻らなかったに決まってる。戻ったらまたこき使われるだろうし、面倒くさいことも増えそうだからな。第一、俺一人戻らなくたって世界は回るんだし。けどそういうこと言うと小栗さん怒りそうだよな。真面目っぽいし。

「まあ、色々あって」

「あ、ごめん。そうだよね。戻りたかったよね」

 いや、うーん、別に。

「小栗さんは何とかやれてる? 大丈夫そう?」

「私は……うん。とりあえずは」

「そっか。そりゃよかった。そうだよな。楽しいこともあるし、案外この世界も悪くないしなあ」

 すると、小栗さんの顔が固まった。だけでなく。彼女は足を止めて俺を見つめていた。

「楽しい? 楽しいこと、ある?」

「いや、そりゃあるでしょ」

「……ずるい」

「えっ。えっ。なに、なんか怒らした?」

 小栗さんはまた歩き出すがさっきより歩調が速い。俺は置いて行かれないようにして歩くスピードを上げた。

「というか柏木くんってそういう人だったんだ。あんまり喋ったことないから分かんなかったけど、なんか、結構軽いよね。ほら、一緒にいた人も軽そうだったし」

「あれと一緒にされるのは心外なんだけど」

「へらへらーって笑うのも。そんなの教室じゃ見せなかったじゃない。いつも真面目そうな感じで、大人っぽかったような気がしてたけど」

 そうだったか? どうだったかな。俺は自分の顔を引っ張ったりして何度も確かめてみたが、まあ、自分の顔って見えないから分からない。

「小栗さんは思ってたより怒りっぽいね」

「そうかな?」

 眉がつり上がってますけど……。

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